「ダット」
 ステラは渡されたマグカップを両手で包んで、柔らかい湯気の立つ澄んだ香りのミントティーに映りこむ自分を見つめて呟いた。
「そんなに心配かい?アウルが」
「ステラが怒らせたの」
「ほう……どうしてそう思うのだい」
「・・・・・・理由、わかんない。でも、ステラがあの顔、させた」
 ゆっくりとカップの中で葉を開くミントに、視線を委ねながらステラは沈んだ声で言う。その様子は叱られた子供のようで、ダットはつ
い目じりを下げて微笑んでいた。
 彼女の年齢は不詳で、推定十七歳程度だということしか断定できない状況である。それも、最新の技術を屈指ても多量に投与された更生
物質と、細胞覚醒を起こす実験の繰り返しでステラの身体は調べようにも正確な数値を示さない為だった。その様子から、彼女の精神的な
成長の度合いと、身体の成長は比例していないようで、見た目から受ける印象と幼いその仕草や性格は周囲の大人に希望を持たせるような
それでいて、行く末を不安にさせるような複雑なものだった。
 ダットはここ半年、何とかして彼女を救う手がかりを探そうと模索していたがどうにもうまくいかないのはプラントにはない、コーディ
ネーターは持たない遺伝子や細胞の変格だった。
 人体実験の禁じられた今、手元にあるものだけで探さなくてはならない治療法。それは皮肉にもこの研究所にいる戦争孤児と実験台となっ
ていた子達のことなのである。今生存している子供達の生きる道を、その子達利用して編み出さなくてはならない現実にダットは何度も苦
悩し続けている。しかし、出来うることをするしかない。それが犯した罪を償うことに繋がると信じて、今ここにいる子供達を救えること
だと信じて、ステラのことも迎え入れたのである。
 目の前にいるステラは、まだ幼さの残るすらりとした手足を持ち、透けるような肌に深い赤紫の瞳を輝かせる少女だった。さらさらと流
れる髪は儚く、それでいて生命を現していた。ここにくる前よりも随分と髪も伸びた。伸ばしたいのだと訴え、検査の為に入所時切らなく
てはならなかったことを泣いて嫌がったのを思い出す。
 ステラという少女は、ダットにとっても今では希望だった。
 ここにいる子供達は悲しく、冷たく、闇に屠られ生きることに億劫だ。戦争という灯火によって生まれ、その中でしか生きれぬ運命をさ
だめられたせいで、戦争がなくてはまるで廃人のような彼らに必要なのは成り代わる生きる場所なのである。それを誰にも教わらず、ただ
懸命に生きる力で得ようとしているステラを見てると、きっと皆がああして成長してゆけるのではなかと思えた。
 たとえ悲しみを抱え続けたとしても。
「ね、ダット。教えてほしい。アウル、わたしに会いたくないというの」
「……そうだろうね」
「わたしの顔がみたくないって」
 悲しそうに目を伏せるステラの頭をダットは優しく撫でてやった。
「それは、アウルが君のことを好きだからだよ。ステラ」
 ゆっくりとした声で言ってやると、ステラはそうっと顔を上げて翳っていた瞳に光を宿した。
「すき?」
「そうだ。ステラ、いいかい。言葉はすべてではない。心と言葉は別物だ。好きだと思っていても、嫌いだと……そういってしまうことも
あるのだよ」
 不可解な顔をしているステラが可愛くて、ダットは髪を混ぜるようにして撫でるとデスクの引き出しから一冊のアルバムを取り出して、
ステラに渡した。
「開けてごらん」
「うん」
 受け取ってステラはそうっと赤い表紙を開いた。
 思わずダットは苦笑した。本当に情けないものだ、人間というものは。
「これ……でぃあっか?」
「ああ。バカ息子が士官アカデミーに入学してからずっと……そうして写真と記事をスクラップブックに溜めている」
「わあ・・・・・・」
 めくるページの中には、制服を着て敬礼するディアッカの姿や表彰を受けている姿、ザフトでの功績、与えられらたMSのこと、様々な
