夏が近い。
 
 君が笑うと、どうしてだろう。
 少し、悲しい気持ちがわく。それは、きっと忘れてはいけないこと、忘れられないこと、それが同時に胸に去来するからだろう。
 わかっているけれど、
 
 やっぱり、少し寂しい。
 
 
 
 
 
 ステラはスーパーの野菜コーナーでもう小一時間は野菜とにらめっこしていた。
 早く帰らなくてはいけないことは分かっていたが、どうしてもどの野菜を選べば一番いいのか分からないのだ。店員に聞けばいいのだろうか。だ
が、皆一様に忙しそうでステラには、どんな風に問えばいいかわからないでいることを呼び止めて問うことは出来なかった。
 重い溜息をついて、ステラは意を決して林檎の袋を掴んだ。
「それ、買うの?」
 顔を上げると、隣で買い物カゴを持ったタリアと目が合った。
「たりあ!!」
「ど、どうしたの。そんな泣きそうな顔して」
 ステラはこれは神様がシンのために与えた奇蹟だと内心で小躍りし、林檎を掴んだままタリアにぐいっと迫った。
「あのね、シンね、風邪なの。ステラ、なにか元気になるもの、作りたい」
 タリアは数回瞬くと、頷いて微笑んだ。
「そうだったの。熱があるの?シン」
「熱、ある。咳もしてて・・・・・・あと、もどしちゃう」
「そう・・・・・・なら、食べさせるものには気を遣うわね」
「昨日から何も食べてない。なにか、たべないと」
「そう。それで」
「おうちにある食べ物、どれもだめみたい。だから」
 掴んだ林檎を見下ろして、ステラは涙ぐんだ。
「ステラ、ほら泣かないで。わたし、車で来てるの。うちの・・・・・・」
「ステラ!」
「やんちゃ坊主と一緒に」
 店内を向こうのほうから駆け足で向かってくる少年に、ステラは顔を上げた。満面の笑顔でこちらに手を振るギルバートを見つけて、ステラは涙
を拭って微笑んだ。
「ステラもお買物?」
「うん。ギル、ひさしぶり。少し、背のびた?」
「伸びたよ。すぐにステラに追いついて、追い越しちゃうんだから。待っててね」
「?」
「あんなちんちくりんより、絶対僕のほうがいい男になるからさ」
「ギルバート」
 にこにこと微笑んで喋るわが子に、タリアは呆れた目で見返す。まだ小学生に上がりたての少年が言う台詞ではないだろうと内心ぼやきながら、7
歳にしてどこかの誰かを思わす性格にタリアは溜息をついた。
「ね、ステラ。私たち、貴方の家にいっていいかしら?」
「えっと、でも」
「シンの看病、教えてあげるわ。そうすれば今晩はステラ一人で大丈夫でしょう」
「本当?」
「その様子だと、昨日の夜は大変だったのね」
「うん・・・・・・、シン、つらそう。でもステラ何もできなくて。せめて何かって思うのに、シンさせてくれなくって」
「まあ、強情ねえ。シンったら」
「汚いの、いいからって。ステラそんなの気にしない」
「あらあら。まだまだ初々しいわね、貴方たち」
 可笑しそうに笑うタリアを見上げて、ステラは首を傾げた。可笑しなことを言ったろうか。
「ごめんなさい、ついね。貴方たちは可愛いカップルだなと思ったのよ」
「なに?アイツ、風邪ひいてるの?バカはひかないんじゃなかったっけ」
「ギル」
「シン、きらい?ギル」
 ステラは少し不安になってギルバートに向かって問いかけた。すると慌てたようなギルバートが手を振って応えた。
「違うよ、そうじゃないよ。ステラ、そんな顔しないで」
