ラクス・クライン。
 この名前を知らない奴なんていないのではないかとアウルは思う。ラボで発見され、このフェブラリウスに移送されてから知った名だがどこにいてもこの
女の名を聞かない日はないのだ。
 アウルを介抱してくれた侍女がまず開口一番にこう言った。
 貴方は、ラクス様のご慈悲に感謝しなくてはね。
 どんな偽善者で、どんな鼻先を折りたくなる様な気に入らない面をしてるのかと思えば、女だ。しかも、ちょっとズレた感じの。アウルは辟易してそんな
自分と関係のない女のことなど、忘れているに等しかった。それなのに。
「アウル、貴方に見せたいものがあって」
「俺は別に見たいものなんてないね」
 ぞんざいに答えても、ラクス・クラインはまったく気にした風もなく、桜色の髪を揺らして微笑む。アウルはすぐにそっぽを向いて、全く揺れない快適で
大仰な車の中から外を眺めた。流れゆく景色は、記憶の中のものとなんら変わらない。ちっぽけな街のありきたりの風景だ。
 行きかう人、手を繋ぐ親子、楽しそうに会話する恋人たち。ここに声など聞こえるわけがないのに、アウルの耳にはそのそれぞれが喋る声が届くようで胸
が気持ち悪かった。つい顔を振って、すぐにそこから目を反らす。けれどそこで、しまったと思った。そう、この女はアウルを観察しているようできっと今
の様子も見ていたに違いない。
 アウルは苦々しい思いで顔を歪ませると、息を吐いた。
「・・・・・・なに、笑ってんの」
「ごめんなさい」
 くすくすと楽しそうに笑うラクスにアウルは苛立ちを隠さず、睨んだ。
「貴方は随分とステラとは違うものですから・・・・・・第81独立機動軍というところは個性的な軍人さんの集まりだったのですね」
「個性的?ただの殺人鬼の集まりさ」
「まあ。可愛らしい殺人鬼ですわ」
「なめてんの?」
 アウルは小さな手足をラクスに向き直させて、眼光をきつくしたまま低い声で言う。
「俺がこんなチビでガキの格好だろうと、中身はそうじゃない。あんたもよく知っての通りの第81独立機動軍っていうのはロゴスの作ったもんで、ブルー
コスモスを隠れ蓑にした兵器郡さ。軍、じゃねえ。兵器なんだよ。あんたのお仲間だって何人も散ったろ?そのためにあった組織さ。それを、個性的?ステ
ラ?可愛らしいだって?」
 口内に嫌な苦さが増して広がる。アウルは言いながらどうしてこんな気持ちになるのかわからず余計に苛立った。見る色の変わらないラクスの瞳が増して
気に入らない。
「殺したんだよ、俺が。散ってった奴、みんな。殺してやったんだよ!はは」
 笑いが起こる。止まらなかった。くつくつと込み上げる笑いにアウルは必死になって身を任せた。なんて可笑しいんだ。俺は僕じゃあない。それなのにい
つだってこの両手は、見下ろすと真っ赤な気がした。違う記憶が重なって見えた。
「言えよ・・・・・・それでも可愛らしいですって言ってみろよ!!」
 大層な車内は運転手と後部座席が全くもって別離されており、こうしてアウルが叫ぼうが車は平穏に走行したままだ。この女の首を絞めたって気づきやし
ない気がした。
「言われたいのですか?」
 何を言っているんだ。この女は。
「可愛いと、言って欲しいですか?」
「バカじゃねえの!?」
「あまり、バカとは言われたことはないですわ」
「そんなこと聞いてねえんだよっ」
「そうでしたわ。貴方のお話が聞きたいのでした」
 ラクスはいきり立つアウルを全く無視して、ぽんと手を打つと微笑んでアウルの体に両腕を差し込んで寄せてきた。
「ぉい!」
 つまりは、ラクスはアウルの小さい体を抱き寄せて膝に座らせたのである。
「なにする!離せ!」
「いいじゃないですか、だっこしたって」
「だ、あ、あのなあっくそ女!離せ!」
「ほら、見て下さい」
 ラクスは全くアウルの不機嫌など気にもせず、車窓から朗らかに指をさした。
「なんだ……あれ」
「動物園ですわ」
「動物、園?なに、そのふざけたものは」
「……確かに、ふざけたものかもしれませんね」
 ラクスの横顔が微かに苦い色に変わったように見えて、アウルは目を逸らした。
「人は、時に自分以外のなにかに縋りたいのでしょう」
「……は。くだらない言い訳だな」
「貴方は動物園を見て、人間は自分が上位だと思うがために動物を閉じ込め眺めていると思いますか?」
「戦争と同じさ」
 短く答えてアウルは口を噤んだ。言いたいことはあったが汚い言葉で罵ったところで、見下した支配的な心理はアウル自身が一番理解できるものなのだ。そ
れを今まで一度も後悔したことなどない。それでも、この女とその話をしたくはなかった。
 白いものが嫌いなことと似ていた。
「つきましたわ」
 アウルを膝に乗せたまま、ラクスは微笑むと自然な動作でドアのほうへアウルを導きまるで親子のように外へ降り立った。知らぬまにそれに従ってしまった
自分に舌打ちしながら乱暴にラクスの手を払った。
 気を取り直して見上げたその場所は、何かの博物館のようで大きく硝子ばりの無機質なものだった。
「さあ、参りましょう」
 桜色の髪が目の前を舞う。それに目を奪われながら、アウルは動かせない視界にその先の文字を見つける。
 人類歴史博物館、そう書かれていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 初めて見たとき、なんて純粋そうで綺麗な瞳をした少年なのだろうと思った。

