面白くない。

 最初はそう思っただけだった。なのに。
 予想を超えたあの反応。思い出すだけで胸が煮えるように熱くなった。


 アウルは苛々と親指の爪を噛みながら、中庭の木陰で三角座りをしていた。抱えた膝が抑えても抑えても苛立ちに動き出しそうで舌打ちする。
「……ムカッつく……!」
 吐き出しても、気分は変わらないままで親の敵でも睨むかのように目を外さないのは視線の先にある泉である。
 湖面は反射してきらきらと輝き、日差しで眩しかった。アウルの側から泉を囲むように生い茂る木々は風に揺られ、さわさわと囁き笑うように
聞こえた。
 昼下がり。いつもなら特等席で昼寝を決め込む絶好の時間だというのに。

 なんだって、こんなに腹が立つのだろう。

「あんな玩具くらいでアイツが……大体、あんなもん貰って付けてるなんて頭おかしいんじゃねえの」
 アウルは見据えた泉からやはり目を逸らさずに独り言を言った。
 泳げもしないくに飛び込んだステラ。指輪を投げ捨てた時に見せたあの表情がアウルは忘れられない。この世の終わりみたいな絶望と、それに
抗おうとする強い意志が一瞬にして混ぜ返ったような、あの顔。
 無謀にも飛び込む姿をアウルはレクリエーションルームの外にある廊下から見ていた。ステラの姿が水中に消えた瞬間、アウルは知らずと中庭
に踏み出していた。一心に泉へ向かっていた。けれど。
「……俺もそうとう頭おかしい」
 小さなおでこを抱えた両膝にぶつけて、アウルは深く息を吐いた。
「お邪魔をして、申し訳ありませんでしたわ」
「!」
 聞こえた声にアウルは勢いよく顔を上げた。
 そこには忘れもしない。あの桜色の髪をした女が立っていた。
「わたくしのせいで、貴方はステラを助ける役目をし損ねたのでしょう?」
 微笑んで言うラクスの隣で、イザークは黙って目を伏せた。
(黒い。黒いぞ……ラクス嬢)
 案の定、不機嫌最高潮になったアウルは、立ち上がってラクスを睨みすえた。
「……ステラのことがお好きですか?」
「あんなバカ、好きなわけあるか!」
 火がついたように否定して怒鳴るアウルに、ラクスは怯みもせずに微笑んで続けた。
「もうステラには騎士様はいらっしゃるのですよ」
 イザークは隣で今度は額に手を当てて俯いた。
(脅しに聞こえるぞ……ラクス嬢)
「どんな理由であれ、ステラを泣かせることはわたくし許しません」
 断言して、きっと表情を引き締めるラクスにアウルは今度こそ怒りのまま叫ぶように反撃した。
「うるさいうるさいうるさい!!そんなこと知るかよ!あいつは守ってやる必要なんかないさっあんたなんかよりよっぽど強いぜ。なんて
たって化け物だからな!」
 アウルは言い放って、声高らかに笑った。可笑しくて可笑しくて笑った。
 あいつが泣く?
 あいつに騎士?笑わせるな、おれたちは兵器さ。戦争がなくなろうが、必要なくなろうがその事実に変わりはないんだ。消えてなくなる
わけじゃないんだ。
「どうせ知らないんだろ?あいつの本当の姿。奇麗事なんだよ、あいつもおれも人殺しの道具さ。ナチュラルがコーディーターを殺す為に
作った道具だよ!それをあんたが守るのか?笑っちゃうね!」
「やはり貴方は……エクステンデットの」
「コピーさ!ご丁寧にも、記憶までコピーされててねえ。残念だったね、ステラをまっさらにしてやれなくて。おれは証人さ、あいつが紛
れもなく兵器で、怪物だってな。なかったことになんて、してやらねえぞ」
 ラクスは瞳を細めて、その小さな少年を見つめた。アウルは必死だった。必死にその抱えてきた思いを放っていた。きっと誰にもぶつけ
ようのなかっただろう思いを。
「あいつだけ、のうのうと幸せそうに笑うなんて」
「それが貴方の本当の気持ちなのですね」
「……なに」
「愛されたい、貴方も愛されたいのですね」
 ラクスは決して微笑むことはしなかった。その代わりに同情もしない。色のない表情で、ただアウルを見つめ返した。
「……っれ」
 小さな少年は震えながら、地を這うような声を出した。
「黙れ!!わかったような顔するなっ愛とか言うなっ愛とか……」
 そこまで言って口唇をかみ締めるように結ぶと、アウルは背を向けて駆け出す。
 労わるような瞳が自分を追って付いてくるようで、振り払うように走った。視界が滲んで見えにくかったが、勝手知ったる庭だ。アウル
は一心に誰もいない場所へ逃げ出した。
「……そんなの……知らない、おれ、知らないっ」