活躍が留めてあり、ステラは年表のようなそのスクラップブックを瞬きも忘れて眺めた。
「私はね、ステラ。実を言うと息子とはずっと会いも話もしていなかったんだ。話したのはあの花火の日……あいつが士官アカデミーに入っ
て以来だったはずだ」
「どうして?心配ない?でぃあっか、戦争にいってたでしょう、いざくが教えてくれたよ」
「ああ」
「ほら、この記事・・・・・・え、これ捕虜になってる。でもああ、今はだいじょぶだけど、えと」
「ああ……すべて知ってはいたんだがな」
 ダットは純粋に不思議な瞳を向けられて、苦笑しながら妻にも結局は話もしなかったことを漸く吐露した。
「歯車がひとつ違えてしまっただけで人間とは簡単にうまくいかんもののようでね。今思えば些細なことだ。小さい頃から虫も殺せんよう
な倅が思春期にはその優しさを“弱さ”だと取り得て、打ち消すためか軍に入りたいと言った。私は言ったよ、お前には向いていないと」
 思い出す。
 ダットの言った言葉に憎むように睨み返した息子の瞳を。
「心配だったのではないんだ。理解できていないことに気付くべきだと、そう思った。強さであるはずの部分を弱さだと決めつけ見ない振
りをしていらぬプライドだけを抱え、強くなりたいと願うあいつにな」
 俺のこと、知りもしないくせに!
 ずっと放っておいたくせに!俺は一人で生きていくんだ、母さんを守っていくんだ。
 親父に俺の何がわかるっていうんだ。側に居もしなかったのに。
「あの時は信じることができなかった。あいつは優しく強い子だ、戦いの中できっと本当の強さの意味を知り、驕っている自分に勝つこと
が出来るだろうことをね」
「でも、でぃあっかはきっと」
「手の届かない場所でしっかり成長していたよ」
 いつの日か、己の手が汚れていることに気付く。
 誰かを守るつもりで傷つけていることに気付く。その時、見つめなくてはならない現実に優しいディアッカが耐えることができるのかダッ
トは心配だった。傷つき、打ちひしがれるだろう。それをわかっていて行かせることがどうしても出来なかった。
「だが・・・・・・きっと、言い方ひとつだったと、今では思うのだよ。ステラ」
「いいかた?」
「私は、お前には向いていないとしか……言わなかったんだよ」
 ダットは少し思い出して俯くと、心配そうに見つめるステラに微笑んで続けた。
「わかるかい?心と言葉は別物だという意味が」
「!」
「愛する息子は優しくて、銃を人に向けるような子ではないと……私は己のエゴでそう決め付けていた。そして私を否定された気がして、あ
の時はそう言った。好きにすればいいとも」
「ダット・・・・・・心配してた、でぃあっか、すきで……心配してた」
「そうだよ、ステラ」
 時に人は思いとは別の言葉を、思うことよりも強く反対のことを言ってしまうことがある。
 それが大きければ、大きいほど。
「じゃあ、アウル……ステラのこと、ほんとに嫌いなんじゃない?」
「ああ」
 嬉しそうに笑うステラは無邪気に喜んでいた。漸く安心したのか、手にしていたマグカップに口をつけてテーブルのクッキーにも手を伸ば
す。
「アウルも、大変だな」
「?」
「独り言だよ」
 好きな子に意地悪をしてしまう、言いたくなくてもきつくあたってしまう。アウルのそれは分かり易いぐらいの態度なのだが、当の本人に
は全く通じていないのだから、可愛そうなものである。
 賢い子なのできっとわかっていて、それでも抑えることの出来ない感情を抱えて苛立っているのだろう。そんなもがく姿を見ていると、ダッ
トには生前のアウル・ニーダという人物にとってステラがどれだけ大事な存在だったのか分かるようで胸が痛んだ。
「ステラは、恋とはどんなものだと思う?」
「こい?こいって……」
