お留守番。

 

 

 

 一人で過ごすことは、苦痛ではない。


 なくしていた思い出を取り戻した。
 どんな私が待っているかと楽しみに思ったこともあったが、その中にいた自分は今と変わらず、周囲と歩幅を合わすことはできず自由にしていた。
そのことに多少がっかりもしたが、やっぱりとも思った。
 となると、
 昔から、こうして一人で過ごすことは苦ではなかったということだろう。
 一人、この家でじっと窓の外を眺めていると、いつもこうしてぼうっと無心になったり、今までのことを思い返したりする。
 これは奇跡というのだと本に書いてあった。
 私にはなんて名前がつくのかはどうでもいい。ただ、こうして振り返ることのできる記憶があるということが嬉しかった。幸せだった。
 


 ステラ。
 私が目覚めた時、覚えていたのはこの名前と貝殻だけ。

 

 あれから、本当にたくさんのことがあった。
 アスランに助けられ、カガリに出会い、ラクスとキラ、多くの人に出会うことができた。
 失った記憶よりも、手に入れた記憶のことでステラの中はいっぱいになった。

 
 そして冬の寒い日、傷の癒える頃、胸を占めてやまない人がやってくる。
 顔も、声も、なにも覚えていなかったのに、その言葉だけがすべてだった。思うだけで胸が熱くなるその言葉。
 深い、深い、水の底にいるような、音の遠い世界。そこでずっと、ずっと繰り返した言葉。

 シン。

 

 あなたに出会って、私は多くを取り戻し、ここにいる。
 あなたに出会って、私はようやく意味を知る。


 生まれた意味を、知る。

 

 

 

