あたしの生きていられる、何百年という年を、すっかりお返ししてもいいから、その代わり、たった一日でも、
人間になりたいわ。
 そうして、その天国とかいうところに上っていきたいわ。

 
 
 あるのかな。
 天国という名の、楽園という場所。

 

「……このお話、すき、じゃない」
 ラクスは遊びに来る度に本を貸してくれる。
 今日は時間があるからと、二人で一冊の本を囲んでお茶を飲んでいた。
「ステラ、貴方……」
「ねがい、叶うのに。どうして、泡になっちゃうの」
 俯いたまま、ステラは歯を食いしばった。今にも溢れ出そうな涙に、ラクスはそっとハンカチを差し出した。
「この物語はきっと、愛のことを描いているのだと思うのです」
「あい?」
「ええ。ここまでして、家族も声も失って楽園に帰れなくなると知りながら、それでも会いたかったのでしょう。
愛する人に。どうしても」
 永く生きることよりも、一瞬でも愛する人に会うために。
 ステラはもう一度、絵本に目を落とした。
 消えてゆく人魚姫。気づかれない思い。王子の愛の意味。離れ離れの二人。
 やっぱり、胸が痛い。思わず、ステラはその絵本を抱き締めていた。
「ステラ……」
 優しくラクスは震える背を擦ってやる。
 感受性の高いステラ。絵本に一喜一憂するのはいつもだが、この人魚姫は特別だった。心のどこかで、不安な
のかもしれない。本当に、ここに帰ってくることができているのかどうか。
「ラクス、あい、たい。シンに、あいたい」
 とても珍しいことだった。ステラがシンに会いたいと、会えないとわかっていて口にすることは。いつも、本
当にいい子にしてじっとシンの休暇を待っているのだ。
 きっと、それほどに衝撃を受けたのだろう。絵本を離さずに泣くステラはラクスの目から見ても小さくて頼り
なかった。
「会いにいきましょう」
 ラクスは微笑むと、迷いなく言って通信機を取り出した。

 

 

 
 冬支度に向けて、雪原にある街の援助がミネルバの今期任務だった。
 山間をゆっくりと艦を進めながら、ミネルバは目的地に向かっていた。

「シン!」
「あ?」
 甲板から浸水してきた溶けた雪をヴィーノたちとモップがけしていると、ルナマリアの声が上から飛んでき
た。
「あんだよ?」
 シンは鼻をすすりながら、見上げた。
「艦長が呼んでるわよ」
 持っていたモップを落としそうになりながら、シンは思わず側のヴィーノと顔を合わす。
「なんかしたの?シン」
「いや。身に覚えはない」
 嫌な顔を隠さずにいるシンに再びルナマリアの鋭い声が飛んだ。
「早く!」
「へーい」
 一体、急になんだというのだろう。
 シンはだらだらと歩きながら、悴んだ手を摺り合わせた。
「もしかして……」
 そしてようやく、まさかという予感に思い当たって艦長室に走り出した。

 

 

「艦長!」
 しゅんっと勢い良くドアは開かれる。その方を見やったタリアが嫌な顔をした。
「ちゃんと、名乗って入室しなさい。シン、いつまでも言わせないで」
「すっすいません……」
 風に晒されて乱れた頭を今更に慌てて直し、シンは敬礼した。
「用件だが、ちょっと急でな」
「はい」
 シンは不安だった。
 もしかして、ステラになにかあったのだろうか。何か連絡が入ったのか。
「そんな顔をしないで。悪い知らせではないから」
 タリアは苦笑して、言った。シンの心を読んでいたようで、なんだかさらに居心地が悪くなってしまう。ど
うもステラのことかと思うと冷静でいられない。恥ずかしいが仕方ない。
「ラクス嬢から連絡があって、今回の任務に同行したいということなんだ。で、君には護衛を頼みたい」
「それって……キラさんと一緒じゃないってことですか?」
「ああ。ステラと一緒だそうだ」
「そうですか、て、え?ええ?」
 タリアはまた苦笑したようだった。
 シンは慌てて、取り繕ってなんとか真っ直ぐに立ったが、頭の中は大パニックだった。
 なぜ?なぜ、ステラが……。今の今まで、一度も自分からこんな風に会いにきたことはなかったのに。必ず
ちゃんと待っていたのに。
「いいじゃないか。たまには。艦内もラクス嬢やステラが来れば華やぐことだしな」
 それはそうだが、いや、むしろステラは皆に触らせたくないのだが、こうなった理由が気になった。こないだ
の休暇終わり、また今度ねと別れた。特におかしい様子もなかったと思ったのだが。
 シンのあまりの一人そわそわしようにタリアは、再び苦笑を浮かべることになる。
「会いたくなったのでしょう?きっと」
「……!は、はぃ……」
 見透かしたかのようなタリアの言葉にシンは顔を真っ赤にするしかない。
 敬礼してシンはようやくの思いで、艦長室を退室した。

