なんだ、なんだ、なんだ、あれは!
 
 シンはわなわなと硝子に震える手をついた。
 強化硝子の向こうにはアスレチックルームの役割を果たす談話室である。このコーディネーター研究所はどこかオーブにも存在する精神病院に似た施
設で、中は一般の病院と変わらないがこうして面会は謝絶され、身内問わず会うことが叶わなかった。
 こうして向こうにはこちらが見えていない状態でまるで観察するようにしか会えない。そのことにシンはかなりのストレスを感じ、局長であるダット
に進言した。
 せめて一ヶ月に一度くらい直接話をさせてくれ、と。
 根気強く粘った成果が出て、ステラと月に一度硝子越しにだが面会することが許された。それでも未だにシンにはその会えない理屈に納得がいかない。
 何が、精神波に影響の可能性があるだ。
 何が、刺激を与えるかもしれないだ。
 普段から、そんなことひとつもしてないっつーの。とは、シンにはダットに言えなかったが、ともかく納得がいなかい。こうして何度も訪れたって何
の力にもなれやしない。
 そう思っても我慢して、遠くから見守り続けているというのに・・・・・・!
「・・・・・・ううう」
 付いていた手を握り締めて、シンは唸った。
「ああああ、あれは、刺激的じゃないっていうのかーっ」
 目の前で寄り添ってくっつく、ステラと謎の少年の睦まじい姿にシンは吠えた。

 

 


 ***

 


 
「珍しいこともあるもんだ。っていうか、俺はお前を知らんがな」
 他人のことを言えたものではないが、シンは相手のふてぶてしいとまで思える横柄な態度に辟易した。
 こっちだって、お前なんか知るか。
「で。何の用だ?意外と忙しいもんでな」
「何度も受け付けでお話しましたが」
 シンは些か強い語気で言い返す。相手の冷ややかな瞳が耐えがたかった。
「俺は聞いてない。お前が話せ」
「・・・・・・」
 ぱくぱくと口を空回りさせてシンは何とか飲み込んだ。出かけた暴言を。
 せっかく何時間も入り口で粘ったことを無にしてはいけないと、そう自分に言い聞かせて。
「あー・・・、お前、島耕作だっけ?」
「全然違いますけど」
「ああ、シン・アスカね」
 負けぬ横柄さでシンは相手を睨むと、絹のような銀の髪をかき上げて相手は初めて笑顔を見せた。
「俺は、イザーク・ジュールだ」
 その思い切りバカにした笑顔はシンの唯でさえ短い堪忍袋の緒を切れさせた。
「知ってるー!」
「じゃあ、何しにきた?」
「お前の名前を聞きにだけくるか!このバカ!」
「ばっ?!貴様!誰に向かってそんな口利いてる」
 シンにはもう我慢の二文字は構えず、唾を飛ばしながらひたすらに苛立ちを目の前の銀の悪魔にぶつけた。
「偉そうにするな!大体、お前なんだ。アスラン・ザラと似てるぞっ」
「ふっふざけたことを言うな!誰があの女たらしと似てる!俺を知りもしないで・・・・・・」
「そりゃあ、お互い様だろーが」
「・・・・・・貴様とは絶対馬が合わんだろうと前々から思っていたが、予想通りだな!ここまで低俗な野蛮人だとは」
「お前が言うな、お前が!]
 互いの額が擦れ擦れにまで詰め寄りあって、二人は対峙する。
 均衡の間があって、終わりがないことを悟ったシンがイザークより先に息を吐いた。
「すいませんでした。もう歯向かいません。ですから、早速即行聞いてください」
「・・・・・・」
「なんです、その不満そうな顔。謝ったのに」
 シンはやれやれといった風に肩を竦めて見せると、自分の中で一番オトナな顔をして見せた。
 当然、イザークは無表情のまま、眉だけを至極嫌そうに寄せる。
「なんだ。その変な顔は」
 そしてそう言うのである。
「・・・・・・フェブラリウスの代表は人の顔にケチつけるんですか?へえ」
 負けじとシンは言い返した。
「大体、代表も相当変な顔されてますけどねっ」
「ねっ、ってなんなのだ。ねって」
 互いの額が擦れ擦れにまで詰め寄りあって、二人は対峙する。
 シンは、ハッと我に返って息を呑んだ。
「・・・・・・こんな無駄な時間を過ごしてる場合じゃなかった」
「貴様、とことんむかつく奴だな。アスラン以上だ」
「あの人と比べないでください。もう、いいですから。お願いがあって来たんですよ」
 思わずシンは立ち上がって、言った。
 そう、シンはここに直談判にきたのである。現状を少しでも変えるために。
「どう見ても、頼みごとをしにきた態度に見えんが」
「根に持つタイプですか?それこそ、アスラン・ザラみたいですよ」
「一緒にするな。で?」
 眉間に皺を寄せたまま、イザークは頬杖をついて嫌そうに促した。
「ステラの件です。会えるようにしてください、ちゃんと、直接」
 すぐに何か言われるだろうと構えていたシンはイザークの驚くまでにあっさりとした態度に沈黙することになる。
「いいだろう。会いに行くぞ」
 イザークはそう簡潔に呟くと、颯爽と立ち上がってシンを待つことなく歩き出した。

