シンはミネルバに戻り、パイロットスーツに着替えるとディスティニーの元へ向かった。
整備された完璧なディスティニーがそこにあった。いつ見ても、ガンダムは気持ち引き締まる思いにさせられる。乗ることへの
責任と選択。忘れてはならない思い。
息を吐いて、シンはコックピットに上がった。
ハッチを開いて、息を呑む。
なぜかそこにはステラがいた。シンのヘルメットを抱えて、丸くなっていた。
「ス、テラ?」
背を丸めてステラは眠っているようだ。声をかけても身じろぎしただけで、起きない。一体、いつからここにいたのだろう。
「……ヴィーノ!」
「なにー?」
下に向かってシンは顔を出すと、ヴィーノが駆け寄ってきた。
「こっここに、ステラが……」
「うん。帰ってくるって言ったら、そこで待ちたいって」
「そういうことは先に俺にも言ってくれよ……心臓止まるかと思った……」
ヴィーノは舌を出しただけで、機体を離れていく。なんて奴だ。
シンは嘆息して、コックピットに視線を戻した。
「ステラ」
「……んん」
少しだけ声に反応したステラは寒さに体を震わせ肘を動かした。ちょうど良くそこにはスイッチがあった。
「ちょうどよくないー!」
当然、ハッチが自動でシンの背のほうから降りてくることになる。
シンは無理やりにコックピットに押し込められる形で操縦席に飛び込んだ。当然、機内は一人用の為、先にいたステラの上に覆い
被さってしまうことになる。が、必死に腕を突っ張ってシンはぶつかることに耐えた。
訓練してて良かった。本気でそう思う。
腕と足を突っ張って、シンは操縦席に向かい合う形で止まる。ありったけの力で静止した。とにかくステラを起こさなくては。視
界に尻を向けていてはどうにもならない。
「ステラ、おきて」
驚かせないようにそっとシンは愛しいステラの名を呼んだ。
その気遣いがいけなかった。顔を近づけた為、前屈みになった体がメインシステムのスイッチに触れる。
ガンダムの機内はスムーズにオールグリーンのライトが点る。
「わわわ、システム立ち上がって……!まじで、やべえ…ステラ!起きて!」
「ん……シ、ン」
「起きろー!頼むから、起きてくれえ」
シンのお尻の下で、システム機動の文字が順調に流れ出す。流れるようについにはコックピットに景色が広がりだす。
「あー!もうー!」
このままでは視界は俺のケツしか映せないじゃないか!
「ステラ、ごめんよ」
眠っていてぐだぐだのステラの腕を引き寄せ前に出すと、シンは思い切って操縦席の背もたれに体を滑り込ませた。なんとかうま
くステラの背に潜り込めた。ステラを膝に座らせて操縦桿を握る日がくるとは……。
「ヴィーノ、皆はどうした?」
『もうとっくに出たよ。シン、ディスティニーには雪濠用にパーツ履かせてるからね。少し機動性に違和感があるかもしんないけど
我慢して。じゃ、デッキに移行する。出すね』
「お、おい!待て、ヴィーノ。まだ、ステラ降ろしてない……」
乗せていることを知っているのに、ヴィーノはもう通信を切っていて聞いていなかった。すでにディスティニーはデッキに輸送さ
れ、射出準備完了状態である。
……俺、知らないからな。
「シン・アスカ、出ます」
ステラの抱えていたヘルメットを取って被り、シンは言い慣れたその台詞をいつもと違う面持ちで言うことになる。
「寵愛、ね」
ラクスの持っていた絵本をタリアは眺めながら、呟いた。
「艦長は、どう思いますか?」
数時間前、到着したラクスの小型艇はミネルバに収容され、ラクスは司令室にいた。
「……確かに、一種の寵愛のように思うよ。シン・アスカの思いは。特に、私の場合は見ているから……あの子が命令も、味方の
目さえも、形振り構わずミネルバに連れてきたのを」
目を閉じれば、シンのあの必死さは鮮明に思い出せた。勝手に医務室に運び、地球連合の兵を治療しろと医務員たちを脅しさえ
した。
そして、治療法のないステラを死なせたくない一心で脱走までもさせた。
子を持つ親になると、自分以外のものを守ろうとする理由と意味を無意識に見出すことができるようになる。それが本能であり、
血を分け合った家族を持つということ。シンの「守りたい」という思いは、どこかそれに似ていた。
同じように力を持たない子猫が、同じように弱い子猫を守ろうとするように。
生きてゆくには、食扶ちが増えたとしても苦しくても一人でいるより温もりが欲しいと寄り添う家なき子のように。
