02.言葉
多くを手にしていないほうが、何も失わずに済んでいいと考える。
至極、合理的で、賢い。
スティングがそういった。
「ネオ」
甲板は風邪が強く、目をあけているのもやっとだった。
探し当てた目的の人物は、真っ直ぐに立って海の先を眺めていた。振り返ったその人の仮面の下はどんな表情をしているのか、見たこともない。
「どうかしたか、ステラ。スティングたちは特訓中だろう?」
「うん。ステラ、苦手」
ようやく辿り着いて、ネオの軍服の裾を掴んだが返ってきた声は少し冷たかった。
「ナイフなら」
俯いて、少し小さく返す。
ステラは自覚がある。自分が戦うためだけに存在し、ここにいることを許されていること。だからこそ、目的のために努力をしなくてはならないことも。
「得意なことばかりでは、いざという時困るぞ。敵はステラの得意なことをさせてくれはしないのだから」
「・・・・・・ん」
そっと息を吐いて思い返す。
相手の喉下を掻き切る瞬間、いつも脳裏に真っ赤な花畑のイメージが広がるのだ。
真紅の世界。
とどまることを知らず、空まで染め上げるその色。
心安らぐものと、深淵を覗き込むもの。
なぜ同じ色をしているのか、ステラにはわからない。その答えは未知で、禁断のようだった。
「また考えているんだろう?ステラ」
「え」
「シンと言ったかな」
驚いて、瞬いたままステラはネオを見上げた。
いつもと変わらないネオ。口元は笑いもしていなかったが、怒っているわけでもないようだった。
「私もいつか会ってみたいものだな、その少年」
今度はふっと口元を綻ばせてネオは言った。
自分以外の口から発せられるシンという言葉に、ステラはいつでも違和感を感じた。
それは、わたしの知っているシンだろうか。
「ネオ、シン、あったかいよ」
「・・・・・・本当に、たいした少年だな」
「あったかいの」
手のひらをゆっくり空に翳し、伸ばす。
そこにシンが見えるわけではない。それでもその先に掴める気がしてついいつまでも伸ばした。
「ネオ、シン、どうして知ってるの」
空を見上げたまま、ステラは抑揚なく呟いた。こんな風に「何か」についてネオと話すことは稀だ。今日は不思議な日、そうステラは思って瞳を緩めた。
隣のネオを窺ってみると、同じように遠くの空を見つめて静止していた。
「・・・・・・ステラは、あの少年のことをどう思う?」
「ど、う」
「そうだ。どう、感じる?」
簡単だ。
「あったかい」
言葉にするだけで、心がじんわり温かくなる気がした。冷たい海風も、ゆっくりと温かくなるような。そんな気がした。
「人はそれを、愛と言うようだよ。ステラ」
ネオの声は一層低くて、小さいのに響くものだった。
振り返った仮面の男は、笑いも悲しみもしないでそこにいる。ただ、ステラの方を向いて言ったまま、動かなくなった。
「あい・・・・・・それ、まもるとおなじ?」
「難しい質問だな。愛に様々な意味があるように、守るという言葉にも多くの意味がある」
赤紫の瞳がゆらゆらと揺れて、翳るように暗くなる。
いつもそうだ。
ステラには理解できないことが多い。生きていることが浮遊するように掴みどころがないのと同じで、言葉はいつでも宙に浮いていた。
愛も、守るもひとつの言葉で、ただそこにあるのに。
見えないから、留まることもなく、移ろうのだろうか。
俯いたステラの頭に大きな手が優しい重さで降りてくる。
次いで、ぽんぽんと叩かれた。
「ネオ」
「いいか、ステラ。確かにこの世には数え切れず、覚えきれない言葉が多々あるさ。だが、ステラが信じた思いがその意味になる。そうでしか有り得ない。
所詮、人の思いは一方通行なものだ。それでいいんだよ」
一方通行、そっとステラは言葉をなぞった。
「なら・・・・・・おなじ、だね」
「ん?」
「同じほうを、むいてるってことだね」
「・・・・・・そうだな」
見上げたネオも笑ったように見えたので嬉しくなってステラもにっこり微笑んだ。
「でも、ことば、むずかしい。さわれば、わかるのきがする。でも、ガイアのってると・・・・・・とおい」
コックピットがあって、互いに武器を所持していて。
相手は遥か彼方。
「シン、さわると、あんしん。とても」
「本当にたいした少年だ」
喉を鳴らして笑うと、ネオは静かで平坦な声音で続けた。
「ステラ。捏造、という言葉がある」
捏造、なんだか響きだけでひんやりする気がした。
「偽りを作り出す、そういう意味だ。だがな」
開こうとした口をネオは一度閉じ、ゆっくりと息を吸ってから再び続ける。
「言葉に意味があるのなら、それはいつか本当になるだろう。信じた思いの人間の中で」
「・・・・・・うん。おなじほう、みてるものね」
「謝らないでおく。君の未来は、君のものだ。私は同情も罪悪も感じていない」
「?」
言い切ったネオは急に踵を返して、ステラの隣から離れだした。その振り切ったような様子にステラは急激な違和感を感じて、思わず追いかけた。
「ステラ」
静止を促すような声色に足が竦む。
「訓練に戻れ」
振り返りもしない冷たい背中が、あっという間に遠ざかっていく。
駆け寄れば間に合う距離が、永遠に追いつけないほどに感じた。
言葉。
なんて、哀しい刃。
なんて、優しい温度。
与えてもらえるということは、そこに私はいると認めてもらえているということだ。
空は青い。
それと同じくらい、素敵なことだ。
以下、読まずで大丈夫です。
実は悲しいことがありました。
きっと様々なひとがいて、様々なひとがいらっしゃる。
けれど、言葉は力で武器で盾だということを、知っているなら思ってほしいなあ。
もし、読んでいらしたら。ことばをありがとう。
いうなれば、なのるべき。でも、拍手をありがとうございます。苦笑