「・・・・・・何よ・・・・・・何よっ」
 サラはもぬけの殻になってしまったベッドを瞬きもせず、じっと睨みつけて震える声で言った。
「どうしてよ、愛してもらえるのが当たり前で、それに気づきもしないでのうのうとしてきといて・・・・・・私がちょっと隣に立っただ
けであんな顔して」
 脳裏に過ぎる幼い表情のきっと同世代だろう女。
 金の髪と赤紫の双眸、サラを見返す姿は日常と少し外れたところにいるように思わす雰囲気だった。どこか、不安定で危うい。サラの第
一印象派それだった。
 だから尚更に心は理不尽な思いに満ちた。言わずにいられなかった。
「アスカ先輩はもう安心したっていいんだよ・・・・・・もう、愛されるばかりでいいんだよ」
 それなのに。
 あんな相手では、シンは幸せになれないのではないだろうか。
 あんな、どこかへふと消えてしまいそうな相手では。
「皆に愛されて当然の顔して・・・・・・だったら、アスカ先輩は私に頂戴よ」
 サラの言葉は心から勝手に声になり、流れていた。留まらない、もやもやした気持ちにサラは眉を寄せ、口唇を噛んだ。
「どうして、行っちゃうのよ」
 シンは迷いもなくサラを置いて行った。振り返りなんてしない。心のどこかでもしかしたらここにいてくれるのではないかと思っていた
サラは、いつもの強引さで付いていくことも、引き止めることもできずに見送ってしまった。
 おかしい。
 サラは不意に苦笑した。
 諦めてもいいかなと少しは思っていたのに。そう思って、苦笑いする。ステラを見れば、きっと諦めがつくのではないかと。そう思って
いたのに。
「全然、駄目だ」
「まあ、習性じゃない?去るもの追いたくなるみたいな」
「ホーク先輩!?」
「案の定な展開ね」
 ルナマリアは病室の入り口から、呆れた顔でサラを見つめて立っていた。
「あんたにどうしても会いたいって、ステラが家にきたから。行くわよ」
「え」
 サラの返事も理解する間も待たずにルナマリアは踵を返して歩き出す。慌てたサラは滲んでいた目元の涙を拭って、立ち上がり走り出し
た。追いついた冷たいルナマリアの背を幾分、落ち込んだ気分で眺めながらサラはそっと息を吐き出した。
「乗って」
 救急病院の前に乗り付けてあった小さな可愛らしい車にルナマリアは乗り込むと、些か緊張しているサラに素っ気無く告げる。
「は、はあ」
「早く」
「はい・・・・・・」
 ルナマリアに好かれていないことをサラは自覚している。それだけにこの状況はあまり居心地がいいものではない。
「・・・・・・あんたはさ」
 助手席に乗り込んでドアを閉めたのを見計らって、ルナマリアはエンジンを掛けずに静かに切り出した。その声音は低く、迷っているの
か消えそうなほどだった。
「両親がいて、学校にもいって学生したことあって、戦争には行かずに済んだ子よね」
「はい」
 それを、戦争に行ったルナマリアに悪いとも思わない。サラは正直な思いで真っ直ぐに頷いた。
「きっと、私なんかよりずっと、いろんなこと経験してると思う。戦うこと以外ではね」
 少しだけ口元に笑みを浮かべたルナマリアは、サラの見たことのない等身大の女としてそこにいた。ミネルバの上司ではない、ただのル
ナマリア・ホークだった。
 戦争に行ったことがあることが偉いわけでも、人間として価値があるわけでもないとサラはアカデミーでも、配属になったミネルバでも
しごきに合いながら歯を食い縛っていつも思っていた。軍でなくなったとはいえ、いまだミネルバのような隊は上下も経験も戦果もが評価
される組織だった。それだけに、未経験のひよっこは教わるどころか邪魔者扱いなのだ。
 自分だって、もっと早く生まれていれば戦場にいたのだ。事を為す術を持って、戦っていたはずなのだ。
