「じゃあ、始めるわね。座って」
「は、い」
 ステラはふかふかの一人用ソファに促がされ、頷くと目の前にいるミリアリアに目を向けた。ミリアリアは手にした一眼レフの調整に忙しそうで、見つめるス
テラの視線に気づかない。ただ、懸命に準備をしていた。
 しゅざい、言葉の意味はわからない。
 けれど、ステラにできることだと念を押されたので、切望するミリアリアに負けて今日ここにいた。
「・・・・・・」
「緊張しなくていいのよ。ここ、知り合いのスタジオだから」
 記念撮影をするような白い布で囲まれた空間に、ぽつんと赤いソファがあって、大きな照明器具がこちらを見下ろしている。ステラは落ち着かない気持ちで膝
こぞうをつき合わせ、肩を竦ませた。
「・・・・・・じゃあ私が質問するから、ステラちゃんは答えて。思った通りに」
「う。ステラ、言葉上手でない。だいじょうぶ?」
「構わないわ。ちゃんと録音もするし、私が感じたように書き留めるから。貴方らしいのが一番。任せて」
 勝気な瞳を好奇心に輝かせてウィンクしたミリアリアに、ステラはなんとか頷いて見せた。なんだか、喉がからからである。
「そうだ」
「?」
「貴方のダーリンから預かってるものがあるの」
 ミリアリアはカメラを首に提げ、空いた手で背後の鞄を探る。
「はい」
 笑顔で渡されたものは、アルミ缶のボトルだった。それは良く見覚えのある、ピンク色したステラ用のものだった。
「どうして、これ」
「シン君がね、今朝早く来て取材の時に持たせてって言いに来たの。緊張してもそれがあればステラは大丈夫だーって」
「・・・・・・いちご牛乳入れる用、なの」
「すきなの?」
「これね、シン、つくってくれるの。じゅわーっていう、機械で、いちごをじゅわーって」
「シン君が作るの?ジューサーで?マメだねぇ」
「まめ、ない。いちご」
「あはは」
 手振り身振りで説明するステラをミリアリアは嬉しそうに見つめているようだった。ステラは可笑しなことを言っただろうかと不安になって、受け取ったボト
ルを握り締める。ひんやりしたボトルはなんだかステラを安心させた。
「飲んでいいよ」
「いいの?ありがとう」
 つまみを押すと飛び出す便利なストロー式のボトルで、ステラは勝手知ったる自分のお気に入りのものを得意げに扱い、大好きな苺牛乳を口に運んだ。
 甘い。
 いつもより、甘い気がする。なんだか、シンがいるみたいにほっとする。
「・・・・・・うーん、いい顔ねえ」
 ミリアリアは呟くと、一眼レフを構えてステラに向けた。驚いたが、ミリアリアは真剣な顔でこちらを見ているのでステラはとりあえず大人しくすることにした。
 カシャ、カシャ、とシャッターを切る音が舞うように響く。
 シンはいつも遊びに出かけると小さなカメラを持ち歩くが、これとはちょっと違うようだ。そして、撮っている人の様子も。シンはいつも嬉しそうな顔でステラに
じっとして、とか、一緒にここを見てて、とか言うけれど、ミリアリアは黙々と、時折何か言いながらステラを撮っていた。とても、真剣に。
「話聞かせてもらえる?」
 撮り終えたミリアリアは椅子を引っ張ってきて、ステラの向かいに座った。手には録音機とノートだ。
「まず、貴方の名前は?」
「ステラ」
「ステラは苗字はないの?」
「・・・・・・みょうじって、アスカの、こと?」
 ステラは記憶を廻らせて懸命に答えた。苗字、とは何だっただろう。名前のことならば、きっとステラにはない、あのことだ。
「貴方とシン君って、結婚してるんだっけ」
「ううん。まだ。誓い、した。でも、ちょっと、ステラによくないことある。それと戦う。だからまだ」
「よし、じゃあ、ステラはまだステラね。OK」
 さらさらと綺麗な字が真っ白なノートに描かれた。ステラ、とそこにある。なんだかとても綺麗なものに見えた。
「ステラは、どこで生まれたの?」
「・・・・・・ミリ、うまくはなせない。おぼえていないの、あまり、ちゃんと」
 彷徨わせた視線を最終的にステラが結局、己の膝こぞうに留める。
 記憶。
 記憶の海は、ステラにとって漆黒だった。思い出したくても、そこには鍵がかけてあるかのように思い出せないのだ。もう一人のステラに出会ってから、激しい
痛みと共になら断片的に過去の記憶が蘇ることがあるが、それはあまりの苦痛すぎて薬が処方された。そして、その薬事治療のお陰で思い出せる記憶はさらに曖昧
になっていた。本当にあったことなのか、ステラが夢みたことなのか、判断は叶わない。
 手放したくないものだけを必死に抱きしめて離さないようにしている今。思い出せたあの頃の記憶は、三人の名前に収束していた。
 スティング、アウル、それからネオ。
 会いたいとさえ、思う。あの頃という時間に戻りたいとさえ、思う。自分のことなのか曖昧でなんて、いたくない。己の記憶なのだと、私はそこにいたのだと実
感したくて堪らなかった。
 だから。
「自分のことなのに、わからないことばかりなの。ステラ、たくさん人を殺した。それなのに、なにも覚えてない。シン、優しい。しあわせと、あたたかい場所、
たくさんくれる。それなのに」
 うまく話せているとは到底思えない。それでもステラは口を動かした。一生懸命に伝えれば、きっとミリアリアに届く。届けたいと思った。
「しりたい、それから自分がなにをする、べきか、かんがえたい。あいたい人もたくさん。いきる、それは戦うことだから。カガリ、教えてくれた」
 青緑の硝子玉のような瞳がステラを射抜いて動かない。ミリアリアは息をするのも忘れたかのようにステラを見つめていた。
「だから、いくの。プラント、いくの。もう一人のわたしと、向き合うの」
「・・・・・・ステラちゃん、貴方はその“もう一人のステラ”をどう思っているの」
「羨ましい、と思う」
「なぜ?」
「ステラの生きていた時間、知ってるから。アウルのこと、スティングのこと・・・・・・ネオのこと。それから」
 深呼吸して、ゆっくりと紡ぎだす。
「シンと過ごした時間のこと」
 ねえ、シン。
 わたしはどんなふうだったのかな。
 わたしはシンに、変なことしなかった?酷いこと、しなかった?
 初めて出会ったわたしは、どんなふうだった?
「・・・・・・聞きたい。でも、シンには聞けない」
「聞けないの?聞きたくないの?」
「どっちも。でも、なんでもシン、シン、よくないから」
 ステラは微かに微笑むと、遠くを見るような瞳で目の前のミリアリアではないものを見ていた。
「ひとつだけ、思い出したこと。あるの」
 まるで秘密基地を教えるみたいに、ステラは声を潜めた。悪戯が見つからないようにする小さな子供みたいな仕草でステラは口元に人差し指を立てた。
「ミリだけにおしえて、あげるね」

