ラクスは深い溜息をついて、ステラの住む家を眺めた。
 正確には今は住んでいない。現在はステラはオーブの精神病棟にいた。

 静かな家。
 しばらく灯りのともらない、主人を待つ家。

 シンは休暇になるとここに帰ってきているようだった。掃除をして、片付けをし、ステラの好きなものを揃え、また出て行く。
 ラクスたちから見ていても、その様子に胸が痛んだ。それが終わることのない永遠のように感じたから。

「ステラ、どうしてなのです……」
 そっと呟く。
 もう今では記憶の洗脳も操作も受けていないのに。エクステンデットであるがための強化された副作用もないというのに。
 ステラの意識は戻らないままだった。

 

 
「シン」
「アスランさん」
 振り返ったシンは元気そうだった。顔色もいいし、声もいつものシンだ。
「なんですか?病人でも見るような目で人のことみて」
「いや。そうじゃない」
 アスランはアークエンジェルに乗っているため、シンとはあまり同行しない。そのため、ラクスやカガリからしか聞いていない
シンの様子が気がかりだったのだ。
 休日に制服まできて、ミネルバに来てしまうほどに。
「大体、あんたがミネルバになんの用です?」
「いや……」
 口ごもるアスランにシンは首を傾げると、思い出したように言った。
「今度の休みね、ステラの外出許可取れたんですよ」
「え?」
 シンはにっこり笑っている。
「外出って……その、あれだろう?ステラはまだ」
「ええ。超凶暴ですよ」
 苦笑しながら、シンは言う。だがその表情に翳りはなかった。
 アスランもまた、シンをみていると気にしていた心配は不要なことだったと思えた。
「……そうか」
「ねえ、アスランさん。カガリへの指輪ってどこで買いました?」
「は?え?」
 聞いてきたシンは至って平然としている。聞かれたアスランはしどろもろどろにどもる。
「最近街にあんまり降りてないから、どういうのが流行ってるかわからなくて。でも、ステラが好きそうなのって指輪になると難
しいというか……首飾りとかなら一発なんだけどなー」
 楽しそうにシンは虚空に想像を浮かべながら喋る。
「聞いていいか?」
「なんです?」 
 アスランは、真剣にまっすぐシンを見据えて言った。大事なことだ。
「どういう意味だ?」
 シンが、ステラが記憶が混乱する前にプロポーズしていることは知っている。だが、それはステラがステラであった頃の約束の
はず。
 迷いはあったが、アスランは聞かずにいられなかった。
「結婚したいから。ステラと」
 がしがしと頭をかくと、シンは苦笑して背を向けた。
「もう一回、プロポーズします。きっと、届くから」
「お前、まさか」
 もうアスランの言葉は聞かずにシンは歩き出していた。
 

 

 

「だーかーらー!だめだって!」
「離せ!」
「だめ!」
 シンはステラの腕を思い切り引っ張り、ひたすら必死に歩かせていた。彼女の腕にはシンの腕とを結ぶ手錠のようなものが嵌め
てあり、逃げ出すことは叶わないようになっていた。着ている衣服も靴も、人を決して傷つけることのない素材のものが担当医に
よって用意されたものである。
 なるべく、我侭な妹を連れて歩いているように振舞う。
 シンにとって、今のステラもステラだった。周りの誰もが諦めろと言っても、医者が諦めても、シンだけは違った。
「そもそも、君は君なんだ。俺は、君にも出会っているんだぞ」
 低い声で唸り、警戒を解かないステラにシンは言う。衣服の下で見えないが、互いの腕は腫れるほどに傷ついていた。
 ステラと繋がるものが、こんな鎖だなんてシンは嫌だった。
 殺されたとしても、彼女に渡したいものがある。
「ほら、行くよ」
「いやあ!離してえ、ネオ、ネオォ」
 ごめん、ステラ。君の願いだけど、それだけは叶えてあげれそうにない。
 今日だけ、そうシンは胸に描いて無理やりにステラを引っ張って歩いた。