「きらいじゃない?」
「き、きらい・・・・・・では、ないと思うよ」
「よかった」
 そんなやりとりを眺めてやっぱりタリアは声を上げて笑った。
「さ、買い物をすませて早く行きましょう」
 頼もしい味方を見つけて、ステラはうれしくて大きく頷いた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「か、艦長」
「顔色悪いわねえ」
 どうしてここにタリアがいるのだろう。
 シンはふらふらする頭で、なんとか顔を上げてベッドから身を起こそうとした。
「いいのよ、寝てなさい。看病を手伝いに来たの」
「はあ?」
「ステラが一人で困っているようだったから」
「ステラ、」
 タリアの背後で小さくなっているステラにシンは目を向ける。不安そうな顔でこちらを見るステラは何も言わなかった。
「せっかくの有給をこんな風に過ごしていたとはね」
「はあ・・・・・・滅多にひかないんですが、」
 咳き込むシンにタリアは微笑むと、布団に入るように促がした。そっとシンの枕元に駆け寄ったステラが心配そうにシンの額に手をやった。
「熱、あるね」
「ステラ」
「シン、辛くても言わない。だめ」
「・・・・・・うん」
「なにかのむ?」
「うん」
「カルピス、買って来たの」
「そっか。ありがとう」
「すきでしょ、シン。すぐもってくるね」
 額からその小さな手が離れてゆくのがなんだかいやで、シンはついその手をとっていた。
「シン?」
「あ、ごめん」
 不思議そうな瞳で見返され、シンは気恥ずかしくなって手をすぐに離した。こちらを眺めているタリアの視線もあって、つい顔を逸らしていた。
「ステラ、ちょっとシンのこと見ていて。私はギルと買ってきたものを冷蔵庫に入れてくるから」
「タリア」
「いいのいいの、カルピスは持ってきてあげるわ。少しそこにいてあげなさい」
 優しいタリアの声を聞きながら、シンは顔から火が出そうだった。見抜かれている自分の気持ちが、どうしようもなく情けなかった。
「体調が悪いときはね、どんなことよりも側にいてほしいものなのよ。ステラ」
「そば・・・・・・」
「ステラもそうだったでしょう?治療より、シンが会いに来てくれたほうがずっと元気になったはず」
「うん」
「そういうこと」
 タリアは言ってウインクを残すと、キッチンの方で何か言っているギルに返事しながら部屋を出て行った。シンはタリアを見送るステラの横顔を見
ながら、気恥ずかしさが胸を埋めたがつい見惚れてしまっていた。理解し、それに胸を打たれている様子のステラは、なんとも言いがたい表情をして
いて、言葉にすると違う気がするが美しいものだった。
 ふいっとこちらに向いたステラの瞳に、シンは咄嗟に顔を背け身を反転させた。
「シン?」
「なんでもない。ほら、う、うつるから」
「どしたの。ステラの顔、へん?」
「そんなことあるわけないだろ」
「?」
 そんなに顔を近づけないでくれ。
 シンはただでさえ熱でぼうっとする頭に血を昇らせて顔を振った。
「ね、シン。つらい?」
「・・・・・・昨日の夜よりは、ましだよ」
「そっか。なにかほしいもの、ある?」
「・・・・・・そりゃあ」
「なに」
「言わない」
 シンはステラに背を向けたまま、顔をぶんぶん振った。
 何を言ってるんだ。何がしたいんだ、俺。
「シン、ステラね。辛かったとき、ずっとシン、ほしかったよ」
