闇夜は、深き森の如く。

 水辺は、まるで誰何と迫るよう。

 わたしを取り巻く、その無限の多元は「孤独」という名に相応しい場所だった。

 

 

「シン」
 呟くが、その言葉が何の意味を成したものだったのか、もうわからない。
「シン、シン・・・・・・」
 繰り返しても、最初はあった心の灯火も燈らなくなった。
 悲しい、という気持ちすらよくわからない。
「わたしは・・・・・・」
 誰?
 どうして、ここにいるの。
「ネオ」
 この名前も、呼べば少し人心地に戻るものだった。だから交互に呼ぶ。けれど、それもやっぱり薄れてきたように感じる。
「・・・・・・」
 改めて見渡すと、そこは真っ暗闇でなにもなかった。
 ずっと、ずっと、とりあえず前に進んで歩いていたが、何もかもが真っ黒で、本当は前も後ろもわからなかった。それでも歩き続ける。そうで
なくては、何もすることもない。進むことすら不可能になる気がした。
 心は空っぽなのに、どうしてか、占領する想いがあった。


 こわい。


「よお」
 その声は唐突で、わたしは顔を上げた。
「若いのに」
 声が出ない。真っ暗闇に、その人は急に現われた。ずっと、そこにいたわけでもないのに、ずっとそこにいたみたいに。
「道、ないの。君、次第」
「な、に?」
「戻りたい?」
 戻る?
 目の前の人は、青年・・・・・・と思しき年齢の男の人だった。薄い緑色の髪を少し長めに伸ばしたままで、瞳は紫と金色をしている。肌は透けるように
真っ白で纏った上下の白い服はパジャマのようだった。
 空ろな、顔と声が印象的だった。
「どこに」
「現」
「うつつ・・・・・・?」
 わたしは首を傾げた。もともと、言葉は多く知らなかったが、そんな言葉聞いたこともなかった。
「君はさ、今、君でも、女の子でも、ない。もちろん、」
 そこでいったん切って、意味ありげに青年は笑ってわたしを見た。
「ステラでも、ない」
 その名前は誰のものだろう。聞いたことがある。とても懐かしい音。
「ねえ、君は・・・・・・なにをみたい?」
 青年の声は深くて、暗くて、それでいて軽いものだった。わたしは微かに細めた瞳に青年を映したまま、奥に見える闇夜を見据えた。
 ああ、似てる。
 似てる。大好きだったものに似てる。
「うみ」
 そうだ。わたしは海が好きだ。
「うみ、すき」
「海かあ。久方見てないね」
 嬉しそうな響きを持った青年の声は、初めて人間のものに思える温度があった。
「そうか。それは覚えてるんだね。君は」
「・・・・・・どんなものかは、わから、ない」
「だろうね。それでも・・・・・・この滂沱の闇に、海を見たんだろう?」
 ぼうだ、も、やみ、もわからない。
「なら、君はまだ現にいるべきなのかもしれない」
 青年の言う「うつつ」は場所のようだ。わたしはやっぱり首を傾げて、そうっと青年に歩み寄った。
「あなた、だれ」
「オレは・・・・・・さ」
「きこえ」
 初めて見た青年の顔とその笑顔は、わたしの心をいっぱいにして捉えた。
 わたしには、うみ、も、やみ、も、うつつ、もなにもかもわからず仕舞いだったけれど、その笑顔のことだけはわかった。
 
 すき。

 そうだ。
 さいごに見たわたしのさいご。
 それは、すきだ。だいすきなものだ。

「よかったね」
「・・・・・・ね・・・・・・すきだと、これ、でる?」
「・・・・・・そうかも、ね」
 わたしの目からは溢れるように雫が零れ落ちて、青年はどうしてか寂しそうにそれを眺めていた。
「とまらない」
 何度も目をこすったが、それはどうしても止まらなかった。
「かつて、オレも現にいたことがある。僅かな記憶を辿るだけでも君の流すものの意味は覚えているよ」
「いみ?」
「人は、悲しいときも、嬉しいときも、涙を流す」
 ゆっくりと紡がれた言葉は優しく、柔らかい。ずっとあった想いが薄らぐようだった。
 ああ、怖くない。
 ここは怖くない。
「さあ、いきな」
「え」
「ステラ、行くんだよ」
 青年はそっと側にきてわたしの肩を掴んだ。その感覚にわたしは驚いて顔を上げた。
「あ、なた」
「いきな」
 とん、と背を押され、わたしは再び歩き出す。
 歩き出すと、途端に青年は遠ざかり、あっという間に見えなくなった。

 

 声が聞こえる。


 ざあ。
 ざざあ。


 声、それとも音?


