「おっはよーございまーっす!!」
 シンはありったけの大きな声で挨拶すると、ブリーフィングルームの中を見回した。
「あれ、なんかあった?」
 すでにいたクルーたちは寛ぎながら能天気なシンを振り返って、どうやらそれぞれ肩を竦めたようだった。シンは瞬いて、首を傾げて目に留まったレイに声を掛けようとした。
「シン、ちょっと」
「あ?なんだよ、ヴィーノ」
「お前がいろいろと幸せそうなのは、よくわかった。とりあえず、ちょっと」
 そう言ってヴィーノはシンの腕を引っ張って、廊下に出た。
「なんだよ?」
「ああ、ええと、とりあえず、お帰り」
「ただいま、悪かったな。長いこと」
「その言葉はレイに言ってやって、アイツお前の仕事代わりにやってたから」
「新人担当?」
「そ。無表情、無反応で指導するから新人から怖がられるのなんの。お前、よっぽどなめられてたんだな」
「・・・・・・んだよ、じゃあレイにお礼をいわな」
「ちょっとまて」
 行こうとしたシンの腕をやはり強くヴィーノは止めた。シンは怪訝に眉を寄せて、真剣な様子の親友を見返した。
「さっきから、何?」
「・・・・・・いや、俺にもよくわからないんだけど、レイとルナマリアさあ」
「レイとルナマリアが?」
「何か様子、おかしいんだよ」
 ヴィーノは心底参ったような顔で背後のブリーフィングルームをちらっと見やる。そこからはこちらを背にしたレイと、遠くにいるルナマリアの横顔が見えた。
 二人は離れていて、それぞれにデータ照合をしたり打ち合わせをしているようで、別段おかしいところはないようにシンには見えた。
「おかしいか?」
「お前は朝一からいないから、わかんないだろうさ」
 羨ましそうに見える表情でシンを睨むと、ヴィーノは浅く溜息をついて続けた。
「まず、ルナマリアが先に来てた。で、新人たちと喋ってて、レイがきた」
「うん」
「ルナマリアがいつも通り、挨拶したんだ。レイに。そうしたら」
「うん」
 ヴィーノは少し俯いて、黙ると間を置いて漸く微かに言った。
「レイの奴、ルナマリアのこと空気みたいに無視した」
 シンは今度こそ、瞬いて言葉を発するのをとめた。
「聞こえなかった、とかじゃなくて・・・・・・いないって感じだった、レイ」
「んだよ・・・・・・、それ」
「シン!待てって」
 我慢できずに行こうとするシンの腕をそれでもヴィーノは掴んだ。
「レイの様子、おかしんだよ」
「はあ?理由は知らないけど、ルナマリアを無視したってことだろ?あいつ、何考えてんだよ」
「そうじゃなくて!何か、レイ・・・・・・いつもより無表情っていうか、とにかく!いつもと違うんだよ」
 困惑したままヴィーノはシンの腕をさらに強く握った。不安を示すかのような強さにシンは居心地が悪くて息を吐いた。
「違うって・・・・・・、ルナマリアにだけじゃないってことか?」
「それも少し違う」
 ヴィーノが言わんとしていることがやはりシンには図りかねて、もやもやした気分だけが残ったまま視線の先のレイを見つめてしまう。いつもと変わらない様に見えるが、何があったというのだろう。
「シンは気づいてた?」
 次いでヴィーノはシンを覗き込んできた。
「今度はなに?」
「ルナマリアとレイのこと」
「あの二人がなんだよ?」
 聞き返すと、大きな溜息を返されシンはむっとして眉を寄せる。
「シンだもんな、気づくはずないかー」
「ヴィーノ?」
「いや、気づいていないならいいや。とにかく、ちょっとレイのことお前見といて。いいか、変に直接突っ込んで地雷踏むなよ?」
「・・・・・・お前の言ってることがさっきから俺には全くわからないぞ。知らずに地雷を踏んだ場合は?」
「知るか。自分で考えろよ」
「なんだよっそれっ」
 シンはわけの分からないままヴィーノを睨み返した。朝からなんだというのだろう。久々の出勤だというのに、とんだ謎かけだ。
「とにかく。お前はレイ担当な」
「あ、ああ」
 とりあえず頷くしかないシンは嘆息してブリーフィングルームを振り返った。
 いつもと変わらないように見える風景。一月ぶりに戻った職場だ。
「ああ、シン。改めておかえり、これからもよろしくな」
 漸く気持ちの良い笑顔でそういわれ、シンは微笑んで頷いた。