 爆撃と阿鼻叫喚の中だったのにも関わらず、パイロットスーツで颯爽とMSに向ってゆく少年をサラはじっと囚われたまま見つめた。その後すぐに空を舞い
飛び立った一機の小型艇のようなものが後から出てきた機体と空中で換装し、一体のMSへと変形したのを見て、そこに彼が乗っているのだということもすぐ
にわかった。
 そして、父親に無理やり手を引かれシェルターに降りるまでの間、響き合う轟音の中で彼に再び会うのだと決心した。
「……サラ」
 驚いたまま表情を変えれずにいるシンにサラは微笑むと、何もなかったように両腕の拘束を解くといつの間にか遠隔操作で辿り着いたミネルバからのバイク
を振り返った。
「行きましょう」
 言って、返事を待たずにバイクの側へ歩き出す。後から、躊躇った間を置いてシンが追ってくるのがわかる。それを意識してサラはそっと苦笑した。シン・
アスカという人は、そういう人だ。
 誰であろうと、放っておけない。罪な人。
「俺が運転するから」
 そう言って、シンはサラより先にハンドルを握る。それが彼の当たり前なのだろうことが分かるさりげない仕草で、サラが後ろに跨りやすいように腕を引っ
張って引き上げてくれる。渡されたヘルメットをかぶって、シンの体に思い切って腕をまわした。
 走り出したバイクは一直線に海を目指して風を切る。
 夕焼けがもう暗闇へと混じり、闇が勝ちだすその空をサラは苦しい思いで見つめる。腕をまわし抱きつく愛しい人の背は頑なで、自分を拒絶しているように
感じる。それでも、引き下がるという選択肢はサラにはなかった。引けはしなかった。
「……ついたよ。寒かったか?」
 シンは海岸の手前にバイクを止めて、先に降るとサラの手を取って下ろしてくれながらそう言った。
「いいえ、大丈夫です。先輩は本当優しいんですね」
「そうか?デリカシーがないって良く言われるけど」
 返すシンは気まずさを一瞬忘れて普通にサラに苦笑を見せた。それをサラが微笑んで見つめ返すと、慌てたように視線を泳がせる。そんなところもサラは好
きだと思う。ずるくても、人はそういうものだ。
「すっかり真っ暗ですね」
 サラは言いながら、軽い足取りで海岸のほうへ歩き出す。静かで規則的な小波の声が響く海岸は、真っ暗だったが遠くに見える灯台の灯りがゆっくりと訪れ
ては流れてゆく。
 好きな人と、こんなロマンチックな展開。だったら良かったのだが、振り返った意中の人はこの世の終わりかと思うほど暗い表情だ。
「サラ」
「……先輩、私なら側にいます」
「サラ」
「私なら、貴方より先に死んだりしません」
「サラ、」
「私なら先輩より先輩を愛せます、私なら先輩をひとりにしたりしません、私なら私が貴方を笑わせます……私なら」
「もういいんだ、サラ」
 じっと視線を離さずに見詰めたシンの双眸は言葉を放つたびに悲しみに満ちてゆく。それが悲しくて、辛くてサラは次の言葉が紡げない。そんな顔がさせた
いのではない。そんな思いをさせたいわけじゃない。困らせたいのではないのに。
「どうして?どうして伝わらないの?どうして私ではダメなんですか?どうしてそんな目でしか私を見てくれないんですっ」
「……ごめん」
「言ったでしょう!?謝ってほしいんじゃない!」
 駆け寄って掴んだシンの両腕は優しかったが、示しているのは拒絶だった。受け入れてくれない腕。
