「どういうことですの?」
「まあ、そう怒るな。議長」
「その呼び方、よしてください」
 ラクスは腕を組んで、滅多と見せない不機嫌な顔で目の前で飄々と涼しい顔をするイザークを睨んだ。
「どうして、イザークが会えますの?そして、どうしてわたくしを呼ばなかったのです?」
「まあ、そう怒るな。ラクス嬢」
「気安く呼ばないでください」
 ラクスの双眸はどうやら怒りと不平に満ちていた。イザークはやれやれと言った風に肩を竦めて見せると、腰掛けていた椅子から立ち上がり
ブラインドの下がった窓辺に立った。
 指でブラインドを少し下げ、隙間からビルの下を除く。イザークはうんざりしたよう嘆息すると、手を離してラクスに向き直った。
「ラクス嬢、俺は忙しいんだ。文句言いにきただけならお引取り願おう」
 大げさに肩を竦めて見せて、イザークはデスクの紙を一枚拾い上げた。
「これのお陰様で、ご覧のように公社に保守派の市民が詰め掛けている。想像しなくはなかったが……意外と数いるものだな」
「……人は恐れるものです。自分とは違うものに。けれど歩み寄らなければ何も始まりません。現にこの法案を支持する市民の方が大半である
ことは事実です。皆が進まなければと思っている兆しですわ」
 イザークの手にした書類は半年前にラクスが提案し、法案として最高評議会に挙げた地球との合同プログラムである。もうこのプログラムは
地球とプラントとの合同チームによって、進められ予算も出ていた。
 プラントの医療、生態研究の知識と地球の分野同じくした研究を分かち合い、地球に「コーディネーター研究所」と等しい施設を建設する。
このプログラムには市民の過半数が賛成したが、半年経つ今でも少数の反対派が押しかけては抗議を惜しまなかった。
「地球に駐在しているミネルバのクルーが地球側とうまくやりながら、施設の建設運用に携わってくれています。もう数ヶ月もすれば完成しま
す。うまくいきます、きっと。それを取っ掛かりにプラントの市民たちが自由に地球とコロニーを行き来できる夢も、実現に近づくことでしょ
う」
 ラクスは確信を持った瞳でイザークを見据えて言う。
 その意思の強さ、信念には舌を巻くと内心イザークは思いながら、いつでも寄り道をしない姫様に頷いて賛同してやる。
「俺もそう思う。ただ、無視していても解決せんのでな。ちょっと、考えどころさ」
「そう……ですわね」
 抗議に集まるのは歳のいった年配ばかりで、その層がいかに戦争によって被害を受け、人生を変えられたか身にしみて実感した。イザークは
若造がと言われようと、代表の座に座ったからには己のやり方で恒久平和への道を目指すと決めている。そして、戦争を始めた大人たちとそれ
をどうにも結果できず、力を持て余し二度も無力を痛感したイザークだからこそ、今度こそ誰もが笑顔でいられるように力を使いと切実に思う。
 戦死した仲間のためにも、大好きな母にいつか会えたそのときに息子はこんな道を選んだのだと胸を張って言えるように。
 その為には、ああして抗議している人間たちを無視しているわけにはいかなかった。
「理解してもわらんとな。どんな形であれ、皆のプラントなのだから」
「……ジュール代表。それはとても良くわかるお話ですけれど……話うまいこと逸らしてませんか?」
「……」
 ラクスは今日ここにきて、初めて笑顔になった。
「どうして貴方だけステラに会うのです?わたくしを呼ばなかった理由を10文字以内で簡潔に」
 全く微動だにしない笑顔のラクスにイザークは、うんざりしながらデスクに紙を放って椅子に乱暴に腰掛けた。
「俺だけではない。あの無礼者も一緒だったぞ」
「シンはいいのです。ステラのフィアンセですもの。貴方です、貴方。貴方関係ないでしょう?」
「何故かあんたは俺に厳しいな。昔から。一応、あんたの護衛とかしてたこともあるぞ。ザフトでは名の知れたジュール隊の隊長だぞ。そんな
んじゃあ、あんたの騎士様に嫌われるぞ」
「有り得ませんわ」
 怖い。
 イザークは微笑んで可憐に首を振るラクスを見て、取り合えず青ざめた。昔からザフトにはこの姫に憧れ心酔する兵が多くいた。そんな奴ら
に見せてやりたいと心底思った。
「あーもう、謝る。すまなかった!あんたに声掛けなくて本当悪かった!」
 イザークは投げやりに言うと、笑顔のラクスに半眼で見返す。
「どうせ、じゃあわたくしにも会えるよう手続きを、て言うのだろう?」
「良くわかっていらっしゃるではありませんの」
「……いいだろう。なんとかする。その代わり」
 椅子から立ち上がり、デスクの電話に手を掛けて受付につなげながら半ば挑むようにラクスを見返す。
「下の件、何とかするのに力を貸してくれ」
 

