似ている、そう思った時からきっともう逆らえなかったのだと思う。
生きているはずなのに、どことなく空ろな存在感。実感のないまま、歩いているかのような足取り。
その姿はまるで、自分を映しているようで見ていられなかった。
そう、僕たちは月という存在。
決して地球という星から離れることはできない。そして、地球という星にはなれない。
「大丈夫だよ!大丈夫、俺がいるから」
そういって、暴れる彼女を押さえ、眠るまで側にいたシン。
アカデミーの頃からずっと共に過ごしてきた仲間であるが、実はなんとも思っていなかった。友達でも、戦友でもない。
ただのルームメイト。ギルのための駒。
ギルの描く未来のために役立てるなら、なんだって良かった。
そんな俺にとって、エクステンデットの少女の救難は衝撃だった。その存在も。その生き様も。
そして、シンという人間が俺の中で変わり始めたのも、この時からだ。
きっとあの時の俺は、こう思っていたんだ。
俺も、あんなふうに求められたいと。
「レイ」
声を掛けてきたのは、ルナマリアだった。
今日はミネルバは休航日で、艦内の整備を兼ねたクルーにとっての強制休養日だった。だが、レイはいつものように軍服を
着て艦内にいた。
「どうした?今日はみんなでシンのところに行くと言っていなかったか?」
確か昨日のミーティングで、ヴィーノが嬉しそうに提案していたはずだ。せっかくの全員休みなのだからと、タリアまでが
誘われていたはず。
思い出して、レイは微笑んだ。
あのタリアの少し困った、でも嬉しそうな顔。なかなか見れるものではない。
「レイ?笑ってる、もしかして?」
ルナマリアは心底珍しげにこちらを覗き込む。思わず、仰け反ってレイは咳払いした。まさか、タリアを思い出して笑顔に
だなんて口が裂けてもいえない。
「で?なぜ、ルナマリアがここにいる?」
「ああ、レイも誘いにきたの」
「そもそもシンはいいと言ったのか?」
「あはは、行くって言ってない」
行くとも言わず、あの総勢何十名かを連れて押しかけようというのか。シン、お気の毒に。
レイは一つ、溜息をつくと顔を振った。
「俺はいい。やることがある」
「タリア艦長もいくよ」
「な」
思わず、ルナマリアを振り返ると彼女は歯を見せて笑った。何も言わず、ただ笑った。
「……俺は知らないからな。シンがきれても」
「心配ないない。喜ぶ、喜ぶ」
喜ばんだろう。
レイは真剣な顔のまま、心でシンに両手を合わせた。
シンにとって、休暇というものは本当に待ち遠しいものだった。
そもそも、家に一人ステラを置いておくこと自体がシンには心配でならない。だからといって、アスランたちに任すという
のも納得いかない。でも、結局はステラがどうしたいかである。
聞くと、本人は自分でやってみたいと言うから今の状況なわけである。
まあ、ラクスたちのお陰で家は完全防犯だし、声紋認証だし、二階がないから階段から落ちないし、火の元もないから火事
ぶはならないし、代わる代わる誰かが遊びに来てくれてるみたいだし……。
本当に彼女は愛されている。とても。
それ以上にステラが周囲を幸せにしているからだとシンは思う。
何よりその恩恵は自分が授かっていた。この家で待っていてもらえることはシンにとって、ただいまと帰れる家ができたと
いうことで幸せなことなのだから。
もう、叶うことのない夢かと思っていたから。
思いから我に返って、シンは視線の先で懸命に頑張っているステラに声を掛けた。
「気をつけろよー」
「うんー!」
元気な返事が返ってくるものの、ステラ自身は物凄く不安定な状態である。ぐらぐらしながら、一生懸命だ。
「……なんでまた自転車なんかに乗りたくなったんだろ」
家の前の小道でステラは、自転車に跨って真っ直ぐ走る練習中であった。しかし、まずまだ乗れていなかった。跨っただけ
で両足ついたまま、自分の足で前に進む。その様は本当に初めて自転車に出会った小学生のようだった。
「シン……これ」
「うん?」
シンは決して手出しせずに、少し離れたところから眺めていた。
自分で乗りたいと言い出し、教会からいらない自転車を譲ってもらってきたのだ。そこまでしたなら、まずは頑張ってみる
のがいいだろう。
シンには分かっていた。ステラは強情なところがある。素直だが、自分で決めたことはしないと気がすまないらしい。一緒