 

 

 

 


 ダットはディアッカ・エルスマンの父親である。
 幼い頃から息子と仲の良かったイザーク・ジュールのことは両親共に交流は深かった。口にはしないが、ダットからすれば今ではイザークの父でもあると
勝手に思っているほどである。
 戦争は若い世代から、多くのものを奪い去り、風化することのない傷だけを残して新たな道を歩もうとするばかりである。そんな大人の尻拭いをイザーク
も、息子も文句言わずにしているのだから立派なものである。
 だが。
「・・・・・・どうして、代表がここへ?」
 ダットは重い口を漸く開くと、表情を動かすことのないイザークへ視線を投げかけた。
「ステラに会いに来た。手続きしてくれますか」
「イザーク、わかるだろう?幾ら君でもね、特別なことはできないのだ」
 思わず、いつものように呼んでしまってから、ダットはちらりとシンを窺い見た。シンという青年はイザークとどこか似て、勝気で油断ならない。
「・・・・・・だめじゃないですか、あんたでも」
 呟くシンにイザークは凍るような眼差しで一瞥してから、続けた。
「私はコーディネーターとして、この施設のことを肌で感じておかねばならん立場だ。今後、二度と人間の種の優劣などで争うことのないように。だから
こういう機会はもらいたいと思っている。何も特別にとはいわない。今回だけ、とも。必要なこととして私をステラに会わせてほしいのだ」
 イザークは一ミリも表情を変えずに、流れるように言った。
 隣のシンは出会って、初めて彼を尊敬した。なんと、どこに真意があるかはともかく彼は本当にこのフェブラリウスの代表なのだ。その威厳を感じる真摯
な言葉だった。
「イザーク、言いたいことはわかる。君の考えは正しいし、私も叶えてやりたい。だがね、これはここにいる子たちの為に言っているのだよ」
 ダットは眉を悲しそうに寄せると、深い溜息を付いて静かに言った。
「ここには結局、身寄りがなく居場所がないがために検体となるしかない子や、戦争孤児かここで生まれた子、何かしら出生に意味のある子供達の集まる施設
だ。そんな彼らが似たような年端の君達に会い、外界に良くも悪くも何か抱くのだとしても私には救うことはできないのだよ。してやれることは研究とその成
果による処置だけだ。私の言いたいことがわかるか?」
「・・・・・・気に入らない答えですね」
「イザーク」
「私はコーディネーターだ。宇宙に生まれ、宇宙で育った。そのことに誇りをもっている。皆、重力への憧憬や魅力をまるで生まれたことへの意味のように繋
げたがるが、私からしたら個性のようなものはあるに越したことはないと思っている。貴方のような方に私のような若造が偉そうに言ってはいけないと思います。
しかし、考えは変化してこそ、いつか結果が変わってゆくのでは?」
 まるで表情は変わらない。声音のトーンもまるで。
 それなのに、イザークの言葉は熱かった。彼の信念に溢れ、根底にある信義に満ちていた。シンは殴られたような衝撃を受けた。同じような歳の、同じように戦争
を経験した男が、こんなにも別の場所で同じことを思い行動している。
 シンより、ずっと確実に戦争で経験したことを生かして糧にしているイザークに何故か嫉妬を覚えた。同時に、悔しさも。
「ダット所長。お願いだ、あわせてはくれないか?」
「・・・・・・その言い様ではステラだけに、とは思っていないのだね?」
「ええ」
 満面の笑みでイザークは頷いた。ダットはそれを見て諦めたように肩を上下させた。
「いいだろう。しかし、君が個人的に来たのだということではなく、施設のために来たのだということを忘れないようにな」
 振り返って、どうだと言わんばかりのイザークの笑みに、シンは顔を逸らした。
 なんだろう。
 ステラに会えるというのにシンの心は、別の場所でもやもやと渦を巻いているようだった。