 

 

 

 

 アウル・ニーダ。
 シンはぼんやりとその名を思い浮かべて、頬杖をついていた。目の前には見慣れたオーブの海が広がっている。穏やかに寄せては返す波の
音が永遠を思わせて、シンを憂鬱にさせた。
 この音を何度もステラとここで聞いた。
 二人で出かけては最終的に海へやってくる。お弁当を広げたことも、ただ眺めて過ごしたことも、ステラが歌い踊るのを見ていたことも、
つかみ合って喧嘩したことだってあった。
 それなのに、今はひとり。ひとりで眺めるこの海は、果てしなく広くて変化がない。変わることのない永遠だと突きつけられているようで
シンは俯きたくなる。けれど、多くの思い出のある海でしか今の気持ちは回復しなかった。
「……討ったヤツの顔が見たかった、か……」
 呟きは風に攫われ、消えていく。
 頬に触れて去る海風が冷たくて、そんなことに自分は地球に帰ってきたのだと自覚した。折角のチャンス、そして会うことが叶ったという
のにシンは結局話もせずに帰ってきたのだ。
 逃げ帰るようなシンの様子に、イザークは何も言わなかった。それがまたシンにとって、虚しい思いを募らせる原因となっていた。
「何してんだよ、俺」
「先輩?」
 腰を下ろした砂浜でシンが悔しさに拳を握り締めたその時、背後から遠慮がちに掛かる声があった。
「アスカ先輩じゃないですかあ」
 振り返るとそこにはサラ・リノエの姿があった。夕焼けに照らされて彼女の金の髪はきらきらと光り、風に舞って靡いていた。シンは目を
細めて見つめると、嬉しそうに笑う彼女に小さな苦笑を返した。
「どうして笑うんですか」
「いや……えらく嬉しそうだから。変だと思って」
 シンは思ったことを口にして、自分の隣に駆け寄ってくるサラを見やった。肩まで伸びた金の髪と紫の瞳はとても愛しい人を思い出させた。
込み上げる突発的な衝動に顔を振って、その感情を追いやった。
「変って……おかしくなんてないですよ?私、先輩に会えて嬉しいんです」
「え、ああ、そう」
 サラは花のような笑顔を浮かべて隣に腰掛けた。肩を寄せるように座ったことに驚いて、シンは身を退いた。
「アスカ先輩って……女の子、苦手ですか?」
 上目遣いに見上げてくるサラはシンから見ても、とても可愛い女の子だ。近くにいる女子といったら、皆強くて逞しい。このようにシンを
見つめてくる人物はざっと思い浮かべてもいなかった。
 まず、ルナマリアでは有り得ない。
「苦手じゃないよ。まあ、あんまりつるんだりはしないけど」
 当たり障りなく答えると、シンは苦笑した。妹だって女の子だ。シンは意外と女子に囲まれているほうだと思った。思えば、戦場にだって
同い年の女の子がたくさんいた。時代は変わり、女性が強くなっていっているということか。
 まず、ルナマリアはその部類だ。
「そっか。ルナマリアは女の子じゃないってことだな」
 一人で思い当たって笑うと、隣でサラが首を傾げた。