 


 安堵の混じった複雑な溜息をシンはつきながら、廊下を歩く。
 どういうことなんだろうか。本当に会いたい一心で?なら、嬉しいが……ステラの場合、あまり普通の女の子
の恋愛回路は当てにならない。きっと、何か理由があるはずだ。
 そう思うと、心配でならなかった。
 自分の知らないところで、泣いているのではないかと思うと。
 そして、二度目の溜息をついた。
「寒いというのに、気まで滅入るような溜息をつくな」
「レイ」
「なんだ、その顔は」
 レイは思い切り、遠慮せずに呆れた顔をした。
「その顔って、俺の顔だよ」
「酷いぞ。今のお前の顔」
「酷いのはお前だろ……」
 意地悪な親友に、シンはへっと鼻で息を吐くとけなされる前に離れようと通り過ぎる足を速めた。
「彼女、くるって?」
 ぎょっとして振り返ると、レイは意地悪そうに口の端をあげて笑った。
「ほう。図星か。見ものだな」
「レイ、あのなあ」
「知っているか?あの子、実はミネルバのドックでかなり人気あるのを」
「余計な情報教えてくれんな!聞いてねえーよ」
「そうか。気をつけろ」
 言うだけ言って、レイはすっとシンの横を過ぎた。
「レーイー!」
 怒りにシンは叫ぶが、当のレイはひらひら手を振って去ってしまう。
 絶対、あいつ楽しんでる。絶対。
 ステラがきたら、目も合わせないくせにぃ!この恥ずかしがりめ!
「って……、あいつがいなくなってから、しかも心で叫んだって仕方ないよな……はあ…いってえ!!」
 三度目の溜息をついた途端、後ろの頭を思い切り叩かれ、シンは振り返る。
「誰だよっ」
「はあい、シン」
 ルナマリア……。さっきの呼び方といい、この殴り方といい、一体なんだっていうのだ。
「艦長、なんて?」
「へっ、お前にゃ関係ないよ」
「どの口が言うの?え?」
「ひへーな!よへって」
 ルナマリアはシンの頬をタテタテ、ヨコヨコと引っ張った。
「あー、気が済んだ」
 好きなだけやると、ルナはそのまま通り過ぎる。
「をい!」
 抗議をするために振り返ると、先ほどのレイのようにひらひら手を振ってルナは去っていく。
 どいつもこいつも……!
「だー!」
 どうして、こういつも同じ展開なんだ……。
 結局、四回目の溜息をシンはつくことになる。

 

 

 轟々と窓の外は雪が吹きつけて、小さな機体はミネルバを目指して進行していた。
 そんな中、ステラはまだ必死に手元の絵本を眺めていた。離さず膝に乗せて読む姿はどこか切実で、何かを見つけた
いと思うのか、必死だった。
 ラクスはそんなステラをみて、目を細めた。
 わかっていたことだ。きっと、彼女が自分の身に起きたことを重ねているのだろう。ここへ流れ着いたこと、戦禍に
よって命を落とした事実、今こうしていることへの確信のないまま生活していることがステラを不安にさせているのか
もしれなかった。
 だが、調べているものの一向に見つからない答え。ラクスも半ば、奇跡で置いておいていいのではないかと思ってい
た。シンがいて、ステラがいる。分かろうが分からまいが二人が幸せなことに、変わりないのだから。
「ステラはずっと考えていたのですね……」
 ずっと目覚めてから、一度も口にしなかったのに。
 だから、人魚姫を読ませても大丈夫だと思っていた。ラクスは自分の軽薄さに胸が痛んだ。気にしていないわけ、な
いだろう。いつこの奇跡が終わってしまうのかと思えば。
 事実という答えも、奇跡という実証のなさも残酷なことだとラクスは息を吐いた。

 

 

 お姫さまは、だんだん人間を慕うようになりました。人間の世界に入っていって、仲間に入りたいと思うようになり
ました。海の人魚の世界よりも人間の世界のほうがずっと大きいように思われました。そして知りたいことがたくさん
たくさんありました。