 丘には緩やかに風が吹き、冬だというのに柔らかい日差しが海を照らしていた。
 目を閉じて、そっと開くと今にもあの先にステラが踊っている姿が見える気がした。楽しそうに、歌を歌うその姿が。

 シンは隣にいるステラを見やった。
 諦めたのか大人しく、今は同じように海を眺めていた。瞳は険しくその先を睨んでいるようだった。

 もしかしたら、今の君とだからここへ来れたのかもしれない。
 思い出のこの場所は、俺にとって様々な意味があるから。ここで、あの時、君に出会ったこと。何も気づけずに、君
を返してしまったこと。君がくれたものの意味も知らずに、俺はまた再会してしまったこと。
 小さな体で、君は手に入れたものを瞬時に奪われ、そしてまた何もないところから一日を過ごす。その繰り返し。
 君の仲間が、君が死んで悲しむことはない。
 君はいなくなかったことになってしまうから。そうされてしまうから。実際、そうだっただろう。口にするアウル、
スティングという仲間には、きっと知れなかったことだ。彼らもまた消され続けた被害者なのだろうから。
 悲しい。悲しい事実。
 俺の手のように、君の手もまた、多くの人の血で濡れている。
 拭ってあげたいのに。背負っていかなくてはならない、真実。

「知っている?もう戦争は終わった」
 ステラはシンの言葉に慄いてこちらを見た。
「嘘だ……!」
「終わったんだ、もう二年も前にね」
「そんなこと、信じるかああ!」
 シンの胸倉を勢い良く掴むと、ステラは噛み付きそうな強さで迫った。その必死さがシンをやるせなくする。
「君の呼ぶネオというやつも、死んだよ」
 ステラは顔を歪め、顔を左右に振りながらよろよろと後ずさる。
「ゃ……いや、いや、そんな……そんなはず」
「ステラ、もう終わった。終わったんだよ。何もかも」
「は……はは」
 恐怖に見開かれた瞳はシンを映していない。綺麗な赤紫の瞳は焦点の合わないまま、透明な涙を流した。
「そ、な……あ、たしは……どうす、れば?し、死ななく…ちゃ」
「どうして?」
 シンは痛む心を食い縛って問う。
「アウルもスティングも、ネオ、もいない……負け、たのなら」
「……連合はもうない。世界は今、一つになろうとしてる」
「…な……なきゃ」
 ステラはふらつきながらシンと繋がった腕を引いた。
「あた、し。死ぬ。必要、ない。生きていくには、戦争が……必要」
「そう言われたんだね。そう、洗脳されたんだね。君たちは」
「し、らない。しらない。だ、め……忘れる。すべて。戦うことはやめられない!」
 滲んだ涙を拭いもせずに、ステラは叫んだ。
 風がゆっくりとステラの声を運び、丘にしんと響く。波の音は穏やかに、あの時と変わらず引いては返す。
「もう終わったんだ。もう、戦わなくていいんだ。君は」
「あ……ぅ、や……いや、こわい。こ、わい」
「怖くない。ステラ、生きて償おう。そのために、君は生きなくちゃならない」
 震えるその
腕を、シンは引き寄せる。抵抗するステラの力は弱い。もう立っているのもやっとのようだった。
「ステラ」
 シンは真っ直ぐにステラを見つめた。その小さな体を両腕で支え、瞳一杯に愛しい人を映して。
「誓うよ。君を温かい場所で俺が守り続ける。もう、泣かしたりしない。誰も君を消したりしない、だから」
「……ぅあ……や」
 頬は涙で濡れ、ステラの瞳からは涙が止むことはない。
 重なる。死ぬのは怖い、死にたくないと泣いたステラと。
 だから、何度でも約束しよう。君が泣き止むまで。こうして、交わせるのだから。生きていれば。
「生きよう。俺と一緒に」
 恐怖に震えたままのステラの頬をシンは両手で挟み、無理やりに口づけた。その言葉ごと奪うように。
「んんっんああ」
 腕で振り払って、そのままステラはぜいぜい息をしながらシンの腰にさしてあった小型の銃を抜く。すぐにそれ
を、シンの額を狙って構えた。
「やあ……いや……う、ううあ」
「ステラ」
 何故撃たないの。
 何故、そんなに泣いているの。
「あああああ」
 ステラは叫んで、惑う銃を自分の胸に向けた。強く、強く食い込むほどに銃口を押し付けて。
 シンは動かない。
 対峙したまま、二人は丘の上で波音を聞く。
「波がどうして、満ち引きをするか聞いたね」
 流したままの涙はステラの震える手元に落ちる。
「月の引力に引かれるんだって。俺みたいだと思った」
 シンはゆっくり笑みを浮かべると、そっとステラの黄金色の髪に触れる。
「ステラという月に、俺はずっと惹かれてる。月を失った星はどうなると思う?」
 暗闇を照らすものはなにもなくなる。
 俺は知っている。それがどんな暗闇か。どんなに明けぬ悲しみか。
「撃ってもいい。でも、撃つなら俺も撃って。ステラ」
 シンは笑った。優しく、いつもステラを見つめるように。
「……ン」
 手から銃は離れない。ステラの胸の食い込んだままだった。
「シ……ン」
 それでも、ステラの口からは零れ落ちるように繰り返される。
「シン……」
「ステラ」
 そこにいて、微笑んで、大好きな朱い瞳が自分を映して、優しく呼ぶ。
 ごめんね、いつも迎えにきてもらってばかりで。いつも、泣いてばかりで。
「おかえり、ステラ」
 声が出ない。
 出ないけれど、ステラは口を動かして伝える。
 思いと反対に体は言うことをきかなかったが、それはきっと最後の試練なのだと思った。多くの命を奪った事実。
その罪から逃げてはいけない。
 シンが静かに銃に手を差し伸べるのが見える。
 でも。
「……ただいま」
 微笑んで、ステラは言った。心から、会いたいと思う。シンに。
 