「ホーク先輩ですか?新人女子の中ではとっても人気の方ですよ」
「ルナマリアが?」
「はい。仕事できるし、男子に負けないくらい戦闘成績いいし。何より美人ですもの」
 ぽかーん、である。
 ルナマリアが美人?美人ってああいうののことを言うのか?美人って怪力で乱暴なことを指すのか?
「今度言ってやろ。美人って」
 シンは頷きながらいった。
「仲いいんですね。やっぱり。先輩とホーク先輩、それからバレル先輩の三人ってなんだか絆があって入っていけないカンジです」
「はは。俺は君らに入っていけないよ」
 思わず本音を言いながら、シンは笑った。アカデミー上がりの新人達は皆若い。といっても二、三歳下なだけだがどうにもゼネレーション
ギャップを感じてならないのである。
 なんというか。自分にはない、無気力さというか……どうしてここにいるのだと問いたくなるような、違和感。
「そんな。……先輩達って大戦を経験されているでしょ?だからじゃないかなあ」
 サラの言葉にシンは妙に納得がいった。きっとそうなのだ。彼らは戦う為にここにいるのではない。戦争をする為にMSに乗るのではな
いのだ。
 もはや、ザフトは軍ではないのかもしれない。
「……私はもっとアスカ先輩のこと、知りたいですけどね」
「え、ああ……いや、知るほどのことなんてないよ」
「そんな風に言わないで下さい。知りたいんです、戦が何を生んだのか。何をさせたのか。先輩たちは何を見てきたのか……」
 シンは驚いて真剣な眼差しのサラを見返した。彼女は凛とした瞳でシンを見据えていた。
「ナチュラルとか、コーディネーターとかそういうの、コロニーにいたら何もわからないから。だからザフトに入ったんです」
「君は、なんていうか……意外だね」
「どういう意味です?」
「そんな理由で入ったとは思わなかったよ。しっかりしてるんだね」
 海に沈みかけた夕日に視線を移しながら、シンは強く吹く潮風に前髪を掻き上げた。
 時代は変わる。
 人が変われば、考え方もかわるのだ。それを先に生まれた者達が邪魔をしてはならない。確かに今の若い連中は戦を知らず、ぬるま湯
に浸かった者ばかりかもしれない。けれど、だからといって経験した者達がえらいわけでも、政権を取れるわけでもないのである。
 知っているからこそ、辿らなくていい道を指し示し助言する他、元軍人のする役目などないのだろう。
 たった、片手ほどの年数の差で辿ったか辿らなかったかの道。シンはサラを見ていれば見ているほど苦しくなった。「もし」があると
するならば、彼女のようなことを言えたのではないだろうかという思いが込み上げて。
「て・・・ら」
 シンは海に思いを馳せながら、そっと呟いた。
 ステラに会いたい。無性にそう思った。逃げ帰ってなどくるのではなかった。なんて情けないんだろう。そう思うほど空しくも会いた
い気持ちは高まった。
 そう。
 ステラは「もし」なんて、一度も言ったことがない。