 


 風がそよそよとラクスの桜色の髪を揺らした。
 歌姫の何を考えているか読めない背中を、イザークはやや呆れ気味に眺めていた。

 この人は本当に変わらない。
 正直で、真っ向勝負だ。

 到底、俺には真似できそうにない。それは強さであり、優しさだ。女性特有の包容力を兼ね備えた「愛情」というやつだ。

「で……どうするんですか、議長」
「その呼び方、よしてくださいって言いましたわ。イザク代表」
 振り返って微笑むラクスにイザークは乾いた笑いを返しつつ、内心で舌を出した。
「イザークだ」
「ああ、わたくしに呼ばれても嬉しくないのですわね。そうですわよねえ」
「議長。鬱憤を俺で晴らすのはよしてくれんか?」
「二度以上同じことを女性に言わせる殿方は、いつまでも独り身ですわよ?」
「貴方に俺の隣の席のことまで考えて頂く覚えはないね」
「ま、強がって。そのうち“ラクス嬢、俺に見合った女を紹介してくれ。言い寄ってくるのは性に合わん。選べん”とか言うのですわ」
「誰が言うんだ、そんなこと!誰が!」
「まあ。今はイザーク、貴方のお話でしょう?」
「……待て。待て待て」
 イザークは目を伏せて、己に何度も言い聞かすように念じた。
 慌てるな。この女のペースに乗ったら何をほじくり返されるやらわかったことではない。この流れ、知らずうちに見たこともない結婚相手
でもいつの間にか勝手に決まっていそうな展開だ。
 大体、いつからそんな話になったのだ。
「で、一体どう……」
 気を取り直してイザークは咳払いし、威厳を持って顔を上げた。
「何をしてらっしゃるんです?行きますわよー」
 見れば、ラクスはもう中庭を抜け、敷地内に戻っている。
「なっ」
 肩を躍らせてイザークはラクスを凝視する。
「置いていきますわよー」
 言うが早いか、ラクスは踵を返して歩き去ってしまうではないか。
「……待て、待て待て」
 俺が悪いのか?
 俺がとろかったのか?

 イザークは盛大に溜息をついて、奔放な歌姫の後を疲れた足取りで追った。

 

 

 

 

 

 ひんやりとした冷たさが額にのっかているようで、シンは深く息を吐いて安堵した。
 ずっとぼんやりして熱っぽかった為、その温度は染み入るようで火照った体を鎮めてくれるようだった。