 小さな銃声が、愛しい人の叫びにかき消された。

 

 

 テレビかなんかで、聞いた事のある台詞。
 それが、実際聞くことになるなんて。
 なんて叶わなくていい、現実。

 なんて、遭遇したくない状況。


 病院の椅子でシンはじっと床ばかり見つめていた。同じ姿勢で、微動だにせずに。
 看護婦には着替えを渡された。ステラの血で、めちゃくちゃだったから。でも、着替えもせずそのままでいた。
そのままでいなくてはどうにかなってしまいそうだった。
 寒くもないのに寒気がやまない。
 医者は手術室に入ったきり、出てこない。
 無意識にアスランに連絡したらしいシンは、そのあと自分がどうしたかわからなかった。
 気が付けば、医者が言った。
「最善は尽くします。ですが、命の保障はありません。彼女は輸血もできない。特殊な体ですから」
 ステラ。
 俺にはわからない。
 君の背負った運命が、なぜそこまで君を苦しめるのか。
 漸く思いで、シンは一つ息を吐いた。
「シン」
 見上げると、アスランとカガリが立っていた。
「すいませんでした。急に」
「謝るな。お前が、呼んでくれて良かった」
 自嘲気味にシンは笑った。
「一緒に自殺するとでも?」
「ああ」
 アスランは目を逸らさず、シンに言った。目を合わせていることに辛くなり、シンは俯く。
「ステラがエクステンデットであるという事実は変わっていない。どういうわけか以前のように薬物の投与はなく
とも生活できるようになっていたが、体質に変わりはない。医者の言うようにこのままではまずいかもしれない」
 抑揚のない声でカガリが言う。
 シンは俯いたまま、小さく頷いた。
「出血がひどいようなんだ。それで……」
 そこまで言って、カガリは迷うように言葉を詰まらせた。それをアスランが代わって繋ぐ。
「輸血を、キラがすると言うんだ」
 シンは顔を上げた。見開いた瞳にアスランの複雑な表情が飛び込んでくる。
「キラはコーディネーターの最高といわれている。遺伝子傑作の実験結果だ。お前もあのとき聞いたろう。ディス
ティニープランのこと」
「でも……ステラはナチュラルですよ?」
「ああ。わからない、ただ……試すだけの価値はあると思う」
 これも宿命なのだろうか。
 ステラを討ったかつての人が、今度はステラを助けるというのだろうか。
「……だめかな?僕じゃ」
 振り向くとそこにキラが立っていた。ラクスを伴って。
 その表情はどこか悲しげで、いつもの堂々とした雰囲気は影を潜めていた。誰しも自分の過去に悲しみも苦しみ
も背負って生きている。
 シンにも、もう今では知ってしまったことでキラには複雑な思いしかない。
 この世は連鎖し、憎しみも悲しみも、喜びも幸せすらその連鎖につながれているのだ。かつて、ステラを殺した
と憎み、本気でフリーダムを落したシンにも、それは痛いほど今ではわかる。
 これはきっと彼なりのステラとの決着の付け方なのかもしれなかった。
「どうなるかわからないけど……僕を信じてみてくれないかな」
 ステラが目覚めるまではと思っていたのに。
 シンの瞳から、ゆっくりと涙が落ちる。
「はい。お願いします」
「ありがとう」
 キラは微笑みながら涙を流すシンの肩を強く叩き慰撫にかえた。