 
 シンに会えてうれしい。そうでなかったらなんて、思わないよ。シンに会えないから。


 そういって笑ったステラの笑顔は眩しいくらい綺麗で、シンは泣きたくなった。多くのものをなくすことしかできなかった戦争。戦って
戦って、戦闘に勝っても何も勝ち取れたことがなかった。何も戻りはしなかった。
 それなのに。ステラはそういって、笑うのだ。シンに会えて幸せだと。その為にきっと生まれて、生きてきたんだと。
「先輩?」
「ああ、ごめ」
 不覚にも涙が溢れ出てシンは慌てて腕で目元を拭った。後輩の前でなんと情けないのだろう。
「泣いてるんですか?私が戦争のことなんて言ったから?ごめんなさい」
 心配そうにサラは言うと、不安そうにシンの顔を覗き込んだ。そっとさり気なく肩に添えられたサラの手に、シンは身を引いた。
「なんでもない!ないからっ」
 最近の子はこうなのか?これは普通なのだろうか?どうにも距離が近い気がする。
「アスカ先輩、真っ赤ですよ。泣いたり焦ったり、忙しいですね」
 ふふふ、とサラは楽しそうに笑う。シンは意図を測り兼ねて知らずと困った顔をしていた。
「……困ってますね?先輩」
「からかうな、これでも上官になるんだぞ?」
「ごめんなさい。でも、嬉しいです。先輩って噂聞いてたから、もっと軽い感じかと思ってました」
「噂?」
 サラが軽く言ったその言葉にシンは眉を寄せた。新人の間ではどう言われているのやら。
「大戦の頃はエースに名を馳せて、敵の女も味方の女も自分のモノにしたって。で、今は最終的に付き合った女捨てて昔の女とより戻し
たって。しかも同棲中」
 シンは黙るしかなかった。誰だそんな噂を流したのは。問いただしたかったが墓穴を掘りそうでやめにする。
「しかもしかも、その昔の女っていうのは敵だった強化人間って噂です」
 サラは全く悪気なさそうに言った。信じていないのか、本当に聞いた話をそのまま喋ったように流した。しかし、シンにとってこの話
は冗談で終わらせるには些か度が過ぎているように感じる。
「君は、」
「私、先輩のこと好きです。結婚、してませんよね。だったら勝ち目あるし諦めませんから」
 言うだけ言って、サラはすくっと立ち上がり、身を翻して駆け足で去っていく。シンは反応できず、その場で数秒瞬くと何度か口を空
回りさせて漸く振り返った。
「ちょっ!待てってば!!」
 立ち上がって踏み出した時にはサラの背は浜の遠くへと消えていた。
 シンは肩を落して盛大に溜息をついた。なんだ、なんなのだ。からかっているのだろうか。なんにせよ、ついていけない。
「……勘弁してくれって」
「いいご身分だな。え、シン・アスカ」
 背後からする声にシンはさらにうんざりした。振り返りたくない。
「お前がまさか女の子に現を抜かすとは実は思わなかったよ。俺のお前への評価を変えなきゃな」
 見下したように話す口調にシンはわなわなと拳を握った。しかし、振り返りたくなかった。このまま歩き去れ。歩くんだ、シン・アスカ。
「まあ、もともとカスのような評価だ。下がりようがないんだが、それを下げさせるんだからお前は凄い奴だよ」
 ……行くんだ、シン・アスカ。
「お前のような無鉄砲無計画無頓着、三大無能を兼ね備えたバカに俺の妹は渡せないなあ。ま、渡すつもりなんてないけどな」
 シン・アスカ、行きます。
「だーっ!!どっから沸いてきたっこの小姑!!」
「誰が小姑だ、そんなものになった覚えはない。貧困なボキャブラリーだな」
「アスラン・ザラ!あんたは何しにきたんだ!?」
「お前にわざわざ会いにくるか。勘違いも甚だしいな」
 振り返った先にはやはりあのアスランがいた。腕を組んで、さも楽しそうにこちらを見返している。サングラスなんか掛けて格好つけやがっ
てとシンは毒づく。浜の向こうにここに見えるよう愛車を止めているのも気に入らない。
 ぎりぎりと歯を食いしばってシンはアスランを睨んだ。
「で?あの女はなんだ?」
 すっかり夕日の沈んだ海岸は薄暗く、少し肌寒い。見返したアスランの姿も影となって見えにくかった。シンは溜息をついて、砂浜に落とし
た上着を取って、アスランの横を通り過ぎながら低い声で言った。
「乗せてくださいよ。話なら、しますんで」
「お前、呆れるほど無神経な奴だな。感服する」
 アスランは辟易して言うと、シンについて自分の車へと向かう。いつもと変わらない生意気な背中だったが、心なし肩が下がって見えた。
「……いいだろう。うんざりするほど吐かせてやる」
「はいはい。言っときますけど、俺があんたに付き合ってあげてるんですからね」
「そう思ってるといいさ」
「そうですってば」
「そうか、そうか。良かったな」
「あんた、ムカツク星から生まれてきたんでしょう?そんなじゃあ、子供もそうなりますよ」
「そんな星はないから、心配するな。俺とカガリの子なら、お前に心配されなくても確実に美男か美女だ。残念だったな」
「誰があんたのノロケを聞きたいって言いました?」
「俺はお前と違って、甲斐性があるからな。臆面もなく言うぞ、カガリとって。お前と違ってな」
 シンは思わず、立ち止まってアスランを見返した。サングラスを外し胸ポケットに収めると、挑むような視線をアスランは投げて寄越した。
「まあ、乗れ。夜は長いぞ」
 アスランは冷ややかに微笑むと、呆然とするシンを無視して座席に颯爽と乗り込んだ。

 

 

 

 

 