 大きな瞳をくるくると動かしてステラは懸命に頭の中の単語を捲っているようだった。しかし答えは見つからなかったらしく、困ったような
顔を最終的に浮かべてこちらを見た。
「誰かを好きになること、それを恋と呼ぶ。だが、君にこう言うと全員に恋してると言いそうだから、もう一つ質問だ」
「う」
 頷いて、素直に聞くステラの様子からやはり彼女の“好き”に種類がなさそうなことを思うが、ダットは咳払いして続けた。
「アスカ君への好きと、たとえばアウルへの好きは同じかな?」
「・・・・・・」
 ダットは優しい眼差しで黙るステラを見下ろした。
 彼女がどんなことを想い、今黙っているのか。今までにそんな風に考えたことがなかったのか、それとも言葉に出来ないだけなのか。
「シン、すき。アウルも、すき。みんな、大好きだよ」
「ああ」
「それは、名前をつけなくちゃ、だめなこと?」
「……時にはね」
「選ばなくてはいけない、こと?」
「人はそう、望んでしまうのだよ。それが人間の性というものかもしれん」
 誰かが誰かを選ぶ。そうして、交わることのないはずの人間同士が、繋がり、家族となる。
 その中で、繋がることのできる者とそうなれない者が生まれるのもまた、人が人と繋がってゆく上で必要なさだめだった。出会い、別れ、
そしていつか繋がる。そうしてずっと人間は続いてきたのだ。
 ステラにとって、家族という概念は少し他と違っている。もしかすると、人がどのように生まれてくるのかを知らないのかもしれなかった。
愛し合い、生まれる。そのことを知らないのかもしれなかった。
「ステラ、シンのことすきだよ。アウルのことも。アスランのことも、カガリも、ラクスも」
 そこからはたくさんの名前が連なった。ひとつも零さずにステラは愛する人の名前を言い続けた。」
「いいかい。ステラ、誰かを選ぶということは決して、その人だけとしかいられないという意味ではないのだよ」
「でも。ひとりしかって」
「そう。一人しか選べない。アスカ君はずっと前に選んでいるだよ。たった一人を」
「シンが」
「この世でたった一人、愛すると決めた人を彼は守ろうとしている」
 ステラの瞳はダットには分からない色で揺れていた。だが、大きな瞳が宿す感情の意味はきっと。
「わかるかい?ステラ」
 温かい気持ちでたくさんになった胸に、ダットは目を伏せて知らずと涙を流すステラを何度も撫でてやる。
 誰かに恋をして、誰かを愛するようになる。そして、いつかその誰かと家族になる。恋とはなにか、愛とはなにか。そんな意味や言葉な
ど知らなくても人はそれをすることができる。知らずと恋し、愛する。ずっと、ずっと、そうしてきたのだ。生命は。
 それでも、ステラという少女に言いたかった。知って欲しかった。
 愛し合うことが君を生んだのだということを。
 君はどこから来たのだとしても、どんな人生を歩んで来たのだとしても、愛し合った結果ここにいるということを。
「シン、シ……ン」
「そうだな。意地の悪い質問だったな。君だって選んでいたね、彼を。知っていたよ、でも」
「う、う、シン、シンに会いたい」
「君は知らなかっただろう?その思いが、そんなに大きいことを」
「あいたい、ダット、あいたいよ」
「それが、恋し焦がれるということだよ。ステラ」
「うぅあ、ああ」
「困った娘ができたものだ。教えてやらなければならないことだらけではないか」
「ぅええ、ああぁ」
「本当に……困ったものだ」
 泣きじゃくるステラは抱きしめると小さい。けれどしっかりとした一人の女性だった。背伸びでもない、無理をするのでもない。彼女は
立派な恋する女の子だった。
「ディアッカに文句を言われるなあ」
 苦笑する。
 目じりに寄ったたくさんの皺が己の生きてきた年輪のように重なった。
 泣いて、行かないでと縋った幼き日の息子を思って、ダットは微笑んだ。抱き締める手を強めて、いつかのあの日に還るように。