 

 

 

 夜がふけ、朝焼けがやって来ました。
 お日さまの光がさせば、その最初の光で、お姫さまは死ぬのです。そのとき、おねえさまたちが海から浮かび上がっ
てきました。
 まほうつかいから自分たちの髪の毛と引き換えにもらったナイフをお姫さまに渡しにきたのです。それで王子の心臓
を突いて、その血が足にかかれば、また足はしっぽになり、三百年間生きられるのです。

 

 ステラは嫌だと、そう思った。
 たとえ、生きることが叶うとしても、もう人を殺めることも、エクステンデットとして生きていくことも。
 考えたこともなかった。
 生きるということがどういうことなのか。
 
 でも、手にとってよく見てみれば、今までのステラの人生は「生きている」だったのだろうか。
 
 戦い続け、争い続けなければ生きれないなんて、それは人の生きる人生だというのか。
 シンに出会って、知りもしなかった温もりに触れて、愛を知り、恐怖とは別の寂しさを知った。貴方がいて、私がいる。
それがどんなに幸福なことなのか。知ったその日から、もう戦えなくなってしまったのだ。
 
 だから、本当はナイフをじっと見つめてやはり王子を殺しはしなかった人魚の気持ちは理解できた。
 できたけれど、わかるとは言いたくなかった。

 たとえ、それが生きることと言えなくても、シンと一緒にいる道しか選ぶつもりがなかったから。

 

 

 体が泡になっていくのがわかりましたが、お姫さまは、少しも死んだ気がしませんでした。
 そして、泡の中を抜け出て、ただただ上へと昇っていきました。お姫さまは、空気の精となったのです。そして、空気の精
として、あと三百年よい行いをすれば、死ぬことのない魂を授かるのですと、ほかの空気の精たちは答えました。

 透きとおった両腕を、神さまのほうへ高くさしのべました。
 そのとき、生まれてはじめて、涙が頬をつたわるのをおぼえました。お姫さまは王女の額にそっとキスをして、王子に微笑み
かけると、ほかの空気の娘たちと一緒に、空へと昇っていきました。

 


 嫌だ、嫌だ。
 もう会えないなんて。
 死ぬことのない魂なんていらない。シンに会いたい。
 どうしてだろう。
 ごめんなさい。いい子にできない。

 ネオ、願っちゃいけないと教わった。
 ネオ、望んではいけないと教わった。

 ステラは、もう我慢できない。
 前なら、なんでもできた。こわいものをなくすためなら。

 もう。
 今のステラには。

 


