最近、とんと悪友の付き合いが悪い。
 何かというと「公務だ」の一言であしらい、全く取り合わないのである。

 いや、別に会いたいとか遊んでくれとか言いたいのではなくて、そう何度も当たり前のように無下にされるとその理由が気になると
いうもので。
 あの俺様男が、公務にそう忠実であるわけがない。と、勝手に思い込んでいるので、特別納得がいかないのであった。

 

「なあ、アイツ。また出かけてんの?」
 ディアッカは受付台に肘をついて、カウンターに座っている女の子に問う。その子は白い上下の受付嬢用制服を着ており、顔も整っ
た美人で、言外にこの街の代表らしいなと納得する。
 アイツは昔から、自然と己の側を綺麗な華で飾る奴だ。ディアッカはやれやれと肩を竦めると、困ったように目を伏せた相手に手を
振った。
「いないわけね。で、行き先も秘密ってか」
「申し訳ありません。エルスマン様」
「いいよ。気にしないでな」
 公舎の大層な自動ドアを潜ると、ディアッカは大きく深呼吸し行きかう街の喧噪を見やってその中に紛れる様に身を躍らせた。
 フェブラリウス。
 この都市に馴染んだように自分がいることがディアッカにとっては不思議なことだった。生まれ故郷であり、育った土地。士官アカ
デミーへ入るまでをここで過ごした。しかし、旅立った時も戻った時も、感慨など湧かなかった街である。
 母親の葬式に来た時ですら、ここは戻りたかった故郷ではなかった。
「……久しぶりに行ってみるか」
 通りに並ぶショーウィンドウもジャンクフードも、ディアッカの目には留まらなかった。
 軍議に顔を出してから訪れたディアッカは黒いスーツに身を包み、人ごみを身軽に過ぎていく。その中、時折感じる女の子の視線に
も丁寧に視線をやって微笑みつつ、目的地へと足を速めた。

 

 

 

「ディアッカがか?そうか……わかった。報告、有難う」
 イザークは短く嘆息すると、通信機のボタンを押してそれを胸ポケットへしまった。隣にいたラクスは聞こえた名前に反応してイザー
クを振り返って、微笑んだ。
「相変わらず、仲がよろしいのですね」
「馬鹿を言うな。俺が相手をしてやっている」
 心外だというようにイザークは眉を寄せた。それを見てラクスはくすくすと笑い出したので益々イザークは怪訝な顔をするはめになる。
「それを人は親友というのですよ?長いお付き合いの中で、お二方には他人にはわからないような親和がおありでしょう」
「ラクス嬢、さてはステラと二人で食事したいから俺を追い払おうって魂胆だな?」
「魂胆だなんて。作戦とおっしゃってくださいな」
「食えない女だな、それこそ相変わらずだ」
 軽やかに笑うだけのラクスにイザークは辟易して、肩を落とした。手に持ったタオルでまだ少し濡れた髪を拭いながら、椅子に掛かっ
たセーターを手に取り、袖を通しながら口を開く。
「ステラはあのチビとまだ一緒にいるのか」
 その言葉にラクスはそっと眼を伏せると、頷いた。
「ええ。泣き疲れて眠ってしまったようですから。ステラがちゃんと側にいてあげていますわ」
「ほんと、人騒がせな寂しがりだな。あのチビは」
「……そうですわね」
 人が散々、泉に潜ってステラの失くした指輪を探したというのに、あの少年は放り投げずにもっていたのである。思い出すと少し腹が立っ
たが、思いなおしてイザークは少し冷えた体をテーブルから取ったコーヒーを飲んで、温める。
 失くしたものが見つかって、良かった。結果的には丸く収まったことになることに安堵することは出来た上、ステラの笑顔も見ることがで
きて満足なのだ。
「イザーク、鳴ってますわよ」
 漸く落ち着いて飲むことのできたコーヒーすら邪魔される始末である。
 イザークは苛つきながら、胸のポケットで成り続ける通信機のスイッチを乱暴に押した。

 

 

 

 