 人間は死にます。その一生は人魚などより、ずっと短いのです。しかし人魚は三百年も生きていられますが、死んで
しまえば海の泡となって懐かしい海の底にお墓を作ってもらうこともできません。いつまでも死ぬことのない魂もなけ
れば、もう一度生まれ変わるということもありません。
 でも人間にはいつまでも死なない魂というものがあり、たとえ体が死んで土になっても、それは生き残ります。そし
てきれいなお星さまのところまで上っていくのです。人魚が、海の上に浮かび上がって、人間の国を見るように、人間
の魂は、人魚が決して見ることができない美しいところへ上っていくのだ、とおばあさまはいいました。


 でも、お姫さまは泡になってしまうのはいやでした。泡になってしまえば、もう波の音楽も聞けませんし、真っ赤な
お日様も見れないのです。
 たった一つ方法があるというところでは、人間がお姫さまのことを心のそこから愛するようになり、牧師さまの前で
この世でもあの世でも、いつまでも真心は変わりませんと、硬い誓いを立てたなら、その人の魂が、お姫さまの体に伝
わって、人間の幸福を分けてもらえるというのです。


「もう……あわ、になる。の、いや。だから、ちかい。ちかいは死なない魂くれる」
 ステラは指で文章をなぞりながら、呟いていた。
 真剣な表情で何度も、絵本をめくる。機体が揺れようが気にならないほど集中していた。
「ステラ、知りたい。わかり、たい。人魚と同じ。わかる!」
 言ったかと思うと、ステラは勢いよく立ちあがった。同時に機体が大きく揺れる。
「大丈夫ですか?ステラ」
「ラクス」
 傾いだステラの体をラクスが側にきて支えてくれた。
「ラクス、ラクスはキラと誓いした?」
「……誓い、それはこのことですか?」
「そう。ここ、こころの底から愛し、ぼくしさまの前で、いつまでもまごころ変わりませんと、かたくちかいを」
 詰まりながら懸命にステラは読んだ。たどたどしいが、随分と字が読めるようになったことは、ラクスにとってもス
テラにとってもとても喜ばしいことだった。だが、こういうことをストレートに聞かれるのは以前より増えたわけで少
しはぐらかせないことが多くなった。
「いつか、したいですね。世界が落ち着けば」
 ステラは首を傾げて、不思議そうに問う。
「いつか?いましない?」
「ステラ、困りましたね。こういうことは双方の問題ですし……ステラ?」
「これ、ある」
 ラクスの手を取って、ステラは指輪をさす。シンがいつか教えてくれた。ラクスの指についてるもの。それは、ラク
スがキラのだってことって。一生守るためのものだって。
「ええ、これは誓いの証ですわね。ただ、なんと申しましょうか……」
「?」
 答えを探しあぐねて、ラクスは苦笑した。
「恋人と夫婦は意味が変わるものです。家族になるのですから。誓いを立てるということは結婚することで」
「ケッコン」
 その驚きようはまさに鳩が豆鉄砲食らったようで、ステラの顔に思わずラクスは問うた。
「?ど、どうしましたの?」
 誓いが結婚だったなんて。
 結婚が、そんな意味だったなんて。
「ぅうあ、ああ」
 ステラは唐突に泣き出した。小さな子供のように。声をあげて。
「ステラ、どっどうしましたの。急に」
 困るラクスにステラは飛びついた。涙が止まらない。嗚咽が込み上げて、言葉にならない。
 シン、シン。
 悲しいのではないの。
 
 会いたい、こんなにも会いたい。
 伝えたいことがある。確かめたいことも。
 ねえ、シン。
 言葉というものは、むずかしいね。ステラ、もっと伝えたくて沢山知りたいし勉強してるけど、知れば知るほど胸が
苦しくなる。知っていても、うまく使えない。
 そこに隠された意味に、どうしようもなく苦しくなるの。
 ねえ、シン。

 

 