 そういえば、どうしたんだったろうか。

 頭が痛くて……知らず内に眠ってしまって、それから……。


 シンは思い至るところがなく、今自分がどこにいてどうなっているのか把握できなかった。しかし目を開けるにはまだ擡げるしんどさに負け
て、瞼を持ち上げられなかった。
 まだまどろんでいないと、起き上がっても同じな気がした。
「熱、下がったみたい。よかった」
 遠くで、そっと囁くような声がした。朦朧とした意識の中、聞こえてきた現実味のある音にシンは少し反応した。
「先輩、疲れてるんだね」
 声は更に優しくそっと聞こえて、感覚は遠かったがシンの頬に冷たい手が触れた。労わるように手は滑ると、離れてく。その感覚に妙に寂しさ
を覚えて無意識にシンはその手を探して腕を伸ばしていた。
「先輩?」
 見つけて触れた手は柔らかくて小さかった。
「…テラ……」
 いつぶりだろう。
 どれだけぶり触れただろう。
「ステラ」
 シンは重い瞼をまだあげれずにいたがそれでもその華奢な手を放さず、からからの声で繰り返した。
「……違い、ます…よ」
 消えそうな声でそれはシンに届かない。
 手が戸惑うように揺れたのでシンは漸く、ゆっくり瞳を開いた。そこに映るであろう愛しい人の笑顔を思うと胸が解れるようでシンは寝起きで
ぎこちなくなったが微笑む。
「あ……」
 シンは思わず息を呑んで手を止めた。開いた視界に映る少女とゆっくり目が合う。
「ご……ごめんなさい!!」
「サラ、きみ」
 いきなり手を振りほどき駆け出したサラに驚いて、シンは起き上がる。
 しかし、急激な重力に頭は割れ鐘を鳴らすように響きだす。シンは額を押さえながら、消えた少女の背を追おうとベッドの縁を頼りに立ち上がっ
た。
「っつ……てえ。どうして、サラが……?」
 シンは呻きながら視線を巡らした。どうやらここは勝手知ったる我が家らしい。
「サラ、いるんだろ」
 がんがんする頭を抑えながら、頼りない足取りでシンがリビングを覗くとそこには戸惑ってどうすればいいのかわからない迷子のようなサラが
立ち尽くしていた。
 シンは状況を飲み込めないまま、取り合えず深呼吸をして頭を掻くと苦笑してサラを見やった。
「どうしたんだよ?そんな困った顔してさ。助けてくれた、のか?俺覚えてなくて……迷惑かけたみたいだな」
 するとサラは益々困惑したように瞳を泳がせて、仕舞いには俯いた。
「サラ?何かあったか」
 様子のおかしいサラにシンはさすがに不安になった。気絶していたのだから彼女に何かしようにも不可能な気はしたが、もしかしたら何かやらかし
たのだろうかとシンは嫌な汗が浮かぶのを感じてどもった。
「え、えと、お、俺……何かした?」
「ち、がいます。私が」
 私が?
「いえ……なんでもないんです。ほんと、すみません。勝手に上がりこんでしまって」
「そんなことは、全然いいんだけど。てか、俺が迷惑かけたんだし」
 言いながら、シンは俯いたままのサラの様子を窺った。いつも彼女は強引なくらいなのに、何をこんなに縮こまっているのだろう。さすがのシン
も心配になって、そっとサラの肩に手を置いた。
「大丈夫か?」
「先輩っわたし、その」
 勢い良く挙げたサラの表情にシンは息を呑む。
「……私は……サラです」
「え、」
「サラです!ステラ、じゃ……ないです!!」
 言い放ってサラは射抜くようにシンを見上げ、ぶつかるようにシンの胸に飛び込んできた。
「ちょっ……、サラ?どうし」
「どうもしていません!私は、ずっと」
 見上げてくるその瞳は涙に滲み、シンの言おうとしている言葉を察して必死に縋りつこうとしていた。けれどシンにはその思いをどうしてやるこ
ともできない。
 強く頑なに胸を掴んでくるサラの手に、シンは自分の手を重ねた。
「……ごめん。俺、君に何か期待させるようなこと、したんだな。その上、君を傷つけたんだね」
 漸くはっきりしてきた頭に気を失う前に己が考え感じていたことが蘇る。
 最低だ。
「謝ってなんて、言ってない」
 サラは大きな瞳から涙を零しながら、それでも強い意志で顔を振った。
「先輩は、幸せですか」
「サラ、その答えは俺が君に言うことじゃない」
「はっきり言います、ね」
 目も逸らさずサラは言ったが、その声は揺れる。シンは胸が詰まるのを感じながら、続けた。
「たくさん、いろんなことがあった。戦争の中で俺はたくさんを失って、ひとつだけ手に入れることが許された。それが“今”だ」
 言いながら、そっとサラの頑なな手を包んで胸に招いてやる。震える小さな背を宥める様に撫でてやりながら。
「……間違えたくせに」
「それを言うなよ……」
 苦笑したシンはありったけの力を込めて抱きしめると、ゆっくりその身を離した。
「君にだけ、正直に言う。気を失う前、本当に温かくて癒される思いがした。君だと知りながら、君が俺に好意があると知りながら、それに甘えた
くなった。それもいいかって……触れることのできるほうがいいって、思ったよ」
 ステラ。
 君の名を呼びながら、君を想いながら。
 君が恋しいとわかっていながら、俺はやっぱり強欲でちゃちな人間なようで。
「はい……先輩って、小さい子みたいです」
「もうすぐ成人する上司を捕まえて言うか、それ」
「そういう可愛いところが好きです」
 漸くサラは微笑んだ。いつものちょっといたずらっ子な笑顔でシンを見返して。
「でも」
 そして、意思の篭った声で続けた。
「本当に側にいてほしい時にいることができないなんて。先輩が寂しいって泣いているのに抱きしめてあげられないなんて。私は嫌です。私は側に
いてあげたい。どんなことも一緒に越えていきたい」
 言い切って、サラはすっと背を向けた。シンはかける言葉を捜すことはしない。黙って、その背を見つめた。
「……言い訳もしないんですね。私、これで終わりなんかにしません」
 そのまま、サラはリビングを出て去っていく。
 シンはじっと立ったまま、サラのかけたエンジン音を聞き、それが去ってからも暫くそうしていた。
「俺、最低だ……」
 俯いて見つめた床がひん曲がって見えた。
 自分の心のように。