それが、ステラという女の子を一人の女性として愛するということになるのかと問われれば、確かにどちらかと言えば妹を可愛
がるような、かけがえのない家族を守るような姿に見えた。
「まあ……わからないけれど、一つ言えるのはあの子がどんな形で彼女を愛していようと、誰にも渡すことはないということじゃ
ないかしら?この王子のように、違う誰かとの道を選ぶことがあるようには思わないけど?」
互いの思いに気づいていない二人ではない。それに、邪魔するものもないのだ。この絵本を読んだからと言って、シンの自分へ
の愛がただの寵愛ではないかと思うような仲ではないようにタリアは思った。
「……はい」
ラクスの表情は暗かった。不安を乗せた声が小さく揺れた。
「言葉はそんなに重要じゃないわ。寵愛と呼ぼうが、それを同情と名づけ様が、彼らにとってそれが愛ならいいと、私は思うわよ」
「わたくしも、そう思います。ただ……今のステラは以前よりも、少し言葉を手に入れてしまったものですから」
そこにある意味というものを探そうとする。
意味に理由をつけようとする。
言葉に惑わされ、縛られることがないとはラクスには言い切れなかった。人は誰しも、自分以外のことに不安で自信がない。だ
からすれ違うのだ。分かり合えていたはずのことも、少しの言葉の違いだけで。
ねえ、キラ。
そうですわ、わたくしはとても……心配です。純粋なあの子が、この世の様々な意味のつく「同じ音の言葉」に苦しまないか。
この世は、たったそれだけのことで何度も戦をしてきたのですから。
シン、ねえ、シン……。
行かないで。
ステラ、ついていけない速さで歩いちゃ、だめ。
ねえ、待って……。がんばるから。
ステラ、がんばるから。
(あれ……また、おんなじ夢、みてる。ステラ)
ああ、離れてく。
ゆっくり、静かで、暗い底に深く。
手を伸ばすのに、どうしてか真っ暗で、はじめはぼんやり見えたシンの顔。
今はもう、みえなくて。
おかしいな。ここは……どこ。
(また。また……ぐるぐる、おんなじ夢)
こわいもの、ぜんぶ、なくそう。
そうしたら、へいわになるから。こわくないから。
だから、できるの。ステラ。
できる……シン、また会いに、くるっていったから。
だから。
(これ……あたしの?あたしの……記憶?)
もえてる。
みんな、もえてる。
ステラ、ステラを攻撃する。
ああ、こわい。しぬのいや。こわい。しぬの。
(ステラ、が、シンとおわかれ。する前の……シン、シン)
瞼で遮光されていた外の明かりが、ステラの目覚めと共に差し込んでくる。
それは暗い夢が、水上に浮上するかのような感覚がする。いつも。目覚めるときは同じだった。
「シ、ン……」
そうして呼ぶ。確かめたくて。
シンはお休みじゃない時は、そうして隣のシーツを引っ張る。手繰り寄せて、その名を呼ぶ。そうするだけで生きている気が
した。手繰るものがこの手に触れるだけで。
隣にシンがいてくれる日なんて、信じられないくらい安心した。
夢を見ても、暗闇を上れなくても、その名を呼んで手探りすると温かい手が握り返し、キスをくれるのだから。
「ど…こ……」
ステラの瞳から透明な雫が伝い、頬を流れた。自然と手は手繰るような仕草で動く。
「ステラ。起きたかい?このお転婆め」
見上げると何故かシンが笑っていた。こちらを見下ろして、優しく微笑んでいる。
「どし、て?」
眩しくてステラは目を細めた。
「シン、ここにいるの……?」
「うん。正確には君がここにいるってことなんだけど」
シンは苦笑すると、少し困ったように続けた。
「ごめんね。本当は手を握りたいんだけど、ちょっと無理なんだ」
「?」
ステラは漸く自分がシンの膝に座って胸にもたれ掛かって寝ていたことに気づく。頭を起こすと周りを見回した。
「動いてる」
「ああ、ディスティニーに乗ってるんだよ。今、ステラ」
シンは操縦桿を握り、旋回しながら言う。景色は真っ白で流れ行く吹雪で何も見えなかった。
「……ごめんなさい。待ってたの」
ステラは自分がシンを待つためにコックピットにいたことを思い出した。いつの間に眠っていたのだろう。
「聞いたよ。本当は乗せて機動するつもりなかったのに、ちょっとした手違いで……一回りしたら、すぐ戻るから。我慢できる?」
ステラは小さく頷いて見せた。
背中にシンの温もりが感じられ、安心していた。本当は拳を握り締めなくては震えが止まりそうになかったのだ。