「え」
「シン、ほしかった」
 そうじゃない。
 違うぞ、シン・アスカ。落ち着け。
「そそそ、そう?」
 声よ、何故裏返る。
「そう。シンをステラだけ、したかったんだ」
「ステラ!あのさ!!ほんとごめん、俺は、ステラみたいに綺麗じゃないんだっその、今言ってくれてることすげえ嬉しいんだよ。でも俺のは」
 ステラはじっと澄んだ瞳でこちらを見返していた。振り向いて、直視してしまったシンはじわじわと己の中に罪悪感が湧くのを感じる。
「俺のは・・・・・・そういう綺麗なもんじゃ、なくって」
 シンには分からない色で染まっているステラの双眸。どうしてだろう、こんなに好きな気持ちは同じなのに、自分はとても邪まで汚く感じてしまう。
そうじゃないってこと、わかっているつもりでも胸を巣食うのは罪悪感だ。
「ほしいって言うのは」
「シン」
「ステラをほしいっていうのは」
 瞬いて、自分を呼んだ桜色の口唇が薄っすら開くのを見ると動悸がやまなくなる。
「俺のは」
 深い朱色の瞳がシンを映して、そっと瞬く瞼の向こうに消える。幾度も映しこむ、その中にいる自分は一体どんなものとして捉えられているのだろ
う。ステラには想像がつくのだろうか。本当に、シンがステラの全てを手に入れたいと思っているその思いを。
 むちゃくちゃに抱きしめたい。
 痛いといっても離したくない。
 何もかも奪うほど、君を愛したい。
「違うの?ステラとシン」
「・・・・・・違うよ」
 あまりにも。
「ステラ、好きだよ。すごく、シンのこと」
 違い過ぎる。
「違うんだよ、ステラ」
 シンは一瞬にして湧いた激しい感情に、自分のどこかが冷静でいながらもそれを無視したもう一人の自分が獣のようにステラに襲い掛かっているの
を見ていた。
 優しさのかけらもない強さでステラの腕を掴むとそのままシンはベッドに引っ張り込んだ。息もする間も与えずに噛み付くような勢いで無防備なス
テラの口唇にキスをする。
 驚いたように見開いたステラの瞳が印象的だった。嫌がるのではなく、瞬時に浮かんだそれは恐怖のようだった。
「っ」
 顔を振ったステラにシンは開放してやると、安堵したようなステラのその首元に噛みつく。
「シ、ン!」
「なに」
「なに、て」
 不安そうな様子でしきりに暴れるステラをシンは開放せずに、ポイントだけ押さえた動きでしっかり逃がさないでいた。嫌がろうとその先へ進もう
とする。そんなこと、今の今まで一度だってしたことがない。
 嫌われたくなかったから。
「シン!」
 ステラはなんとか片腕をシンの手から解いて、必死にシンのパジャマを引っ張った。押し返そうと力いっぱい腕を突っ張るがシンは動きもしなかっ
た。
「ね、シンっ、なに?なにするの」
 シンは一言も言わずに乱暴にステラのブラウスに手をかける。嫌がって暴れるステラの掴んだ手首が痛そうに赤くなっていた。
「シンっ」
 悲痛に近い声。シンは漸く、顔を上げた。
「言っただろ」
「・・・・・・?」
「違うって」
「シ」
「こんなにも違う。俺はこういう風に君が好きなんだよ」
 口の中が苦い血の味がした。
 なんか、色々、限界だった。
「ステラがほしいって、こういうことなんだよ」
 その時、浮かんだステラの表情をシンは覚えていなかった。
 ぼうっと靄がかかったみたいな視界から、手放すようにシンは目を閉じた。
 