 
「ステラ」
 愛しい人の声はそうしてこんなにも深海から掬い上げられるような音がするのだろう。
 心地よくて、温かい。それでいて、少し寂しそう。
「・・・・・・シン」
 瞼が重い。でも、なんとか頑張って持ち上げると明るい日差しが差し込んできて、やっぱりまだ真っ白で何も見えない。
「シン」
 どうしても触れたくて、ステラは眩しい中を手探りした。頼りなく宙を手が彷徨う。
 探すように彷徨う手はやがて温かい手に握られた。
「おかえり」
「シ、ン。いる?そこ」
「いるよ。いる・・・・・・ステラ」
 握られた手に強く力がこめられ、次いで側で嗚咽が聞こえてくる。小さく、堪えるように。
 ようやく見え始めた景色は病室であった。白いカーテンが奥で揺れているのが見え、ベッドの向こうにはラクスやアスラン、
カガリが見える。
 ステラは嬉しくて、微笑んだ。みんないる。起きても消えてない。
「シン。なくの・・・・・・?」
「・・・ほんっ・・・と、君は・・・・・・」
「ないてる」
 まだ感覚が鈍かったが、側で大粒の涙を流すシンにステラは笑顔でそっと頬に触れた。
「ごめんね。でも、もうひとりの、ステラとむき合わないといけなかったの」
 自分の意思のようで、そうではない感覚。自覚すると奇妙なものだった。だから、仕方ないとも思えた。体が言うことをき
かないのは。
 でも、あの時、こうしてまた皆に会えるとステラは信じていた。
 そんな気持ちは言葉にならなくて、ステラはただ微笑んだ。立っていたラクスが堪えきれずに顔を伏せて泣き出すのが見える。
「アスラン、キ、ラは?」
「え・・・・・・?」
 ラクスの隣でカガリと立っていたアスランは、ステラの問いに驚き止った。
「ステラ?」
 シンが手を握り返して、静かに問う。
「・・・・・・わかる。なんとなく。キラ、ステラ助けてくれた?」
「そっか。わかるんだな、ステラには……」
 そう言うと、シンは静かに体を動かした。すると、向こう側にもう一つベッドがあり、そこにはこちらを見つめているキラが
いた。
 キラという人。
 あんまり、話をしたことはないけれど、不思議な人。
 ラクスの大事な人。

 どこまで思い描いて、ステラは息を吸った。
 きっと、互いに言葉ではないのだと信じて。

「キ、ラ……ありが、とう」
 起き上がれないが、顔を横に動かしてステラは元気よく言った。
「どう致しまして」
 微笑んだキラはとても優しそうで、ちょっとシンに似てるなと思った。何よりも相手を先に思いやる、その優しさが。
 自然とラクスがキラの側に行くのを見て、ステラはまた笑顔になった。
「……シン」
「ん?」
「ステラも。あれ、する」
「あれ?」
 ステラが笑顔のまま、指差したのは向こうのベッドで頬にキスをしあうキラとラクスの姿だった。
 すると、一時停止したままのシンより先に、アスランが割って入ってきて、変な笑い方をした。
「ステラ!元気になったら、俺と一番にデートするからな」
「アスラン」
「約束だぞ!俺はまだ、この根性なしとのことなんて認めてないか……カガリ!」
 固まったままのシンを指して喚くアスランをカガリは引っ張って立たせる。強引に腕を引いて出口へと向かった。
「邪魔するな。約束は後でいいだろ、っとにもう」
「ス、ステラ!まだ……」
 抵抗も空しくカガリによってドアは閉められた。廊下の向こうでまだアスランが何か言っているようだが遠ざかってゆく。
「あらあら、あのお二人は仲がいいですわね」
「ほんと」
 キラは愛しそうにラクスを見つめると、そっと肩に触れていった。
「車椅子、取って。ラクス、散歩にいこう」
「……ええ」
 まだ動けないでいるシンを見やって、ラクスは部屋の端にある車椅子を手にキラを手伝う。
「ステラ、わたくしたちは出ますから。がんばってね」
「うん」
「あとで、うんとお話しましょうね」
 ステラは大きく頷いて笑った。大好きなラクス。伝えたいことがたくさんあった。
 キラと出ていく背中に、ステラは少し起き上がって叫んだ。
「人魚の、はなし。ほんとは嫌いじゃない。でも、シンと、いたい」
 固まっていたシンがステラを見返す。同時にラクスも出て行く足を止め、振り返った。
 本当に一瞬、ほんの一瞬、ラクスは堪えるように目を細めると、柔らかい声で歌うように返した。
「……知ってましたわ」
 そのまま、二人は扉をくぐって静かにドアは閉められた。
 病室には静寂が訪れ、カーテンを揺らす風の音だけが微かにした。
「……たた」
「ステラ!?」
 起こした体を戻そうとしたら、胸の辺りが傷んだ。自分でしたことだが、本当に実感がなくて俯いた時に見えた傷を見て
漸く思い出した。よく生きていたと思う。キラのことも、きっと低い確率のことだったはずだ。
 さっきまで硬直してたシンが、今度は心配そうにこちらを見ている。
 この人がいなければ、自分はここにいない。