 
 あからさまなシンの大袈裟な溜息に、向かいで昼食を終えたレイが振り返った。
「シン、気が滅入るような溜息はよせ」
 思わずレイは額に手を当てて、低く呻いた。しかし、当の本人はこちらの様子などまるで気にする様子もなく、再び重くて長い溜息をつく。
「シン!」
「わ」
 苛立ちが頂点に達したレイの掌が近くにあったテーブルを叩いた。同時に驚いてシンが腰を浮かす。
「なに!?出撃か!」
「出撃はない。あるとすれば、俺がお前にだ」
「はあ?」
 自分の世界に入っていて友の様子など露知らぬシンは、間抜けな声を出す。
「なーに言ってんだよ、レイ。寝ぼけてんのか?ちゃんと気を引き締めないとヘマするぜ」
 テーブルについた手が震えていたが、レイの表情は変わらない。その為、シンは気付かずぺらぺらと軽口を叩いた。
「しっかりしてくれよ!相棒」
「それは、お前だ」
 レイの足が瞬時にシンの足を捕え、垂直に落ちる。
「……っ!」
「目が覚めたか?」
「なにすんだよっ!レイ!」
 暫く声も出せずに蹲っていたシンが顔を上げてこちらを睨んだ。余程痛かったのか睨んだ瞳に涙が滲んでいる。レイはシンを見もせずに鼻で
笑った。
「感謝してほしいものだ。お前の惚けた頭を覚ましてやったのだからな」
 声に抑揚はないものの、レイの瞳には怒りが籠っているようだった。シンは漸く気づいたのか、頬を引き攣らせて後退した。
「……で?俺を不快にさせたその溜息の原因は?今度はなんだ?」
「え、いや」
「あと少ししかない休憩時間でこの俺が聞いてやろうって言ってやってるんだ。早くしろ」
「……う」
 シンは嫌な汗を感じながら、変な笑い方をした。レイは変わらず、怒りの籠った瞳で見返す。
 どうせ、あの少女のことに決まっている。
 ここ最近、シンはずっとこうである。レイはもういい加減、その溜息に飽きていた。悩むのはいい。いいが、せめて実りある悩み方をしてほしい。
シンはなんとも効率が悪い。堂々めぐり、というやつだ。アドバイスしたところで、本人の問題である。解決に至らないのは当人同士の問題であっ
て、こうしてレイが共に悩んだところで変わらない。
 だからこそ、レイは苛ついていた。無意味な不快感に。
 言われたくなければ、見えないところでやってくれと今日こそ言ってやる。
「いや……あー…、俺、溜息ついてた?」
「思い切りな。もっと言えば、朝からずっとだ」
「まじで?そっか……悪い」
 シンは心底参ったふうに頭を掻いて、背後のベッドに背を任せた。ゆっくりとレイは微笑するとテーブル脇にある小型冷蔵庫から缶コーヒーを取り
出し手に取った。
 レイはシンのストレートすぎるところが嫌いだ。そして、好きでもある。
 本人には言わないが、本気で突き抜けた馬鹿だと思っていた。決して、見下しているというのではなく、超越した直球さも強引さも敬意を表するに
値するし、諸刃の剣のような繊細な精神にも人間臭さを感じている。
 相反する者同士だからこそ、わかり合い付き合うことができるのだと思う。
 このミネルバの個人に当てられた個室で相部屋になって、こうしてベッドに腰掛け、話し合ったことは数えきれない。
「ステラな、記憶が戻って、少しずつ発作の間隔も短くなってきてるみたいなんだ。それが記憶と関係あるのかはわからないけど」
 顔の見えないシンの声は落ち着いていた。きっと、何度も考えてはやめ、考えてはやめを繰り返したのだろう。
「連合のラボから回収した薬から、もっと副作用と禁断性の少ない新薬をプラントの医者に作ってもらったんだけど、やっぱ元の薬ほど効かなくてさ。
今は外に出せないんだ」
「ステラは今、あそこに一人なのか?」
「うん。多分。ここ最近週一で休日貰えてたし、結構側にいれたから離れがたくて。ミネルバが今回、月での任務になったし、一月は帰れないだろ。
そう思うと、心配で……つい」
 小さくなっていく語尾にレイは目を伏せた。
 レイにはステラの気持ちがよくわかる気がした。治療法のない病気を患う者のように、周囲は気遣う。しかし当人は辛くも、悲しくもなく、支えと
なる者の帰りを待てるだけで勇気が湧くものだ。案外、簡単なことでそれほど当人は悲観的ではない。
 愛する者が、それに対して心痛めているほうが辛いものだ。それにより、煩わしいのではないかという不安。打ち勝つために頑張ろうとする努力。
レイにはどれも経験があった。
 周りからすれば、健気で可哀そうに見えるかもしれない。しかしそれは、未来の光が見えない者にとっては生きるための糧となり、歩むための動力
になるのだ。
 それが利用されていたとしても、持ちつ持たれつなのだ。
「俺はてっきり、式のことかと思っていた。違ったんだな」
 ほんの一瞬、レイは迷ったが飲み込んで別のことを言った。シンが体を起して、こちらを見た。
「式?」
「ああ。結婚式、するんだろう?」
 シンは短い間に数回瞬いて、一秒ほど停止してからやっと声を出した。
「あ、うん、え、そう……だよな」
「おい。大丈夫か?」
「……いや、そういや何も考えてなかった」
「本気か?」
「だっだって!ほら、ステラがラボに誘拐されて助けてからバタバタして、ステラは入院だし俺そのまま月面任務だしで」
 レイは今度こそ、半眼で嘆息した。彼が気づいているかはわからないが、彼らの愛の誓いをレイは部屋の外で聞いていた。ずっともたもたして渡せ
なかった指輪を渡せたようで、ルナマリアとこっそり安心したのだ。
 あれから、もうゆうに一ヶ月は経過している。
「呆れたな。指輪渡してプロポーズまでしておきながら、そこで終わりか?お前には必要なものがあるな」
「仕方ないだろ!俺だって、そりゃあ色々やりたいけど、あれからろくにステラに会えないし……むしろ俺、隔離されてたんだ。ステラが病院に来な
いでっていうから。こっちに来る前に退院して元気そうな顔、見れただけましだったけど」
 しどろもどろ言い訳をするシンは、また思い出して重い空気を纏い始める。
「わかった。メイリンがいいものを持っていた。借りてやろう」
 レイは言うが早いか、立ち上がると軍服の上着を手に取って部屋を出て行った。
 残されたシンは瞬くばかりである。
「……借りる?何をだ?」

 

 

 

 

 

 