 

 

 

 


「どう?久しぶりに戻ったミネルバは」
 タリアに朝のミーティング後、すぐに呼び出されたシンは艦長室にいた。久しぶりに腕を通した制服がどうも肩が合わない気がして、シンは身じろぎして、敬礼した。
「あら、まだ成長期かしらね。貴方は」
「・・・・・・俺、ガキじゃありませんよ、艦長」
「そうかしら。わたしからしたら貴方たちはずっと子供のままよ」
「よしてください。いつかは艦長を安心させるのが俺たち同期組の目標なんですから。艦長がそれじゃあ、いつまでも追い越せないや」
 タリアは生意気にも言うシンに声を上げて笑う。栗色の髪を揺らして、ひとしきり笑うと優しい眼差しをシンへ向けて頬杖をついた。
「ステラの様子はどう?戻ってこれて落ち着いたかしら」
「はい。昨日の夜、ぐっすり眠っていました。戻ってきてすぐなのでまだ何があるかわかりませんが、本人は安心しているようです」
「そう、良かったわ。うちの息子がステラに会いたいってうるさいの。漸く願いを叶えてあげれるわ」
「ギルバート君、ですか」
「ええ。シン、貴方はまだ会ったことなかったわね。今度家に遊びに来なさい、ご馳走するわよ」
 ウィンクを寄越されてシンは瞬く。肩を竦めて、控えめにシンは頷いた。
「ただ覚悟しておきなさいね?うちのギルはステラを貴方から奪う気でいるから」
「・・・・・・もう、なんかそういうの慣れました」
「ふふ、心配が尽きないわねえ。シン・アスカ」
 良く通るタリアの声がシンを安心させた。親を亡くし、頼れる身内のいないシンにとって彼女はかけがえの無い肉親のような人物だった。今となってそういった関係でいられることを、誰よりシン自身が驚いていた。
 何もかも目の前で失い、それでも生きてゆかなくてはならなかったあの頃、二度とそんな気持ちになれる日が来るとは思えなかった。今、戻る場所があるように、迎え入れてくれる家もある。
 家、というものがただ単なる場所のことではないと教えてくれたのはタリアだった。
「新人たちが貴方がいなくて退屈していたそうよ?レイが報告していたわ」
「よく言いますよ、レイのが俺よりよっぽどスパルタなのに」
「・・・・・・そうね」
 ほんの少し目を伏せたタリアの様子にシンは今朝のヴィーノの言葉を思い出し、思わず口を開いた。
「レイの奴、なにかおかしいんですか?」
 別段、大げさに聞いたわけでもないのにタリアは大きく目を見開いて、息をのむようにして言葉を失っていた。
「艦長?」
「え、いえ・・・・・・なんでもないの。ごめんなさい」
 取り繕うように微笑まれて、シンは余計に訝しく顔を顰めた。タリアが誤魔化すようなことを言うのは珍しい。それだけにただ事に思えず、今朝のこともありシンは黙っていられなかった。
「艦長、レイに何かあったんですか」
「ごめんなさい。シン、それは本人が話したときに聞いてあげて」
 乗り出し問うたものの、そう言われてシンは口を噤んだ。タリアの真剣な様子に心には良くない予感が過ぎったが、ここでタリアを問い正すのは間違っていると思った。
「わかりました。そうします」
「・・・・・・ええ」
 部屋を出る前に見えたタリアの微笑みの中に、シンは憂いを見た気がしてやっぱり沈鬱な気分になった。

 

 

 

 