 

 

 

 

 

「おまえ、結構でかいな」
 少年はそういってつまらなさそうにこちらを見上げた。
「ステラ、おとなだよ」
「は。おまえが?」
 思い切りバカにした表情で少年は言うと、ソファからひょいっと降りて床に転がった玩具の銃を拾い上げた。
「きみは、ちいさいね。何歳?」
「小さい?」
 少年は手に弄んでいた銃を急に無駄なく動かすと、さっと脇に構えてステラを狙うように銃口をむけた。
「・・・・・・多分、おれは生まれて数年しか経ってない。でも、おまえよりずっとひとをころせるよ」
 まだステラの腰辺りまでしかないような背丈の少年が、まるで大人のような顔をして微笑んだ。見透かしたような微笑は冷たくて、彼の水色の瞳を見つめ
ていると心が冷えそうだった。
「うまれるまえから、おれはそういうふうにできてるんだ。おれは、おれじゃない。おれもぼくも、たくさんいるのさ」
「きみは・・・・・・」
 ステラは喉が詰まるような思いがした。言葉が出ない。
 少年の言葉は引っかかるものばかり。その意味がわかる気がした。それなのに、応えには辿り着けない。ステラが急に襲ってきた頭痛に顔を振っている間
に少年は玩具箱から、無造作に手を突っ込んで小さなナイフを取り出してきた。
「おまえのことなんて、おれはしらない。でも、これだろ」
「!」
 敢えてなのか、少年はナイフの刃をこちらに向けて差し出してくる。
「得意だろ。みろよ、ここはロドニアに似てる」
 少年はステラの様子などまるで気にせずに続ける。つまらなさそうにアスレチックルームを見渡し、最後には言葉を失ったままのステラに視線を戻した。
「・・・・・・生き残るためにいくらでもころしたろ。でも、ここではそういうことはしなくていいらしいな。つまらねえ」
「きみは一体、だれ、なの・・・・・・?」
「誰?誰って、誰とかいえるようなもんじゃないだろ。MSを動かす部品、か?」
「・・・ア・・・・・・ウル」
 ステラは自分でも口唇が震えて止まらないのを自覚していた。掠れるようにして出たその名前に、更に悪寒がした。
「それ、ぼくの名前だろ。おれのじゃない」
 思い出す。
 鮮明に、記憶が断片となって駆け巡った。

 そう、あれはロドニア研究所跡にステラが連れて行かれたあの日。
 大きな試験管の並ぶ部屋。
 その中に、見たことのある顔を見つけた。羊水の中、浮かび上がる良く知った仲間の顔を。
 
 けれど、それは。

「詳しいことは、そのおっさんに聞きな」
 少年は動けないでいるステラにそういうと、脇を抜けて駆け出す。
「あっ」
 急いで振り返ると、そこにはダットが立っていた。
 そして、信じられないことに愛する人も。

 

 

 

 


 気がつくと、薄いピンク色のワンピースと裾の絞ってある大きめのズボンを履かされてステラは立っていた。
 見回すと、自分と同じように幾人もの同い年ほどの少年少女が同じように立っている。

 白い廊下にみんなで並んで、ただじっと何かを待っているようだった。


 自分の名も、この場所のことも、何もかもわからなかったが、疑問にも思わなかった。
 ただ、立っていた。


「訓練をはじめる」
 その合図で、列は動き出した。
 ぞろぞろと子供達は呼ばれた部屋へ入っていく。ステラも、前の子について歩き出した。
「これを」
 渡されたのはナイフだった。
「始め」
 部屋にいた何十人もの子供が、その声にスイッチが入ったように飛び出した。
 ひたすら切りかかる。
 視界には、ナイフが走る閃光と、舞う血飛沫だけで染まった。