 そう思って厳しさに耐えてきたサラには、今のルナマリアの頼りない表情は納得がいかないものだった。
「先輩らしくありません。そんな弱音や後悔、言うなら戦後ミネルバを辞めたらよかったのではないですか」
 期せずして強くなった語気にサラは俯きながら、それでも続けた。
「先輩や、アスカ先輩の彼女は、戦争のせいで得られる時間が少なかったから、得ていた私には手を引けって言いたいのですか?十分に楽しんだお前はもういいだろうと?」
「リノエさん」
「奪われ続けた人から、さらに奪おうとするなと?恵まれた人間のくせして?」
 見返し、黙るルナマリアにサラは止めようもなく、口を開いた。
「好きで後から生まれたんじゃない!好きで後から手を出そうとしてるんじゃない!私だって、私にだって戦ってきた戦争がある」
 サラの薄紫の瞳は、強く折れないでいようとする意思が確固として光り、そこにあった。それを見止めたルナマリアは暫く黙っていたが
ゆっくりと目を伏せた。
 長い沈黙が車内に訪れて、サラは握り締めた拳が痛いのに気づく。
 綺麗に手入れし、規則に反しない程度お洒落をした爪が手のひらに食い込んでいた。
「正直、あんたが好きじゃない。でも、なんとも言いがたい気持ちもあんたには湧く」
「・・・・・・」
「もともとね、戦時中にあることがきっかけで、私とシンは付き合っていたのよ」
「え、」
「ステラを失ったシン、妹が反逆罪でそれを討たれた姉の私、多分互いに傷の舐めあいから始まったって、心のどこかでは思ってたけど、
互いに何かに縋りつかないと戦えなかった」
 ハンドルにもたれ掛かって、ルナマリアは往来をゆく楽しそうな人々の風景に目を細めて少し笑った。
「今だからそういえるし、そう思う。あの時はただ寒くて誰かと寄り添ってないと凍えそう、そんな感じ。戦場で芽生えた同情からの愛も
時間を経たら本当の愛にはなるわ、私はそうだった」
 元々、家族のように仲の良かったシンだ。ルナマリアにとって手のかかる弟のようなものだったから、恋愛感情よりもずっと家族愛のほ
うが強かった。けれど、ルナマリア・ホークは一人の女性だ。甘えたいし、構ってほしい。一人の男の前だけでは、本当に自分でいたかっ
た。
 どこかいつも違う場所にふといるようなシンを、ルナマリアは知っていた。だから、精一杯いつものルナマリアで接し続けたのだ。明る
く元気で、シンのことをからかって馬鹿にして。色恋とは程遠い関係。それでシンが隣にいてくれるなら、それでもいい気がした。
 深く問い詰めて、自分の思いを伝えればシンは離れていってしまいそうだったから。
「シンは器用じゃない。自分を偽っていつか幸せに、いつか忘れてなかったことに、って時間に任せらんない厄介者なのよ」
 戦時中、離す事のなかった妹の携帯、ステラが託した貝殻、シンはいつでも手にした大切なものを必死に手繰り寄せて無くさないように
していた。悉く奪われても、それでも手放そうとしなかった。
「死んだ人のこといつまでも想って、自分は生きているのに亡霊みたいな顔してさ・・・・・・アイツ、ほんと馬鹿でさあ。生きてるのに
今ここにいるのに、想ってもらえない私ってどうよ?ってね」
 ルナマリアは伏せていた目を開いて、サラを見やった。声を出せないでいるサラを見て、ルナマリアはゆっくりと微笑んだ。
「あんたの気持ち、わからなくもない。私も随分ステラを受け入れられなかった時期もある。生きて戻ったって聞いて、さらに憎く思った
のも事実。でも、ステラがぶつかってくれたから今がある」
「先輩」
「だからあんたも、話してみたらいいと思う。ステラは、逃げないから」
 