「私が初めて出会ったあの日の貴方は、拠り所がなくて震えてるのに強くあろうと外に出た雛みたいで、私忘れられなかった。あの日、だから決めたんです。
私がこの人守りたいって。何も知らない、話したこともない、名前も知らない。それでも、それでも」
「……アーモリーワン」
「そうです!あそこで私は貴方に出会った」
「あの時はごめん、ぶつかって……故意じゃなくてもなんだか失礼なことしたし」
 シンは思い出して申し訳なさそうに言う。サラには何のことか分からなかったが、今この状況で何かに縋りたくて否定はしない。
「君だったんだろ?街でぶつかった子。本当言うと、ぶつかってから俺……忘れられなかった。金の絹みたいな髪、燃えるように俺のこと睨んでたあの瞳……
ずっと心のどっかで引っかかってて……だから、ステラに出会った時、俺はこういう子に弱いんだなって笑えた」
 思いだしたのか、シンは俯いて笑った。懐かしむような、それでいて今起こったことのように。
 それは私ではない。
 サラの心は澱みなく、ただ一心にどうすればこの人を振り向かすことができるだろうと真っ向から動いていた。どんな手も、言葉も使えばいいと思うほどに。
「そ、う……私です。覚えてくれていたんですね」
 だから、そう言った。
「私のほうが先に……出会っていたのに」
「サラ、俺はステラを愛してる」
「そんな人、知りません」
 心臓が裂けそうだ。苦しくて、大好きな憧れの人を前にしているのにどうしてこんな気持ちなのか、急に思い出して泣きそうだった。
「そんな人、私は知りません。私はずっとアスカ先輩を……シン、貴方を見ていました」
 想いの丈をひたすらに拳に込めて、シンの胸を打つ。痛いはずなのに、彼は黙ってされるがままでいた。それがサラにさらに辛くさせた。
「私ではだめですかとは聞きません。私にしてください」
「俺はステラでないと駄目なんだ」
「聞こえません」
「聞いてくれ、サラ」
 朱色の瞳が揺れて動くと、ゆっくりと深い色を湛えてサラを捉える。ミネルバで見せる意志の強い凛とした瞳ではなく、一人の青年としてのものだった。それ
はとても魅力的で、サラの心を奪うのに十分な力を持っている。
「俺は、たくさんの人を殺してそれでも今生き残ってここにいる。あの時、力を手にして戦って大戦を生き抜いて何を手にれた?何を勝ち取った?そう問われて
も本当のところなにも答えられない。ただ、生き残ってしまったと、それしか言えない。そう思ってこの二年過ごしてきた。でも、最近よく思うんだ。いや……
もしかすると、ステラが還ってきた去年の冬のあの日から、思うようになったのかもしれない」
 目が逸らせない。サラはぐっと歯を食いしばってその朱色の瞳を見つめ続けた。違うのだとわかる。あの日、出会った少年ではないのだと。サラが目を奪われ
心奪われたあの日の雛は、もうずっと遠いところで成長して巣立ってる。青年になった彼の瞳はここにはいない誰かを見つめ続けている。
「ここにいることには意味があるって。俺が情けなくも生き残ったことに意味があるって。そう思わせてくれた人がいる。仲間のみんなはずっとこんな俺をいつ
か気づけばいいって見守ってくれてて、俺はそれに気付かなくて、ずっと独りだと思い込んで馬鹿みたいに。あんなに一緒にいたのに。こんなに凝り固まった俺
に信じさせてくれた人がいるんだ。もう一度、信じる勇気を教えてくれたんだ」