「でね、あえてうちょーてんなのにれ、そのくそチビがいうわけれすよ?おれとかぼくとかね」
 シンは呂律の回らないまま、取りあえず喋った。アルコールを口にしてから流れ出した言葉はどうにも止まらなかった。
「おい。シン、何を言ってるのかさっぱりわからないぞ」
 呆れた様子でアスランは言うと、手元の瓶を確認するように眺めた。カガリに持って行けと渡された酒で、オーブで流行っている地酒だった。
ラベルを見る限りそうアルコール度数の高いものではない為、シンの様子からすると彼は弱い性質らしかった。
 どこか店でもと思ったが、シンが指定したのはステラハウスである。綺麗に整理整頓されたリビングでシンの用意したつまみで一杯やってい
るところだったのだが……開始十分ほどでこうなった。
「おれね、あのじゅーすとかいう人にね、たのんだんすよ。はじなんてクソくらえれ」
「ああ、ジュールな。イザークだろう?聞いたよ」
 シンがフェブラリウスから帰港した日にイザークから通信があったのだ。お前の無礼な知り合いの面倒を見てやったぞとか、今度奢れとかそ
ういう類のものだったが。
 あのイザークが通信の最後に「しょげてたみたいだから相手してやれ」と言うのだから、シンの凹みようは酷いのだろうとアスランは思って
いた。だからこそ出向いたというのに、シンときたら見知らぬ女性と親しげにツーショットである。取り越し苦労な上に、不埒なと怒髪天だっ
たアスランだが今のシンの様子を見ると、やはりいたたまれないものがあった。
「……すてらに会えたのに……逃げてきました、おれ。あう勇気がなかったんらなくて……、たぶんびびったんらと思うんれすよ。おれ」
 シンはグラスに口をつけたまま、続けた。赤い顔をして眼は虚ろだったが、話す度にその双眸に苦い色が宿るのを見ると完全に酔っぱらえて
いないようだった。それがまた、痛々しくアスランは嫌な気分になってシンを見返した。
「お前、シン・アスカだろうが。自信家で口減らずの勘違いエース。死んでも俺にだけは弱音吐かないって言ってなかったか?」
「いいましたっけねえー。どうでしたかねー」
「いい加減な奴だな。どうせ、ステラの過去を目の当たりにして、自分の知らないことに自信がなくなったとか、そのアウルとかいう子の事実
を知る勇気がないとか、そういうくだらない理由だろう?」
 アスランは捲し立てる様に言うと、手にしていたグラスをテーブルに置いてシンの頬を思い切り抓った。
「たたたっなにするっすか」
「目を覚ませ。このバカ」
「さめてますよ、ちょ、放してくらさいよ」
「あのな、言っておくが俺はお前なんか大嫌いだ。でもステラがお前じゃなきゃ駄目だというから譲歩している。わかるか?」
「あんたは一体ステラのなんなんれすっ」
「やっと目が覚めてきたか?え?」
「放してくらさいって!」
 じたばたと抵抗するシンを投げるようにアスランは手を放すと、短く溜息をついてシンを見下ろした。シンはというと赤くなった頬を押えて
涙目でこちらを見上げていた。
「……ひどいこと、しますね」
「少しは正気に戻ったようだな。感謝しろ」
「あんたって人はほんと変わらないですね……酔ったふりすらさせてくれないんだから」
「当たり前だ。そんな優しさはお前に使っても何の得もない」
「そらそうだ」
 シンは苦笑すると、突っ伏していたテーブルから身を起し、側にあった水のペットボトルを飲み干し前髪を掻きあげると数回瞬きしてアスラ
ンに向きなおった。
「覚えてます?水色の髪した男。デオキアでステラを救助して、そのあと見つけた仲間の内の一人の」
「迎えにきたお兄さん二人の片方だろう?はっきりとは覚えちゃいないが……」
 休暇にわざわざエマージェンシーを使用したシンを迎えに行ったことはしっかり覚えているが、実はアスランはステラのことすらその時の
印象は薄い。ザフトにいる以上、地球側の市民と関わらない方が双方の為であると思っていたからだ。だから、あの時えらくシンが救助した
少女に親身なことを咎めようかと思った程だった。
 明日どうなる命かわからない軍人が、また会いに来る、また会えるからと約束するのは優しさではないと。そうあの時アスランはいつまで