 日暮れの色は、思い出の中の憧憬に似て古ぼけたオレンジ色をしていた。
 一面がその色に染まった草原は、そよそよと流れる風に身を任せたまま絨毯の目のように広がる。郊外にあるこの場所は都会を見下ろせる
位置にあって、見晴らしはフェブラリウスで一番いいとディアッカは思う。
 幼い頃、母が手を引いてここまで連れてきてくれたことが幾度かあったらしい。朝も、昼も、夜も、すべてが作り物のコロニーで、母は息子
にこの景色を見せてどうしたかったのだろう。
 この頬を凪ぐ風だって、気象調節機能によって人的に心地いい風量を起こしている人工的なものだ。郷愁を呼び起こすようなこの夕焼けも、
地上を真似てそうしているだけの景色なのだ。見た事もないものに、郷愁は抱けず、知らないことに憧れや感動も抱けない。コーディネーター
は一体どこを目指し、どう宇宙で存在していきたいのだろう。
 幼き日のディアッカはそう思っていた。どこか他人事な自分がいて、興味もないのに地球のことを調べたこともあった。冷めた自分が嫌だっ
たのかもしれない。あまりにも薄い母の記憶にも、そんな己が見える気がした。
 ザフトへの入隊はディアッカにとって、冷めた自分を熱くさせる、そんなものになればという無意識の切望だったのかもしれない。
「母さん、ただいま。俺ってばもう、今年で22歳だってさ」
 辿りついた灰色の墓標の前で、ディアッカは膝をついて手にしていた百合の花束をそっと手向けた。そよぐ風に揺れる百合を見つめていると
不意に頭上を過ぎる影に顔を上げた。
「……ここにも鳥がいるんだな。知ってるようで、知らないな」
 ディアッカは立ち上がって頭の後ろに腕を組むと、背筋を伸ばして息を吐いた。
「地上って、母さんが思ってたのはどんな風だったのかねえ。聞いてみたかったよ」
 一人苦笑を漏らすと、滲む夕焼けにディアッカは目を細めて呟く。
「俺はいっつも、後手後手だよなー」
「そうだな」
 背後から急に聞こえた良く知った声に、思わず肩を躍らせてディアッカは振り返った。そこには思ったとおりの人物が、冷ややかな双眸で
こちらを見据えている。
 その物言う視線が痛くて、ディアッカはすぐに母の墓標へと視線を落とした。
「おめでたい日だな、ディアッカ」
「……その祝う気なさげな態度、どうにかならんかねえ」
「ならん。お前こそ、誕生日くらい女と過ごせ」
 銀の髪を揺らしてイザークはディアッカの隣まで歩み寄ると、静かに屈んで墓標に手を合わ目を閉じた。
「女じゃん?母さんも」
「確かにな」
 口の端に微かな笑みをのせるとイザークは、飄々と笑うディアッカに顔を向けて些か不機嫌に見える表情で続けた。
「……せっかくだ。飯、行くぞ」
 ひょいと眉を上げて驚いて見せると、イザークは益々険しい顔をして吐くように言う。
「泳ぎ疲れて、腹が減った。行くぞ」
「泳いだの?イザークが?」
 答える気もなさげな胡乱さのどうにも他人の誕生日を祝うようには見えないイザークにディアッカは顔を逸らして苦笑しつつ、仏頂面の親友
に教えてやる。
「アスランが来てる」
「アスランが?何故?」
 あからさまに嫌そうな顔をするイザークに今度こそディアッカは笑った。
「安心しろよ、お前に会いに来たわけではないってさ」
「ったく……どいつもこいつも、えらく良い身分なものだな」
 ディアッカを待つ様子もなくイザークは踵を返すと、足早に丘を降りる。こうと決めたら梃でも動かない親友の背をディアッカは慌てて
追いかけた。
 少し振り返った母の墓標はもう沈みかけた夕焼けと共に、夜の闇に溶けていくよう同化していた。
 昔から、このオレンジと闇夜が交わる時間を神秘的だとディアッカは思い感嘆の息を漏らす。人と人が交わるように、違うもの同士はこ
うして変わり合い、手を取ることが出来るのだと。そう胸に描いて、今はもう側に置くことのできない人を思って目を伏せた。
 そう、人は分かり合える。
 けれど、同時に分かつ道が交わることがないことも、あるのだとディアッカは悲しく噛み締めた。

 

 

 


「待て待て待て」
 アスランは勢いよくそう言って、両手をストップの状態で止めた。
「なんだ?一人で相撲でもする気か?」
 腕を組んで見下すようにイザークは言うと、静止したままのアスランに嘲笑を投げた。二人の間でディアッカは本当にどうでもいいと言っ
たふうに突っ立って、肩を竦める。
「公舎で相撲する意味がどこにある?俺は相撲などしない。大体、俺はここにきたかったんじゃないぞ」
「知るか」
 反撃に出たアスランは勢い良く口を開いたが、歩み寄ってきた受付嬢ににこやかに微笑まれ、たじろぎながら旅行鞄を促されて黙って手渡
す。
「って、俺はちゃんとホテルを取っている!に、荷物……っ」
 我に返り、アスランは慌てて振り返ったがその腕をイザークに阻まれる羽目になる。
「俺様が今夜はもてなしてやろうって言うんだ。ホテルに戻らないのだから、いいだろう」
「いっイザーク、俺はだな」
「まさかマブダチの誕生日をすっぽかすなんてことしないよな?」
 イザークは硬直するアスランに肩を組んで、勝ち誇ったように微笑む。目は笑っていなかったが。
「それは……待ってくれ。だから、俺はフェブラリウスにはラクスに用があってだな、」
「ディアッカ、可愛そうだなあ?え?」
 睨みを利かすイザークに救いの手を求めてアスランはディアッカを見やったが、ディアッカはからからと笑っているだけである。アスラ
ンは久々に会った旧友たちの変わらなさに憎憎しく口唇を噛み締めた。
 遊ぶためにプラントへやってきたのではない。昨日可決された法案のことでラクスに報告があって来たのだ。そして、あわよくばステラ
と久々に会うことが叶うのではと……それが、港についた時にばったり会ったディアッカに何故か車の手配をされ、気がつけば公舎に送ら
れ、仕舞いにはイザークがやってきてこの展開である。
 明日には戻らねばならないというのに!
「離してくれーっ俺には大事な役目があるんだぞーっ」
「それは飯でも食いながらじっくり聞いてやる。行くぞ」
「諦めなって」
 慰めにもならない優しさでディアッカはアスランの肩を叩くと、イザークを手伝って公舎の外へとアスランを引きずり出した。

 


 * * * *

 

 
 目の前に座る親友たちを眺めてディアッカは安堵した。
 アカデミーの頃、ひょんなことからフェブラリウスに同期みんなして降りたことがあった。その時もこうして、小さな古びた小料理屋を
見つけて騒いだものだ。
 何も変わらない、普遍なもの。それは確かに存在する。
「男と女には通用しないみたいだけど……」
 思わず漏れた独り言に、反応するのはイザークである。
「なんだ、ハウのことか?ハウの」
「お前、そこしか覚えてないのね」
 ディアッカは苦笑した。イザークは興味のない対象は本当に記憶に残さない。しかし、ミリアリア・ハウという名が彼の中でどうやら聞
き慣れない響きだったらしく、こうしてハウの部分だけ連呼するのである。
「会っていないのか。結局」
 アスランが手元で瓶を回しながら、何気なくその話題を拾う。彼らしい気遣いにディアッカは目を細めて返事した。
「俺が変われないうちは、会わないほうがいいと思って」
「そんなこといって、もう二年だぞ」
「ああ。そうだな」
 ディアッカは自分のグラスに視線を落して、溶けゆく氷に映りこむ自分を情けない思いで見つめた。
 この二年。特に何をしたわけでもない。復隊してあの大戦あと、本当は地上に住むということも考えた。けれど特別したいことがあった
わけでもなく、意思があったわけでもなかった。ただ、自分が失ってしまった大切なものが地上で見出したかったものが何なのか知りたかっ
ただけなのかもしれない。
 そんな半端な自分から目を逸らす為に、イザークの誘いを受けたのかもしれない。今でもそう思う。戦争の終結と、新世界でザフトとし
ての生きる道。皆がそれぞれに意味を見出す中、自分だけがどこか取り残されているような気がして仕方ない。
 そんな自分が、女々しいと愛しい人に捨てられたのは至って当然の結果だったのだろう。
 今でも耳に残る父の言葉がリフレインする。