この感じも知っている。
きっと、乗ったことがあるのだ。この見える景色の感覚。操縦桿の位置。体感する速度。
何もかもが、どこかで感じたことのある……。
「ガイア……」
自然とそれは転がり落ちた言葉だった。
「ステ……ラ?」
「あ、たし……は、だれ?だれなの、一体……」
「ステラ?」
シンは思わず、後ろからステラの肩に顎を乗せて引き寄せた。
「どした?何かあるの、ちゃんと言って」
「……シン、これはシン」
意識と記憶が交錯しているようで、ステラの視線は定まらず彷徨った。明らかに様子がおかしいので、シンも意を決してミネルバ
に戻ろうとした。
「シ、ン。だめ、ちょっと……待って」
「でもステラ」
「思い出せ、そう。すこし、ある。ステラ、ふたり。もう一人のステラ……」
嫌な冷や汗が背中を通る。ステラは額にじんわり汗を浮かべながら、懸命に拳を握り締めコックピットからみえる景色を見据えた。
この数ヶ月。
ステラは自分でも、探した文献も書籍も手にした。特に戦争史。そこにかつて自分がいたのだから。
「思い、だす」
知らなくてはならないと思った。これから、シンの隣にいるために。
自分のことを。自分のしたことを。都合よく、戦っていた時の自分がないだなんておかしいと思ったのだ。
「……みんな、なにかと戦ってる。ラク、ス、もカガリもアス、ランも!みんな……ステラ」
苦しそうに歯を食いしばりながら、シンを振り返る。心配そうにシンは見返していた。
「しらない、ステラ、でてきても……シン、シ、ン……きら、で…」
最後のほうは消えてゆくようで、シンには聞き取れない。
ステラはほんの一瞬、意識を失ったようにうな垂れた。しかし、すぐに顔を上げる。その様子に安堵してシンは声をかけた。
「大丈夫?ステラ……」
「誰」
ステラは体ごと、狭いコックピットの中で後ろに大きく退いた。
「あんた、誰よ!」
激しく睨みつけ、シンを警戒して静止する。いつもとまるで違う雰囲気のステラにシンは息を呑んだ。
見た事があった。
それは、あの夜。悲しい再会をしたあの日のこと。
「だせえ!だせって言ってるのよ!ネオ、ネオはどこーっ」
がんがんと音を鳴らし、ステラは鉄格子を揺らした。その声はミネルバのドック下の捕虜室から響く。
背後で叫ぶのをやめないステラの声を聞きながら、シンは捕虜室の前で立っていた。もう、三時間が経つ。
「……ステラ」
仕方のないことだった。
シンの手に負えないほど、ステラは暴れ逃げようと必死だったのだ。やっとの思いで機内から出し、なんとか大人しくさせて
艦内に連れ出したかったが、不可能だった。暴れ倒し、挙句の果てに艦員たちに怪我までさせたため、監禁処置になってしまった。
「シン、少しはあんたも休憩しなさい」
「……ルナマリアか」
「食事、持ってきたから」
ルナはシンの側にあるソファに食事のトレーを置くと、嘆息して隣に立った。
「どう?相変わらずなの?」
「ああ。ネオ、ネオって……むかつくよ、ほんと」
シンは心底嫌そうに呟いた。
「なんだって今になって、くたばった最低野郎に悩まされなきゃなんないんだ」
男の約束も守れない最低なヤツ。ステラには言わなかったが、シンにとってネオという人物は許せないままだった。
そんなヤツを今でも信じ、慕うステラに本当は嫉妬していた。決してステラに理解してもらえることではないことがわかっている
だけに言うつもりもないことだったが。
戦うことでしか生きる術がない。薬と記憶操作をしなくては平静が保てない。そんなエクステンデットたちにはやはり戦しかない
と、本気でそう思ってステラをデストロイに乗せたのか。もう、不可能だったが胸倉掴んで問い詰めたかった。
戦なんかとは無縁の温かい場所へ、そんな場所はステラには不似合いだと。そう思った結果だったのかと。
「なのに……呼ぶんだもんな」
「仕方ないわよ。記憶が操作されていたんだから」
「……こわいんだ……」
「シン」
両手で顔を覆ったシンは、震える声で消えそうな言葉を発した。
「思い出さなかったら……」
「馬鹿じゃない。あの時、あんたそんなこと一言も言わなかったわよ!覚えてないの?」
ルナは厳しい瞳で、顔を隠したままのシンに言った。
「ステラ、ステラ、俺が君を守る。守るから、大丈夫だからって。あんた、蹴飛ばされても殴られても、信じてそう言い続けてた。