 そもそも、習ってもいないことを一人で勝手にやるということ自体が間違っていた。
 ステラはそう思って、受話器を汚れたままの手で掴んで、よく知った番号を叩いた。
「ラクス?」
<まあ!ステラ、お電話くださったのですね>
 跳ねるような気持ちのいいラクスの声に、ステラは微笑んで頷いた。
「あのね、ラクス、いま、ちきゅう?」
<わたくしですか?今ちょうどオーブ官邸にきて会合を終えたところですわ>
「ほんとう?オブ、いるの。じゃあ、もし、時間あったら、ステラのうち、これる?」
 ステラはテーブルに散乱した食材たちを見やって、もごもごと口の中で言った。
「お料理、手伝ってほしくて・・・・・・」
 ラクスが仕事で忙しいのは承知しているし、急にこんな申し出をすれば困らせることもわかっていたが、一人ではどうしようもなく、時間もなかった。
 ちらりと見やった時計はもう十時を指していた。
<いきますわ、今から。貴方に会いたくて仕方なかったのです、本当はもっと我慢しなくてはならない約束だったのですが・・・・・・>
「?」
<でも、ステラのお願いですものね。許されるはずです>
「?う」
<待ってていてくださいね!すぐいきますから>
 すぐ側にいて微笑まれたような、そんな声にステラは笑って受話器を置いた。
 心がぽかぽかと温かくなった気がした。ラクスの声は優しくて、あったかい。包まれているような、そんな気持ちがする。
「よ、し」
 ステラは腕をまくって、散らかったテーブルの上の食材をなんとか皿の上に戻し、ひよこエプロンの紐を締めなおした。
「きあいーっ」
 シンがいつも朝、起きれないときにやるポーズと掛け声を真似てステラは拳を突き上げた。


 りーんごーん。

 

「?」
 ステラは突然鳴ったチャイムに首を傾げて、玄関のほうへ足を向けた。
「どちさま?」
 言いながらドアの側に行くと、向こうから明るい声が歌うように聞こえる。
「ラクスですわ、ステラ」
「ラクス!!」
 急いでステラはドアを開ける。そこには少しだけ髪の乱れたラクスがいた。心なし、肩も上下しているようだった。
「はやかたねえ」
「急いで、きましたの」
 一息、ふっと吐き出すとラクスは綺麗な微笑みを浮かべると、細くて長い腕をそっと伸ばしてステラの頬に触れた。
「なにをしていたのです?こんなに汚れて」
 頬についた小麦粉をこすってラクスはくすくす笑う。
「う、シン、おべんとうね。わすれてったの。だから」
「今作っているのですか」
「う!」
 今朝はあまりに気持ちよく眠りすぎて、シンよりも早く起きれなかったのだ。目が覚めたときにはシンはもう着替えていて、ステラにまだ寝てろと笑ったところだったのだ。
 地上に帰って来てまだ一日しか経っていないが、どうやらここが一番安心するらしい。
「シン、食堂でっていってたけど・・・・・・」
「作ってあげたいのですね」
 頷くステラをラクスは引き寄せて抱き締めると、大きく深呼吸したようだった。
 柔らかくて、暖かいラクスの胸の中でステラは目を閉じた。甘くて、優しい。こういうのを、お母さんみたいと言うのだろうか。
 ラクスは海にとっても似ている。
「本当は、シンに一週間くらいはステラ独り占めにさせてあげようって、キラと約束してましたの」
「そなの」
「でも、やっぱりこうして会いに来ると・・・・・・わたくし、とってもステラ不足だったことがわかりますわ」
「ふ、くすぐったいよ、ラクス」
 頬ずりするように顔を寄せられ、ステラは笑う。桜色の髪が優しく揺れた。
「じゃあ、やりましょうか。もうお昼になってしまいますものね」
「うん」
 大きく頷いて、ステラはラクスの手を引いて家に入った。
 これでシンに美味しいお弁当を持っていってあげることができる。

 そう思うと、嬉しくて頬が緩むのが止まらなかった。

 

 

 