 

 

 

 

 ルナマリアのあんな顔、久しぶりに見た。
 シンは胸が嫌な気持ちで満ちるのを感じて顔を横に振った。
「先輩?」
「いや、ごめん。なんでもない」
 不安そうな顔で見返してくるサラに、シンは少しだけ生まれた苛立ちを隠すように笑った。
「それより、お前も次は実習だろ。行けよ」
 シンは手にしていた缶コーヒーをゴミ箱に放り投げて、立ち上がった。目の前にいたサラは手元の紙コップを見つめたまま動かない。そ
の様子が少し気になったが、今のシンは先ほどのルナマリアの剣幕が気になってそれどころでもなかった。
「俺、行くぞ」
「先輩」
 行きかけたシンはその勢いに驚いて肩を踊らせた。なんとなく続く言葉が想像できてシンは思わず先に言葉を発した。
「サラ、俺急ぐから」
 短く言って、何か言いたそうなサラの顔は見ずにシンは背を向け、早足でレクリエーションルームを出た。
 自分でもそれがなんとも情けない態度を取っているとは承知していたが、頭の中はルナマリアの顔と言葉と、渡してしまったあの手紙の
ことで一杯だった。
 これではまたどやされても仕方ない。
 ルナマリアにも、サラにも。
「・・・・・・なんだって、俺は責められてばっかなんだ」
 わかっていた。悪いのは自分だ。はっきりした態度を取れないことも、それがサラにどんな態度を取らせているのか。そして決まりきっ
たことを抱えているくせに煮え切らないままのシンを、ルナマリアがあれだけ怒ることも。
 なのに、気持ちはいつまでも晴れない。晴れてくれない。
「あー・・・っもう!俺、何やってんだ。何がしたいんだーっ」
 思わず叫んだシンだったが、ここがミネルバで、しかも廊下で、しかもタリア艦長に出くわすタイミングだなんて思うわけもなく。
「あら。シン、相変わらず血の気が多そうね」
「艦長っそっそれは、その」
「ちょうどいいわ。付き合って頂戴」
「え、でも、あの……俺、次の区分、新人研修なんすけど」
 なんてタイミングで出くわしたのだとシンは心底己を呪って、なんとか言い訳してみた。
「そんなのいいわ、レイに言っておくから」
「え、いやあの」
 笑顔で強制するタリアに、シンは冷や汗をかきながら笑って見せた。必死の繕う笑顔もタリアの前では無意味なようだが。
「私に突っ込まれたら困るって顔ねえ。心配しないで、若い者の悩みはスポーツで解決と相場が決まっているの」
「あの、何の話です?」
「ちょっとね。だから言ってるでしょう?付き合ってって」
 言うが早いか、タリアはシンの腕を引っ張って歩き出した。
 

 

 

 