 お前は軍人に向いていない、と。


 確かに、己の道も決めかねる浅はかな奴に、他人と命の駆け引きをする資格はない。
 けれど結局はこうして生き延びて今も尚、堂々巡りな問答を繰り返しているのだから重症だ。
「そういや、アスラン。お前こそ、いつカガリ・ユラ・アスハと結婚するんだ?」
「ブッ」
 ディアッカの唐突の問いに、アスランは飲んでいた酒に咽て胸を叩いた。
「俺、かなり楽しみにしてるんだぜ?まだダチが結婚とかしたことないからさ」
「……まあ、そのうちな。俺より、シンのが先だ」
「シン?シンってぇと……ああ!あの生意気なエース?」
 アスランが幾度も文句を言っていた名前が確か、シン・アスカだ。ディアッカは首を傾げながら、イザークに視線を向けた。
「イザークは知ってるか?シンっての」
「……知らん。シン・アスカなんぞ」
「知ってるじゃん」 
 何故か物凄く不機嫌なイザークにディアッカは益々首を傾げた。
「で?彼が誰とって?」
「ステラだよ」
 何故かえらく微笑んで言うアスランに違和感を覚えつつ、名前に聞き覚えがあってディアッカは瞬いた。
「ああ、噂の」
 顎を摩りながら、聞いたことのある少女の名を反芻する。
 ステラ。確か元連合の兵士で、戦時中は敵であった女性と聞く。ディアッカにそれを教えてくれた同僚は野次馬宜しくレアな追記まで教えて
くれたのだ。彼女は強化人間らしい、と。
「でもまたなんで、そんな強化人間と生意気エースが?てか、コーディネーターとナチュラルで結婚ってことになるの?」
 ディアッカは世間話の要領で軽い調子で二人に向かって問うた。
 よく知りもしない敵だった子の話より、アスランの恋の行方の方がずっと気になった。なので二人の微妙な表情の動きには気づけなかった。
「ま、いいや。大体それなら、アスランとカガリの方が……」
 言いかけたディアッカの胸倉を掴んだのはイザーク。
 その頭を片手で鷲掴みにしたのはアスラン。
「・・・・・・あの?」
 二人に真上から見下ろされ、恐る恐る問い返す。
「お前なんて言った?」
「ディアッカ、お前って奴は無神経にも程があるぞ」
 ほぼ同時にどすを効かせた声でイザークとアスランが言い放つ。ディアッカは額に嫌な汗を浮かべながら、引きつった笑いを漏らした。
「なっなんだよ?」
「ステラは、ステラはなあ、」
「あっアスラン!手、手ぇっ!」
 どんどんと力の篭るアスランの手のひらにディアッカは自分のこめかみが軋む音を聞いた気がして、ぞっとした。
「男のことはクソでも阿呆でもつけまくれ。しかし、ステラを辱めるような事は俺が絶対に許さんぞ。ディアッカ!」
 息が詰まるほど胸倉を掴み上げてくるのはイザークだ。
 ディアッカは青ざめて、この異常なほど怒っている二人を恐々と見返した。
「お二人さん……話が、みえ、ないんですけど?」
 なんとか引きつりながら笑って見たが、瞬時にオーラ最大で二人共に睨まれる。
『ステラのことだろうが!!』
 とりあえず、こんなに気のあっているイザークとアスランはかつて見たことがないとディアッカは窒素間近の状態で思った。

 

 

 

 

 

 オーブに停泊しているアークエンジェルはもう間もなく、宇宙へ上がろうとしていた。
 古いデブリ郡がコロニーの軌道を飛んでいると連絡が入り、その回収と破砕作業に呼ばれている為である。
<間もなく出航します。クルーは艦内にて待機>
 ミリアリアはアナウンスを終え、息を吐くとコンソールから視線を外して何となく海を見やった。
(……宙かあ。アイツ、どこにいるんだろ)
 空は澄み渡り、真っ青な海に負けないほど綺麗だった。眺めていると、いつだったかこの空を戦のない世界で見たいと願ったことを思い出す。そ
の時傍らにいた青年のことも。
 戦争というものはミリアリアに、多くのものを与えた。
 失うという絶望、同じ命を奪い合うという運命、分かち合えるという共有、それでも生きていくという勇気。
(絶望に負けたくなかった私が何度も突っ張ってたあの頃……アイツは結局負けずについてきて……絆されたのは私で)
 けれど、今隣にいない。
 それぞれに違う道が生じたから、生き方を違えた訳ではなかった。ミリアリアにとっての人生観が強く変わったあの時、思いがすれ違ってしまっ
たのだ。
(結局一度もこの日を祝ってやったこと、なかったな)
 敵同士、舞台は戦場。
 そんな状況で育まれた関係が同情や馴れ合いだと称されても、ミリアリアには関係なかった。自分の決めたことだ。何の建前も理屈もいらなかっ
た。たとえ、互いの間に見つけた空洞を埋めあいたかったのだとしても、それでよかった。
 もしかすると、そうであれたらと思っていたのかもしれない。
 だからあの時、そうではないディアッカを知り、怖くなったのかもしれない。