 ステラ、そう呼ぶ彼は求めてやまない想いをサラにまで教える。そんなこと知りたくないのに。どう足掻いても意味がないことなど知りたくもない。
 微かに細めた視界の先にサラはシンを捉えて、深呼吸した。
「言いたくないけど、言います……再会できた時、貴方は幸せそうではなかった。私、貴方が好きだから、貴方のことをずっと想ってきたから。仲間のように側
にいれなかったけれど、私はずっと祈ってた。生還を知った時、叶わないことなんてないって思った。なのに、再び会った貴方は笑ってなかった。死人みたいな
顔をして暗い顔をして……私、引けない。そんな軽い想いじゃない」
「軽いだなんて思ってない、サラがそうして俺の知らない間にそんなふうに思ってくれてたこと」
「思ってなくても、わかってない!」
「今知ったんだから、わかるわけないだろ?それに、俺はわかっても応えることはできない」
「じゃあ、どうして幸せそうにしてないの?笑っていてよ!どうしてそんな顔してるの?引けるわけないじゃない、酷いよ、こんなの……諦められない!」
 ステラという人を知らない。
 見たこともない。
 シンから聞いたことだってない。彼の口から出る「ステラ」という名前を今初めて聞いた。思うよりずっと酷い衝撃だった。知らないからこそ頑張れる。知ら
ないからこそ、嫌う事が出来た。隣にいることの許されている幸せな女の子のことを。
 守られてばかりの、愛されてばかりの、帰ってこなくてよかったのに帰って来た敵だった女の子。私の方がずっとシンを幸せにできる。当たり前の、どこにで
もある有り大抵の幸せをシンに与えることができる。聞けば倒れてばかりだと聞く。そんな子より、ずっと私の方が。
「好きです。私は貴方の事が好きです」
 困った顔。開こうとして動けないでいる口元。
「私はどこにもいかない。貴方を置いて、どこにもいかない」
 笑いたかった。笑わせることができないのなら、せめて笑っていたかった。サラは泣くことだけは避けたくて、もう一度口唇を噛んだ。精一杯の笑顔を浮かべ
ようと必死だった。そんなサラをシンの瞳は優しく見つめていた。
「ありがとう、サラ」
「やめて」
「ありがとう」
 サラは伸びてきたその優しい腕を避けるように振りほどく。それでも愛しい人の腕は気にせずにサラの肩を掴んで寄せた。
「応えてあげれなくて、ごめん」
「やめ……て」
 涙が嫌でも溢れて頬を流れる。息が出来ないほど苦しかった。それなのにシンの腕の中は温かくて優しい。
「たくさんの人を傷つけて、それでもまだ俺はこうして君を傷つけてるな」
「……やめて、ください」
「俺より良いやつなんてたくさんいるよ。こんなどうしようもない奴よりさ」
「っ!」
 顔を振って、思い切りシンを突き放すとサラは形振り構わず顔を上げてその愛しい人の頬を思い切り叩いた。
「……嫌いになれたら……いいのに」
 掌がじんじんと痛む。それくらい思い切り叩いた。
「嫌いに」
 滲む涙を手で拭って、サラはシンの胸倉を掴んで引き寄せる。
「キスしてくれたら忘れてあげます」
「サラ」
「しなさいよ!」
 こんなにも怒鳴ったことなんて今までにない。こんな声、出せるんだと驚く。
「意気地なし!」
「……ごめん」
 もう、どうすればいいのかも、どうしたいのかも、何もかもわからなくなっていた。
 聞こえるのは、規則的な波音だけ。
 