 エクステンデット。
 


 お医者さんに聞いたけれど、言葉の意味はわからない。
 ステラにとっては、わかりやすく当てはまるものがある。

 化け物。


 ラクスにはそれは言ってはいけないと諭された。
 でも、そうなのだ。ネオといつも一緒にいた男の人だってそう言った。ステラ自身もそう思う。
 微かに残る記憶の中、窓のない密閉された部屋で、小さな子供たちが全員で切り合ったことを思い出す。断片的に還ってくる記憶は真赤なものが多かった。
第三者のような視覚で自分を見るのは、奇妙だった。まるで他人事のようで。
 鬼のような形相でひたすら戦う己の姿は、ただただ叫びを上げ、必至に立ちふさがるものを消そうとしていた。
 そのもう一人の自分は、確かにここにある。
 今も、この胸に。

 それを一段と自覚するようになったのは、病院に入院してからだった。
 たくさんの検査をした。
 光に当たったり、寝そべって筒の中に入れられたり、物理的な体力検査から身体検査の実施、様々な検査薬の摂取、基準値を超える体内の物質を回収した
資料から調べ、検体する。
 その度に、ステラの中に戻りくる狂気が暴れ出した。
 幾度も、気がつけばベッドに縛り付けられている始末だ。

 

 検査のあとはいつも体中がだるくて、痛くて、気持ちが悪かった。
 意識が揺らぐ中、そっと室内のガラス張りになった向こうにシンの不安そうな顔を見つける。
 閉じてゆく瞼の重さと一緒に、胸が軋んだ。

 それ以来、シンには来ないでと頼んだ。
 日々、苦しむ自分も、少し伸びた髪を切ったところも、毎日何本も打つ注射のせいで青あざだらけなこの体も、笑うことができない自分も見せたくなかった。


 大丈夫、ステラはちかいをもらったから。
 ひとりじゃないと、もう知っているから。

 辛くても、手を握りこむと手のひらに小さな硬さを感じることができる。
 薬指におさまった宝物。
 


 今はそれで十分。
 これはステラの戦い。
 ごめんね、シン。

 

 