 逃げたのは、私だ。


「ミリアリア、少しでも休憩した?」
 スツールの背もたれに手を掛けて背後からマリューが声を掛けてきた。
「あ、はい。大丈夫です、マリューさんこそ、旦那様にちゃんと連絡しました?」
「しなくても、してくるのよ。仕事してんのかしらね」
 マリューは肩を竦めて言う。長い付き合いであるマリューのことはミリアリアも側で見てきただけに、今こうして愛する人と共にいる彼女が見れる
のは本当に嬉しいことだった。
 決して心違わず待ち、添い続けようとしたマリューは女の理想……到底、自分にはできそうにないと改めて思う。
「貴方こそ、暫く地上には戻れないのよ。ちゃんと大事な人に挨拶したの?」
「大事な人……ですか。いればするんですけど」
「まあ。若いくせに何言うのよ」
 マリューはからから笑うと、軽くミリアリアの肩を叩く。その強さは決して不快にならない心地いい慰撫だった。
「女はね、初めから女なわけじゃないんですって」
「どういう意味です?」
 思案するようにマリューは瞬いてから、囁くように耳元に口を寄せた。
「女は女になるのだそうよ。だから、逃げてると……そのままになっちゃうかもね」
 ミリアリアから身を離すと、マリューは館長席へと行ってしまう。残された形になってしまったミリアリアは取り合えず、前を向きなおして深く息を
吐いた。
 長い付き合いであるアークエンジェルのクルー達が自分のことを心配してくれていることも、ある程度の事情を察していることも、ミリアリアにとっ
て有難いことだった。同時に気遣われることへの抵抗は性格上どうしてもあったが、気心知れた仲間達は野暮ではない。そう、素直でないのは自分なの
である。変われないのも、また。
「よし」
 一人で頷いて、ミリアリアは立ち上がる。もう出航寸前だったが二、三分なら間に合うはずだ。
「すみません、すぐ戻ります!」
 そう行って走り出したミリアリアを、マリューが優しく見つめるのが見えて思わず足が速くなった。
 気遣われるのも、心配されるのも、本当に慣れない。
 最後に見たアイツの心配そうな顔を思い出すから。

 俯いてミリアリアはブリッジを出た。

 

 

 

 

 ディアッカの目の前には、数枚の写真が並べられていた。
 アスランはそれを一枚一枚手にとって、見せながら丁寧に口を開いた。

「これが、ステラがひとりで買い物に行けた日」
 そこには可愛らしい金髪の少女が笑顔で買い物袋を掲げていた。
「これが、ステラがデートしてくれた日」
 そこには公園でタコさんウィンナーを豪快に振り回しているらしい、これまた金髪の少女がいた。
「これが、ステラが俺の誕生日を祝ってくれた日」
 そこには小魚の入った小瓶を抱え、またまた微笑んで見上げている金髪の少女が写っていた。
「これが、プラントにお留守番するからって、最後に撮った写真……」
 最後の写真は、アスランとカガリに挟まれて嬉しそうに微笑む、すでに見慣れた金髪の少女の写真だった。
「……アスラン?」
 アスランは写真を手に取り、眺めたまま黙りこくり、ついには暗く病んだ声でディアッカを見返した。思う訳である。なんだ、このテンションの差
は?と。
 隣でじっと同じように黙りこくるイザークはもっと不気味だった。
「ステラが何をしたというんだっ」
 だん!と拳を叩きつけられ、テーブルが驚いた音を出す。
「どれくらい会えていないんだろう……、カガリは手紙のやりとかしてるみたいだが、俺にはこないし……」
「は。お前、嫌われているのではないか?」
「なんだと、イザーク。言っていいことと、悪いことがあるぞ。傷心の親友に言うか?普通。いや、お前って奴は言う奴だったな。そうだったよ」
「自己完結か?相変わらず、逃げ腰のアスラン・ザラだな」
「俺を怒らせたいのか?イザーク」
「いや別に。俺様は今日もステラに会ったがな、と言いたかっただけさ。アスラン」
「なっ」
 この時のアスランのショックそうな顔ときたら。
 俺、同情しちゃうね。
「どういうことだーっなんで、お前が会えるんだっ」
「俺様を誰だと?イザーク・ジュール様だぞ」
「それ理由になってないから。大体、どうしてお前がステラに会いに行く!」
「公務さ」
「職権乱用するんじゃないーっ」
 もうはっきりいってどうだっていいディアッカは、手元に残った渦中の少女をもう一度眺めてみる。
 確かにほわっとした雰囲気の可愛らしい少女だ。だが、これといって美人なわけでもないと思ったし、何かが長けているようにも見えない。どち
らかというと、ぼうっとしていて鈍そうに見える。ディアッカの趣向からは少し外れていた為、二人がどうしてそんなに言い合うのかだけが、心底
不思議だった。
 ザフトに入隊する前、アカデミーの頃から俺たちは女には不自由しないくらいのポジションだったし、何よりコーディネーターに美しい女は多い。
「ステラ、ねえ」
 美しい女がたくさんいたにも関わらず、この二人は目もくれなかった奴らである。そう思うと、この少女にはとても興味がわいた。ちょっと会って
みたいかもしれない。
「ん?」
 ふと見やった手元で、携帯が鳴っていた。多分イザークのものだったが、当の本人は言い合いに夢中で気づきもしていない。ディアッカは液晶に
並んだ文字に瞬いた。
「ラクス様じゃん」
 イザーク、と呼ぼうとしたがエキサイト中の二人にこの声が届くわけもなく、ディアッカは溜息をついて携帯を手に取った。
 議長の電話である。放っておくには些か気が引ける。
「あの、ディアッカ・エルスマンです。ちょっと、イザークの奴取り込み中で」
『存じていますわ。今夜は貴方の誕生会をされているところでしょう?慌てて出て行きましたもの、イザーク』
 笑みを含んだ声でラクスは、言う。いつ聞いても穏やかで揺ぎ無い、そう感じる声だとディアッカは思いながら苦笑を漏らす。とてもじゃないが、
これは誕生日会ではない。そして、取り込み中なのも全く関係ないことである。
「いいですって。イザークが慌てないのくらい、わかりますんで」
『あらあら。イザークったらいけませんわね』
 朗らかに笑い声を聞かせてくれる歌姫にディアッカはこの状況をなんとかしてくれと心で呟く。が、相手はそんなことに気づくわけもなく用件
を述べた。
『お誕生日会をされている途中なのは承知なのですが、男手が必要なことがありまして……お力、貸して下さいますか?』
「喜んで」
 ディアッカは即答した。
 