 

 

 

 

 

「こんなところに連れてきて、どうしたいわけ?」
「貴方とは一度、ゆっくりとお話しておきたかったのです」
 まるで挑むかのようなラクスの口調にアウルは笑いが漏れる。ただのクソガキ相手に、プラントの議長が何をむきになることがある?
「わたくしは、大体の方に“偽善だ”と評されます」
「良く分かってんじゃねえか」
 嘲笑を受けても気にもしない様子のラクスだが、歩みを止めたのでアウルはつられて足を止めた。
「それでも、わたくしは口を閉ざさない。貴方と、お話がしたいのです」
 凛とした瞳がアウルを捉え、動かない。真っ直ぐ見れない自分に嫌気が差して、アウルは視線をすいっと動かして立ち止まった先へやった。
 目の前にあるのは、一枚のパネルだった。
「……人の歴史は繰り返される。同じ過ちを、犯す。過ちを過ちと認めることができるかどうかがその先の未来を決めるのかもしれません」
 メサイア攻防戦。
 その戦慄を見たものが戦後描いた一枚の絵は、そこでありのまま事実を残していた。
「貴方は、これをご存知なく果てられたのですね」
「先に死んだから。ま、戦後の今を見てりゃあ、別に生き残ったってそうでなくたってかわりゃあしない日常っぽいし・・・・・・なにより」
 戦争のない現実に、俺たちの生きる場所はない。
「メサイアには、デュランダル議長の叶えようとした夢、デスティニープランで集まった人類の遺伝子情報の解析を行い管理する施設がありました。まさに
彼の提唱する完全なる未来のつまった要塞は月面に衝突し果てました。わたくしはその光景が頭を離れたことがありません」
「そんなこと、俺たちには関係ない。俺たちは戦うだけ、上の考えてる作戦も目的も知ったこっちゃなかったさ」
「気になったことはありませんでしたか?」
「ないね。狩れたらそれでよかった」
 MSはいい。乗るとどこにいるより安堵した。どこより温かかった。そして、求められていることが実感できた。あそここそ、生きる場所だった。偉い奴
らが何をしていようとその居場所さえ奪われなければアウルにとって、問題なかった。スティングやステラだってそうだ。
 知る必要も、知って得るものもない。他人の思惑など、意味がなかった。MSの外にあるものに意味はなかった。
「俺は、僕のことを自分のこととしてリアルにわかる。ありありとその頃の記憶も蘇るし、この両手に感覚さえ湧く。そのまんまアウル・ニーダさ。いくら
でも言ってやれるぜ?どんなに俺たちが殺すことにすべてを懸けていたか。あんたらコーディネーターを消すために必死だったか。いくらでも。それはステ
ラだって同じだ」
「・・・・・・ええ」
「俺たちに至るまでにいくつもの実験も被検体も繰り返された。ヤキン・ドゥーエを戦った俺らの先輩たちなんて、すっげえ欠陥兵器だったらしいぜ?まあ
そのお陰で俺たちは優秀だったわけだけど」
 エクステンデットの歴史なんて、なかったことと同じなくらい隠された裏側だ。ラボは殺し方しか教えてくれない。あとは暗号解読のための語学ぐらいだ。
悪戯心でネオに先輩の話も聞いたことがあるが、スティングに止められたのだ。その思い出を硝子を通して、己のことのように思い出すのはアウルにとって
気持ちの悪いことだったが、しかめっ面をしてもラクスは咎めなかった。
「そんな俺たちがさ、あんたらコーディネーターを恨んでないわけないじゃん?」
 絵を憎憎しく見つめてアウルは吐き出した。そこにいなかったこと。戦えなかったこと。負けたこと。
 MSを取り上げられてしまったこと。
「そうですわね」
「口では何とでも言える。平和も戦争も、あんたの言う口を閉ざす閉ざさないも。俺には無意味だ。でも」
 言い淀んでアウルは瞬きをした。憎しみが違うものにとって変わるのを、感じる。絵を見つめることで酷く冷静になってゆく気がした。脳裏を掠めるのは
いつでも側で小言ばかり言ってた仲間の顔。冷静な金の瞳。呆れたみたいな、優しさの滲む顔。
「・・・・・・恨みもさ、意味ない」