も少女のいた方を見つめるシンの背中をサイドミラー越しに眺めて思ったことを思い出す。
 戦火の増す中、シンは戦闘ごとに刺々しさと過度の自信だけを身に着け、アスランとまともに話すらしなかった頃、唯一の穏やかで幸せそ
うなシンの笑顔を見た。それだけに、アスランにはとうとうその時咎めることは出来ず留まったのである。
「生きていたっていうのか?いや、そうではないよな……幼いんだろう?」
「はい……俺には十歳くらいに見えました」
「十歳にザフトのエースがチェックメイトされる、か。末恐ろしいな」
 アスランは思案するように顎に触れると、腕を組んで唸った。
「銃はおもちゃでした。でも俺には本物に見えた。それくらいそのチビの扱い方が“なって”ました」
「憶測だが、以前回収したロドニアの研究所に残されたものの中に……」
 言いかけたアスランは胸ポケットの振動に気づいて、話すのを止めた。シンはどうぞと頷くと待つようにグラスの酒を口に運んだ。
「……もしもし、どうかしたか」
 取り出した携帯の表示を見ると、そこには親友の名前があった。
『夜中にごめん。ちょっと相談があってさ、今何してる?カガリに聞いたら一緒じゃないっていうから』
 いつまでも姉優先な男にアスランは苦笑しながら、相槌を打った。
「キラ、お前の想像とは違うぞ。ここにいるのはシンだ。残念だったな」
『なんだ。浮気じゃないのか』
 心底残念そうに呟くキラにアスランは今度こそ呆れて苦笑した。
『でも、楽しそうだね。僕も混ぜてよ』
「いいけど、お前どこにいる?俺は酒飲んだから迎えに行けないぞ」
 ちらっと見やったシンはこちらの会話を可笑しそうに聞いていた。顔は赤いままだが完全に酔いは冷めているようだ。
『大丈夫。バイクで行くよ。アスランが飲んでるってことは朝までコースでしょ?なら、僕もそうする』
 そうするって。
 アスランは無邪気な親友に思わず呆れたが、言い出したらきかないのがキラ・ヤマトである。諦めてシンに許可を請う。
「いいですよ。こんな面子で飲むこと滅多にないし」
 本当にその通りである。アスランは頷いて、キラに返事した。
『じゃ、すぐいくね』
「ラクス連れてくるなよ」
『寂しいことに姫君は今、宙にいるんだ』
 キラは心底残念そうに言うと、電話を切った。本当にいつまでどこまでらぶらぶなのか……アスランは見習わなければと思うばかりである。
「凄いですね、ここに大戦の両雄が揃うんだ。ステラハウスに」
 シンはステラのいないリビングを見回した。
 もう半年もここにステラはいない。それなのにいつでもシンにはどこからかステラが顔を出して自分を呼ぶのではないかと錯覚した。寂し
いのとはまた別の、出来上がってしまった二人の「日常」というものにシンは喪失感を感じずにはいられない。
 人間とは貪欲で醜いものだ。そう、実感する。
「……仕方ないさ。人間らしい感情でいいと思うぞ」
「アスランさんらしくないですね」
「ステラをそんな目で見るのは許せないが、男と女だ。それがない方が怖いというものさ」
 見つめるだけで事足りたのに、いつしか会うだけでは物足りず、そこにいれば触れたくて、抱きしめたくて、かつては生きていてくれるだ
けで十分だと、それ以上何も望まないとさえ思ったのに。
 なんて強欲なんだろうと思わずにはいられない。
「お前のその真っ直ぐさは諸刃だが、今はステラという鞘があるんだからいいと思うぞ。時には我慢しなくてもな」
 アスランはシンを見ずに出来るだけ何気なく云った。励ますつもりはない。ただ、これは前から思っていたことだった。
「……おい。泣くな」
「泣いてません」
 言っている側からシンは瞳に大粒の涙を溜めて俯いた。アスランはバツが悪くて身じろぎする。
 いつも言い合ってばかりなので、こういうしおらしいシンにどう接すればいいのかよくわからない。キラといるとどちらかというとアスラ
ンが聞いてもらう側なので、参考にもならなかった。
 鬱積しているであろうシンの不安や悩みは、聞いてやりたいところだがアスランはそれは自分の役割ではない気がしてどうにも促せないで
いた。
「シン、あのな」