 たとえ、戦で生き延びてもシンに出会っていなければ、生きているという実感のないままだっただろう。
 知ってしまって、怖くなったこともある。でもそれ以上に。

「ふふ、あはは」
「な、なに?ステラ?」
 ステラは声を上げて笑った。痛む傷を抑え、それでも堪えられず笑った。
「だって……シン、忙しそ、う」
 自分の様がおかしくて笑われたことに気づきシンは顔を赤くしてそっぽを向いた。
「こっち、シン」
「やだね。笑うし」
 ふてくされたまま、シンは言う。
「シン」
 そんな強情を張ってもステラに通じないのはわかっているが、負けたくなくて意地を張るシンである。そうっと横目でス
テラを見た。
「シン、すき」
「……」
 がた!
 急にシンは丸椅子を後ろに倒す勢いで立ち上がった。そして、なにやら後ろの壁におでこをぶつけているようだった。
「ね、シン!すき」
 返事のないシンにステラはもう一度言った。すると、シンはでこをぶつけるのを一瞬やめ、こちらを見た。しかし、思い
出したように何かぶつぶつ言って、また同じ行動をした。
 なぜ返事をくれないのかわからないステラは、心配をかけた自分をシンが怒っているのではと思い至る。
 シンはそれどころではないため、ステラの行動に気づけなかった。
「シ……」
 触れようと、ステラがシンの方へ動いた途端、体が傾いでステラはベッドから落ちそうになる。
「ばっ……」
 シンは素早く床に体を滑り込ませ、ステラの体を抱きとめた。
 
 二人して、ほうっと息をつく。
 次の瞬間には、顔を見合わせて同時に笑い出す。

「シン、ごめん、ね」
 笑いの残る声で、ステラは大好きな瞳を見つめていった。
「ん。俺の役目だからいいよ。何度でも迎えにいくから」
 抱きとめられている心強さと、腕の温かさにステラは胸が締めつけられるようで思い切りシンに抱きついた。両腕いっぱい、
思い切り。これ以上抱き締めるものはないのに、もっと。もっと。
 ステラの求めるまま、シンは抱き返してやる。
 自然と二人は病室の床で寝転がっていた。
「ステラ、しんじる。いきて、いくことを選ばせてもらった。だから」
 優しく、一つ頷くとシンは大事そうにステラの髪を撫でた。
 大好きな人がここにいる。ステラを待っていてくれる。嬉しいのに、胸が苦しい。
 そう思って見つめていたら、シンの瞳からすうっと涙が零れ落ちた。綺麗な涙。一筋の線を描いてシンの漆黒の髪に落ちて
いく。
 シン、シンも苦しいのかな。
 ステラとおんなじ?胸がね……苦しい。

