たどり着いた食堂は何故か混み合っていて、シンは顔を顰めた。
 弁当でない日に限って、こんなに混んでいるなんて。
「腹へってるのに」
 大暴れしたせいで、シンの空腹はたいしたものですっかり食べる気だっただけに、この行列に並ぶのは気がひけた。
「シン!」
 混みあった人だかりの向こうから、すでに窓際に座っていたヨウランが手を振っていた。
「おお、もうきてたのか」
 シンは少し安心して取り合えずテーブルのほうに向うことにする。すると、人だかりは何故かシンを注目するように動いた。
「?」
「アスカ君」
「え、はい?」
 食堂のカウンターからひょいっと顔を覗かしたのは食堂のおばさんである。いつもよりなんだかにやにやと人の顔を見て続けた。
「これ。差し入れ、かわいい彼女から」
「え」
 シンが口を半開きにしたときには、そのおばさんの言葉にギャラリーはどよどよとざわめき、仕舞にシンに向かって視線が集中した。
「せっ先輩の彼女なんですか!!」
「え、あの、あの子がアスカ先輩の噂のカノジョ!?」
「ちょ、先輩っ!!」
「おっおい!押すなって、ちょ」
 おばさんから差し出された紙袋を受け取る前にシンは後輩たちに押し返される。この状況を把握したくても、全員が口々に何かを言っていて収拾がつかなかった。シンは
うんざりしながら、向こうにいるヨウランに視線を投げると彼は肩を竦めるだけで立ちもしなかった。
 シンは苛だちつつ髪をがしがし混ぜると、ギャラリーに一喝を与えるべく息を吸い込む。が、その視線の先にある人物を見つけてその息をとめた。
「・・・・・・」
 サラはまっすぐにこちらを見て動かない。
 息が詰まる気がしてシンはゆっくりと瞬いた。心にはサラがステラに会ったのかということと、今どんな思いで自分を見ているのだろうということだった。
「っと・・・え、ステラ帰ったの?」
 シンがなんとか掠れた声でおばさんの方へ声を掛けると、ギャラリー一体はまたどよっとどよめいた。
「ああ、これ渡してそのまま帰ったよ。迷惑になるからって。こっちがあんたの弁当で、こっちの紙袋はみなさんでって」
「そか。ありがと」
 片手をあげてシンは言うと、皆に向き直ると咳払いした。
「そういうことだから、皆でどうぞ」
「うえー、やっぱり彼女なんだ」
「いいなあっちょっと、先輩!紹介してくださいよ」
「うるさいうるさい!席につけってば!!」
 諦めの悪い後輩たちを巻きながら、シンはそっと目の端でサラを見やる。
 そこにはもうサラは居なかった。ついどこへ行ったのか探しそうになって、シンは顔を振った。自分の愚かさを目を伏せて飲み込むと、おばさんから受け取ったいつもの
弁当箱の包みを握りしめるようにして受け取り、ヨウランの待つ席へと移動した。
「よ!可愛い彼女をもつ彼氏は大変そうだな?」
「ヨウラン・・・・・・人が大変なのがそんなに楽しいかよ」
「楽しいね」
「お前ねえ」
「ま、俺はラクス様見れたし最高なランチだから」
 ヨウランは微笑んで手元の皿からおかずを救い上げて口へ放り込んだ。
「ステラ、ラクスさんと来てたんだ」
「ん。元気そうだな、ステラちゃん」
「ああ。戻ってまだ二日だけど・・・・・・随分安心してるみたいなんだ」
 笑って言うとヨウランは苦笑に似た笑みを口の端に浮かべて、視線を皿に落としたまま言った。
「お前の元が一番ってことだろ」
 親友のさりげない優しさにシンは頷いて感謝を示すと、見慣れたその包みに手を伸ばした。
 今朝はまだ寝ぼけたままのステラをベッドに置いたまま出かけたので、気にしているかと少し思ってはいた。まさか渡せなかったお弁当をミネルバに持ってきてくれるとは
思わなかったが、その行動力にシンとしては戸惑いより嬉しさのが勝って、素直に幸せだった。
 ステラには普通の状況であまり我儘を言わせてやったことがない。
 いつも究極に追い詰められた中でしか、本音を言わせてやったり、させてやることがない気がした。こういった差し入れや、職場へ顔を出すことをきっと女の子としてはし
てみたかったのかもしれない。シンにはステラがどこかそういった「やってみたいこと」を控えているような節があるように思えるだけに、今回のことは良い兆候とも思えた。
「にしても、お前後輩に人気あったけどこれでガタオチだね」
「はあ?」
「だってさ。やっぱ気に入らないでしょー、階級も上!給料も上!腕も上!彼女も最高!」
 フォークを揺すって云うヨウランに呆れた顔でいると、ヨウランは調子よくまだ言う。
「俺ならむかつく」
「勝手に言ってろ」
「はは。で、あっちは解決してんの?」
「あっちって?」
 ヨウランは目でそっとシンを誘導する。
「・・・・・・ちゃんとしないとまずいぞ?シン」
「もうしたさ」
 その先にいるサラの背中を見つけて、シンは静かに返した。
「ステラちゃんにも?」
「言ったよ」
 嫌ってほど喧嘩した。シンは苦いものを口の中に感じて息を吐いた。
「もう終わったことさ。何もないよ、そもそも」
「お前がそうでも、相手はどうかねえ」
「ヨウラン?嫌なこと言うな」
「ま、お前がしっかりケジメつけたんなら問題ないけどな。女心はそう簡単に冷めないもんさ、親友のアドバイスです」
 偉そうな口ぶりで言うヨウランにシンはますます呆れた顔で見返すと、短く肩を竦めて見せた。
「って、こんな会話できる日がくるなんてなあ」
 微かに細めた瞳を向けて笑う親友に、シンは一瞬返す言葉が出てこず黙る。
「思ってもなかったよ。あの頃」
 俺だってそうだ。
 シンはやっぱり黙ったまま、目を伏せた。
「お前がそんな愛情弁当、こうして目の前でぶつくさ言いあいながら食べてるなんてさ。本当に・・・・・・思いもしなかった」
「俺は、お前らとふざけ合ってる時間だけ、本当の自分に戻れたよ。いつでも」
 ヨウランは目を開けたシンをじっと見返した。
「今も変わってない。あの時間が、今人生のほとんどに出来た。それだけさ」
 そんな当たり前の時間を、なぜ奪い合い、失くし合い続けなくてはならなかったのか。
  その答えを、シンも、ヨウランもきっとまだ見つけることが出来ていない。だからこうして、平凡な幸せにふと立ち止まって考えなくてはならない気持ちがする。
「なあ、シン。俺たちはこの先、守るにはどうすればいいんだろな」
 抑揚のないいつもの親友の声。
 変わりのない声。
「戦ってばっかだたろ?なんか・・・・・・それ以外、守るのってどうすりゃいいのか、案外知らないよな」
 乾いた笑いが、シンの胸に突き刺さるようだった。
 それでも、ステラの作ったこの味が大丈夫だと教えてくれるようでシンは目を閉じて微笑んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