 

 

 

 

 

 レイは手にした紙袋を持ち上げて、少し思案した。
 タリアに貰ったものだが、一人暮らしのレイにとってこの貰い物は一人では消費しきれない。そう思い至ってすぐに浮かんだのが親友の顔だった。
「……今はあいつも独り身みたいなものだしな」
 呟いて、そっと紙袋から匂う美味しそうな香りにレイはほんの少し笑った。
 アップルパイなんて食べたことがない。
「言ったら作ってくれるものだから……艦長は凄いな」
 愛情一杯の面差しでこちらを見つめ、手渡してくれたことを思い出してこそばゆい気持ちになる。親友の家の前で一人でにやにやしていては、その
うち見つかってからかわれてしまう。
 レイは咳払いして、目の前のチャイムを押した。


 りんごーん。


 可愛らしくなる音に少し前なら、ひょっこりとステラが顔を出したものだった。
 レイは思い出して、自然に笑顔になっていた自分に気づいて苦笑する。

 彼女のお陰で随分と自分も人並みに笑えるようになったものだと、互いの境遇の悲惨さを語り合うことなどなかったが通じるものがあるのだとレイ
は違和感なくそう思った。
「遅くにすまない。貰い物が……」
 暫くたって漸く開いたドアの向こうにシンはいた。
「なんだ。この世の終わりみたいな顔、してるぞ」
 レイは冷静に言った。それが相手に届いているかは不明だったが。
「俺、ダメかもしれない」
 いつも勝気で生意気な色を炉もしているシンの瞳は捨てられた子犬さながらの双眸でレイを見返す。状況は見えないが、何絡みの話かはすぐに察し
がついた。
「待て。まずは中に入れろ」
 実は甘いものが苦手なシンに嫌がらせのように手土産を見せてやろうと思っていたのに、それ以上の沈鬱な顔を見せられては出鼻を挫かれた感があっ
たが短く溜息をついて勝手に玄関を潜ることにした。
 前を歩くシンのしょげた背中を見やって目を伏せると、整理整頓され掃除の行き渡った家の中をレイは見回した。
「お前はまめ、というやつだな。尊敬に値する」
「なんのことだよ」
「いや……ステラがいなくても、ちゃんとしてるじゃないか」
 レイは部屋を眺めて、返事した。シンプルなインテリアの中に、一角賑やかな場所が目に留まる。棚の上にはアカデミーの頃や旧友たちの写真が並び、
少し奥まったところにステラと写っている海での写真が飾ってあった。
 レイは何も言わずにキッチンへ言ってしまったシンを気にせず、その写真たてを手に取った。
「いい写真だな」
 二人で行ったからか、写真は海と空を背景にえらく斜めで距離感のずれたものだったが、レイの知らない笑顔をしたシンは眩しいものだった。
(どうしてこんな隠すように置くんだ……?)
 ふと気づいて、レイはアカデミーの写真の奥を見やると、思ったとおりステラの写真が何枚か立ててある。
「……ふむ」
 顎に手を当てて、レイは嘆息した。
 何となく想像のつく理由に、良く知った親友の心うちをやるせなく思う。しかしすぐに思いなおして、レイは写真を元の位置に戻した。
「レイ?コーヒーでよかったか。置くぞ、座れよ」
 戻ってきたシンは依然元気のない様子でレイに促すように言った。
「これを艦長に頂いた。一緒に食うぞ」
「は?」
 差し出された紙袋をシンは不思議そうに見つめて瞬いた。
「タリア艦長が?レイにくれたんだろ」
「1ホール、一人では食えん。ルナマリア絶賛の品だそうだから、喜べ」