 
 
 
 シン。
 
 シン。はじめてシンのこと、わからなくなった。
 ねえ、シン。
 どうして。どうして、シンとステラは違うの?
 何が違うの?
 
 コーディネーターとエクステンデット?
 それとも、敵と敵?
 男の子と女の子?
 
 それとも、
 普通の女の子と、普通じゃない女の子?

 
 ほんとはね、ステラ、自分のこともわからなくなった。
 どうして、わたしは。
 いつでもこんなとき、答えを最後にくれたのはシンだった。いつでもそうだった。
 本当は辛かったの。
 本当は嫌だったの。
 
 ねえ、シン。
 ステラは嘘つきだった。
 ぜんぶあげるって、そう言ったのに。

「う」
 ステラは膝を抱えて、遠くで満ち引きする海を見つめて息を詰めた。
「・・・・・・ステラ」
 そっと掛かった声にステラは思わず浮かんだ涙をごしごしと拭って、なんとか笑って振り返った。
「たりあ、ごめんなさい。手伝う」
「いいのよ。そんな無理しなくって。こっちはギルが張り切って手伝ってくれたから。もうお粥も出来たし、洗濯も終わったわ」
「・・・・・・ごめんなさい」
 俯いて、自分が今しなくてはならなかったことを落ち込むことでタリアたちに押し付けてしまったことに気付いて更に落ち込んだ。頼んで
おいてなんてことをしたのだろう。
 せっかく、お粥の作り方を教わろうと思ったのに。
「レシピは書いておいたから心配ないわ。それから」
 タリアは微笑んで俯くステラにノートを手渡すと、片手に持っていたステラのひよこエプロンを差し出した。
「もどしたりする風邪の時はね、お腹に優しいものを作ってあげるといいのよ。でもギルもそうだけど、お粥ばっかりだと飽きるから、いつ
もゼリーを作るの」
「ぜりー?」
「そう、風邪の時はビタミンをとるといいの。だからレモンゼリーにする」
「れもん、ビタミン」
 繰り返して呟くステラの瞳に力が戻って輝くのを見てタリアは嬉しそうに声を上げて笑った。さらさらと零れるステラの髪を撫でて、柔ら
かな仕草でステラを自分の胸に招き入れた。
「ステラ。大丈夫、心配ないわ。何があったかは大体の想像しかつかないけど・・・・・・貴方は貴方らしく、素直にシンに接すればそれで
いいのよ」
 タリアの優しく温かい声が胸を伝わって、ステラに響いた。柔らかな胸は抱き締められるとこのままずっと抱き締めていてもらいたくなる
ほど穏かで優しかった。
 大好きなタリア。お母さんがいたら、こんなふうなのかな。
 あったかい。
 そっか・・・・・・シンは、こんな温もりを失ったんだ。戦争で。
「うん。わかった」
「いい子ね。あ、でももしシンが無茶なことしそうになったらいつでも家に避難しなさい。実家に帰らせてもらいます!って言って」
「じっか、かえ?」
「そう。意味は覚えなくていいから、ほら言ってごらん」
「じっか、帰らせていたたきます」
「そうそう、上手よ」
「じっか帰らせていただきますっ」
「上出来♪」
 楽しくなって二人で笑いあうと、洗濯を干し終わったギルバートが籠を抱えてリビングに戻ってきた。
「どうかしたの?」
「なんでもないわ。女同士のハナシ」
「はなし」
 ステラはタリアと目を合わせて、くすくす笑う。
「ちぇ、なんだよ。変な二人」
「さ!ステラ、エプロンをつけて」
「はい」
 大きく頷いて、ステラはお気に入りのエプロンをつけキッチンに立った。
 シンのために、作るんだ。そう思うと、なんだか心がわくわくに満ちて変な感じだ。
「物凄く簡単だからね」
「う」
「ボールに水とレモン汁・砂糖を入れて、よく混ぜ合わせます」
「はい」
 懸命にレモンを半分に切って、ステラは絞るために力を込める。途端にレモンはぺったんこになってボールから外に出て行った。
「・・・・・・」
「怪力すぎ・・・・・・」
 笑いを堪えてソファからこちらを見るギルバートが呟いた。顔中レモン汁だらけになったステラは涙目でギルバートを睨んで、頬
を膨らませた。
「ま、せいぜい女子は頑張ってね」
「むうーギルのいじわる」
「あはは」
 ギルバートは笑うと、立ち上がった。
「僕、あの人の様子見てくるよ」
「ええ、お願い。もし氷枕がぬるいようだったら替えるから持ってきて」
「はーい」
 返事をして出て行くギルバートの背を見送るステラの表情が複雑なものに戻るのを見て、タリアは肩をぽんと叩いた。
「はいはい、手が止まってるわよ!ステラ」
「う、はい」
 思い出したように懸命にレモンを絞り始めるステラの横顔を見つめて、タリアは目を細めた。
 こんなにも普通の少女なのに。
 戦争の最中、多くの人の命を奪い、また己も同じように奪われそうになる日々。ステラと出会ったあの日、タリアは決して彼女を同
じ人間だと思わないようにした。敵であり、仲間の命を奪う兵器だと。
 捕まり、捕虜となった以上は人間としての扱いを受けることが難しい。生かしてもらえたとしても、ステラたちエクステンデットと
呼ばれる者たちの運命は、プラントでは生き残る選択肢のないものだった。
 十分すぎるほどに見てきたその変えられない運命をタリアは呪うことに疲れた。だからこそ、もうそれは決まりであり規律なのだと
受け入れる。それが楽だった。戦う部下や敵が、自分の子と大した年齢差がないことも、失われていく命たちが大人の事情により犠牲
になっていくことにも。
 こんなにも、普通の少年少女だったのに。
「タリア?」
「ごめんね」
「?」
「・・・・・・なんでもないわ。さあ、えっとゼラチンってあるのかしら。この家」
「ぜら?」
 タリアは苦笑して息を吐くと、ステラと一緒に棚の中をひっくり返し始めた。
 