 


 午前中は午後からの演習の準備をしろと指示をもらい、シンはレイと共に武器庫で準備をしていた。
「なあ、レイ」
「なんだ」
 呼び止めて振り返った親友は、久しぶりに会っても全く変わらない。
「お前、今日熱でもあんの?」
「戻って来て早々なにを寝ぼけたことを言っている?」
「・・・・・・だよな。ごめん」
 怪訝そうに睨まれて、シンは肩を竦めた。
 シンから見て、レイはいつも通りだ。あいもかわらない仏頂面で仕事をこなしている。
「お前、なんか俺に隠し事してるか」
 特別な意図があって聞いたわけではなかったが、レイは手を止めて意外にもシンを瞬いて見返した。
「・・・・・・お前に聞く覚悟が?」
 低い声で帰って来た言葉に、シンは驚いて言葉に詰った。
「冗談だ。何も隠しちゃいないさ」
「レイ」
 ヴィーノの言う地雷が何かはシンにわからなかったが、何故かこの瞬間を逃してはならない気がした。
「お前、何かあるんだろ。今朝もルナマリアのこと」
「お前に関係ないだろう」
「関係ないことあるか!俺ら、仲間で親友だ」
「お前のことは嫌いではないが、そういうところは好かない」
「なんだよ!その言い方」
 噛み付くような言い方で返してから、シンは眉を寄せた。おかしい、レイがむきになって言い返してくるなんて。いつもなら軽く交わしていくくせに、今日はどうも表情にまで不機嫌さが表れていた。
「シン、お前はお前で幸せがある。それでいいだろう?他人のことを気にする余裕があるのか?頼んでもないことに首を突っ込む暇などないだろう」
 辛らつなレイの言い様にシンは拳を握って、立ち上がった。
「そんな言い方あるかよ!お前の虫の居所が悪かろうがな、どうだっていい。俺のことそうやって言うのも。でもルナマリアを傷つけるのは違うだろ!」
「俺よりずっと傷つけたことがあるのはお前のほうだろう」
「・・・・・・レイ、お前」
 冷ややかに言われて、シンはわなわなと震えた。
 わざとなのかもしれない。レイの見下したような瞳、嘲るような口調、それは何か理由があるのかもしれない。けれど。
「デッキに出ろ」
 呻くようなシンの声に、レイは無視して部屋を出て行こうとした。
「逃げるな」
 シンの言葉は、レイの足を留めるのに十分だった。

 

 

 