<日ごろの鬱憤、晴らしてくれるーっ!!>
 MSから響き渡る声に、観戦していたクルーたちはどっと沸く。もうかれこれ三十分ほど続いているこのMS対戦試合は、新型開発の試
運転でラボかっら回ってきた機体を使ってのものだった。
 両機とも腕に赤と白のマーカーをつけて、ブレードのみを使用した一本勝負である。
<本気になりすぎなんですよっアスラン・ザラ!!!>
<だから負けるのさ、お前がな!>
 もうMSに乗って戦をすることもなくなった昨今だが、シンもアスランも現役の時よりも使いこなしているぐらいだった。それほどにM
Sの開発と普及は進み、それが軍用以外の目的で使われるようになっていた。
 しかし、カガリがずっと懸念しているように、またも武力となり得るこの技術に警戒が必要なのも事実だった。いつでも物事は平和を隠
れ蓑にした水面下で進んでいるものだ。いつMSがまた戦争の火種となって世界を揺るがすかわからない。そう思えばこそ、シンを含めア
スランたち、かつてのMS乗りは退かず、こうして目を光らせている現状だった。
 ただ、これははっきりいって遊びである。
 性能を試験なんて体のいい建前で、完全にこれは。
<お前がステラに相応しいか、俺がここで試してやるからな!>
 それである。
<あのねえ!アスランさん!ひがみ根性もここまでくると、うざいですよ!>
 シンの必死の反撃を受け流しながら、アスランは涼しいほどの剣捌きでシンのMSを軽くいなした。
<ひがみだと?違うな>
 アスランはふっと笑うと、握った操縦桿に力を込めて一息でシンの背後に回った。その機動性と順応力に観戦していたヴィーノは唸るよ
うに歓声を上げた。
「すっげえ!一体、一速から二速へどうやってシフトチェンジしてるわけ・・・・・・?」
「確かに、プラント本体が自慢げに送りつけてきただけはあるわね」
「艦長!あれ、ほんとに凄いっすよ。中、開けてみたいなあ」
「心配しなくても、これが終わったら早速修理よ」
 タリアはあっさりそう言うと、微笑んで再び二人の戦場となっているオーブの運動試験場を見下ろした。
<……ちょっと!マジでやりすぎですって!>
<なんだ?お前、腕が鈍ったのではないか?こんな良い性能の機体に乗っておいて……忘れちゃいないか?俺とお前、同じ機体だぞ>
 シンはぎりぎりと歯噛みして、操縦桿を握りなおした。
 確かに性能も機動性も、インパルスどころか、デスティニーやジャスティスをも超えているのかもしれなかった。それでも初めて搭乗す
る機体だ。操作性の上で、シンには常時と違う部分があって戸惑っていた。
 それなのに、アスラン・ザラ。この人は。
「どこまでいっても、ムカツク人ですよ……あんたはっ」
 シンは苦々しく吐き出すと、片手を端末に走らせて機内の構成をざっと確認する。一体、自分は何に違和感を覚えているのか。
<沈黙している場合か?>
 しかし、じっくり探す暇などアスランが与えてくれるわけもなく、シンは襲い来る相手の攻撃を受けながらなんとかパネルを操作した。
「何か……何かある。あるはずだ」
 逸る気持ちを抑えて、シンは息を吐いた。
 右、左、突き上げられる豪速度のサーベル。息を殺して、じっと集中していないと避けることもままならない。この緊張感、焦燥感、久
しく感じず、忘れかけていた戦場の匂い。
 ぎりぎりの死線で操り、ぶつかり合う機体同士は擦れ合い火花を散らす。
 アスランの攻撃は、しなやかで隙がない。攻撃に出た際に生じる隙にいつでもシンは付け込まれる。そう、攻撃が浅いのでる。大振りす
るから反撃がクリティカルヒットしやすい。ずっと訓練の頃から言われ続けていることだった。