 背後で止まない喧騒を一晩中聞いているよりは、幾分もましな気がしたからである。

 

 

 

 

「ちゃんと来たの、初めてかもなあ」
 ディアッカは車から降りながら、その入り口を見て呟く。隣にいたイザークが不機嫌そうに鼻を鳴らした。
「自分の故郷で、貴様の父上が働いておられるところだぞ。ちゃんと顔を出せ」
「用ないし」
「……それだけが理由か?ならいいが、しょうもない理由なら吐かせるぞ」
 容赦のないイザークの言葉に、ディアッカは今日何回目かの苦笑をした。
 心配されているのだろう。どう聞いても罵られている気になったが。
「おい、アスラン。もたもたするな」
 助手席から立ち上がったアスランは青ざめた顔をして、恨めしそうにこちらを見た。
「吐くという単語、よしてくれ……あれだけ飲んで……お前、凄いな」
 今にも嘔吐しそうなアスランは口元を押さえてよろめく。確かに、あの小料理屋にある酒のほとんどをアスランとイザークで飲んだわけだ
から、車に酔ってもおかしくはない。
 しかし、イザークは涼しい顔で言った。
「未熟者め。俺は先に行くぞ」
 颯爽と歩き出すイザークに文句のひとつも言いたそうだったが、アスランは生気のない足取りでなんとか歩き出す。ディアッカは憐れになっ
が、手伝ってとばっちりも嫌なので少し離れて歩き出した。
「ディアッカ、お前、今思い切り巻き添えは嫌だって距離だな」
 弱っているくせにアスランは憎まれ口を叩く。親友のしぶとさに舌を巻きつつ、ディアッカは今日の仕返しをしておくことにした。
「人の誕生日を忘れるからさ」
「お前の誕生日忘れたくらいで天罰下るなら、俺は神を呪う。信じてないけど」
「なんだそれ」
 可笑しな物言いのアスランにディアッカは笑う。
 同時に、何故かこの場にいない仲間のことを想った。かつて、同じようにこうして同じ時を過ごした仲間たちを想うと悲しい気持ちではなく、
懐かしい気持ちになる。
 そこに戻ったような。
 時計が戻ったような。そんな気がする。
 
 アスランやイザークを見ていると、なんだか自分は薄情なのではないかと思うことがある。
 口には出さないが今までにも何度か感じていることで、仲間の死を時とともに風化し美化している己を自覚する時酷く一方的に自己嫌悪に陥る
のである。
 しかし、それが長く続かないのもまたディアッカ・エルスマンなのである。
 生きるしかないのだ。生き残ったものは。
 この現実に。
「仕方ねえな。肩、貸すけど吐くなよ」
「そういわれると……吐いてやりたいね」
 青い顔をしてそれでも悪態をつくアスランに今度こそ、ディアッカは大声で笑った。

 

 

 

 

 