「どくん、どくんって、シンもいうね」
「……ああ」
「ステラも。くるしい」
「……俺は、ステラのこと思うとこうなるの」
 数回、ステラは瞬きして、花が咲くように笑う。
「いっしょ。うれしい。くるしいの、シン」
 言い切らないうちにシンはステラの頭を胸に抱きこんで、頬を寄せた。黄金の髪がくしゃくしゃになるが構わず抱き締める。
「ちくしょー……、早くおとなになってくれー」
「?」
 きょとんとしたまま、ステラは見上げてくる。目があうと、また幸せそうに微笑んだ。
「なんでもない。おっきな独り言」
 可愛い鼻にキスしてやって、そっと抱き締める力を緩めた。
「シン、ステラしたいことあるの」
「うん。なに?」
「誓い」
 今度はシンが瞬きする番。
 真剣なステラの瞳は、懸命にシンの返事を待っていた。でも、ステラは意味がわかって言っているのかシンは不安だった。
「それは」
「結婚。ぼくしさまの、まえ」
 しっかり、ステラは言葉にして目を逸らさず言った。シンはその様子に視線を彷徨わせ、一つ息を吸うと漸く呟いた。
「……全部、俺のものになるってことだけど?」
「いい。それがいい」
 ステラは大きく頷いて、シンの胸にぎゅっとしがみつく。
 仕草も、言葉も、何もかもがまだ少女のステラ。シンにとって、結婚すると言ったのは離れていても守れるようにという意
味だったが、今は少し違った。
 細かい色々なことを考えず、ただ一緒にいたいと。
 ステラとこの先もずっといたいから、同じ道を選びたいから。

 
 自然と互いの瞳が近づき、目も伏せず、見つめ合ったまま触れるだけの口づけをする。
 愛しくて。
 どうしようもなく、苦しくて。
 何か、少しでも言葉にすると、なんだか泣いてしまいそうで。
 
 触れたところがずっと熱くて、ひりひりするのにもっと触れたくて。
 

「シン、あったかい」
 ステラの呟いた言葉にシンは息を呑んだ。
 


 俺が、君を守るから。
 戦とは関係ない、温かい場所に連れて行くから。

 

「…ぅ……う、うあぁ」
「もう、冷たくない、よ。ステラ」
 おでこも口唇もぶつけあったまま、シンは泣いた。

 孤独だったのは俺だ。
 寂しくて、誰もが俺を置いていくようで、手にした幸せはみんな去っていく。
 すり抜けてゆく温かい場所の代わりは、荒んだ荒廃の戦場だけで。
 戦っても、戦っても、誰も迎えにきてはくれない。
 どこにもいけない。
 そんな俺が、誰かを守れるはずも、誰かを幸せにできるはずもなかった。
 
 君を一人で弔ったあの日から。
 この世に、温かい場所なんてないと。


「シン、今度は、シン。あったかくなる番」
 強く、強く抱いてあげる。
「どうして、泣くの」
 どんな涙もステラが拭いてあげる。
「ここに、いるのに」
 貴方が、見えなくなっても、ステラはずっと傍にいる。
「ねえ、シン」
 すべてを抱きしめて、離さないから。
 わたしが帰ってこれた意味があるのなら、それは貴方を幸せにするためだと信じたいから。
 だから。

 


 いつか、あの海原にかえる日。
 貴方と手を繋いでいられたら、わたし、きっと渡っていける。
 
 ねえ、シン。
 人はどうしてこんなにも難しいのだろう。

 戦がなければ出会えなかった、戦がなければ誰も悲しまなかった。
 出会わなければ涙なんてなかった、出会ったから生きる意味を見つけられた。


 ほら、ひとって本当にむずかしい。
 

 

 

 いつもclapあろがとうございます。

ものっそうい喜んでます。ありがとうございます!!!

 アンデルセン/矢崎源九郎訳 新潮文庫


うう、ようやく終わったの。

よかった。

ほんとに、空の〜が終わってないのにね。笑

一日一作品!もくひょー!!

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