「ねえ、ステラ」
「なあに、シン」
 話しかけるまでにどれぐらい間があったか、シンにはわからない。虚空を見つめたまま、色のない声でステラに問う。
「俺さ、結局……知らないままなんだ。だからほんと、どう教えたらいいのか、わからないんだ」
 消え入りそうな言葉にステラは首を傾げる。
「シン?」
「君にまずその言葉を言うことが怖い。それからその意味を教えることが俺にはできない」
「……お魚、動かないこと、そんなに難しいことなの?」
 ステラはテーブルに乗せたまあるい水槽を見つめて、呟いた。
 海で見つけた魚を水槽で飼いだしてからもう二年。幸いにもオスとメスがいたらしく、産卵もし稚魚も生まれた。それを
アスランにわけたこともある。熱帯魚のような鮮やかな模様の魚の名前はシンもステラも知らなかった。図鑑で調べても、
見つけることのできなかった種類なのだ。
 この二年、ステラは愛しそうにその水槽を眺め、世話を欠かさなかった。いつかくるお別れの日をシンは想像しなかった
わけではない。
 飼うと言うことは、いつかその小さな水槽という世界を担ってやるということだ。
 その意味がわからないステラではないと思う。それでも、シンはその話題を避けてきた。
「昨日は泳いでたの。ご飯も食べたし……でも今朝見たらね、みんな浮かんでた」
 透明な眼差しでステラはシンを見上げた。その瞳には悲しみも苦しみも、嘆きも、何も見出せない。
「寝てるのかな?」
 もうこの世界にいないのだということを、どう伝えたらいいのか。
 シンはなんだか泣きたくなった。
「ステラ」
 息が出来ない。
 魚のことが悲しいのでも苦しいのでもなかった。その事実を自分自身が未だに一番受け止め方を知らずにいたことに気づいた
自分が悲しかった。
 噛み締めた口唇から生きた心地の味がする。
 随分と時間がたったのに、シンはいつまでも結局自分はあそこにいる気がして言葉を飲み込んだ。
 

 