 わたしは、つめたい海水の中、その目を開くことになる。

 

 

 

 

 


「かわらないなあ」
 シャニはふっと微笑むと、頬を掻いた。
「かわんない」
 虚しく響くその声に、青年は顔を振る。
「よく言うよ、変わってると思うから教えてやったんだろーが」
「オルガ」
 振り返ると、上背の高い青年が深い青緑の双眸でこちらを見ていた。
「ステラだった」
「みたいだな。あんだけ、ぼーっとしてりゃあ戦死っていうより、事故死じゃね?」
「はは」
「シャニ自身が覚えてるか知らないが・・・・・・可愛がってたよ、お前」
「そう」
 シャニはぼうっと少女の消えた先を見つめながら、呟く。オルガの言うことは覚えていない。生前、自分がどうしていたのかなんて曖昧だ。もう
ずっとここにいて、彷徨う魂の行方を眺めるだけの存在だ。
 自分が「人」であったことですら、もうどうだってよかった。
 同時に、いつもそう思う瞬間に己が「人」であったのかすら、わからないと思う。
「どうして、こう・・・・・・ときたま、思い出すんだろ」
「そりゃあ・・・・・・必要があるからだろ」
「でも、スティングはほったらかした」
「あいつは強情だ。お陰で、クロトの奴が暴れてる」
 狭い世界だ。生きていようが、死んでいようが。
 シャニは少しだけ戻ってきた「心」というものに、苦笑して手を握り締めた。
「すきなんだって」
「お前が?」
「違うよ。ステラ」
 可笑しそうに笑うと、シャニはオルガを見上げて続ける。
「現に、すきな奴いるって」
「へえ」
「珍しく面白そうな話、してる」
 ひょっこり出てきたクロトは悪戯を見つけたかのように笑った。
「誰がなにって?」
「お前はいいの」
「スティングは?」
「知るかよ」
 オルガとクロトのはじめた言い合いに、シャニはそっと顔を背けるともう一度闇夜を眺めた。
 見飽きた景色だが、今だけは違う気がする。

 可愛いステラ。
 オレは君を覚えているようだ。

 うみがすき、そう言った君をみて、思い出したよ。


 あの夏の日、
 研究所で初めて君を見た、あの日を。

 

 

 

 

 

「おい!」
 ざあざあと耳元で音がする。次いで、体を誰かが強くゆすっていた。
「おい!目を覚ませ、おい」
 聞こえる声は、強く強くステラを引っ張った。そして、なにかがぶつかるようにあたった。
「息をしろ!!」
 誰かが懸命に息を吹き込んでくれているようだ。ステラは薄っすら明けた瞼に、僅かに光を見る。
「・・・・・・っ」
「!!」
 声の主は息を呑んで、瞬いたようだ。ステラはそのまま、意識を手放した。
「良かった・・・・・・、おい、しっかりしろよ」
「アスラン!」
「カガリ、よかった。早く車に」
「ああ」
 遠ざかる声と音の中、ステラは抱き上げられた浮遊感にそっと微笑んだ。
「この子、笑ってるぞ」
「みたいだな・・・・・・取り合えず、医者だ」
「ああ・・・・・・可愛いなあ」
「カガリ、急ぐぞ?」
「え、あうん。なあ、アスラン」
 微笑んだまま気を失ったステラを、カガリはそうっと眺めて続けた。
「オーブの海の贈り物だな、きっと」
「何言ってるんだよ」
 呆れたようなアスランの声にカガリは抗議の眼差しで言い返す。
「こんな可愛い子、みたことないぞ」
「どこぞの船から落ちた救難者だろう、贈り物って」
「お前、ほんとロマンがないなー」
 二人はああだ、こうだ言いながら迅速に行動する。迎えにきた車にステラを乗せて、息をついた。
『可愛いなあ・・・・・・』
 はもってしまった互いに、顔を見合わせる。
「・・・・・・ほらー!」
「うっうるさいな、カガリ」
「あはは!アスランも同じじゃないか」
 かたかた震え出したステラをアスランとカガリはそうっと抱き寄せて、覗き込む。
「どこの子、だろうね」
 それから始まる未来を、まだ二人は知らずにいた。


 
 寒い、寒い、オーブの真冬のお話。

 

 

 

 


紫陽花の季節。

描きたかった連合のみんな。

SEEDの世界は構造がいい。けれどぼくには荷がおもいこの連結的なおはなし。

ああ、少しでも繋がるといいな。邂逅は温かい腕。

抱擁はすてき。

これでスティング兄ちゃんをかける日がきそう。

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