「いざく!!」
「夜更かしだな、ステラ」
 研究所のレクリエーションルームの扉を入ってきたイザークに気づいたステラは駆け寄って、微笑んだ。嬉しそうな頬がピンク色に染まるのを見
てイザークも同じように目を細めた。
 広間には入所している子供たちが集まって、心なしこの夜中に何をするのかと好奇心に沸いているようだった。
「ラクスも先生も、今夜は、いいって」
 振り返って後方にいるダットとラクスを見て、ステラは得意げに言う。微笑んで手を振るラクスを見て、イザークはステラに気づかれないように
肩を竦めた。
 歌姫の魂胆はわかっている。どうせ、呼び出してすみません〜とか言いながら、後で自慢されるのだ。
「夕食はうまかったか」
「う!今日はハンバーグ!ステラ、ラクスと作ったんだよ。こう、した」
 両手でステラは先ほど頑張ったのであろう、こねる仕草をしてみせた。余程楽しかったのか、聞かずともステラは一生懸命に説明してくれた。
「じゃあ、今度は」
「シンに作るの、きっと、すき」
「……そうか」
 えへへ、と微笑むステラにイザークは微笑み返す。
 なんだ。この負け犬感は……物凄く、むかつくぞ。
「それは勝てませんことよ?イザーク」
「出たな。ラクス嬢」
 心の声を読むのをやめてくれと思いながら、イザークは辟易と嘆息した。
「シンの後なら、作ってもらえますわ。ね、ステラ」
「いざくも、食べたいの?」
 ステラは瞬いて、そっとイザークに問う。まさか自分の作った、美味しくもないかもしれないものを食べたいと言ってくれているのか。と、問う
ようなステラの聞き方(大いにイザーク視点)にイザークは大きく頷いた。
「だったら、いっしょにたべようね」
「よし。一緒なら負けた気も半減する気がする。そうすることにしよう」
「遠慮してあげてください、イザーク。シンが可愛そうではありませんか」
「俺様があいつに遠慮することなどないぞ」
「困った大人ですわねえ」
「俺も混ぜてもらうぞ」
 先ほどよりは幾分かましな顔色になったアスランがやってきて、語気を強くして言った。イザークは振り返り、その間抜けな姿を罵ってやろうと
したが、それは適わない。
「やあ、ステラ。元気にしてたか?会えなくて寂しかったよ」
「あ、アスラン!」
 誰だ、この爽やかな奴は。まさに目が点というやつで。
 イザークは自分のことをさて置いて、アスランの豹変振りに口をあんぐり開けた。
「……ほんと、困った大人たちですわねえ」
 ラクスの苦笑が繰り返されるのは当然であった。
 その喧騒の傍らでダットが静かに子供たちの方へいってしまうのを見て、ラクスは目を伏せた。
「ディアッカは災難でしたね?」
「誕生日会を中止にされて災難だったと聞いています?それとも誕生日をこいつらに祝われたことのほう?」
「後者ですわね。この状況を見ていると」
「大正解」
 ディアッカはお手上げの状態で苦笑すると、件の少女を見やった。しかし、大人気ない大人たちに囲まれてよく見えなかった。
「あの子だよねえ、ステラちゃんって」
「ええ。ディアッカは初めて会うことになりますわね」
 ゆっくりとステラへと視線を移すラクスの横顔はディアッカから見ても、とても優しいものだった。そこでもまた、ディアッカは思うことになる。
一体みんなして、この少女にどうして肩入れしているのだろう、と。
「さあ、もたもたしてると夜が明けてしまいますわ。せっかくの男手ですもの、役にたって頂きますわよ」
 ラクスは手を叩くと、歩き出す。
 レクリエーションルームのテーブルには、広げられたたくさんの花火があった。
「倉庫から、出てきたんですって」
「ほう。花火か……季節には早いが、いいものを見つけたものだな」
 イザークが並んだ一本を取り上げて眺めると、その側に子供たちが集まって見上げる。普段はあまり他人に興味もなく、生気に薄い研究所の子供たち
だが、この時ばかりは未知の物に興味津々のようだ。
「よし、配るぞ。とりあうず、欲張らずに好きなものを一本持て」
 そう言ってやると、子供たちは歓声を上げてテーブルから懸命に花火を選び出した。さりげなくイザークは水色の髪の少年を探す。しかし、そこに彼
の姿はなかった。
「俺は水とバケツ、用意するから。イザーク、皆と中庭に出ててくれ」
 いつもの要領の良さを発揮したアスランがどうやらしっかりこの場を仕切ってくれるようで、イザークは頷いて自分も花火を一本手に取った。
「ものども!ゆくぞ!」
 子供たちと勢い良く中庭に出て行くイザークにアスランは笑ってやると、まだ動かないでいるステラに気づいて振り返った。
「ステラ、行かないのか」
 声をかけると、ステラはテーブルの花火を見つめたまま俯いた。
「う、いく」
 そうは言うものの動かないステラが心配になってアスランは続けようとしたが、ステラの瞳にそれを思い留まった。
 大丈夫、と。なんでもないから。そう言っている瞳にはとても勝てなかった。
「……すぐ戻るから、皆のところに行くんだよ」
「はい」
 頷いて、笑顔を見せたステラに後ろ髪引かれつつ、アスランはレクリエーションルームを出て行く。
 見送りながら、ステラはそっと息を吐いた。

 いつもこうして心配をさせている。

 情けない思いに駆られて、ステラは顔を上げた。こうした企画だって、自分やここの皆を気遣ってやってくれているのはわかっている。楽しいことは
前向きになれるし、ステラにとってここにいて一人ではないことは、本当に嬉しいことだった。
 けれど。
 シンがいない。
 好きなものを選んでいい。ステラはこれがとても苦手だ。だから、シンはいつも言う。

 はい、これがステラの分。

「シン……」
 思わず呟いてしまった愛しい人の名に、ステラは目を伏せた。
「へえ。そんなに好きなんだ?」
「!」
 聞かれているとは思わず、ステラは弾いたように目を開けた。そこにいるディアッカをステラは控えめに眺めた。
「ねえ、聞いてもいい?」
「……?」
 戸惑ったように首を傾げ、思案するようにディアッカを見て、ステラは頷いた。

 

 

 

 

 

 

 

 多分、ちょっとはむかついてたのかもしれない。
 もしくは、取られた気がしていたのかもしれない。認めたくはないけれど。

 きっと、心のどこかでは思っていたのだ。
 誕生日なのに、と。

 愛されていることと、素直にそれを受け入れていることが、本当は羨ましかったのかもしれない。

 