「ちょっと、ごめん。ちょっとどいて」
 甲板はなぜか野次馬で込み合っており、ルナマリアはそこにたどり着くのに苦労した。漸く見えた二人の姿に、けれど足を止めた。
「・・・・・・何、してんのよ」
 ちょうど、シンがレイの頬を思い切り殴ったときだった。
 ふらつくレイは顔を上げて、すぐにシンの懐に突っ込んでデッキにシンを薙ぎ倒した。野次馬のクルーたちが遠巻きに声を上げた。
「っのヤロウ!!」
 シンは強かに背を打って呻いたが、すぐに上半身を起こして上にいるレイの胸倉を掴み返した。
「レイ、お前はなあ!わかった顔して、なんにもっ」
 握った拳がレイの頬を捉えて突き抜ける。避ける気のないレイはそのまま、背後に尻をつくがすぐに身を起こしてシンの頬を同じように捉えた。
「わかってないんだっよっぐあ」
「・・・・・・もとから、こういう顔だ」
 口元を拭ってレイはシンを見下すように言う。
「なら!どうして、お前はお前のしたいようにしないんだよっ」
 シンの振りかぶった拳を今度はレイは避けて、腕を掴み返した。
「誰もが自分と同じようにできると、思うな」
 レイは苦しそうに眉を顰めると、その腕を強く握り、引き寄せて床に投げつける。
「ってえ」
 倒れ込んだシンをレイは見下ろして、握った拳を解放せずに続けた。
「誰もが、皆、そうなら。争いなんて起きない。誰もが皆等しく幸せだなんてありえない。シン」
 歪んだような笑みを浮かべたレイは泣いているように見えた。シンはそんなレイが何にそこまで追い詰められているのかは検討もつかなかったが、一つだけはっきりしていることがあった。
「そう言いながら・・・・・・お前が一番、幸せになりたいくせに」
「お前に何が分かる」
「分かるわけ無いだろ!お前じゃないんだ、俺にはこれっぽっちもわかんねえよ!!」
 再び始まった殴り合いは防御を互いに一切しないものだった。
 ぶつかりあう、拳と頬の音が見守る人の下にひたすらに届いた。
「これだけはわかるぞ!お前はルナマリアが好きだ!好きなくせに、ひどいことするな!それくらい、俺はわかるっ」
「なに、を言っている!」
「俺はっ何があったかなんて、知らない。でも、お前、聞く覚悟があるのかっていったな」
「・・・・・・」
「ルナマリアにはあったんだろ?聞く覚悟があったんだろ?お前が逃げたんじゃないのか!」
 互いにもうたっていられないほど、ぼろぼろだったが、シンは肩で息をしながら声を張った。
「だから、無視したりしたんだろ!」
「シン、お前」
「なんでもいいから!仲直り、さっさとしろ!」
「・・・・・・」
 言い切ったシンを見て、レイは毒気を抜かれたような顔で瞬き、そのまま床に倒れ込んだ。
「お、おい!レイ?」
「は」
 少し慌てたシンがレイを覗き込む。
「は、はは、ははは」
 掠れた声でどうしてか笑い出すレイに、シンは不審そうに眉を寄せた。
「頭打ったか?」
「はは、は・・・・・・いや、は、シン、お前・・・・・・」
 可笑しくて仕方ない。
 そんな様子のレイにシンは腫れた頬を拭って、仏頂面で嘆息した。
「ったく、なんだよ」
 肩の力を抜いて、シンもデッキに座り込む。見やったレイを苦笑しながら、シンは溜息をついた。
「シン、お前って本当に」
「いい友達って?」
「・・・・・・馬鹿だな」
「っんだよ、それ」
「ステラはどうだ」
「唐突だなあ。こっちに戻れて嬉しいみたいだよ」
「そうか。良かったな」
「ああ。やっぱこっちにいるほうが気持ち的には安定してるっぽいよ」
「お前と二人だからだろう」
「今度はなんだよ?」
 倒れたまま、雲ひとつない空を見上げながら言うレイにシンは訝しげに覗き込んで変な顔をしてみせた。
「ステラに会わせろよ、俺や皆に」
「わかってるって」
「待ってたんだ」
「ああ」
「長い留守番だったな、シン」
「・・・・・・うん」
 よろよろと上ったレイの拳に、シンも合わせるようにしてぶつける。
「よかったな」
 微かに浮かんだ親友の微笑みをシンは見やって、微笑んだ。
「じゃ、あとは二人で仲直りしろよ。俺は医務室にいく」
 シンはあっさりそういうと、よろめきながら立ち上がった。集まった野次馬たちに戻るぞと声を掛けながら去ってゆく。
 レイは倒れたまま、側にある感覚に目を伏せた。
「何してんのよ、馬鹿・・・・・・・」
 聞こえる声は良く知った、声。
 戦場でも何度も聞いた声。
 自分を呼ぶ、確かな声だ。
「ルナマリア」
 静かに隣に腰を下ろした様子のルナマリアに、レイは空に目を向けたまま言った。
「あいつは凄いな」
「・・・・・・今頃?」
「何もわかっちゃいないくせに、核心だけついて、本人わかっていないままだ」
「そうね、確かに天才と馬鹿は紙一重だって言うし。馬鹿よりなだけなんじゃない?」
 笑みを含んだルナマリアの声にレイも同意して頷いた。
「あいつは不思議だ。誰より愛だの恋だのに近いくせに、好きだということがいっしょくただ」
「ああ・・・・・・さっきも言ってたわね、お前はルナマリアのこと好きだ!って。びっくりした」
 皆がシンのようであるならば、簡単なのかもしれない。
 レイは短く息を吐いて、親友のくれた痛みを感じながら、続ける言葉を思い悩んで間を置いた。
「レイ、そんな顔しないでよ。何も変わらない。言葉にしたって、何も変わらないよ。私たちはさ」
 微笑むルナマリアを見やって、レイは苦しい思いで黙った。
 ルナマリアは決して強い女性ではない。支えてやらねばならない、守るべき女性だ。レイは戦いの中、様々な思いと関係の狭間でもがくルナマリアを見てきた。
 知っている、それだけでレイにはどうしても踏み出せない相手。それが彼女なのだ。
「傷つけたくない」
 それだけだった。
 声に出して、そう言ったつもりだった。けれど掠れてそれがルナマリアには届かなかった。
「長期戦は得意なの。だから、気長にいくわ」
 そう言ったルナマリアの笑顔が眩しくて、レイは倒れたままそれを瞼に焼き付けた。
 留めておくことができれば、そう願って。