 次々に足元に倒れていく子供だったもの。

 避けても避けても襲いくる閃光にステラは気持ちがだるくなった。
 増える死体に足元が傾ぐ。
 ついた地面で、誰かが瀕死のままステラの足首を掴んだ。
「ああぁぁああ」
 悲鳴だ。
 目の前に悲鳴をあげ、何故か透明なものを目から流しながら襲い掛かってくる子供。
「・・・・・・」
 ステラはナイフを握っていないほうの腕で、その子供を払い退けた。
 鈍い音がして、子供は吹っ飛ぶ。
「やめ」
 その声が聞こえた途端に全員がスイッチを切ったように動かなくなる。
 ステラも同様に、立ち尽くした。
 作業服を着た大人たちが、子供達の側にやってきて手にした注射器で何かを首元に打ち込んだ。
 ステラの元へも一人の男がやってきて、注射器を取り出した。
 見やったその先に、水色の髪をした血だらけの少年が見える。
 笑ったように見えた。


 短い痛みの後、テレビのスイッチでも切ったかのように、視界はブラックアウトした。

 

 ・・・ラ。


 ・・・テラ。

 

 深く、仄暗い、水の底。

 放っておいてほしかった。もう、このまま目覚めなくていい。そんな気さえした。
 それなのに、声は音ではなく、振動となってステラに届く。

 ステラ。

 そうか。
 私はそんな名前なのか。

 もういいの。
 放っておいて。呼ばないで。
 ナイフを振り回すのだって、もう疲れたの。

 いやいやと顔を振って、ステラは眩しい海面から目を逸らす。

 垣間見た光りの中に、何故か赤い色を見た気がする。
 真っ赤な、綺麗な色。

 でもそれは向こう側にあって、滲んでしか見えない。

 ステラは初めて手を伸ばしたいと思った。腕を伸ばして、あそこへ行きたいと。


 誰なの。
 私を呼ぶのは。
 私を駆り立てるあの赤いものは何。
 なんなの。


「ステラ!」
 息を呑んで瞳を瞬くと、目の前にシンがいた。どうしてかシンはとても心配そうで、ステラの肩を掴んでる手が震えている。
「・・・・・・シン」
「よかった・・・・・・なんだか、急に止まったみたいに黙り込んで動かないから」
 心臓が早鐘のように打っていた。
 あの少年の言葉を聞いた途端に駆け巡ったあの記憶。情景。
 あれは、私の?
「大丈夫かい?」
「はい。先生」
 ステラはそっと労わるように聞くダットに返事を返した。
「元気か。ステラ」
 急激に現実に引き戻り、ステラはやけに重力を感じる気がして俯きかけたが、聞こえた声に顔を上げた。
「いざく!」
「お前、ロボットみたいだな。さっきの一時停止は見事だった」
「ステラ。ロボットじゃない」
「俺はいざく、じゃない」
 ステラは嬉しくて微笑んだ。
 どうしてだろう、シンもイザークもいる。とても心が温まる気持ちがした。
「ちょっと!ステラに近すぎです!」
 シンは我に返って、二人の間に割って入った。やけに仲がいいのが気に入らない。
「ほう。嫉妬か。シン・アスカは本当に思った通りの了見の狭い奴だな」
「だーっうるさいうるさい」
「・・・・・・貴様がうるさいぞ」
 側で聞いているダットが呆れたようにステラに目配せする。ステラは思わず微笑んだ。
 嬉しい。
 まるで地球に帰ったかのようだ。こんなに安心したのは、久しぶりだった。
「・・・・・・あの少年の話を、しようか」
 ダットの優しい声音にステラは頷いた。
 記憶の中の血まみれの少年と、先程ここでかまってほしそうにしていた少年がステラの視界だけで重なった。

 

 

かわいくて思わず。

  


どんだけ続くのよ。ごめんなさい。

そして、悩み悩んだ末にアウルという文字。少年。

こまなりの未来を描けたらと思います。どうか安寧を目指して。

 

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