 

 

 

 

 
 
 気が付いたら、水の中だった。


 よくわからないまま、ゆっくり体を起こしたら砂の上で、目を開けたら向こういっぱいに青い海が広がっていた。
 嬉しかった。
 大好きな海が目の前にあって、その中にいたから。

 ステラは微笑んで、腕を伸ばした。
 そうしたら、背中のほうで声がした。


「おい!何してる、大丈夫か?」

 
 私はそうして、ここにいる。
 あのとき、海に抱かれて、私は生まれたのだ。

 

「・・・・・・あの」
 砂浜に人気はなく、静かな波の音が繰り返すばかりでサラはその華奢な背に声をかけるのに勇気がいった。
「きて、くれたんだ」
 振り返って、じっと見返す少女をサラは息を呑んで見返した。
 秋の海岸は肌寒い。吹き抜ける風にサラは腕を抱えたが、随分と薄着に見えるステラはまったく寒そうでもなく軽い足取りで海のほうを
眺めていた。
 暮れ始めた夕焼けがステラの髪をオレンジに染め始める。なんだか溶けて消えてしまうのではないかと、サラは思って顔を振った。
「あの、どうしてこんな場所で」
「わたしの家だから・・・・・・さむい?ごめんね」
 ステラは海を眺めたまま、そっと言って首にしていたストールを外してサラの首元に巻きつけた。
 至近距離に来たステラを、サラはまじまじとつい眺める。
「きたなくないよ。だいじょぶ」
 伏せ気味だった金の睫で煙る瞳が上って微笑み、ステラはサラの首にしっかりストールを巻き終えた。
「ど・・・うして」
「?」
 きょとんとした様子のステラは、切れ切れに呻くように言ったサラに瞬く。
「どうして帰ってきたんです、か?」
 海からきたと言うのなら。
 海が家だと言うのなら。
「どうしてかな?」
 瞬いたステラは、綺麗な声でそういった。ただ、囁くようにそれだけ。
 踊るように波打ち際に歩いてゆくステラは、自分とは違う場所にいるようにサラは思えてならない。この寒いのにワンピース一枚でどう
して平気なのだろう。
 彼女と海を眺めていると、ここが秋の海岸には思えずまるで夏のようだった。
「みんな、だいすきなの」
 不意にステラは顔を上げ、サラに言う。
「ステラ、みんなだいすき。みんなきらきらしてて、みんなあったかい。あなたも、そう」
 断片的に喋るステラは幼く、たどたどしい。サラは眉を寄せて黙っていた。
「だから、なにが、いちばんなのか。ステラ、しりたい」
「あの!何の話ですかっ」
 風が声を遮り、ステラの言葉がよくわからなくなる。サラは叫ぶように返して、海岸のほうへ歩みだした。
「シンが、あったかいならそれでいいの。それがステラ、いれなくてもしかたない。でもどうしてかな?」
 胸が痛いんだ。
「どうしてかな」
 わかっているのに。
 あの時のように、シンを手放すことができない。
 シンの幸せを思えばシンが選べばいいと思うのに、心がいうことをきかない。
「わからない」
 ステラは泣いているみたいな笑顔で、サラを見返した。背後に浮かんだ大きな夕日がステラを包むようにそこにあって、そのまま飲み込
んでしまいそうだ。サラは無意識にステラへと歩み寄っていた。足が止まらないことを不思議にも思わなかった。
 耳元で小波が鳴る。
「このままじゃあ、だめなの」
「貴方は」
 側までたどり着いたサラに、ステラは両腕を広げて笑った。
「こままだとあなたに、まけちゃう」
「な、に、言ってるんですか?」
 サラは自分の声が震えるのを感じる。寒さからではない震えが訳も無く体を襲っていた。
「ステラ、シンとずっといたい。一緒に、生きていきたい。だから」
 強い声。強い言葉。
「あなたに、まけない」
「あ、」
 耳元に鳴り続けていた小波が突然と大きな大きな轟音のように響く。
 サラは思わず耳を塞ぎ、目を瞑った。