 ディアッカは思ったとおりだと内心頷いていた。
 はっきりしない態度、遠慮がちな瞳、達者ではない口ぶり、何もかもが自分のストライクゾーンから外れている。この子にどうして彼らがあんな
ふうに肩入れしているのか、やはり謎だった。
「君はさ、どうしてここにいるの?」
 聞くと、少女は微かに戸惑ったように瞳をさ迷わせて、漸くディアッカを見上げた。
「わたし、エクステンデット。だから、じかんが戻ってしまう……それじゃあ、シ、ええと、大事な人と一緒にいれないから」
 少女は濁りのない双眸でディアッカを見つめた。迷いも、卑下も、悲愴すら見えないその様子に、もっと同情的な態度でそれが周囲を放っておか
せない原因なのだと思っていたディアッカにとっては意外な態度で、少なからず驚いた。
 それでも、心の中はまだ意地悪な気持ちが占めていてディアッカは続けた。
「自分で決めてここに入ったわけね。でもそれって君の彼氏はどうなの?」
「ど、って?」
「はっきり言って、面倒じゃない?そういうの」
 言っている自分が酷いことも、少女が傷つくのもわかっていたが“大事にされている女の子”というのがどうにも気に入らない。
(俺の知ってる女は……戦ってるぞ……一人になっても)
 届きもしない想いをこんな離れた場所で、関係のない人にぶつけている。そんな自分に苛立ちも同時に沸いたが走り出した感情はどうも止まって
くれなかった。
「きっと、そう。でも、シン、そうじゃないの」
 少女は笑わなかった。
 ただ、そっと呟いた。
「シンは、やさしい。自分が傷つくの、へいき。ひとが傷つくの、つらい。自分、傷ついてもどうにもならないこと、シン、くるしい」
「……随分、理解してやってるんだな」
「うう、そうじゃない」
 顔を横に振ると、中庭に灯り始めた火の光に少女は目を向けた。赤紫の瞳にゆらゆらと小さな光が映りこんでいた。何を思うのか読めないその表
情にディアッカはやっぱり何故か苛立った。
「いきることは、むずかしい……でも、たたかうって、きめたから。いきるは、たたかいだから。くるしいのは、がんばることができないこと」
 向くはずがないと思っていた少女の顔がディアッカを捉えて、じっと動かない。射抜かれたような、そんな気持ちにディアッカは顔を逸らした。そ
れでもこちらを見つめている少女に、どうしても視線が戻せなかった。
「わたし、ばかだけど……わかることもある。きっとシン、ステラじゃない女のひと、もっといる。ステラ、シンに幸せにしてもらってばかりだけど
きっと、シンを幸せできるひと、いる。でもね、違うの。ステラがシンでないとだめと同じ。シン、もそう」
「君はそういうけど、愛されてるって知ってるからだろ?向こうに置いてきて平気なの、君だけさ。離れていて、放っておかれて、気持ちも話さずに
分かり合えると思ってんの?それで縛って相手が幸せと思ってんの、本気で」
 情けなかった。言っていることは全て自分のことだ。
 引き止めることも、待つことも、言い合うことも、なにもかもしなかった。そうして、漸く見つけたと思った大事な人と別れたのだ。けれど今でも
ディアッカは後悔はしていなかった。間違っていたとも思っていない。
 互いに頑固者で、譲れないところがあるのはわかっていたし、会えないことや思いのすれ違いでいがみ合いたくなかったのだから。
 気の強い、しっかりと自分を持った彼女には己を曲げてほしくなかったし、曲げさせることも違うのだと食いさがって言い合い、気付いたのだ。
「どこにも行くなよって思ってるのに、言えない男の気持ちとか……考えてんの」
「あなたのなまえ、は?」
 少女は暫く間をおいて、ぽつんとそれだけ言った。
「……ディアッカだ」
 大人気ない自分に益々嫌になって、ディアッカは少女を見ないままにぶっきらぼうに返す。
「でぃあっか、いざくのだち、先生のむすこ?」
 突然、少女はディアッカの前に回りこんで顔を覗き込むようにして言った。飛び込んできた視界に、穏やかに微笑む少女が映る。
「でぃあっか、ありがとう」
「なに?」
「みんな、すき。でも、みんなステラに、気をつかう。やさしいの。ほんとのこと、ここに持ってるんじゃないかなって思うときある」
 少女は自分の胸をとんとんと叩くと、そっと息を吐いて続けた。
「よくわからないけど、きっとステラがエクステンデットってばけものみたいなのだから。それはなくならないことで、ステラがたくさんのひとの
いのちを奪ったことも、ほんとうだから」
 言って、ゆっくりとディアッカから離れると少女は中庭を向いて目を閉じた。


 ラ、ララ……ラララ、


 歌は静かで、消えそうなくらい儚かった。
 少女の声は揺ぎ無いのに、どうしてか泣きたくなった。

「きっと、おかあさんの歌。ステラ、知らないのに知ってる歌。これだけは忘れないの」
 不覚にも目じりから涙が零れそうになって、ディアッカは上を向いた。
 なんだこの気持ちは、と思う。歌を聞いただけだ。しかも、曲かどうかもわからないほどのもの。なのにあまりに声が綺麗で。まるでそのメロディ
は小波のようで。
「君は……母親に愛されているんだな」
「う、きっと、そう」
 少女は笑う。大きな瞳を瞬かせて、大きく頷いた。
「でぃあっかのおかあさんは?先生がおとうさん、いいなあ」
「よくなんかないさ。母さんは早くに死んだよ」
「おぼえてる?」
「母さんのこと?ああ、覚えてるよ」
 ディアッカがザフトに入隊するのを母は知らずに逝った。それでよかったと思う。人一倍心配性の母は、父の職務だっていつだって辞めてほしそう
だった。質素でいいから、田舎で暮らそうといつでも口癖のように言っていた。そんな母が軍を好むわけもなく、大事に育てた息子がザフトに入るな
んて絶対に反対しただろうとディアッカには想像できた。
 ただ、父の反対は予想外だったが。
「どんなふう?やさしい?」
 この子は母に会ったことがないのか?ディアッカにはよくわからなかった。連合の生体実験になんて詳しくもないし、両親がいるのかやそれを覚えてい
るのかなんてわかるはずもない。
 ただ、その聞き方は至って普通の少女のものだった。どんなお母さんか知りたい、ただそれだけ。
 だからディアッカは気付くことはなかった。
「どうかな。母親はみんな子供に甘いもんだろ。君なんか、甘やかされて育ったクチだろ?」
「……あまいんだね、そっか」
「なに?」
「ステラのおかあさん、しょっぱいんだ」
 ふふっと笑うと、少女はディアッカの手を取った。小さくて頼りない、そんな手だった。
「ありがとう、うれしかった。ステラ、でぃあっかのいうこと、わかるよ。シン、きっと泣いてるから」
 握ってくる力にディアッカは何故か胸が痛かった。
 少女の白い手が、優しいのに痛い気がして、どうしてか抱きしめてやりたくなった。それほどに、酷く頼りない。
「……今日、俺の誕生日なんだよ」
 どうしてこんな格好の悪いことを言っているのか、ディアッカにはわからない。
「でぃあっか、うまれたひ?今日?」
「ああ」
 大きな瞳が瞬く。映りこんだ自分がその瞼の向こうに消えていくのを見つめて、不思議な気分になった。
「おかあさんが頑張った日、だね……じゃあ、ダットにとってもしあわせな日だ」
「あの人は興味ないと思うけど」
「しってる、ステラ。そういうの、しゃいって言うんだよね」
「誰に教わったの?」
「ラクス!」
 ちょっと違う気がするが。
 ディアッカは苦笑した。あまりに少女が素直に笑うものだから、ついつられてしまった。
「じゃあ、ないしょ。でも、いっしょに花火しよう」
 そういって、少女はテーブルから二本の花火を選んで、ディアッカに差し出した。
「はい。でぃあっかのぶん」
 華のように微笑む少女は、花火を受け取った方とは逆の手でディアッカと手を繋ぐと、歩き出した。
「……サンキュ」
「う!たんじょうび、ありがとう!」
「おめでとうだろ?」
「ううん、ありがとう。でぃあっかのおかあさん、ありがとう。ダット、ありがとう。でぃあっか、わたしに出会ってくれて」
 とんっと中庭に一歩踏み出した少女は振り返って言う。
 少女の縁を花火の光が模って、逆行の景色が眩しく見えた。
「だから、ありがとう」
 不思議な子だ。
 この逆行の世界でなら、父の隣に立つことができるかもしれない。ディアッカは妙に素直な気持ちに自分で苦笑した。これではもうアスランや
イザークを笑えない。
「俺こそ、ありがとう。ステラ」