「アウルさん」
「アウルでいい」
 僅かに微笑んで、アウルはラクスを振り返った。
 なあ、スティング。俺はさ、僕じゃないけどそれでも、ここにいて存在していて、でもMSには乗ってないんだ。可笑しいだろ。
 見ろよ。これ。俺たちが死んだあと、こんなでっかい戦争したってさ。悔しいよな、ここにいれなかったなんてさ。
「泣くなよ、気持ち悪い」
「泣いてません」
「・・・・・・は」
 気づけば、なんだか硝子越しだったアウル・ニーダと俺はひとつになったみたいだった。鏡みたいだったものはなくなって、もう、境界線がない。思い出
も感覚も、ひとつのものだった。
 隣で息を殺して涙を流すラクスに、苦笑してアウルは俯いた。目に入るのは自分の短い小さな手足だ。成長しきっていない、子供の体。アウルにとって変
わることのない現実だ。
「俺、ずっと怖かったよ」
 もう一人の「生きて、死んだアウル」のことが。
 いつか、俺は僕に乗っ取られるんじゃないかったことや、俺ではなく僕がステラに必要なんじゃないかってこと。
 自分のものじゃない記憶。自分のことのようにある思い出。したことないことばかりなのに、何故か知っているたくさんの殺戮の残像。
「怖かったよ」
 どうしてあんたが泣くんだよ。
「でも、そうじゃなかったみたいだ。俺は今、俺でも僕でもない、アウル・ニーダみたいでさ」
 なぞなぞのような自分の説明。こんなのでも仕方ない。
「今の俺になら出来ることがあるみたいだ、ムカツク」
 教わったのは相手を殺すこと、暗号解読、MSの操縦。それから、認知範囲外にあるエクステンデットについての情報。
「アウル、」
「もう、いい。あんたの話しはわかったよ」
「そうではなくて」
「そうじゃないことないじゃん。俺にステラの為に力になれってことだろ」
 俺の中にある情報で。
「心配しなくても、俺が死なない限りはイヤでもあいつの為の実験体にはなるさ。あそこにいりゃあ」
 留めていた足を動かして、アウルはラクスに背を向け盛大に笑った。
 どうにも笑えるほど、清々しい気持ちだった。こんな気持ちで笑えたのは、いつ以来だろう。
「ほら、せっかく来たんだ。行こうぜ、このけったくそ悪い展示を見にさ」
「・・・・・・ええ」
 ちらっと振り返ってみたラクスは透明な涙をまだ瞳に滲ませて笑っていた。胸が温かくなるような、そんな笑顔だった。
「かあさん・・・・・・」
「え?」
「なんでもない」
 頭の後ろの両腕を組んでアウルは歩き出す。ふかふかの床が乱暴に歩くアウルの足音を消すが、追いついたラクスは顔を横に振った。
「お行儀よく、ですわ」
「・・・・・・へっ、もう笑ってやがる。この女」
「アウル、貴方ステラにキスしましたわね?」
「ぐ」
「いくら好きでも男性は紳士でなくては嫌われますわよ」
「するか、あんなのと!」
「しましたわ」
「してないって言ってるだろっ」
「見てましたもの」
「みっ」
 アウルは真っ赤になって凝固した。ラクスを見たまま動けない。
「わたくしは、そのお話がしたくてお呼びしたのですよ」
「な」
「とても有意義な告白が聞けて、今日はとても嬉しかったです。アウル、ありがとうございます」
「な・・・・・・」
 もしかしなくても、アウルは自分からバカ正直に心の声を吐露してしまったということで。
「涼しい顔して人のことはめやがって・・・・・・っ」
「はめただなんて。わたくしは何もお願いしておりませんよ」
「これだからコーディネーターは嫌いなんだ!!」
「ふふふふ」
 必死になって叫んだところで形勢は変わらない。アウルはあまりの恥ずかしさに落胆して溜息をついた。言い合うのを諦めて歩き出そうとするとまたもや
ラクスは微笑んで続けた。
「で。肝心のキスのお話ですが」
「してないって言ってるだろっ」
 火が出そうなくらい真っ赤になってアウルは叫ぶ。
 博物館に似つかわしくないその二人の言い合いに、咎める者はいない。議長は自由奔放なのは認知のことなのである。