 

 

 

 


 思い出はここから始まる。

 
 気持ちの良い青空と海。背中には、アウルとスティングがいて、顔はぼんやりしているが二人とも呆れた様子でステラを見ているようだった。
 ステラは裸足で砂浜を歩いている。
 寄せては返す波がステラの足を攫っては遠のいてを繰り返す。その様が生き物のようで楽しく、ステラは飽きずにずっと波打ち際をひたすらに歩んでいた。


「あ・・・」
 足元ばかりを見ていたステラは、不意に顔を上げるとステラに視界に優雅に空を踊る海かもめたちと目が合う。
「う、ふふ、わあ」
 誘うようにステラの頭上を飛び交うかもめたちにステラは嬉しくなって声を上げた。
 楽しい。
 ちゃぷ、ちゃぷと足元はステラの心のように音を跳ねる。
 気がつけば、そこは見たこともない岩場の上だった。
「あれ」
 ざぶん、ざざん。
 波が岩に当たる音がしきりに耳に届く。砂浜を歩いていたはずなのに。
「・・・う」
 まあ、いいか。ここからでも海は見える。
 それに。
「とりさん」
 微笑んでステラはいまだ頭上を飛ぶかもめたちに視線をやった。歌うように飛ぶ彼らにつられるようにステラは口ずさんだ。


 ら、らら、


 どうして空は青色をしているのかな。
 どうしてとりさんは空を飛べるのかな。
 ああ、
 ステラの乗ってるガイアと同じかな。
 だったら、いいな。
 そうだったら、ステラ、とりさんとおなじだ。


 そう心に浮かんだ途端、ステラの足取りは軽くなり、歌う声に合わせてくるくると舞うように回る。足場が悪いなんて、気にもしなかった。勢い
ついたその軽い体は、ふわふわと岩場の先端まであっという間に辿りつき、ついには。


 岩場からステラの姿は消えた。

 

 

 

 