「手作りじゃん。凄いなー」
 アップルパイのトレイを引き出しながら、シンは感嘆の声を上げる。中からは狐色に焼けたパイが顔を出していた。
「って、なんでルナマリアと食わないんだよ?」
「さあな」
 レイにとってこの時間に艦におらず過ごすこと自体かなり久しぶりなことだった。任せてもらえた新法案の施設計画にもう何ヶ月もミネルバに
詰めて書類やデータ制作をしている日々で、それはルナマリアとの共同作業である為、彼女と過ごさない時間のほうが今では少ないほどだった。
 シンが自分といない時はルナマリアと一緒だと決め付けていることにレイは苦笑した。
「ま、いっか。切るぞ」
 手際よく切り分けられていくパイを眺めながら、レイは思いついたことから口にした。
「新人の指導、始めたそうだな」
「ああ。MS演習なんて必要性があるのかよくわからないけど……アカデミーの質も落ちたもんだぜ」
「質か……まあ、時代が違ってきているということだな」
 綺麗に切れたパイをシンが皿にのせ、差し出したのを受け取りレイは続けた。
「たかが2年でそう違ってくると、戦争とは本当にあっけないものだな」
 時代、と片付けてしまうにはレイたちにとってまだまだ時間のかかることだった。収拾のつかないままの傷跡も廃墟もまだまだ世界には散らばって
いる。自分達とは違う、戦に出ていない世代が意思を継いで後世を担っていく為には歴史は知っておかねばならないものだ。
 MSという戦の産物も、その性能を戦争ではない為に使うよう、知っている者たちが変えていかねばならない。
「ちゃんと教えてやれよ」
「わかってるよ。でも、やっぱさ……今の若い奴らって意思がないってゆうか……わかってないっていうか」
「ルナマリアに、じじむさいって言われるぞ。シン」
「誰が、って……まあ、そうかもって最近感じるけどな」
 会って漸くシンは笑顔を見せた。レイは目を細めて視線を外すと独り言のように言う。
「お前、結婚して子供とか出来たら、益々そうなるだろうな」
 言葉にしてみるとそれは幸せなことで、レイは思わずシンに気づかれないように微笑んだ。
「け、け結婚……子供かー、子供かー」
「シン。普通に気持ち悪いからよせ」
「っるさいな!」
 お前は絶対、子煩悩な父親になるだろうな。女の子だったら、生まれたら一番にキスしてやろう。一生恨み言を言わすというのも一興だ。
「お前、今良からぬこと考えなかったか?」
「そういう時だけ勘が働くんだな」
 レイは自分の考えに、内心言葉を失った。
 一生?俺は一生、シンやルナマリアと共にいたいと、いれると思っているのか。
「ステラに似た女の子とかだったら、俺やばいなー」
 レイの戸惑いに気づかず、シンは嬉しそうに妄想を膨らませていた。呆れたレイは、互いに空を彷徨ってばかりのフォークをそろそろ本来の用途の為
に動かしてやることにする。
「お前は子供が生まれてもステラにべったりだろうさ。子供が小さい頃から、お前に向かって“おとうさん、おかあさん取らないで”と言うこと、間違
いなしだ」
 口に運んだパイを味わいながら、レイは頷いて見せた。
「うまいな。これは……シン、キッチン借りるぞ」
「なにすんの?」
「これは紅茶のが合う」
 言うが早いか、レイは颯爽とキッチンへ向かった。シンが呆れたように笑うのが見えたが、気にせず勝手知ったるキッチンに向かった。

 

 

 

 