 しかし、性格上どうしてもかっとなりやすい為、治らない。大雑把といわれる攻撃も速度でカバーすれば何とかなる、それがシンの戦い
方だった。戦時中からそれを目の前の先輩にはいつも“でたらめ戦法はよせ”とどやされてきたわけだが。
<いい加減、気づくことだ!その戦い方では、俺には勝てんぞ。シン・アスカ!>
<そんなの……やってみなけりゃ、わからないでしょうがああっ>
 叫びながらシンはパネルの端にあるブースターに気づく。
 これを使えば瞬時にソフトチェンジする機動性を発揮できるはず!心に湧いた活力を敢えてねじ伏せて、シンは息を吐いた。冷静に機体
を反転させ、アスランの背後に回った。
<この>
<アスラン・ザラ、あんたはここがいつもガラ空きです・・・・・・よっ!>
 サーベルは単純な動きでアスランの機体の脇を突く。一瞬で引き抜かれたサーベルの軌跡から、ジジジと電子音が響いた。
「おおおー!やるじゃん、シン!!」
 ヴィーノの声は弾んだ。目の前で繰り広げられるかつての英雄たちのMS捌きに瞬きするのも忘れていた。隣にいたヨウランも口笛を吹
くと面白がるように手帳を開いた。
「これ、もしかしたらシンの奴……初白星かもな」
「そうなったら、ミネルバの新人たちに俺ら奢らなきゃならないよー」
「そうだね。何故か新人たち、みんなシンに賭けてたもんなあ」
 顎を触って言うヨウランにヴィーノは微笑んで、視線を戻しながら言った。
「何言ってんだよ。シンは昔から、どーしてか好かれるじゃんか」
「・・・・・・まあな」
 不器用だが、真剣。いつでも親身になって分け隔てなく世話するシンは、どこでだって好かれる奴だ。仲間であり、親友である二人には
シンがかつては世話されてばかりだったことを知っているだけに、苦笑してしまう。結果、新人にもなんだかんだ言って世話されているの
だろうシンを思うと余計に、である。
「さあて、これはどうなるでしょうねえ」
 言いながら、ヨウランはタリアを盗み見た。
 楽しそうである。きっと、この対戦を一番楽しんでいるのはこの人だ。
「艦長はどっちに?」
 熱く向けた視線は運動試験場にやったまま、タリアはいつもよりもテンションの高い声音で言う。
「もちろん、シン・アスカよ」
 観戦ポッドが沸いたのは、言うまでもない。
<いい太刀筋だ。だが……シン、俺もお前の弱点を知っている>
<!?>
 言ったかと思うと、背を取っていたシンの機体をアスランは跳び越えた。まさに、跳躍して。
<あんた、化け物かっ>
<お前は自分の十八番だと思っているだろう?奇抜な速攻は>
 冷やかな声でアスランは笑うと、驚いて止まっているシンの背を両腕で羽交い締めにして、即動きを封じた。
<よくもそれで……生き残ってきたものだ!>
<ぅえっ>
 レスリングのようにそのまま投げ倒され、跨られたシンの機体は起き上がることも出来ずにじたばたと足掻く。アスランは容赦なくMSの
首根っこを掴むと、もう片方のサーベルを持つ手を掲げた。
<チェックメイトだ。シン!>
 機内は警告音で満ちていた。
 シンはじっと前を見据え、アスランの構えたサーベルに視点を合わせていた。そう、諦めてなんかいない。
「甘いのは……あんたの十八番なんじゃないですか。アスラン・ザラ!」
 シンは掴まれた首を離脱させ、そのまま機体をアスランのMSにぶつける。
<なっ>
 傾いだ機体をなぎ倒し、シンはそのまま背を踏み台にしてアスランの手からサーベルをもぎ取った。
<すいません、俺の勝ちです>
 ハッチを開けて出た来たシンは、ヘルメットを脱いで満面の笑みでそう言った。