にいてその小さなステラの譲れない部分に気づき、シンは嬉しく思っていた。
「シン、乗ってみて」
教えてとは言わないステラがもう可愛くて。
シンは腰を上げると、頷いてステラの手から自転車のハンドルを受け取る。
「乗るよ」
シンは軽快に自転車にひょいっと跨ると、ステラの周りをくるくると走った。それはもう楽しそうに。
「……いいなあ……ステラもしたい」
ステラはくるくる回るシンついて、自分も回りながら羨ましそうに呟く。その言葉にシンはきゅっと自転車を止めると、ス
テラを見つめたまま、数秒考えるようにして止まる。
「……まずはコマつけて走ったほうがいいと思う。でも」
言って、ステラにすっと手を差し伸べた。
「おいで」
シンの言わんとすることが理解できないまま、ステラは大好きなその手を握る。引かれたその手は軽々とシンによって、後
ろの台座にステラを導かれる。
「ここ、しっかり俺につかまって」
「う」
こっくり頷き、ステラは両腕をシンの胸に回した。しっかりと聞いたからか、物凄く強い力でしがみついていた。
「ステラ」
自分の首に巻いてあったマフラーをこちらを見上げたステラの耳を隠すように巻いてやる。
オーブはもう冬だった。悴むほどではないが、緩やかに冷たい風が海からやってきていた。
「よーし!いくぞ、ステラ!」
「うー!」
後ろのステラを横目で見て、笑顔になるとシンは早速勢い良くペダルを踏み出した。
家の前の短い平坦な小道を抜け、自転車は海へと続く坂道を真っ直ぐに、楽しそうな笑い声と共に駆け下りていった。
甘いものが得意ではないレイにとって、本当にそこは未知の世界だった。
目の前のショーケースには数え切れない生菓子、サイドには焼き菓子が並び、店の奥からする甘い香りが店内を充満してい
た。少し狭い造りの店内は、白と茶色で統一されたシンプルなデザインである。
「……エクチュア、か」
目に留まった菓子の包装紙を見て、レイは呟いた。横ではルナマリアが夢中で店員と相談中だった。
「なんでもいいと思うが」
気づかれないようにレイは溜息をつく。
本当なら、今日は誰もいない絶好の環境である。新しい武器の試運転や機動チェックがしたかった。
レイにとって、今のミネルバでの活動は情勢の保持と管理と認識しており、自分もその一員として二度と同じ道を辿らぬよ
う未来へ伝えていこうと意思を新たにしていた。新しく入ったクルーだっている。その若い後輩たちの為にも。
だからこそ、戦のない今、気を抜いてはいけない。
それがレイの考え方だった。力を全て放棄し、互いが武器を持たなければ戦争は起きないかと言ったら、そうではないのが
現実だ。痛いほど、先の大戦で実感したことである。
今でも、ギルバート・デュナンダルの言葉が声ごと蘇る。
誰もが戦を嫌い、戦争は悪だと叫ぶのに、戦争はなくならない。力を放棄すれば戦圧され、屈するだけだ。だからこそ、我
らは奪われない為の力を持とう、そして自由と平和を勝ち取ろう、と。
誰にも、あれから二年経った今でも、レイは話したことがない。今でも、ギルの言葉を否定するつもりがないことを。
今でも、彼を心から想うことを。
「俺は救えなかった、そういうことだ」
救われたかった。必要とされたかった。きっと、自分ばかりでギルのことをレイ自身が一番見ていなかったのかもしれない。
キラにではなく、自分が言いたかった。
間違っていたなら、やり直そうと。
一緒に帰って、一から歩き出そうと。
「レイ?それほしいの?」
形のいいチョコレート菓子に向かってレイは熱い視線を送っている状態であったらしく、ルナは不思議そうにこちらを覗き
込んで首を傾げていた。
「い、いや……。ルナマリア、決まったのか?」
「うん。今、包んでもらってるわよ」
誤魔化したレイを追求せず、ルナは笑顔で言った。背後では店員が綺麗な包装紙に菓子折りを包んでいるのが見えた。
「結局、何にしたんだ?」
店内には同じような菓子しかないようにレイには見えたが、ルナは激しく抗議した。菓子には色々あって味も意味も違うの
だと。
レイにはどれを食べても甘ったるいだけのもので、変わりはしなかったがそこまで頑固に説明する彼女を見ているとただの
菓子でくくるのは気がひけた。だから、こうして決まるまでの時間を文句言わずに待っていたわけである。