 りんごーん。


 タイミングがいいのか、悪いのか。
 ラクス嬢と同じくらい無敵な笑顔の親友が、扉を開けると嬉しそうに立っていた。

 

 

 

 

 


「アウル君」
 ダットはそっと小さな背中に声を掛けた。
「……なに」
 星空を見上げてじっと窓辺に腰掛けていた少年は振り返らずに、返事した。
「また警備をこらしめて、銃を奪ったね?」
「だって、弱っちいんだもん」
 ダットはゆっくりアウルの隣に腰掛けると、一緒に星空を見上げながら言った。
「前に君は言ったね。出て行く気はないから、奪っても意味はないと。なのに何故また?何か興味の湧くことでもあったかい」
「知っているのに聞くなんて、オッサンは悪趣味だね」
 アウルは冷ややかな目でダットを見ると、興味をなくした双眸で続けた。
「シンって奴は、警備よりもっと弱っちいヤツだった。コーディネーターが最高種?笑わせるね」
「何故だい」
「まるで人間さ。感情むき出しの、情けない無能な人間そのもの」
 くだらなさそうにアウルは吐き捨てた。まるで嫌悪するような表情にダットは悲しそうに眼を細める。
「君がそう言うのなら、アスカ君はまさにコーディネーターの最高だよ」
 ダットの言葉にアウルは眉を顰めた。まるで理解できないという顔に笑みを返して、ダットは続けた。
「コーディネーターはね、人間になりたいんだよ。君たち、ナチュラルにね。根底はそう、誰もがそれを認めず否定し、ナチュラルという存在
を超える為に躍起となったが……そうではないのだよ」
 悲しい構図。虚しい種の優劣。
 いつでもそれは歴史に暗い影を落とす。本来、神の領域である「種」を操作できるようになってしまった化学の進歩には大きな代償がついて
きて、永続的にそれは貪欲な人間という種に纏わりつくこととなる。
「決して、能力のことを言うのではないのだよ。最高を測る物差しはね」
「馬鹿じゃないの。おれにとっては、勝つか負けるかだ。おれのが強けりゃ、おれが最高だ」
 小さなその容姿と似つかわしくない大人びた表情にダットは目を伏せる。もう戦争は終わったというのに、彼は未だ戦禍の中にいてそこで生
きているようだった。
 ダットにとって、持ち得る技術と治療で彼らのような操作された子供たちに未来を切り開く手伝いをしてやることがここにいる意味だ。代表
の座を降りて、同期が隠れるように隠居する中、足掻くようにここにいるのは誰の為でもなく、自分の為だった。
 大人が起こした不始末を子供にさせるなど、断じて許されることではない。そうは思っても、責任を取らなくてはいけない大人は殆ど命を失
い、その責務を果たさぬまま不在となった。生き残った者として、向き合わなければならないことは山のようにあった。
 彼のような子供を決して、一人ぼっちにせぬように。
「おれ、あんた嫌い。あの寝癖のヘタレも嫌い。そいつらに優しくされてへらへらしてるステラはもっと嫌いだ」
 憎悪の色を海色の瞳に宿して、アウルは言う。その語気の強さに意思を感じるが、ダットにはそれが「寂しい」のだと叫んでいるように聞こ
えてならない。
「アウル君、君が嫌だといっても、いつか地球に降りよう。きっと気に入るだろうから」
 ダットは微笑んで夜空を見上げた。アウルがどんな返事をしようと構わなかった。この空ではなく、いつかここを見上げる空を見せてやりた
い。人間がいかにちっぽけか、いかに無力なのか。それを知らなければ、力など手にしてはいけないのだと教える為に。
「……うん」
 聞こえるか聞こえないかほどの声でアウルは返事した。
 それから、俯いて暫くすると窓辺から降りて自分の布団へと戻って行った。

 ダットはその背を追わない。


 追えなかった。
 ただ、じっとアウルに気づかれないように嗚咽を堪えて夜空に瞬く星を見上げた。


「……バーカ」
 小さなアウルの呟きを逃さずに聞いて。

 

 

 

 

 