「ただいま」
 シンは午後からの訓練を終えて、しつこい後輩の飲みの誘いを振り切って家路を急いだ。その為、玄関を潜ったときには少し息が上がっていた。
「おかえり、シン」
 扉を開けて出ていきたひよこエプロンのステラを見て、思わずこみ上げたものにシンは恥ずかしくなって俯く。
「シン?どしたの」
「なんでもない!今日はお弁当、ありがとう。すごく嬉しかった」
 出かけたものを飲み込んで、シンは頑張って顔をあげた。覗き込んでくる真っすぐなステラの瞳とぶつかって、やっぱりシンは顔を赤く染めて俯いた。
「シン」
「え?あ、いや、何でもないんだ」
 声が裏返るのをシンは内心叱咤しつつ、誤魔化そうと笑うとその顎をぐいっとステラが手のひらで押し上げた。
「ステラ?」
「これ、どしたの。けが」
 頬にある湿布と絆創膏をステラは見やって、睨むようにシンを見た。
「ええと・・・・・・ちょっと、うん、レイと喧嘩した」
 シンは思案した結果、正直に言う。
「・・・・・・そう。わかった」
 てっきり怒るか理由を聞くかと思ったが、ステラは瞬いただけでそれ以上問わずに頬から手を離した。
「はやく、上がって。つかれた、ね」
「え、ああ。うん」
 靴も脱がずにいたシンをステラはくすっと笑って見ると、そう言ってスリッパを足元に揃えた。シンは少し首を傾げて、靴を脱ぐとステラの背を追ってリビングに入った。
「きょう、ごちそうしたよ」
「わ・・・・・・」
 リビングに立ち込める柔らかいおいしそうな匂いにシンは思わず、足を止める。扉のところで立ち止まったままのシンを見て、やっぱりステラは微笑むと嬉しそうにシン
の腕を引っ張って座らせる。
「あ、そうだ。まだ、手、洗ってないね」
 ステラはそういうと、急いでシンを立ち上がらせ洗面所へ促がす。なんだか落ち着かないまま、シンは成すがままに手を洗いに行く。
「ステラ、待ってるからはやくね」
 笑顔で言って、ステラはさっさとリビングに戻ってしまった。
「・・・・・・なんだろ。今日、機嫌いいみたい」
 呟いてシンは目の前の鏡に向き合う。
「俺、幸せだなあ」
 鏡の中の自分は少し困ったような顔をしていた。
「な。俺」
 シンは苦笑すると、手を洗って鏡の中の自分にもう一度目を向ける。
「今夜こそ。だな。うん、きっと今夜がいいはずだ。うん」
 シンの独り言はとても大きかった。