 

 

 

 

 

 

 


「ちょっと」
 ルナマリアは不機嫌丸出しの声で、イチゴの刺さったフォークを片手に隣のレイを見やる。
「なんだ、ルナマリア」
「エイン・ショウカさんは帰るし?シンを連れて行ったサラ・リノエさんは戻ってこないし?うちの新人女子、ちょっとどうかしてない?」
 閉店間近のカフェ内はもうお客はまばらで、店員たちは閉店作業に忙しそうだ。片付いてしまった空のショーケースを残念そうに見つめながら、レイはまだ
仏頂面のままのルナマリアに返事をしてやる。
「今は任務外のプライベートな時間だ。許してやれ」
「・・・・・・妖しいのよねえ、あのサラって女」
「女って、後輩だろう?」
「私、嫌いなのよねえ。ああいう、女の敵みたいなタイプ」
 嫌そうに言うルナマリアをレイは知らずと苦笑で見つめる。ルナマリアは裏表がないところがいい。この顔、本人の前でもするのだから分かりやすいもので
ある。
「敵、か。言っておくが、ミネルバの仲間だぞ。彼女は」
「女の敵よ、女の。ああいうのって男ウケはいいのよ」
「・・・・・・」
 黙って返事をしないでいると、ルナマリアはやっぱりと言って盛大に溜息をついてみせた。
「レイですら、あの子のどこがいけないんだーっとか思ってるわけでしょ」
「多少、自制が利かないようだが言うほど悪いところがあるようには見えないが」
「ほらー」
 なにが、ほら、なのかわからなかったが返した言葉でルナマリアが落胆したことは確かだった。
「私、二股でもいいんです!」
「!?」
「私、浮気相手でもいいんです!」
「!!?」
「私、それでもいいから側にいたいんですぅーっ」
「え、あ、ルナマリア?」
 突然ルナマリアは何かにとり憑かれた様に人格崩壊を見せつつ、戸惑うレイの手を握ってそう言った。
「・・・・・・とか言う女に限って、後から“奥さんと私、どっちが大事なの”とか言うのよ」
「はぁ・・・・・・」
「ずっと日陰なんてイヤ!とか言うわけよー」
「そ、そうか」
「ちょっと、レイ」
「・・・・・・なんだ?」
 どうして自分がルナマリアに責められているような図になっているのだ。
 ずいっと圧された姿勢のまま、レイは思わず頬が引き攣った。
「甘い。甘いわ」
 それはイチゴケーキだからな。
「こんな甘さじゃ、この先やってけないわ」
 それ以上、甘いとちょっと・・・・・・。
「レイ」
 ルナマリアは一気にフォークのイチゴを口に放り込むと、勢いよく立ち上がった。
「行くわよ」
「ど、どこにだ」
「飲みに行くに決まってるでしょ」
 多少の眩暈を感じながら、どこでどうなってそこに着地したのか、レイは会話の流れを反芻したくなる。しかし思い立ったルナマリアはコアスプレンダーより
速い気がする。
「でも、その前にやらなきゃならないことがあるわ」
 もう彼女が何を言い出しても頷くことにしよう。レイは思ったとおりに頷いて、取り合えず精算することにした。

 

 

 

 

 

 


 目の前の女の子は必死だった。
 口唇を強く噛み締めて、負けないようこちらをじっと睨んだまま動かない。

 シンはそんなサラを愛しいと思った。
 抱きしめて、もういいんだって。そう言ってあげたかった。

 そうできたなら、どれだけ互いに楽だろうと。


 伸ばせば触れることのできる心強さ。声の届く距離。感じることのできる温度。なにもかもがシンには足りなくて、飢えているそのものだった。けれど、
それを望むのは寂しいからではない。一人がいやだからではない。
 ステラがいないからだ。
 その代替にサラを欲しいと思うわけではなかった。
 一人の人間として、女性として、サラを魅力的だと思う。ステラとは違った意味で、シンの心に入ってくる子だ。その積極さに知らずと救われたのも事実
だし、不快ではなかったのだ。
 比べて、とか、ステラが居ないから、とかではないとシンは思う。
 ルナマリアにまた怒鳴られそうだが、正直な気持ちだった。どこにでもいる一介の男であるシンは、自分がずるかろうと優柔不断だろうと、それは人間ら
しい感情だと認める。それもまた、情けない自分だと。
 今の自分がステラに相応しいかと聞かれたら、酷いものだと言える。イザークあたりが血眼で怒り、アスランなんかは冷ややかに最も嫌な方法で仕置きを
するだろう。それでも、シン・アスカという人間はこうだ。前までなら、それがステラには言えなかった。見せることができなかった。
 自分をまるごとぶつけることが、怖かった。
 