 

 

 

 

 

「・・・っかー!うまい!」
「勝利の美酒ってやつだな、シン」
「オレンジジュースだけど……」
 ヴィーノとヨウランにばんばんと背を叩かれ、シンは苦笑しながら頭を掻いた。
「お前、本当に変わらんな」
「アスランさん」
 片手にビールを持ったアスランが、シンたちの側にやってきて呆れたように言った。
「俺の勝ちは勝ちですよ」
「わかっているさ」
 タリアが用意してくれたオーブにあるレストランでミネルバクルー達一同でこうしてお疲れ会をしているのだが、当然のように話題はこ
の二人を中心に沸いていた。
「ビール、いいなあ」
「シンには早い。いいか、内緒だからな?こないだの」
「わかってますって」
「何の話っすか?」
 こそこそと話す二人にヨウランが不思議そうに覗きこむ。慌てて身を放すシンとアスランにますます首を傾げた。
「それより、ああ、その、ヨウラン。メカニックとしてはどうなんだ?あの機体」
 ラボからきたあの機体は、対戦の後すぐにドッグに運ばれた。どこで戦ってきたんだと思うほど傷んだ機体に試運を見ていなかったクルー
達は呆れた嘆息を漏らしたものである。
 アスランが気になるのは、機体が戦闘用として活きるかどうかだった。そう開発されているなら、懸念の材料であるのだ。
「まだちゃんと中身見ていないから分からないんですけど……機動性から見て、結構な代物ですよね」
 皿にたくさんのおかずを盛ったヴィーノが興味を示して、口をはさむ。
「ていうか、その機動性って何の為なんでしょうね?」
「さあな。建前はきっと、建設だの搬送だのと言うのだろうが……」
 眉を顰めたアスランの肩をシンは軽く叩いて、微笑んだ。
「大丈夫ですって。その為に俺ら、まだ軍にいるんですから」
「……ああ、そうだな」
「にしても。久し振りに、体動かしましたよ。なんだか、楽しかったです」
 笑って言うシンにアスランも同じように微笑んで、頷いた。シンの言うようにこんなふうにMSに乗ることは久しくなかったし、もしかす
ると初めてだったかもしれない。
 戦争の為に学び、戦う為に実戦訓練してきたアカデミーでは遊びで乗るなんてことはなかった。実際、戦闘に出てからはもっとあり得ない
ことだった。それを思うと、あんなふうに乗れたことは貴重なことだったのかもしれない。
「なあ、シン。ルナマリアに怒鳴られたんだって?」
「げ」
「なんだ、その“げ”って」
「・・・・・・どうして、あんたが知ってるんです?」
「レイに聞いたよ。MS搬入の時に一緒になったから」
「あいつ……」
 盛大に溜息をつくシンに、アスランは苦笑して続けた。
「ステラがらみか?」
「いえ、その……うーん、そうなのかな。なんて説明したらいいか」
「サラ・リノエがらみですよ」
 シンの肩を寄せながら、ヴィーノは意地悪く笑う。少し逡巡して、アスランは瞬く。
「ああ、お前のことが好きだという変わった新人か」
「変ったって」
「お前、まだちゃんとしていなかったのか?」
「まだって……別に、どうにかすることなんて」
 しどろもどろに言うシンに、アスランもヴィーノもヨウランも同じようにやれやれと肩を竦めた。
「見て下さいよ」
「ああ。こっち見てるよな」
「明らかに好きオーラですよ」
「本人にだけ通じてないわけだな」
「っていうか、モテてる気になって気付かないふりをシンがしてるんじゃないかと最近思ってきました」
「ヴィーノ、お前それはひがみじゃね?」
「違うって」
「だが、一理あるな。調子に乗りやすいからな、シンは」
『シン・アスカに、ねえー』
 最後には三人声を揃えて、呆れた顔で見られても。
「なんだよっ皆して!」
 シンは叫ぶように言うが、ヨウランに指さされてそちらを見やると、遠くのテーブルにサラを見つけて思わずアスランを盾にして隠れる。
「本当に情けない奴だな」
「アスランさん〜」
「あのな、シン。はっきりしてやるのも優しさだぞ」
 大真面目な顔で言うアスランに、今度はシンとヴィーノとヨウランが顔を見合わせた。
「いやいや、アスランさんの戦時中のこと思い返すと」
「人のこと言えないよなー」
「ルナマリアにもメイリンにも、っていうか、ラクス様もさあ」
「モテる男は違うよなと思ったけど、めちゃくちゃ中途半端な態度だったよな?みんなに」
「アスランさんの場合、本命にもそうなんだぜ?」
「えー!カガリ様可哀そう」
「だよなあ、それで結婚まだなのかあ」