「シンなんか、つき合わせたら嫌な顔隠さないのよ?男として最低よね」
店に入って一番最初にルナの言った一言。そこに、他意がないのかレイには複雑な思いが過ぎった。だが、それを見せない
のが彼女の美徳であって、損をしている所でもあるように思う。
「半分は生チョコレートの詰め合わせ、あと半分はプラリネ」
「プラリネ?」
「そう、ほらあれ見て」
ルナマリアの指した先には、ショーケースに小さな丸いチョコレートが様々な色と模様をして並んでいた。
「可愛いでしょ?一個、一個デザインも、入ってる中身も違うの。あたしのお勧めはあのオレンジピールが乗ってる中身がブ
ランデーのやつ。でも、ステラは酔っ払いそうね。弱そうだし」
ショーケースを見つめてルナは笑った。その視線の先はチョコではなく、思い描いたステラの様子のようだった。
「聞いてもいいか?ルナマリア」
「なにー?」
レイは隣にたって、ルナは見ずに抑揚なく続けた。
「……もう、いいのか」
返事は暫く返ってこなかった。
店内の優雅な音楽と包み紙の折れる音だけが数分、そこを支配していた。
「どうだろ。はは、どうかな」
突然、ルナはそう言って笑うとショーケースから離れて背を向けた。
「悪かった。ルナマリア」
レイは短く謝ると、仕上がったらしい菓子折りを受け取るためにルナの横を通り過ぎレジに向かった。
「……謝んないでよ。レイのばか」
消えそうな声でルナは言い、そっと振り返った。
「シン、シン、まえ!まええ」
「大丈夫だってば」
シンはステラを後ろに乗せたまま、軽々と海岸へ続く坂を駆け下り、急なカーブからちょっとした岩場の段差もなんなく自
転車で進んだ。
大きくがたがた揺れる度に、背中でステラの叫び声がする。
怖がっているのではなく、驚きの声。時には楽しそうに笑う。そんな無邪気なステラが可愛くて、シンは調子に乗っていた。
雨が降り出すまでは。
「なんで、雪じゃないわけ……」
「シン。はい」
ぱらぱらと振り出した雨に、シンは側にあったバス停の屋根下に自転車を止め、ステラをおろした。
「ステラ?」
犬のように頭を振って、顔をあげたシンにステラは自分のまいていたマフラーをシンの首にまき直した。それから、ポケット
からハンカチを出して、背伸びしてシンの顔を拭う。
「てて、痛いよ。ステラ」
不器用なステラは懸命にシンの顔に腕を伸ばして、顔を拭く。力が篭っていて叩かれているようで。
笑いながらシンが言うと、ステラは顔を横に振った。
「だめ、ラクス怒るの」
こっぴどく二人して風邪をひいて以来、ステラはラクスに教え込まれたようである。仰け反って逃げるシンを必死に捕まえよ
うとした。
「じゃあ、こうする」
ハンカチを持って伸ばしていた腕をシンは寄せるように引いて、自分の胸にステラを収めた。
「む、シン」
シンの胸に顔を押し付けたまま、ステラがむぐむぐ言ったが、解放せずにシンはか細い背に腕を回し、顎を金色の頭に乗せて
一息ついた。暫くシンの背でばたついていたステラの腕も、少しすると同じように抱き締め返してきた。
「ステラ、雨。止みそうにないよ」
道を打つ雨粒を眺めて、シンはのんびり言う。
「…むぐない」
「なに?」
シンは少しだけ腕を緩めて、胸元にいるステラを見下ろした。
「みえない、の」
「そっか。ごめん」
言って、シンはステラから腕を解き自由にしてやる。ステラはくるりと反転すると、自分の背をシンに預けて同じように道を
打つ雨音に耳を傾けた。そっと、シンの腕を自分の前に抱き寄せて。
「……ばちばち、いう」
「うん」
「おうちにいると、ざあざあ」
「うん、そうだね」
「ふしぎ」
ステラは目を伏せると、その雨音に合わせるように小さく揺れた。
「楽しそうだね、ステラ」
「うん。音がする。あめ、それとシンの音」
くっと頭をシンの胸に押し付けて、ステラは瞳を開いた。
雨音が激しく地面を打つのに、なぜか静かな気がした。二人きり、誰も通らないバス停で雨宿り。時間が止まったみたいに変
化のない空間に、進むのは互いの心音のみ。
遠くに見える海はいつもの青は失って、映す空がどんより曇っているからか深い青色をしていた。小さな雷鳴が遠くで響く。
「なに?」
「雷だよ。今はごろごろ言ってるだけだけど……そのうち」
シンはそこまで言って、息を吸う。ステラは次の言葉を待って、シンを見上げた。
「どんがらがっしゃーん!」