 
 
 

 ギルバートはノックをして、シンの寝室に氷枕の代わりを持って静かに入った。ノックをしても返事がなかったので、多分寝ているのだ
ろう。
 やはり室内は静かで、可愛らしい部屋には時計の音だけが響いていた。
「寝てる、かな」
 ギルバートは息を吐いて、部屋を見回した。
 室内はクリーム色で統一された可愛らしい小物とカーテン、家具で統一されておりシンの寝室というより、ステラの寝室だった。
「・・・・・・ほんと、羨ましい人だ」
「なにが?」
「わあっ起きてたんですか」
「・・・・・・寝首かかれたら堪らないからね」
 シンは上掛けから顔を出して目を細めた。その頬は赤いところを見ると熱はまだ下がっていないようだ。
「そんなこと、しませんよ。野蛮人と一緒にしないでください」
 微笑むギルバートにシンは半眼になった。
「誰のこといってます?」
「僕の目の前にいらっしゃる情けない方のことですが。他に誰かいます?」
「お前ほんとむかつくなー。アウルのチビより性質悪い」
 ごほごほと咳き込みながらシンはそれでも言い返した。ギルバートは呆れたように肩を竦めて、近くにあった椅子を引き寄せて腰掛けた。
少し足が届かずにぷらぷらしたが、気にせず座って代えの氷枕をシンの方に放り投げた。
「わっぷ」
「それ、代えです」
「お前なあ」
「大の大人が8歳児に頼らないで下さいよ」
 シンがぎりぎり歯軋りするのを見て、ギルバートは笑う。
「ステラの前じゃあ、お前ほんと猫被ってるもんなあ。尊敬するぜ」
「貴方だって被っているでしょう」
「は?」
「本当は野蛮なくせに」
 暗に何が言いたいのか分かるようでシンは黙った。ギルバートは足をぷらぷら揺らしながら、つまらなさそうに言う。
「僕は8歳で、小学生ですけどステラを泣かせたりしません」
 言って、シンを見やるとバツが悪そうにシンは目を逸らした。
「どうして僕はまだ8歳なのでしょうか」
「・・・・・・は?」
 唐突に呟くギルバートにシンは半眼のまま、赤い顔で見返してきた。
「貴方と同じ歳なら、きっとステラを幸せにしていたのに」
 憂いの溜息をつくギルバートにシンは心底呆れた様子で、大袈裟に溜息をついて見せた。
「なんです?」
「別に」
 呆れた様子のシンにギルバートは涼しい眼でひと睨みすると、腕を組んで微笑んだ。
「小学生の僕のが、今の時点でもいい男だと思います」
「男って、まだガキだろ」
「立派に男です」
「そんな小さいんじゃ、ステラは守れねーよ」
「そうですか?」
 挑むようにギルバートはシンを見返すと、暫く黙ったままでいた。シンもまた同じように少し空ろな瞳で睨み返してくる。
 本当に悔しかった。
 どうして同じ年に生まれなかったのだろうと本気で思う。それほどにステラが好きだった。この男は彼女を独り占めできる上に、守るこ
とができるというのに、その奇跡の上に胡坐をかいている。ギルバートは本気でそう思っていた。
 小さな手を握り締めて、揺らしていた足を止めるとギルバートは口を開いた。
「今の貴方よりは役に立ちます」
 それだけ言って、ギルバートは椅子から降りるとつかつかと部屋を出ようとした。
「ギル」
「なんです?」
 背後からかかった声にギルバートは立ち止まり、振り返らずに答える。
「悪いな。ステラは誰にも渡さないよ」
 ギルバートは振り返って、布団からこちらを見ているシンに向かって微笑んだ。
「構いません。貴方がくっついていようと僕は一生、ステラと仲良くしますから」
 静かにドアを閉めて、ギルバートは嘆息した。
 なんて羨ましいヤツだ。
 