「お、落ちたの?崖から?」
「みたい。どぼん、苦しい覚えだけ。あるよ」
 ステラは大きな瞳を動かして、頷いた。
 目の前で何度も瞬いたまま、固まっているミリアリアにステラは首を傾げ、控えめに続けた。
「おぼれたけど、シン、助けてくれたの」
「・・・・・・そうなんだ。っていうか・・・それは覚えてる、んだ?」
 ミリアリアの気遣う様子にステラは手元の魔法瓶を握りなおして、息を吐いた。
「覚えてるのは、言葉と音だけ」
 ぽつりと出た言葉は憂いにも、悲しみにも似た音でミリアリアはやはり言葉を失った。
「きみは死なない」
 ああ、声が今も耳元に届くようだ。
「俺が守るから」
 シン。
「シン、そう言った」
 ステラは微笑んで、まだ動かないミリアリアの眉間をつんと指で突いた。
「ミリ。難しい顔してる」
「ああ・・・・・・あはは、ごめんごめん」
「ステラの話、おかしいかな?」
「いいえ。とても、素敵な思い出ね。聞かせてもらっていいのかと・・・・・・思うほど」
 ミリアリアは苦笑すると、優しい眼差しで見返して何故か手元の録音機のスイッチをオフにした。
「ジャーナリストとして、失格な見方をしていたと思う。ごめんなさい」
「ミリ?どしたの」
 唐突にミリアリアの真摯な瞳がステラを真っ直ぐ捉えていて、なんだか落ち着かなずステラは顔を上げた。
「本当はね。聞く前から貴方の話してくれる内容はきっととんでもなくて、未知に溢れているって決め付けていたわ。貴方が覚えているかどうかや、
今どう感じているかよりも、ずっとそっちに気がいってた。そうじゃないよね。ステラという一人の人間の時間を聞かせてもらうのに・・・・・・」
 ミリアリアの話は難しく、到底ステラには分からない。だが、何かを謝られていることはよく分かったのでステラは懸命に言い継ぐことにした。
「あ、あのね。ステラ、上手に話せないけど覚えてることと思ったことは話せるから!心配しないで?」
「ステラちゃん」
「う」
 漸くミリアリアが微笑んだので安心した束の間、今度はステラはミリアリアの腕の中にいた。
「ミリ?」
「私も入会するわ。姫過保護連盟」
「?」
「よし」
 大きく息を吸ってステラを開放すると、ミリアリアは再び録音機のスイッチをオンにした。
「じゃあ、続き。話してもらえるかな?」
「うん」
 

 

 

 

 記憶は唐突に、繋がる。

 次に思い出せるのは、海の中。
 冷たくて、深くて。どこにも縋ることができなくて。

 手も足も動かすだけ動かしたのにどうにもならない。そんなステラに襲ってきたのはいつもの発作に似た恐怖だった。

 黒い虫が胸を巣食うように侵食し尽くして、ステラの中で暴れまわる。
 
 こわいこわいこわいこわい。
 死にたくない死にたくない死にたくない。


「何してるんだっつかまって!!ほらっ」
 怖い怖い怖い怖い、息が出来ない。
「おいっ」
 ああ。
 何か強い力がステラの体を引き寄せる。
 連れて行かれるんだ。
 わたしも、あの黒い虫になるんだ。

 ああ。

 どうしてこんなに死にたくないのだろう。

「っは!」
「何考えてるんだよ!!」
 殴られたように怒号が突然頭上で響く。ステラは視線が定まらないまま、息を吸うのも忘れて顔を振った。
「やだこわいやだ」
「ちょっと」
「いや、いや、いやあっ」
 手に何か当たった気がした。きっと声の主を殴ったか引っかいたかしたのだろう。今のステラには己への痛みも、他人への危害も、全てが
胸を巣食う恐怖には勝てなかった。
 前すら見えない。
 黒いもので埋め尽くされているようだった。
「そっちはダメだってば!!」
「いやあ!!!」
 闇雲に逃れようと足を動かすと、また物凄いつよさで引き戻された。自分の腕を掴んでくる手がひどく熱く感じる。
「死ぬ気か、この馬鹿!」
「・・・・・・っ」
「え」
 一瞬、息を呑んで留まったステラを声の主は驚いたように見返したらしく力が緩む。
 空ろな視界に相手が見えているはずもなく、ステラは何もかも振り払うように腕を振った。
「でっ」
「いや、しぬ、こわいしぬのこわいーっ」
「君、」
「いや」
「・・大丈夫・・」
 怯えるように声が震えて、ステラは急激に訪れた寒気に身を竦ませる。目の前にいるらしい、誰かが黒い影のようで恐ろしかった。
「大丈夫、君は死なない。俺がちゃんと、」
 それは声だった。
 靄が晴れるように、目の前が開ける。
「俺がちゃんと守るから」
 それは声だった。
 そして、少年だった。
 強く、熱い、少年。
「まも」
 それはなに。
「まもる」
 それはなんなの。
「守るから」
 問いたかった。その正体が何なのか。
 けれど、次いで訪れたのは強い抱擁だった。
「こわ」
「怖くない」
 何だろう。
 引き上げられるようだ。
 
 まるで、
 黒い虫の海から掬い上げられたようだった。

 

 

 


つづくのです


書き溜めていたので、

ちょこっとずつ出してゆきますねwww

ほんとはははは・・・・;

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