 

 


 

 

 

 
「う、しょ、うしょ」
「ステラ、足元も気をつけるのですよ」
「う!」
 ラクスは懸命に前を歩くステラを不安一杯の顔で見つめた。両腕に一つずつ紙袋を提げ、肩には先ほど作った味噌汁の水筒と、背にはラクスと共に作ったお萩お重が入ったリュックを背負っている。
 半分持つといったが、ステラはラクスは何もしなくていいのだと頑なに言うもので、しぶしぶ手ぶらでラクスは後をついて歩いていた。
「ねえ、ステラ。やっぱり迎えの車を呼びましょう」
「も、つくよ。ね」
 額に少し汗を浮かべて振り返ったステラは坂の下に見えたミネルバを指差して、嬉しそうに微笑んだ。
「わかりました。歩きましょう、けれどその紙袋は貸してください」
「うー」
「うー、ではありません。ほら」
 半ば強引にステラの手からラクスは紙袋を二つ取り上げると、ステラと並んで歩き出す。
「ねえ、ステラ。ステラはシンのどこが好きなのですか?」
「シン?」
「ええ。前から聞いてみたいと思っていたのです」
 微笑んで覗き込むと、ステラは目を瞬かせ、少し考えるように黙った。その様子は悩んでいるのではないようだったが、何かがあるようでラクスには読めない感情があるようだった。
「う、とね・・・・・・シンにないしょね?」
「ええ」
 ステラは少し照れたように俯くと、言葉を選ぶようにそっと続けた。
「つよい、腕がすき」
 自分の腕を伸ばして透かす様にして、ステラは歌うように言う。
「ステラ、ってよぶ、声がすき」
「・・・・・・そうですの」
「それから、泣き虫なところ」
 振り返って笑うステラにラクスも声を立てて、笑った。シンは一生ステラに勝てそうに無い。
「それから、やさしいところ。かくしごと、できないところ」
 指折り数え、飽きることなく続けるステラをラクスは見つめたまま、ゆっくり歩いた。
 こんな天気の良い日に、ステラとのんびり散歩しながらこうしてお喋りができるなんて。それも、愛する人のことを話してくれる。そんな時間がもてるなんて。ラクスは不意に湧いた嬉しさに、涙腺を刺激された気がして上を向いた。
「だめ、おわらない」
 困ったように首を傾げたステラがラクスを振り返った。
「ラクス?」
「シンは幸せものですね」
 紙袋の中身はお弁当と、みんなの分のお握り。手にたくさんの絆創膏をつけて、ステラは弾む足取りでミネルバを目指す。
 シンは本当に、なんて幸せものだろう。
「たくさん、ありましたものね。ご褒美、でしょうね」
「?」
「さあ、お昼に間に合わなくなってしまいます。急ぎましょう」
「うん!」
 ラクスはステラの手を握って、微笑んだ。
 もう秋が訪れて、このオーブにも寒さが訪れ始めていた。そんな冷え始めた日々の真ん中に、今日のようなぽっかり暖かい日があることを感謝する。
 もうすぐ雪で埋もれてしまうこの土地を、こんな風にステラと歩けるなんてと、ラクスはやはり思い浮かべて上を向いた。