 一瞬のことだった。

 音が一瞬で止み、サラが目を開けた時にはオーブの海は静寂と小波だけが漂うものへと戻っていた。
 先ほどと何も変わらない。
 ステラの腕の中にいること以外は。

「わたし、居なくなりそう?わたし、消えてしまい、そう?」
 細いステラの体は大事そうにサラを抱き寄せていた。胸のあたりから聞こえてくるステラの声に、サラは喉が詰まったように声が出ない。
「きっと、そう、シンは思ってる」
「だったらどうして安心させてあげないんですか」
 漸く出た声は低くてきついものになった。サラは自分が大人げない気がして、言ったことを後悔したが引っ込められるわけでもなく、仕
方なく続けることした。
「貴方がそんなふうだから、私が諦められないんです!私が入り込む余地なんか、作らないでください!私は、そんな軽い気持ちじゃない
んです、だから」
「あきらめなくて、いいよ」
 サラは顔を上げて、思い切りステラを突き放した。
「ふざけないで!!」
 生まれて初めてこんなに怒りを感じているかもしれなかった。急激に上昇した気のする体温に、サラは首のストールを引っ張りとって、
ステラへ投げつけた。
「余裕なの?ふざけているの?そうやって今までは皆、貴方の味方になってくれてきた?私には通用しない、そんなもの!」
「そうじゃない、」
「違うことなんてない、貴方はアスカ先輩が絶対に自分以外を選ばないってわかってるからそんなふうに言うんだ」
「シン?シンは」
「何よ、世の中に絶対なんてないんだから」
「まって。あのね、」
「触らないで!!」
 歩み寄り、手を伸ばしてきたステラをサラは思い切り払いのけた。その拍子にステラはふらりと砂浜に倒れ込んだ。
「・・・・・・謝らないから」
 サラは口唇を噛んで、握った拳を更に握り締めた。
「ずるいよ・・・・・・そうやって欲しいもの手に入れてるくせに、勝てない私にまでこんな悪者みたいなことさせて・・・・・・」
「そうじゃ、ない」
「どう見たって、私が貴方いじめてるように見えるよね?でも、傷ついてるの、私よ」
「あのね」
 言い放ったサラに、ステラは必死に立ち上がると懸命に口を開いた。
「諦めないでっていいたい、ステラ」
「まだ言ってるの」
「わたし、あなた言うよう、きっとシンに甘えてる。シン、きっともっといろいろほしいものある」
「わかってるなら」
「でもわたし、馬鹿なの。わからないの。だからシン、しあわせどれかもわからない。でも、あなたわかるんでしょう?」
 必死な様子のステラに、サラは言葉に詰まる。ステラが何を言いたいのか、よくわからなかった。
「だから、たたかう。わたし、あなたにまけない。それが言いたかったの」
 はあっとステラは言い切って息を吐き出すと、サラが返事するのを待たずに背を向けて歩き出した。
「ちょ、ちょっと!」
 言いたいことだけ言って置いていくステラに、サラは追いかけようとするが足を止めた。
 追いかけても、言う言葉がどうしても見つからなかった。
「・・・・・・何なのよ」
 きっと、ステラにはステラの悩みがあるのだろう。それがうまくシンに伝えられず、シンの幸せを思いすぎて、自分の思いを優先できな
いでいるのかもしれない。
 それを知らされたって、サラにはまるで関係ないことだ。寧ろ、そんなこと聞かされて諦めなくていいなんて言われても、その言葉裏を
考えざるおえない。
「変な女」
 その一言に尽きる。
 サラには、シンがあの少女のどこがよくて選んだのか、ますますよくわからなくなった。

 

 

 

 

 


サラはきっと、ステラとよきライバルに、、、なれるでしょうか。

ステラはきっと、これから学生時代にしただろう経験や思いをしてゆくのだろうなあと。

してほしいと。

そう思っています。

お留守もあと二話ほどの予定。かくどー。

inserted by FC2 system