 

 

 

 


「言ったろう」
「……まあね」
 アスランは深々と頷いて、また中庭の方へ目を向けた。
 もう随分と花火の様子は落ち着いて、今は皆で輪になって線香花火をしているところである。難しい顔をして黙りこくって耐える筆頭はイザーク
である。
「あのイザークですら骨抜きだ。凄い子だよ、ステラは」
「俺さ、何年かぶりに親父と話した」
「……そうか」
 前の大戦で父親を目の前で亡くし、その後もその亡霊に苦しんでいたアスランを知っているだけに、生きているのにいつまでも和解できないでい
るディアッカは、この手の会話を彼とすることを今まで避けてきていた。
「覚えてたよ、俺の誕生日」
「当たり前だろう。親父、なめるなよ」
 アスランのいい様にディアッカは笑い声を上げる。一緒になって笑うアスランが叩いてくれた肩が嬉しかった。
「シンって奴は、羨ましい奴だな」
「その通りだよ。だからシンには頑張ってもらわねばな」
 可愛そうに、アスランに目をつけられているわけか。
 親友は涼しい顔をしているが、性格は物凄く熱い。そして、まあ、しつこい。言ったら怒るので言わないが、とにかく細かいことを良くもまあ
覚えているものなのである。行き当たりばったりなディアッカからすると、まさに小姑だなと思うわけである。
「お前、電話鳴ってるぞ」
「え」
 アスランに言われて、ディアッカはポケットを探った。
「……アスラン」
「なんだ?」
「いや、よくわからないけど……これって奇跡系?」
 ディアッカが見せた携帯の液晶には“ミリアリア”の名が表示されていた。
「……いいから、早く出ろ」
 やれやれと溜息をつくと、アスランは立ち上がって情けない顔の友を放置して中庭に出て行く。
「なんだ、この展開」
 ディアッカの手の中でちかちかと光り続ける携帯は、花火よりも輝いて見えた。暗闇に浮かぶかかってくるはずのない人からの電波。震えて
いるのは携帯だけじゃなかった。
「……は、い」
 声が思わず上擦った。情けないことに心臓がばくばく言って、どうにも止まらない。
『えと……ディアッカ?よかった、携帯変わってなかったんだね』
 かかってくるかもしれないと思って変えられなかったんだよ。
『急にごめん。今日誕生日だったでしょ?だから……』
 覚えていてくれて、かけてくれたというのか。
「……ミリィ、俺」
『だからっていうの可笑しいよねえ。ごめんね、あたしったら何してるんだろ』
 変わらない彼女の声はディアッカの耳に痛いほど届く。もっと話したいのに言葉が出ない。このままでは一方的にきられてしまいそうだった。
「ミリィ、あのな」
『誕生日おめでとう、今度…・…−−−』
「ちょっ、おい!ミリィ?おいってば」
 携帯の音声は突如乱れ、ノイズのような音がミリアリアの声を弾いて掻き消した。
「待てよ!ちょっとっ」
 原始的と笑われようがディアッカは携帯を振った。電波をつかまえるのに必死だった。
 けれど願い虚しく携帯からは通信終了のトーン音だけが聞こえてくる。
「……つながんねえし」
 何度か掛けなおしてみたが、つながりもしなかった。きっと彼女は地球から掛けてきたはずである。常用の携帯がつながったのは奇跡的かも
しれなかった。
「今度、なんていおうとしてたんだろ」
 いつぶりに聞いたろう。
 懐かしいような、愛しいような。胸が痛むような。

 どうにも飽き性で落ち着くことのなかったディアッカが、未だにこうしてひとりでいるのは誰のせいもない。彼女のお陰である。
 イザークやアスランが言葉にはしないが心配していることも、いらない気を遣っていることも知っている。それでも、どうにもならなかった
のは仕方ない。二年経っても同じことだったのだから。
 
「久しぶりに、降りてみようかな……」

 地上に降りて、アークエンジェルの行き先をディアッカが知るまでにはもう少し時間が必要だった。

 

 

 

 

 

 ミリアリアは携帯を見つめて、息を吐いた。
 久々に聞いた声。
 変わらない声。

 時は経つ。それでも、変わらないものもあるのかもしれない。
 
 変われないのではなく、変わらないもの。

「ハッピーバースデイ、ディアッカ」
 


 

 


やっと、やっとあげれた!

でもとんでもなく誕生日話ではないなあ・・・。

とりあえず。

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