「ふわあ!!」
大きな声で言って、シンは後ろから思い切りステラをくすぐった。驚きと一緒にステラは体を躍らせて叫んだ。
「……シ、シンっ」
逃げようとするが叶えてくれず、また抱きついてきたシンにステラは振り返って睨む。
「驚いた?でも、本当だよ」
「う……」
うそつきと、ステラの口がいい終えないうちに、側で大きな雷鳴が轟いた。
一瞬眩しいほど光って、次いで割れるような雷の音。近くの木にでも落ちたのかもしれなかった。
「……ほらな?」
シンは言うと、面白がるように笑った。ステラは目を大きく開いて止まったままである。
「ステラ?おーい、ステラ?」
「!」
我に返ったステラはシンの腕から離れて、バス停の前に出た。左右をきょろきょろ見回して何事かと探しているようだった。
苦笑してシンは、すぐにステラを引き戻す。
「もう、濡れてるって」
「シン、なに。なに、落ちてきた?」
「だから、カミナリだってば」
いよいよ面白くて、シンは笑いながら言った。
ステラの手からハンカチを取って、一瞬ですっかりついた水滴を拭ってやる。シンにあんなに言うのに、自分のことはさっ
ぱり忘れてるようだった。
「にしても、止みそうにないね」
シンは視線を空に向け、溜息混じりに呟いた。隣で同じようにステラも見上げる。
曇った灰色の空から、とめどなく雨が降り注ぎ、空と地面を繋いでいるようだった。
「シン、かえろう」
暫く見つめて、そっとステラが言う。見やったステラのその表情があまりに優しくて、シンは思わず一時停止することにな
る。綺麗な透き通る赤紫の瞳が、シンだけをそこに収めていた。
「ん。帰ろう」
なんでもないことなのに。
二人で出かけて、雨が降ってきて、雨宿りして、やまないけど、もう家に帰ろう。
たったそれだけのことなのに。
「シン?」
「なんでもないよ」
シンは熱くなる目頭を拭って、急いで自分のジャケットをステラに着せた。ステラはステラでシンのマフラーを頭から巻く
ようにして結びなおした。どちらからともなく頬を寄せ合ってキスをすると、自転車に跨る。
「よーし、全速力だ!」
「おー!」
ペダルに足をかけて、シンは振り返る。
「ステラ、ありがとな」
「?」
首を傾げるステラにシンは笑顔だけ残し、
「シン・アスカ、行きます!」
二人を乗せた自転車が、勢い良く雨の帳の中へ一直線に走り出した。
「無計画がこの結果を招いているようね。日ごろからこれじゃあ、平和ボケもいいところね」
タリアは無表情に告げた。
そこにいたクルー全員が、辺りを見回す。ここは、ミネルバだったかと疑って。
「にしても、もう二時間も待ちぼうけじゃあなあ」
ヴィーノぼやく様に漏らす。
それは全員の抱く気持ちだった。数時間前、集合して勇んでシンとステラの家まで来たはいいが、留守だわ、雨は降ってく
るわで、待てどもや無視は帰宅しないという始末で。
遅れて合流したルナマリアとレイも、呆れ顔で車内にいる。かれこれ二時間、小型バス車でミネルバクルーは揃って待ちぼ
うけを食らっていた。
「通信、してみた?」
ヨウランが座席で突っ伏しているヴィーノに言う。
「これが通じないんだよー」
「妖しいなあ、シンのヤツ。どこで何してんだ?」
首を捻り、ヨウランは唸る。後ろに座っていたレイが、ぼそっと呟く。
「いるんじゃないのか?実は」
『え?』
車内にいた全員が目の前の可愛い一軒家に目をやる。
恐る恐るアーサー・トラインが言う。
「……出れない状況ってこと、ですかね?」
時が止まったように車内は静まり返り、少しして我慢できずタリアの苦笑が聞こえる。
「あれ?おかしなこと、言ったかね?」
『副艦長ー!』
お年頃なヴィーノたちの頭には、アーサーとは別の想像が広がったわけだが、党のアーサーはそういう意味で言ったわけで
もなく、一人まだ首を傾げることになる。
「ねえ!あれ見て」
ヨウランの席を乗り出して、メイリンが窓の外を指差した。
そこには、びしょ濡れになりながら自転車で二人乗りして帰ってくるシンとステラの姿があった。
いろいろ、考えながら作っています。
レイがいなくてはシンはいません。シンにとって、あたたかい場所のひとつ。
レイとステラの関係を描きたいと思って書き出したものの。やはり、なが・・・。
ごめんなさい。うう。
↓エクチュアは実際あるお店なのです。。。