 

 

 

 

 


 

 


「てて」
「っとに、余計な仕事を増やさないで欲しいです」
「ごめんって」
 シンはやや乱暴に頬に湿布を貼られ、身を退きながら苦笑した。
「ユウは怪我人いないと暇だろ?」
「そういうこと言うと」
「いでででで!」
 ユウは快活な笑顔、というより面白がるような笑みを浮かべるとシンの腕に勢い良く消毒液をふった。
「っにすんだよ!」
「アスカ先輩が嫌味を言うからです。真面目に働く後輩に」
「・・・・・・・よく言うよ。お前、後でレイが来たら同じこと言わないんだろ」
「はい。バレル先輩は紳士です。アスカ先輩と違ってデリカシーなしじゃありませんから」
「デリカシーってなんだよ。生憎、使ったことないね」
「使ったことがないのではなく、始めから装備されていなのでは?」
「うっせえ、換装が得意なんですー。俺はー」
「アスカ先輩が、ではなく、インパルスがだと思います」
「で!」
 最後にばしっと絆創膏を貼られ、シンは悲鳴を上げた。なんとも酷い医務担当だ。辟易しながら、シンは恨みを込めてショートカットの勝気な後輩を睨んだ。
「先輩の奥さん、無事に帰ってこれたんですって?良かったですね」
「いや、ああ、まだ奥さんじゃあないけど。まあ、うん。ありがとう」
「一緒に住んでるんでしょう?今更、そんな照れなくっても」
「いや、まあ。うん」
 がしがしと髪を掻くシンをユウは瞬いて見返した。
「アハハ!先輩がそんな顔するの、知らなかった!結構、がんがんいくタイプなのかと思ってました」
 遠慮なしに笑う後輩を、シンは言葉なく睨む。余計なボロは出さないほうがいい。今までの経験上、よくわかっていた。からかわれても対処のしようがないのだ。ならば、黙るのが一番である。
「へえ、会ってみたいなあ。先輩にそんな顔させる、彼女サン」
「・・・・・・そのうちな」
「ぜひ、紹介してくださいね」
「ああ」
 笑顔で言われ、シンは頷く。
 なんだろう。この会話、とても幸せな気がする。
「可愛いんだ。凄く。だからできればミネルバには連れてきたくない」
 気が緩み、シンは思わず本心をそのまま口にしていた。思わず。
「アハハハハハハハ!!本気で言ってるー!大真面目にー!そんな人、初めてみたあっ」
 しまった。
「う、う、うるさい!笑うな!!」
「くっ苦しい・・・・・・あはは、はははは」
 一応、後輩にはあまり素を見せないよう厳しくしているつもりのシンはこの大きな失態に舌打ちした。
 これでは当分、それを材料にいじられるではないか。先輩の威厳など、塵のように舞い消えてしまった。
「手当て、どうも!」
 シンはまだ笑いが収まらないユウを置いて、医務室を出た。
 少し腫れた頬を擦りながら、廊下を憂鬱な気分で歩いた。後輩の指導が担当なのに、馬鹿にされていてはやりづらい。シンは大きな溜息をつき、心の端にサラを思った。
 きっと、サラの耳にも軽い世間話はすぐに届くだろう。与太話に尾ひれがつかないことを祈った。
「あーあ・・・・・・なんだかなあ」
 シンは大きく伸びをして、腕時計を見やる。
 もう十二時ではないか。
「腹減ったし、飯にしよう」
 シンは気がづいてしまうと鳴り出したお腹の虫に苦笑して、食堂に足を向けた。
 

 


 


ううあー

更新があいてしまいました。しかも25話で終わりません。

どどどどうしようもないこまでごめんなさい!!!

 

すっかり秋ですね。

キーボードを叩く手がいたい季節。。。シンとステラが再会できた雪がもうすぐ降りますねえ。

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