 
 
 
 

「じゃあ、私達は帰るけど・・・・・・大丈夫?」
「う。ステラ、シンの看病がんばる」
 頷いて、微笑むステラにタリアは少し心配そうに瞬いたが、車のキーを持ってギルバートの手を握った。
「じゃあね、ステラ」
「ありがとう、ギル」
「ううん。今度はゆっくり遊ぼうね」
「うん」
 微笑んでステラは屈むと、ギルバートの頬にキスをした。
「またね」
 ギルバートも同じように頬に返して、笑うとタリアと共に歩き出す。帰っていく二人を見送りながら、ステラは深呼吸を繰り返すと頷い
て家の中に戻った。
 まだ熱が下がらないし、咳も出るようなシンなのだ。きっと辛いに決まっている。
 今は、ステラが落ち込んだり悩んだりするときではないのだ。
「シン」
 ステラは洗面器に氷とタオルを入れて、寝室をノックした。返事はなかったが、そっと部屋に入るとすうすうと寝息が聞こえてきた。
「・・・・・・薬が効いた、のかな」
 まだ頬が赤いので熱はあるのだろう。
 側までいって、ステラは洗面器でタオルを絞ると、シンのおでこに乗っているものを取り替えた。ひんやりするのが気持ちいいのか、シ
ンは少しだけ瞼を震わせて、また寝息を立てていた。
 こうして眠っているシンは、いつもより幼く見える。
 いつもステラよりしっかりしていて、世話身がよくて。いつでもステラが助けられてばかりだ。でも、今は何だか小さな子供のようだっ
た。ステラは理由は分からなかったが嬉しくて、そっとその頬を撫でた。
 自然と寄り添うように手に触れてきたシンの頬は熱かった。
「かわいい、シン」
 微笑んで、ステラはそのまま頬を撫でる。愛しさが胸を突いて、抱き締めたい衝動に駆られた。
「・・・・・・」
 なんだろう。この気持ちは。
「シン」
 愛しい。甘えたいような、守りたいような。
 どこにもいかないで、どこにもいかないよ。そんな、気持ちがした。
「違うくなんか、ないよ」
 大切な人。
「ステラとシン、どこも、違うくなんか、ない」
 そっと枕元に顔を近づけてステラはその頬にキスをした。熱を放つその頬は子供のように柔らかくて、優しい。ステラにはこの熱を治して
あげることはできない。でも、側にいることはできる。
 きっと、きっと側にいてほしいと思うはずだから。
 