抱きとめて、羽交い絞めにして、それでもシンだよって。あんた、そう言ってたわよ。同じようにしてあげなさいよ!」
言い放って、きつく顔を上げないシンを見つめ、ルナはしばらくしてからそっとシンの肩に手を置いた。
「……シン。大丈夫よ。ステラ、あの時も思い出したでしょう?あんたのこと。記憶操作されてるのに、削除されたはずのあんた
を覚えてたのよ。信じてあげなさいよ」
シンはゆるゆると手を離し、苦しそうな顔を見せた。
どうして、あのときのようにきっとステラは覚えていてくれるはずだ言えないのだろう。
この子はガイアなんかの乗るような子じゃない。
きっと理由があって、無理やりそうされているんだ。そこにいるべきじゃない。
帰してあげたい。
その思い一心で、どうしても目に焼きついて離れないステラのきらきらした姿が映って。
それが守りたいって。そう思ったんだ。
「……おかしいんだ。俺。あの頃と今じゃあ、今のがずっとステラのことわかるはずなのに。知らないだけの俺じゃなくなったは
ずなのに。前より、ずっと怖い。怖いんだ」
震える拳をシンは硬く組んで、吐き出した息を一緒に告白した。
なんだか、振り出しに戻ったようだった。
アスランに「行けよ」と背を押されたあの時に。
なぜ、こう自分はいつも失うかもしれないと恐れ、震えてばかりいるのだろう。すっかり弱くなってしまった気がする。もう今
のシンには怒りで人を恨むことも、戦うこともできそうにない。それがわかるだけに、怖いのかもしれなかった。
何もかも戻らなかった時、どうすればいいかもうわからないから。
「ほんと、馬鹿ね……シン」
ルナは目を伏せて、シンの肩を抱いた。泣きたいのだろうに、堪えて。シンはこんなにも小さかっただろうか。
いつでも強気で自信家で、悲しみを強さに変えて、運命さえもその手で引き寄せてきた強引さの持ち主だったのに。
戦争の生んだ悲しみが、シンにそうさせてきた。そうなのかもしれない。
「ステラは、ステラよ。信じましょう」
声音は優しく、両手を広げられているようでシンは泣きたくなった。
一人じゃない。それはなんて頼もしいことなのだろうか。
「ルナ、ありがとう」
「……食事、とりなさいよ」
それだけ言うと、ルナは静かにその場を去った。
シンは、ゆっくり、息を吐いてそれからステラを振り返った。
「ステラ。君は一人じゃない。あの頃ともう違う」
まるで敵を憎むようなステラの瞳。威嚇するようにシンを睨みつけていた。
細くて白い、綺麗な指が柵を揺らすために傷だらけになっていた。その手にそっとシンは触れる。
「離せ!」
「だめだ、ステラ。こんなことしたら痛いだろ」
悲鳴を上げて抵抗するステラにそれでもシンは構わず、ポケットからハンカチを出して結んだ。次いで、不意に微笑む。
「前にも……こんなこと、あったね」
君が海に落ちて、俺が助けて。
あの海も、夕焼けも、忘れはしない。君に出会った思い出。
「俺は、何があっても忘れないでいるから。君は安心して」
「あんたなんか知らない!出せ、出せえ」
激しく鉄格子はシンの前で揺れた。声はステラに届かなかったが、それでもシンは続けた。
「どれも……本当の君なんだと、思ったら……君は本当に、本当に……」
息も出来ない。
ステラを思うと息もできない。むき出しの君は、悲しくて、そんなふうにモビルスーツに乗っていたのだと思うと、ずっと悲し
い気持ちがして。
「いやだ!いやだああ」
叫びながら、激しく抵抗しながら、きっと戦っていたのだ。涙を流して。
本当は何と戦っているのか知りもせずに。
「ステラ、ステラ……俺、ここにいる。ここにいるよ。怖くないから」
何度もシンをステラの腕が叩いた。鉄格子から届く範囲でひたすらステラは、疲れて意識を失うまで続けた。
ステラが床にぐったり倒れた頃には、シンもぼろぼろだった。
「……ステラ。俺、君に触れたいな。ステラ、君に」
目を閉じ、床に倒れたステラは小さくて、いつも自分の腕の中で幸せそうに笑うそのままで。鉄格子を挟んだだけの距離、たか
が少しの距離。なのに、シンには恐ろしく離れて感じた。
あの頬に触れて、ステラがもし。
「頼むから……忘れてても構わないから。だから、どこにも行かないで」
シンもそのままずるずると床に崩れて、倒れ込んだ。
参りました。
また3つめに突入です。ごめんなさい。
・・・シンがすきです。
シンを守りたいステラがすきです。どうも暴走特急です。あ、愛が。笑