「っぶ」
「おお、どうした。アウル」
 一直線に走っていたアウルは門を曲がったところで、思い切りダットの足に突っ込んだ花壇に咲いた植物を採取していたダットはびくともせず、アウル
を見下ろした。
「オッサン!邪魔なんだよっ」
 アウルは勢い良く顔を上げて叫ぶと、そのまま走り去ろうと通り過ぎたがダットの手にあるものに目がいってその速度は落ちた。
「これが気になるのか?」
 手にした植物を見せながらダットは微笑んだ。
 そこには花壇から小分けに取り出され、各ポットに植え替えられたアイビーがあった。
「なに……それ」
「これは実験用のプランツだ。クローン題材のね」
 その言葉にアウルは息を止めた。植物たちは寸分の違いもなく、葉も根も形状のすべて同じなことは見間違いではなかったのである。
「ク……ローン」
 ダットは何でもないことのように頷くと、植物を大切にトレイに移しながら続けた。
「これまでのクローン技術はね、モルモットやこうした植物で試されてきた。そしてコーディネーターは禁忌を犯してついには人間でその実験を試し始め
た。その成果が……今の技術に繋がる」
 アウルは聞きながら漸く口内に溜まった唾を飲み下した。動悸がして胸を押さえると、ダットが僅かに表情を変えてこちらを見た。
「君達はこうしたコーディネーターの種をナチュラルとして開花させようとした結果、生まれた子供達だ」
「……そんなの」
 知っていた。
 しかし、言葉とはなんと驚異的なのか。形になった途端、それはおぞましい禁忌に触れたような後味の悪さを覚えた。自分のことなのに、他人のように
受け止め、それを罪深いと解釈するもう一人の自分。
「私が再びこうして植物のクローンを育て、実験をしているかというとね。原点にかえってみようかと思ったんだよ、アウル」
 ダットは強い意志の篭った瞳でアウルを見つめた。
「そうすることで、ひとつの答えにたどり着けそうなんだ。ナチュラルの……君達、エクステンデットのおかげでね」
「知るか、そんなの。協力したことなんてないね。それをいうなら、捕虜の実験体成果だろ」
「いつでもここを出て行くことはできるだろう。警備は玩具の銃しか持っちゃいない」
「出たって外はプラントさ!どうしようもないだろ」
「君の身体能力と技術なら、身体が子供だろうと港にいって船を一隻奪うことくらい可能だろう」
「なにが言いたいわけ?」
「出来るのに、そうしない。その理由は」
 見据えるように見つめられ、アウルは後ずさった。穏やかで、何もかも見透かしたような目をしたダットはゆっくりと微笑んで続けた。
「ともに、居たいと……そう思っているからだろう。その答えは、コーディネーターとナチュラルにとって幸せを呼ぶものとなる」
「コ、コーディネーターなんて、おれはどうだっていい!!」
「君の大事なステラを笑わせてあげることが、できるよ」
「!!」
 瞬いてアウルはダットを見た。どこかで見たことのある顔。
 優しくて、温かくて、包み込まれるみたいな、そんな顔をして、いつだったか両腕を広げてもらえたことが。
「約束したろう?叶えてみせるさ」
 ダットは目を細めて微笑み、アウルの側にしゃがんでその小さな頭を撫でた。その手の強さに身を任せながら、アウルは瞳いっぱいにダットを映して
かすれる声で呟いた。
「……地球に」
「そうだ。帰ろう、君の故郷にな」
 故郷。
 そんなもの知らない。そんなもの持ったことがない。

 それなのに、ダットの言った「帰ろう」という言葉にアウルは胸が詰まるのを感じた。
 自分に帰ることの出来る場所が?
 戦場に生き、戦場にしか帰ることのできなかったアウル・ニーダに?

 目覚めて手に入れた記憶は、大戦を生き戦った一人の自分と同じ顔をした少年の人生だった。
 泡めく海の中、最期はコックピットで爆発と圧力に潰されて朽ちた幕引き。そこから辿っても、辿っても、戦いと殺人の記憶しか手繰れなかった。そ
の中で、ほんの一瞬だけ、おぼろげに浮かぶ仲間との記憶。
 不思議だった。
 名前も、顔も、会話の内容も、全く辿れないのに、そこだけ消しゴムで消されたみたいに滲んでいたのに、会ってすぐにわかった。
 ステラが記憶の中の、温かい部分だと。

 そして、そこにもうひとりの仲間がいたことも。

 止まっていた時計が進みだしても、アウルはアウル・ニーダのコピーでしかない。
 十歳の体がこれから成長しようが、持っている所持品は「エクステンデットとして生きた少年の記憶」だけ。

 それなのに、今、これから歩もうと差し伸べられた手を取ってゆく道は。

「しらな……い…こんなの……しらない…っ…」

 桜色の甘い香りのする女の人が脳裏を掠めた。


“貴方も、愛されたいのですね”


 そうか。
 ダットのこの手は、そしてこの気持ちの名前は。

「ぁああぁうううあああ」
 痛いくらいにダットの胸を叩いた。叫んで叫んで、頬を流れる涙も構わず、ひたすらに大きなその胸を叩いた。
「こわいこわい、こわい……消さないで……これは消さないで!!」
 手にしたものを失う。
 奪われ、消される。

 知ってしまったアウルは、もうあの頃のように揺り篭に揺られることはできなかった。
 もう、そんなものはない、今でも。

 

 

 


レイ。

アウル。

書きたいこと、もりもり・・・。お留守に詰め込んでしまって・・・たいへん。

inserted by FC2 system