 

 


「きょう、お祝い。ステラ、シンところただいまの」
「そっか。それでこんなにご馳走作ったんだね。でもステラ、きっとお祝いって俺がステラにしてあげるもんじゃないかな」
「?」
「うん・・・・・・ほんとは、俺が夜景の見えるレストランにでも連れてってあげて、おかえりってお祝いしてあげるべきだと思う」
 瞬いて不思議そうにしているステラを見て、シンはなんとなくうな垂れる。ステラがルナマリアみたいだったら、きっとシンはとっくの昔に怒鳴られていた気がした。
「ステラ、シンとご飯。それでいいよ」
「うん。ありがとう」
 素直に微笑むステラを真っ直ぐ見るにはシンのさもしいプライドが邪魔をしていた。
 わかっている。
 しょうもない男のプライドである。
「食べよう」
「ん、俺ステラのオムライス大好きなんだよなあ」
 卵がいっぱいで。
 ちょっと半熟で。
 意図してそうではなく、焼き加減がわからないらしい。そして、可愛いほどに懸命に形にした跡があるのだ。不器用なのは知っている。基本的に無頓着なのかもしれ
ない。ナイフ捌きは誰より素早いのに。
 よたよたとオムライスの上に走ったケチャップも可愛くて仕方なかった。
「いただきます」
 二人で手をあわせて、ゆっくりと食べ始める。
 いつぶりだろう。こうして、この家で、二人だけで食事をするのは。
 シンはどうしても込み上げる感慨深さに目頭が熱い気がして、黙々と目の前の優しい味を噛み締めた。
「ね。シン。ステラいないあいだ、ご飯どうしてたの」
「どうって、一人で食べてたよ」
「作って?」
「うん。たまに面倒でインスタントか外で、かな」
「そか。シン、ステラよりお料理じょうずだもんね」
「うまくないよ。自分の食べたいものが、食べたいだけ。ステラみたいには作れない」
「?」
 スプーンを下ろして首を傾げるステラにシンは笑顔で返す。
「ステラのご飯は、愛がいっぱいで甘い」
「そなの?」
「そう!」
 言って、ステラのほっぺたについたケチャップを拭ってやる。はにかむ様に笑ったステラが愛しくて、これもきっと懸命に刻んだのであろうサラダに手を伸ばす。
「どうしてそんなこと聞くの?俺が誰かとここで食べてたと思った?」
 何気なく、シンは聞いてみた。
「そうじゃない。でも、ステラいなかったときのことは、ステラ知れないから。知りたい」
「なるほど。寂しかったんだ」
「え?」
 呆れるほど簡単にシンは吐き出してみた。
 ずっと、ずっと、この家で感じていたことを。
「寂しかったんだ。ひとりきりで。ステラがいなくて」
 どうしてだろう。
 昔の俺はきっと言えなかった言葉。
 こんなにも、伝えたいと思える今の自分。
「長い・・・・・・長い、留守番だった」
「シ、ン」
「おかえり、ステラ」
「シン」
 目の前のオムライスにぼたぼたと大粒の涙を落とすステラにシンは止めはしない。悲しくって泣くんじゃない涙はきっと流したほうがいい。
 ステラも、俺も。
「ステラも。寂しかったよ。シン、いないのはもういや」
「うん。そうじゃなかったらどうしようかって悩んだ」
 苦笑いを残してシンはステラの涙を拭う。
「こんなに必要としてるのって俺だけかなって」
「どして!」
「そうだよな。怒るよな。ごめん」
「・・・・・・もう、」
「ん?」
「もう。そんなのないから」
 桜色の口唇を噛み締めて、強い光の篭った瞳で言うステラにシンも同じように頷いて見せた。
「二人して、なにしてんだろな」
「お空と、地球。遠いから」
「そうだな」
「会えないと、寂しいから」
「・・・・・・うん」
 でも、離れても今は会える。
 あの頃とは違う。
 願っても、空を見上げても、その先に繋がりすらしないあの頃とはもう違う。
「美味しい」
「ありがと」
 互いにもう塩味しかしなかったが、笑いあった。
 こんなに美味しい食事は本当に久しぶりだ。