 そう、思っていることにすら気づけていなかった。
 それほど、ステラを失うことが怖くて仕方ない自分がいた。

 だから、サラという女の子に触れて、それを知ったのだ。
 どう思われたっていい。抑えられない。そんな思いではないのだとぶつけてくる彼女に本当はそうありたいはずの自分を見た気がして。


「サラ」
 自分の声がまるで耳に戻ってくるような感覚がした。相手にこの声が届くのか不安だった。それでも、このステラと何度も来た砂浜で、シンは言わなくて
はならない。泣かせてしまった女の子に、教えてくれた女の子に自分の思いを。
「最低なんだ、俺」
「・・・・・・そうですね」
「俺、サラを間違えて呼んだよな。ステラって。夢と現実の間で、本当にわからなくてステラであったらどんなにいいかってそう思って呼んだ。一人で眠る
といつもステラが出てきて俺を呼ぶから。そうあってほしくて、そう夢見るから」
 知らずと口をつく愛しい人の名前。会いたくて、会いたくて、なのに会えない。
「ステラがこの腕に戻ってきたって実感できたときから、俺は物凄く臆病になった。一人で生きて、勝手やって、いつ死んだって構わなかったあの頃と違っ
て、護りたいものが出来た。護れるものが。こんな手に戻ってきた。二度となくしたくないばっかりに、俺・・・・・・気づかないふりしてたよ」
「私は・・・・・・そんなの、聞きたいんじゃない」
「ごめん。でも、言いたくてさ・・・・・・俺、君を見てると自分なんだってわかった。本当はそうしたいのに、そうできない自分」
「アスカ先輩、」
「羨ましいくらい、自分の気持ちをぶつけられる君は本当はそうしたい俺だ」
 サラの細い髪を手に掬って、その頬に触れた。涙に濡れて化粧が台無しだったが、素顔のほうがずっとサラは綺麗だった。
「そうされて、初めてわかったよ。ぶつけてもらえたほうが、ずっと安心するってこと」
 俺がステラを不安にさせていたんだってこと。
「傷つけないのと、傷つけないようにするのは違うよな」
「バカでしょう・・・・・・先輩・・・・・・」
「よく言われるよ」
 苦笑して、サラに触れていた手を離した。悲しそうな彼女の瞳が揺れて、離れてゆく手を止めようと動いたが諦めたように留まる。シンはそうさせている
ことに胸が痛んだが、自分を叱咤して口を開いた。
「俺、気を遣ってたんだと思う。本当の自分でいられてなかったのかもしれない。ナイトになりたくて」
「先輩は・・・・・・ナイトって柄じゃないですよ」
「だね」
 互いに笑いあって、情けない同士の顔を見つめあう。
「許しませんから」
「え」
 言って、サラは微笑んだ。真っ暗な海岸で、ひっそりと輝いた彼女の瞳は海底に沈む宝石のようで、シンは息を呑む。
「私、許さないですよ」
 最後にサラは初めて会った時と変わらない笑顔を見せ、動けないでいるシンに思い切り飛びつくと強く抱きしめてきた。
「サラ」
「今だけ」
 強さは儚く、拒めば離れるほどで。
 シンはそうっとその背に腕を回し、目を閉じた。


 なあ、マユ。
 お兄ちゃんさ、酷い奴だよな。

 お前がいつか言ったこと、本当だったよ。
 お兄ちゃんはデリカシーがないってヤツ。


 

 

 


シンちゃんとサラ。

サラ。

ちゃんとかけているのか・・・でも、ステラとの再会まであともうすこし。いいオトコになるぜよ、シンちゃん。

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