「ご、め……ね、シン」
 ステラはカーペットに寝そべったまま、すうすうと寝息を立てていた。
「あら、寝言でもシンのことを呼ぶのですわね」
 微笑んで、手にした毛布を優しくステラにかけてやると、ラクスは窓の外を降りしきる雪に視線をやった。
 凍えそうな寒さがこのオーブにやってきて、もう大分経つ。毎日のように銀世界が広がっていた。頻繁にここへ足を運びたかったがラクスにとってこの雪は
厄介だった。
「わたくしも免許、とろうかしら」
 口元に指をあてて思案していると、背後から暖かい体温がそっと重なってきた。
「だめだよ、ラクス。危ないから」
「キラ」
 背から抱きしめてくる暖かい腕に、ラクスは微笑んだ。その笑顔にキラは少し困ったような顔で、ラクスの肩に顔を埋めた。
「……みんな、ステラに甘いからね。僕、妬くよ」
 返事はせずに、ラクスは声を殺して笑う。
「僕もだけど」
 我慢できず、声をあげて笑ったラクスにキラは頬を膨らませて顔をあげた。あまりに可笑しそうに笑うラクスに悪戯心がわく。
「笑いすぎ」
 キラは言うと、その白い首筋に歯は立てず噛みつく。
「きゃ、ちょ、ちょっと!キラ」
 驚いたラクスが慌てて体を退く。くすぐったいのか、身をよじって逃げるのをキラはまたも意地悪く拘束した。
「だめ。逃げないで」
「キラ、謝ります、謝りますから」
「だめー」
 にっこりと極上の笑顔を浮かべると、キラは子供のようにラクスへと覆いかぶさった。
「ひゃ、あは、あははは」
「うらー」
 容赦なくラクスの細い体をくすぐるとラクスは我を忘れて笑い転げた。なんだか楽しくて、互いにやり返しながら猫の子のように二人でカーペットの上を転がっ
た。もう互いに、腹筋が痛いほど笑い合う。
「……も、もう、よしましょう。キラ?」
 息を切らしながら、ラクスは涙目である。
「えー。僕、まだいけるよ」
「もう。ステラが起きて……」
 二人同時に背後のステラを見やる。
 少女は気持ちよさそうに寝息を立てたままだった。安心して視線を戻すと、キラもほっとしたように息をついていた。
「……ほんと、俺たち彼女にぞっこんだね」
 苦笑してキラが言う。
 本当にそのとおりである。ラクスは頷いて、天使のような寝顔に心ごと温まるのを感じた。
 戦はたくさんの人々の心に今も尚、破片を残し、癒えぬ傷となって留まっていた。各地に慰安のため訪れるラクスは肌で感じるこれからの戦いに、いつも心が
痛んだ。揃って、傷ついた人たちの表情は同じだ。どこへいっても、悲しみと憎しみの連鎖は失ったものがどうしても戻らない為に消えない。
 そんな荒廃を感じる中、ステラの生き様はラクスにとって勇気をもらえるものだった。
 人は生きる。
 生きるために生まれてきたのだと、そう思わせてくれる。
 点在する、悲しみの中にある生命力。まるで、戦場に咲く花のように。瓦礫と化した街であっても仲間と笑い合えるように。
 戦争は終わっていない。
 これから、また歩んでいくための一人一人の戦いが始まっているのだ。
「ラクス」
「……わたくしは、キラやアスランのように戦うことはできません。でも……信じるしかなかった。わたくしにしかできないことがある、と」
 囁くようにラクスは言う。ただ黙って側で聞いていてくれるキラに、柔らかく眼を細めた。
「わたくしの決めた道、決めたら成す。それが必ずしも正しいとは、思っていません。人ですから……ミーアさんとお話したときに、とても感じましたの。今まで
してきたことは正しいのかと。その方は幸せという、それを受ける方もまた幸せだと。でもそれは結果的にその方を不幸にしたのだとしたら」
 迷ったのではない。
 あの時。
 あの写真を見せてもらった時、人間とはなんと悲しいものかと泣きたくなった。
 ミーアさん、わたくしは貴方の思うような人間ではありません。それは偶像。わたくしはわたくし。でも、貴方の選び生きたその道も、貴方の成したものですも
のね。
 戦いとは恐ろしい。
 ラクスは息を吸って、目を伏せた。
 そう、貴方の分まで戦うと。ミーアという女性の生きた証を守ると。迷いもせずに戦うことに介入した。今思えば、様々な思いが巡る。
「結局はわたくしは己の感情で戦へ思いを馳せたのではないかと思うことがあります。今になって」
 微笑んで目を開いたラクスは歳相応の一人の女性だった。
 肩書きのついたラクス・クラインではなく、ただのラクスだった。
「ありがとう、話してくれて」
 キラは微かに俯き、すぐに顔をあげた。その表情は少し泣きそうに見えた。微笑んでいるようにも。
「僕も、いつでも思い出すよ。フレイのこと」
 呟いたキラの声にラクスも顔をあげる。真っ直ぐにキラを見つめ、息をするのも忘れたように動かなかった。
「僕たちはそれでも生きていく。生きたいと願う。だから」
 伝わる。
 思いも、願いも。互いの鼓動が。
 ラクスはゆっくり瞼を下ろした。次いで降ってくるキラの口唇に、何もかも共有したような錯覚を感じる。
 私たちは今を生きている。
 明日のために、大切な一歩を毎日歩んでいるのだ。こうして、互いに求めあいながら。
「……ラクス」
 重ね合った口唇が離れ、また深く重なり合おうと二人の額がくっついた矢先に、背後からくぐもった声が聞こえた。
「ステラ!」
「あ、起きちゃった?」
 片目を擦りながら、ステラはこちらを見て小首を傾げている。片方の頬が床に押されていたのか跡がついていた。
「きて、くれたの。キラも?」
 覚醒してきたらしく、ステラは笑って言った。
「ああ。ラクスと遊びにきたんだ」
「ありがとう」
 嬉しそうに笑顔になって、ステラは立ち上がる。落ちた毛布を手にとって、二人に歩み寄った。
「紅茶、いれる。ふたり、まだしてていいよ」
 赤紫の瞳に滲むような優しさを浮かべて、ステラは毛布を二人の頭上に落とし、キッチン向かった。
 毛布の中で、ラクスとキラはステラの足音を聞きながら顔を見合す。
「……じゃあ。しよっか」
「キラ」
「あ、だめ?」
「帰ってからにしましょう」
 言って、ラクスは思い出し笑いになる。
 ステラは自分が思うより、ずっと大人になりつつあるのだ。
 シンという愛しい人のお陰で……。


 案外、やるときはやるのかとラクスはシンを見直した。

 

  

  


今回はキラを!と思って。。。

かいている。けれど、キララクってはんだか難しい。二人とも精神までいっちゃってるものね。

でも。うん、ぼくの中の二人が描けたらいいな。

2にいっきまーす!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

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