「な?アスランさんのが酷くね?」
『さすが、アスラン・ザラですねー』
 最後には声を揃えて、じと目で見られても。
「おっ俺の話はいい!そういう話ではないだろう?!」
 言い返す言葉を言うか言わまいかアスランは迷ったが、墓穴を掘りそうなのでやめておくことにした。
「シン、お前はとにかくステラの為にもしっかりしろ」
「あ、話そらした」
「シン」
 制するように言われて、シンは目を伏せる。
 頭をがしがしと掻いて、困ったように溜息を吐くと視線の端にサラを捉えて弱弱しく言う。
「……わかってますって。でも、俺それよりもまず自分の気持ちとか自信とかがなくて……せっかく送ってきてくれたステラの手紙も未だ読
めもせずで……色んなことが怖くなって」
 弱くなっていくシンの声に、アスランは黙って聞いていた。
「ビデオレターに、見てくれるかわからないけど……ずっと言いたかったこと、言ってみたけど見てるかわからないし。見ていたとしてもど
う思っただろうとか……もう何だかいろんなことが怖くて」
「会えないからだな」
 短く言うアスランの言葉は厳しくはなかった。優しくもなかったが、今のシンには一番素直にうなずけるものだった。
「自分が怖いです」
 ぽつりと言った言葉は宙に浮いたまま。
「触れることができるほうがいいだろう、って。側にいることができないより、どんな時も側にいることが出来るほうが幸せなんじゃないかっ
て」
 シンは苦しそうに続けた。アスランは黙って、そのままでいる。言いたいことは痛いほど分かる。シンが言いたいのは自分のことじゃない。
「……ステラにとって、俺ってどうなんだろうって。思うと同時に、俺自身もどうなんだろうって。そう思ってしまったんです」
 サラに聞かれて。
 知らずと、彼女の手を取って。
「シンは、プラトニックすぎるんじゃない?」
 沈鬱な空気の中、ヨウランは軽くそう言った。
「え」
「ほら、大事にしすぎるとさ。お互い人間なんだし、リアルな欲望って当たり前だろ?触れたい、なんてさ。当たり前じゃん」
「ま、まあ」
「健全すぎるんだって。だから、こう、不安になるんだよ」
 ヨウランは笑いながら、力強くシンの背を叩いた。
「俺のもんか?みたいな」
「う、うーん。そういうもんなのか?」
 あまりにあっけらかんと言われてシンは戸惑いながらも、思わず乗り出して聞き返した。隣で聞いていたアスランもぱちぱちと瞬いて視線を
向けていた。
「そういうもんだって!なあ、ヴィーノ」
「え?俺?」
「お前だってな?ラクス様のポスターだけじゃ我慢できないよな?」
「・・・・・・まあ、ライブとかサイン会は欠かせないと思う」
「だろ?」
 得意げにヴィーノに振るヨウランにシンは更に乗り出して、拳を握り締めた。
「ということは」
「そうだ!シン!押し倒せーっ」
 ヨウランの声と共にヴィーノも揃って、シンの頭をかき混ぜる。
「ちょ!おま、やめろって!」
「なはは」
 三人はもみくちゃになりながら、ふざけあって殴りあっている。アスランは軽く苦笑を漏らすと、肩を竦めて目を細めた。
「……持つべきものは友、だな」
 呟いて、アスランは少し思案する間を置く。そして、はたと気づいたように組んでいた腕を解いて、その殴り合いに参戦する。
「シン!ステラを襲うのは許さんぞ!!」
「わああっアスランさん!何やってんすか!」
「んぎぎぎ・・・・・・阻止するっ阻止するぞーっ」
「ほ、本気にならないでくださいって!」
 もう、怒っているのか笑っているのか泣いているのか、わからないほどにくちゃくちゃになっていた。皿はひっくり返っているし、飲み物も
こぼれているし、酷い有様だったが後に残ったのは笑い声と、殴られた跡だけ。
 シンを囲み、こうしてかつての仲間が笑い合うことができることを全員が感謝した。あの頃は築くことも、作ることも出来なかった時間を過
ごせること、それは生きている証に思える。
「ありがとう。俺、頑張るよ」
 はにかんで笑ったシンを、ヨウランもヴィーノもからかうように肘で突いたが、アスランだけは。
「頑張るってどういうことをだ?」
 未だ、食い下がる気満々だった。

 

 

 


お留守番、もう15話でした・・・。あらら。

もうすぐ双子誕生日ですね!かくぞー、かくぞー!

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