 ねえ、シン。
 怖くなんかなかったんだよ。そうじゃないの。
 わたしを見てくれない、貴方がわからなくて驚いたんだよ。
 
 シン。
 
「・・・・・・あ、れ」
 シンは重い頭を押さえて、そっと瞼を持ち上げた。酩酊を感じるが、眠る前よりは頭痛は治まっていて頬も熱くはなかった。身を起こそう
として額から落ちたタオルに気付き、手にしようとする。そこで漸く、枕元でステラが眠っていることに気付いた。
「ステラ」
 こんなところで眠ったりして。
「あ」
 しかもしっかりと手が握られていて、離れなかった。
 シンはすうすうと眠っているステラを見下ろして、苦笑した。幼い愛しい人は天使のような寝顔だ。
「・・・・・・ごめんな、俺大人げなくって」
 流れ落ちる黄金の髪を梳いてやりながら、シンは胸をつく狂おしいほどの愛しさに目を伏せる。
「でも、そんな風に好きなんだ。君のこと」
 言葉にすると、胸がすっと通る気がした。汚くても、醜くても、これがシン・アスカの愛だった。人を愛するということは、奇麗事じゃな
い。ただ手を繋いで、笑いあっていることだけが幸せの意味ではないと、色んな人に今まで教わってきた。
 君に、俺がそれを伝えたい。
 そんな俺でも、君に受け入れてもらえるように。
「ここにいて、触れることが叶って・・・・・・魂だけじゃないんだよ」
 あの頃は遠すぎて。
 君に触れることは叶わなくて。
「どう思うと、どうしようもなくステラが欲しいと思うんだ。君を」
 手に入れたくて苦しくなる。
「俺、もうそんな風に誰かを愛することなんてないと思ってた。あの時、目の前で全てを失った時にもう二度とそんな思いはしたくなかった
から」
 撫でるその手でゆっくりと真っ白なその頬に触れる。
 どうしてか、触れるだけで琴線に触れるようで、目頭が熱くなった。
「君を失ったら・・・・・・その恐怖より、ずっと君のことを手に入れたい気持ちが大きくて」
 また守ることができない日がくるのかもしれない。
 また君を失う日が来るのかもしれない。
 それでも。
「俺は君と生きたいんだよ」
 何度そう伝えただろう。君に、何度。
「ごめんな」
 ついにはたはたと落ちた涙は眠るステラの頬に落ちる。
「なに、泣いてんだ。俺・・・・・・」
 苦笑して、シンは目元を拭おうとした。その手をむくりと身を起こしたステラが留めた。
「ステ」
「隠さなくて、いい」
 顔を横に振って、ステラは透明な眼差しでシンを見つめた。
「泣いて、いいよ」
「ステラ」
 そういうと、ステラはそっと身を寄せてシンの頭を自分の胸に招き入れるように抱き寄せた。
「ステラの愛してる、これ」
 優しく、優しく、ステラはシンの背を撫でた。
「シンを愛してるよ」
 タリアがステラにくれたように。温もりを、愛を感じてもらえるように。
「ステラは、そんな風にシンがすき」
 声もなく、胸で嗚咽を堪えているシンにステラは何度も何度も優しく背を撫でた。抱き寄せて、優しい拘束で離さない。
「すき」
「泣かすなよ・・・・・・」
「いいの。たまには、逆」
「・・・・・・ばか」
「ふふ」
 シンは漸く、両腕をステラの背に回して強く抱き返した。
「痛いよ、シン」
「そう?」
「うん」
 ステラは頷いて、自分もぎゅうっと胸にシンを抱き締め返す。
「確かに」
「ね」
 二人で笑いあって、少し身を離し額を付き合わせる。
「ごめ」
「謝るの、ない」
 ステラはシンの口唇に指を当てると、微笑んでそのまま口づけた。
「ステラ」
「考えたの。シンのいったこと」
「・・・・・・うん」
「ステラ、こういう風にしか好きって伝えたことない」
 言って、ステラはそっと優しくもう一度シンに口付ける。
「うん」
「でも、違うのもあるってことだね」
「・・・・・・うーん」
 シンは困ったように眉を寄せて苦笑した。ステラはそれを見て、頷く。
「大丈夫。昔、アウルにもそういうのされたことある」
「・・・・・・そっか」
「アウル乱暴だったから」
「そう、って・・・・・・え?」
 シンは凝固して、瞬いて微笑むステラを息を呑んで見返した。
「ああああ、え?ああアウルってヤツになにされたの?」
「?」
「ちょっと待って。え?ちょっと」
「シン、どしたの?」
 一人で急にじたばたと布団の上でしだしたシンにステラは小首を傾げた。
「いや・・・・・・ちょっと待って。なんか物凄い衝撃が・・・・・・そいつがステラのこと好きなんだろうなってことはわかってたんだ
けど、いやまさか」
 ぶつぶつぶつぶつ・・・・・・シンは自分の世界にいってしまったようである。
「シン、なに?シンったら」
 もう一度、シンが熱を発熱したことは言うまでもない。
 
 
 そして、せっかく作ったレモンゼリーは風邪がうつったステラが食べることになるのは後日の話。
 
 
 
 

本当に上げるのが遅くなってしまいました・・・><

ごめんなさい!!!書きあがっていたのに〜T_T

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