 アスランは後悔していた。


 親友を呼んだのは間違いだった。大いに間違いだった。
 目の前の惨劇に言葉を失って額に手を当ててアスランは何度目か忘れた溜息をつく。


「シンたらー、必殺技はね、こう、なまえをつけなきゃー」
「えー、なまえれすか?なまえ?おれ、あれでいいっすよ、シン・アスカ、いっきまーっす。へへへ」
「そんなので満足してちゃあ、種が割れてもどらないよお」
 意味不明である。
 状況も、内容も。
「なんかキラさんの論理ってえ、巨人の星みたいれす!」
「なにそれ。衛星でやってた?やってた?」
「さあー、最近ね、オーブのローカルでやってまして」
「巨人の星ってことは……コロニーの話かなんか?」
「えーと、たしか、野球のコロニーのことれす」
 違う。
 星だけど、コロニーじゃない。星なんだってば。ていうか、比喩ですから。
「鉄下駄をね」
「ええー、その星の人、みんな?」
「修行っすよ」
「熱いねえ」
 熱くない。間違ってるから。
「アスランはみた?」
「……二人とも、まずは酔いをさませ」
 アスランは水のペットボトルを二人の目の前に音をたてて置く。
「飲め」
 怒りを込めた瞳で二人を交互に見るが、効果ないらしくへらへらと笑った二人は水ではなくグラスに手を掛ける。
「これのがいいよね」
「まだまだいけますろ」
「どこへ行くんだ、どこへ!!」
「やだなあ。飲めます、てことですよお」
「わかっとるわあ!」
 叫んで、アスランはテーブルを叩くが、二人は楽しそうに笑うばかりである。

 おかしい。こんなことをしにきたのではない。
 というか、部屋が荒れ放題になってしまった。いいのか、これ。気になる。気になるぞ。

「シン、いい加減に……」
「おれだってねえ、おれだって……」
 泣いている。さっきまでへらへらへらへら笑っていたのに。
「ステラにあいたいんですよぅう」
「わーっ泣くな!抱きつくな!たちが悪いっ」
「ステラあぁ」
「ステラじゃなーい!」
 その様子をキラは微笑んで眺めている。手にはまだ酒である。
「もう、飲むな!」
 アスランはシンにしがみ付かれながらも必死に言うが、キラは微笑んだままグラスから手を放さない。
「カガリ、呼ぶ?」
「突拍子もないタイミングで言うなーっ」
 言いながらキラの手は携帯へと伸びていた。
「おい、今何時だと思ってるんだ!キラ、もうカガリは寝て……」
「あ、カガリ?」
 なぜ、出るんだ。カガリ。
「待ってるよ。来てねー」
 キラは満面の笑顔でアスランを見ると、携帯をしまいながら言った。
「今から来るって。良かったね」
「ステラも呼んでくださいよぅう」
 もうアスランは黙るほかなかった。

 

 

「アスランの奴、えらく飲んだんだな。珍しい」
「そうなんだよ。僕は止めたんだけど」
「シンと抱き合って寝てるなんて、信じられないな」
 カガリはテーブルに頬杖をついて、空っぽになった瓶を眺めた。部屋は散らかし放題で、リビングの床にはアスランがシンにしがみつか
れたまま倒れていた。
「兄妹水入らずで飲むことも少ないし、いいね。こういうのも」
「私が姉だと何回言わせる?」
「はいはい」
 キラはカガリのグラスに新しく空けた酒を注いでやりながら、笑った。公務が長引いていたカガリは夜中まで残って会議しているのをキ
ラは知っていたのである。
「終わったの?」
「まあ。大体は。今だに反対する者もいてさ……研究所の建設」
 カガリは嘆息すると、グラスに口をつけて眼を伏せた。
「もう始まってるんでしょう?建設は」
「ああ。ルナマリアやバレル氏の頑張りのお陰で順調だ。ただ……研究者同士の折り合いや、どう研究や治療法を分かち合っていくかでま
だまだ問題はこれからだよ」
「施設さえできれば、きっと動き出すよ。問題は乗り超える為に起きるものだよ」
「そうだな。ナチュラルとコーディネーター、共に乗り越えられればきっと良い結果が残るはずだ。そう信じてやるしかないな」
「そういう意味ではステラが良いパイプになってくれるんじゃない?」
 キラは微笑んだ。目を伏せて、瞼の裏に想像したことに嬉しくなってそっとカガリに内緒話のように告げる。
「ほら、ナチュラルとコーディネーターの結婚だし?」
 足元で転がっているシンを眺めて、カガリと顔を見合わせた。
「確かに。二人はこの先の未来の光であってほしいな。その二人の間にできる子供の生きる未来が明るいように……」
 こころなし、抱きつかれたアスランの顔が苦しそうに見えたが滅多とない仲良さそうなツーショットである。カガリは恋人の意外な一面に微笑ましく、笑顔になった。
「じゃあ、幸多き人類に乾杯しよう」
「名案だね」
 キラの掲げたグラスにカガリは合わせるようにグラスを持ち上げた。


 この触れ合う音が、いつかシンとステラの為に鳴る鐘に変わる日を待ち遠しく願って。

 

 

  


ついに10話目。

本当はもう少し進めようとしましたが背中が痛いのでねます。笑

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