風のない午後。

 

「シン、ステラわからないことがあるの」
 唐突にそう言ったステラは、まだ肌寒いこの時期にリビングの窓を開け放ったまま外を見つめていた。シンは仕事の残りを片付けながらの遅めの
朝食をとりつつ、その横顔を見やった。
「なに?」
「うん」
 頷くものの、ステラはその先をなかなか言わずにいた。
「ステラ?」
「シンは、きらいの意味わかる?」
「え?嫌い?」
「そう。きらい」
 振り返らずに外を見つめたまま、ステラは繰り返す。その声に不安も悲しみも含まれてはいないようだったが、シンはふと不安になって、手にして
いたマグカップを置いて同じように窓辺に立った。
「・・・・・・誰かにそう言われたの?」
 顔を横に振るだけに留まったステラは、シンを見返すことなく口噤む。その様子にシンは何となく不安を覚えながら、聞かずにおれずに問いを繰り
返した。
「嫌いって言われたの」
「・・・・・・そうだと思う」
「思う?」
「教会に・・・・・・お手伝い、行ってるときにいつも仲良しの、ユウって子がね。ステラはどうして今幸せそうなんだって。ずるいって。きらい・・・・・・て、
言ったと思う。途中、混乱してあまり聞けなくて」
 切れ切れに言うステラは悲しみを滲ますことはなく、ただ淡々とそう言った。
 自分が申し出て手伝うようになった教会の孤児たちへのボランティアは、もう1年以上になる。はじめた頃は言葉もうまく話せず、好奇心と心の波
の激しい子供たちとのふれあいに苦労していたようだが、ここのところはすっかりラクスやカガリ顔負けの面倒の見ようで、シンとしては微笑ましく
ステラの自立した一面を見るようで、嬉しくも寂しくもあった。
 大人に、というよりきっと年相応の女の子へと成長しつつあるのがシンにとっては分かっていても複雑である部分だ。
 自分の知らないうちに、知らない女の子になってしまうような。
 今までと同じよう、ではいられないのではないか。
 そうあってほしい、そうなってほしいと望んでいたはずなのに。
(俺の勝手な庇護欲とかエゴなんだけど・・・・・・)
 内心、苦笑しつつシンは思う。
 一切の愚痴を言わないステラがこうして、教会のことを口にするのは珍しかった。
「・・・・・・ユウは、ずっと初めて会ってから一番仲良しで・・・・・・、昨日言われてからずっと考えてるの。でも、わからない。わかるのは、あの目は嫌い
の色。それだけ」
「ユウっていうと・・・・・・確かコウヅキさんとこの娘さんだね」
「シン、知り合い?ユウ、お父さんもお母さんもいないって」
「うん。俺、戦ったことがある人だよ」
 話したことはないけれど。
 オーブ連合首長国とのあの戦争をシンは片時も忘れたことはなかった。戦後、このオーブの地に住まうと決めた時、国の建設した資料館で自分の
奪った命をすべて知る義務があると思い、調べてすべての遺族に会いに行った。
 その中に、コウヅキの名前はあった。遺族はユウのみだった。
「その子、ステラにどうして幸せそうにしてるんだ、ずるいって言ったんだね」
 頷くと、ステラは漸くシンを見た。その瞳は透明でシン以外を映していない。
「例えばさ」
 シンは目を細めて、そっと吐息ほどの声で続ける。
「ずっと、自分と同じような境遇の被害者だと思っていて、仲の良かった友達が、実は同じ境遇じゃなくって、その加害者だって分かったら、ステ
ラはどうする?」
 残酷な質問だ。
 これは例えではなくて、事実だ。
「・・・・・・家族を殺した戦争がきらい、戦争をするのは人間、していたのはステラたち、だからきらい」
「ユウは、ステラがかつて戦場にいたことを誰かに聞いたのかもしれないね」
「そっか」
 短い返事は、シンの耳に刺さる。
 ステラの抱くやるせなく、どうしようもない気持ちはシンに痛いほど分かった。分かるだけに掛ける言葉がないことも。
「戦争は、ステラ、きらい。でも、それを覚えていない自分がもっときらい」
「ステラは思い出すために頑張ってるだろ。それに、少しずつ思い出してる」
「それでも、やっぱり、きらい」
「ステラ」
「だって、だって・・・・・・、ステラ、わからない。自分が戦った理由。戦争した理由。ない。きっとすべてを思い出しても、理由が、ない」
 大粒の涙が頬を伝わずにそのまま床に落ちた。
「みんな、意味、ある。戦う理由。守るもの。ある」
「ステラ、君にだってあったから戦ったんだ。戦場で出会った君は、必死に守ろうろうとしてたよ」
「なにを」
「守ることに必死で、苦しそうで、泣いてばかりいて・・・・・・」
 思い出すと軋むように胸が痛んだ。
 己のためでなく、たった一人のために彼女は生きているように見えた。それが存在理由であり、それだけが心の支え。そして安寧のように。その思
いの力が、結局は彼女をデストロイに搭乗させてしまう結末へ導いたのだ。
「ステラはなにを守りたいの」
「ネオという男」
 冷静に発したつもりの言葉は震えた。シンは唇を噛んで、見開いたステラの瞳から目を逸らす。
「その男を守ることで、自分を守ろうとしていたんだと思う」
 小さい男で本当にごめん。ステラ。
 シンは言外に呟いて、目を伏せる。
「ネオ、守る・・・・・・ステラ守ることになる?」
 それは、君がネオという男を肉親のように慕っていたから。
 それは、君がネオという男を兄妹のように想っていたから。
 それは、君がネオという男を愛なのだと信じていたから。
「・・・・・・生きることは・・・・・・、すべての人にとってきっと愛することとイコールだと俺は思ってる」
 あの冷たい海で必死にもがき苦しみ、それでも死にたくない、と言ったステラをシンは忘れない。
「君が、死ぬのは怖いと泣いて、それなのに戦ったのは愛がほしくて、愛していたくて、愛されたかったからだと俺は思う」
「あい、」
 あの海で、シンは死にたくないと叫ぶ熱いほどの温度に目を瞠った。
 この冷たい世界に、こんなにも熱く焦がれるような温度があるなんて。だから言った。守ると。すべてをかけて、君を守ると。それは決してその場
凌ぎのでまかせなんかではなかった。
 偽りの世界で、自分を誤魔化し、憎悪の勢いに身を任せたあの時間の中で、嘘のない思いだった。
「どうして、シン泣くの」
「・・・・・・泣いてない」
「泣いてるよ」
「君が好きだから」
 時が経てば、経つほどに己のしたことの重みが増す。
 笑うほどに、思い出が鮮明に自分を責める。
 
 それでも、生きて、生きて、生きて、それでも生き抜くことを与えられた。
 
 生き残るということは、築き残さなくてはならないということ。
 歯を食い縛って、それでも愛して生きていくのだ。

 泣いて、その土に命が芽吹くなら、誰もが泣いて暮らすだろう。
 還らないものは還らない。
 泣き濡らした土は自分で耕すしかない。
「君も、俺も、たくさんの人の命を奪った。愛した分だけ、人から奪ったんだと思う。それでも人間だ。俺たちは、人間だ」
「シン」
「諦めない。俺は、自分を、諦めないよ。ステラ」
 どうして泣いてしまうのか。
 悩みを打ち明けたのはステラなのに。
 シンは情けない思いと共にステラを抱き返した。
 
 
 
 

どうしても書きたくて。
短いですが
 
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