 

 

 

 


「よし、俺!頑張れ」
 シンの大きな独り言は続いていた。
 お風呂に入って、歯磨きもした。ステラの髪を乾かしてやって、先に布団に入らせた。
「きょきょ、今日こそ」
 シンは握った両の拳を無言で突き上げて、目を瞑る。
 だって。こんなに愛しいんだ。
「・・・・・・」
 心の隅に残った理性が「お前、まだ結婚したわけじゃないんだろ?」と呆れた顔をしていたが、この際無視する。
「っ」
 意気込んで開けた寝室のドア。
 静かにしめて、そっとシンは電気を消した。
 ずっと、この寝室で眠ることが怖かった日々を思い出して少し理性が戻るが、シンは顔を振って頷く。
 今日はもう突っ走るんだ。
「ステ」
 規則的なリズム。
 安堵するほど静かな寝息。
「う」
 いやいやいや、これで諦めてたらいつもと同じではないか。
「ステラ」
 頑張ってシンはステラの頬に顔を寄せる。
「ん・・・・・・」
「っ!!」
 飛びのくようにシンは身を仰け反らせると、一人で寝室を歩き回る。
 止まらない動悸に、シンは息を呑んだ。なんだこの焦りようは。シン・アスカ、男だろ!
「うー」
 シンは再びステラの元へよろよろと近づき、その側に両腕を付いてみる。
 見下ろすステラは愛しくて、可愛くて、堪らなく抱きしめたくて。
「やっぱ、無理っ」
「シン」
「ぐえ」
 覆いかぶさろうとしたそのとき、ありえないほどの力でステラは抱きついてきた。気を失いそうだった。
「ステステっ」
「んー・・・・・・」
 寝ている。
 寝ぼけているようだ。
「はあ」
 なんとかロックされた首を外して、シンはその身を離してベッドサイドに座った。
「・・・・・・てんで、俺の独り相撲でやんの」
 少しふてくされてシンは呟く。
 愛しいだけに、憎い。
「安心しきっちゃってさ」
 抱きついた拍子にめくれた上掛け布団を直してやって、シンは微笑む。
「俺も男だからね。今は許してあげるけど・・・そのうち、我慢しないぞ」
 何の夢を見ているのやら。
 幸せそうな寝顔はシンの理性を呼び戻すのにもってこいである。
「・・・・・・こうなる結果みえみえよなー・・・・・・」
 天使のようなステラに脱力して、シンも布団に体を滑り込ませる。
 いや、これでよかったんだよな。
「この小悪魔め」
 ぷにっぷにの頬を突いて、シンは溜息を繰り返す。残念な気持ちと、どうしてか込み上げるほっとした気持ちにシンは苦笑するしかなかった。
 ゆっくりいこう。

 もう、どこにもいかないのだから。

 

 

 

 

 


長い長い「お留守番」でした。

ルナマリアとレイのことや、もちろんシンとステラのこと。

そしてサラのこと。

まだまだ残すところはありますが、「お留守番」としてはいったん終了です。

ここまで読んでくださりありがとうございました!!

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