 
「やっべえ。まじ寒い……」
 シンは防寒着に身を包み、耳当ても手袋もしていたが、肩を竦めて震えた。
 ミネルバは目的地に着き、さっそく任務を実行するところだった。寒さのせいで少しの間、モビルスーツは暖気が必要
でとりあえず手作業でということになったのだが。
「下手すると死ぬぞ、これ」
「そうだな。お前ならあり得る」
「レイ、そういうことは心の中だけにしといてくれ。今は言い返す元気もない」
「なら、口に出したって変わらんだろう」
「……なんかした?俺」
「別に」
 大きいシャベルを二人して抱えながら、睨み合う。しかしそう長くは続かない。
「寒ッ」
「動くしかないな」
 見回すと、民家はもう雪に埋もれて屋根の先が見えている程度だった。民間人はすべてこの時期、地下のシェルターで
冬を越すのだそうだ。
 話には聞いていたが、本当に物凄い豪雪地域である。
「人間の手でこれ、雪かいても意味なくないか?」
「俺もそう思うが、まずは崩れている個所がないか調べる必要がある」
 渋々、シンはレイと歩き出す。
 ざくざくと雪を踏みしめて進む。前も後ろも真っ白で、寒さに息がしにくい。思考回路がだんだん低下しているようだった。
なのになぜだか、ふと思い出してしまった。雪の上、ステラと抱き合ったことを。
「シン」
「え?なに?」
「顔がにやけてるぞ」
「ばっ」
 そんな馬鹿な。
 思わず慌ててシンは自分の顔を触った。
「雪に何かあるのか?」
「……いや」
 苦しい思い出だ。
 降り始めた雪は粉雪だった。ステラとお別れをするときにはもう積もるほどで。
 寒さなんてあの時は感じなかった。感じたのは燃えるような怒りの業火。そして、今のシンにはもうひとつ思い出ができた。
 降りしきる雪の中、もう一度ステラに会えたこと。
 この腕に手繰り寄せ、もう奪われはしないと誓ったあの日。
「どっちも、かな。悲しいことも、いいこともあった。雪は……冷たかったり、熱かったり、俺にとっては」
 シンは手袋をはずして、落ちてくる雪を掌にのせた。
 何も言わず、レイはただ黙ってその様子を見つめる。
「なあ、レイ。俺、単純だからさ。難しいことはわかんねえけど、お前がここにいることも、この雪が同じように降ることも
当たり前じゃないって思う。だからさ、俺は」
 のせた雪が水滴に変わる。それを握りしめ、シンはレイの方を見やった。
「……何、言ってんだろうな。急に」
 言いかけて、急にシンは慌てて背を向けた。
「さ、行こうぜ」
 行こうとするシンのその背に、レイは何も言わずに少し微笑んだ。
「シン。俺も、同じように思っている」
 後から聞こえた言葉に、シンは足を止めた。でも、振り返らないでいた。
「……ああ。知ってるよ」
 込み上げる思いにシンは必死で息を呑んだ。鼻の奥が痛い。今にも堪えた涙が戻ってきそうだった。
 振り返らず、シンは歯を食いしばって再び歩き出した。後をついて歩いてくる大切な親友を思いながら。
「泣くな、バカ」
「うっうるせえ!泣いてない!」
 思わず振り返って抗議すると、意地悪な笑みを浮かべた親友にますます笑われることになる。
「笑うなー!」
「ちょっと、何してんの?」
 まさにシンが雪を丸めてレイに投げようとしている処へ、ルナマリアがザクに乗ってやってきた。
「遊んでんじゃないわよ」
 コックピットから顔を覗かせて、ルナは馬鹿にしたような口調でシンを見下ろす。
「遊んでねえ。レイがな、」
「人のせいにするのは良くないぞ、シン」
 レイとルナが揃っていて、自分が勝てるはずがないとシンは辟易して黙った。
 だが、ザクでルナがきたということはモビルスーツで行動できるようになるということか。この寒さで動きも鈍るのでそれは
願ってもないことだ。
「あんたたちが遊んでる間に、街の調査は終わったから。次は総出で雪かきよ」
 ルナは言うと、早速操縦してシンとレイをザクの掌に乗せた。
 あの一件があってから、まだちゃんとルナと話していない。シンには複雑な思いがあったが、ルナはシンを避けているようだっ
た。話すが、深く突っ込まない。話そうと思うと、逃げられるような空気だった。
 話したい思いよりも、彼女の気持ちを優先するべきだ。シンは自分の気持ちより、ルナを大事にしたかった。だからこうして
話さぬまま、今に至る。だが、こうして今までのようにいられるのもルナのお陰だった。
 変わらず接してくれる優しい、出会ったころから変わらないルナマリア。アカデミーの頃から、今も、いつでも。
 レイと同様に、かけがえない仲間。
「シン」
 ザクの手にしがみつき、思いに耽っているとレイが目を見たまま呟く。
「今はそっとしてやれ。ルナなら大丈夫だ」
「レイ……ああ」
 無表情なレイからは何も読めなかったが、シンはなんとなく感じていた。ルナへの気遣いが少し、今までと違っているレイに。
 そうか。
 物事はきっと、緩やかに変わっていくものなのだ。知らないうちに。


   


また、長くなっちょりんす。

すいません。。。でも、書きたいことのものっそい強いことが後半に凝縮(笑)

実はNEXTあるのですが、近日中にUPしますね。

ちょっと胸が苦しい展開。。。愛するシンステに捧ぐ。がんばるです。

inserted by FC2 system