「暗い」
 アウルは小さな両腕を頭の後ろで組んで、その背を軽く背もたれに預けた。
「マジ、超暗い。アンタらお通夜コンビだね」
 鼻で笑って言うと、小生意気なアウルはシンを睨むようにしてみた。
「聞いてるほうが飽きる。ほんとそれ」
「お前なあ」
「人が真剣に話してるのにって?ふざっけんな、オレに相談するな。マジうざい」
「・・・・・・」
 シンは自分でも何故このチビに話したのかと即座に後悔した。だが、ステラのことをわかっていて同じ境遇で、またどうすれば
いいかを知っているのはアウルである気がした。ずるいとわかっていても、今のシンは縋りたかったのだ。
「寝癖の分際でオレに答えを乞おうなんざ、一億光年早いぜ」
 そうですね、そうですよ、聞いた俺が馬鹿ですよ。
「大体な?寝癖は寝癖らしく、バカ直球にいっときゃいいんだよ。小ざかしくない頭使おうとするからそうなるワケ」
「お前と話してると、なんかむかつくけど気が楽になるわ。ありがとな」
「おいおい、自己完結かよ。オレは存分に気分害したんだけど」
「じゃな、チビ」
「待てって」
 アウルは行こうとしたシンの肩を思いのほか強くとめると、面白くなさそうに鼻を鳴らして言う。
「まあ、待てよ」
「なに?もう邪魔しないさ」
「いいから座れって」
「なんだよ、気持ち悪いな」
 シンは訝しげにアウルを見返し、しぶしぶ言われたとおりにアウルの目の前の椅子に戻った。
「……この施設は筒抜けなんだよね、ここで会話すること」
「ああ?」
「だからさ、外出許可取ってきてよ」
「は?」
「オレをこっから出せ」
 ちょいちょいっとアウルは指を動かして、外を指差す。
 この施設はステラやアウルのような戦争の犠牲となった被検体や戦争孤児を治療し、プラントと地球との連携をもって対応する
世界初の研究施設である。
 ルナマリアやレイの努力をカガリやラクスが汲み、この地上にプラントと同じほどの研究施設を設けられたお陰でステラは帰ってくる
ことを許された。そして、アウルもまたプラントのフェブラリウスから地上へと移り治療を行っている。
 驚くかな、本人の意思と多くのものと人に触れて欲しいと願うダットの意向からだそうだ。シンはそれを聞いた時、半ば信じることが
できなかった。この生意気な少年が地球に帰りたいなど、思っていたとは思えなかったのだ。
 その一端にはステラのこともあるのかもしれない。そう思うと嫉妬の心が生まれることをシンはいつも見なかったことにして心から
追いやっていた。過去、過ぎ去った時間に嫉妬したって、取り返せもしないし、意味のないことだ。今のステラはシンを見てくれている。
アウルが現れてもそれは揺ぎ無いことなのだから。
 つい脱線した心理を見透かすように、気づくとアウルが半眼でこちらを見ていた。
「聞いてる?気分転換とか何とか言ってさ、連れ出してくれよ」
「どうして出たいんだ?夕方になればラミアス艦長が迎えに来てくれるんだろ?」
「だから言ってんだよっほんと空気読めない寝癖だな」
 座っていた椅子を無造作に蹴飛ばされて、シンはむっとして睨み返す。
「なんだよ?何が不満なんだ、ラミアス艦長も、ムウさんもお前に良くしてくれてるだろ?」
「あんたに関係ないね」
「お前、ほんと一回きちんと説教してやる」
「あんたにされる説教なんてないね」
 アウルは軽く舌を出して言うと、肩を竦めた。
「いいから、早くしろって。あんたへなちょこでも、こっからオレを連れ出せるくらいの権力あるんだろ?な?」
「な?じゃねえ」
 シンはこめかみでぶちぶち血管が言っているのを聞きながら、拳を握って耐える。
「俺が納得のいく理由を言え。じゃないと、そんなことに協力できない」
「相談に乗ってやるじゃん、あんたの愛しいステラのさ」
「ダメだ」
「ッハ、頭固いなあ」
 蔑むような視線を隠すこともなくアウルは投げて寄越すと、短く嘆息して言った。
「息が詰りそうなんだ。ここも、家も」
「なんで」
「全部、なんか……借りてきたもんを飾って、そういう気分になってるだけな気がしてくる。自分がそうしてるんでなくても、それが願望
だったみたいにさ。気持ちが悪いんだよ」
 小さくなっていく声にシンは瞬く。アウルはどう見ても、寂しそうに見えた。
「オレが手に入れたこと、ないもんばっかだぜ?それがホンモノかなんて、どうやって判断するんだ?」
 家族。
 お母さん。
 愛。
「何が目的であんなふうに家族ごっこがしたいんだよ?あのマリューって女もムウってヤツも」
 吐き捨てるように言うが、それは嫌悪ではないようだった。
 アウルの細めた瞳には、言葉では表しがたい複雑な色が滲む。
「したいようにしてるんだろう?お前」
「は?」
「好きなように文句言って、ワガママ言って。二人に思ったことそのまま言って、それを行動に移して」
「ああ」
「それでいいじゃん。お前がしたいこと、そのままやってそれを受け入れてくれるのなら、それは嘘じゃないんじゃないか」
「・・・・・・寝癖の分際で説教染みたこと言ってんじゃねえ」
 一瞬、シンの顔を凝視して固まったアウルは思い出したように顔を逸らして、ぶっきらぼうに言った。その様子は、どうも不機嫌なように
は見えない。シンは内心、苦笑した。
 たまには、付き合ってやるか。
 そんな気になった。
「ちょっと、待ってろ」
 シンはそこに意外そうな顔をしたままやっぱり固まっているアウルを残して部屋を出た。

 

 

 

 

 ステラは岬の公園で潮風に吹かれながら、ぼうっと佇んでいた。
 よく澄んだ高い空と、一面に広がるオーブの深い青が瞳に映りこむ。世界にまるでひとりきりになったような錯覚さえ覚えるこの景色は
ステラにとって、見惚れるよりも恐ろしかった。
 どこかへ本当は行かなくてはならないのではないか。
 ここではないどこか、そこが自分の居場所なのではないだろうか。
 わたしは、
「ねお・・・・・・アウル、スティング・・・・・・」
 そっと視線を目の前の墓標に移す。
 少し風に晒されて色あせた石の墓石には三人の名前が刻印されている。その側の土に今日、動かなくなった魚を埋めた。こんもりと山に
なっている傍には庭に咲いたパンジーを摘んで供えた。魚と同じ色をしたパンジーはとても鮮やかで、風に揺られるのを見ると泳ぐ姿をそ
こに重ねることが出来た。
 全部で4匹いたすべてが今朝起きたときには動かなくなり、水面に浮いていた。
 それを眺めても、ステラは何が起こったのかわからなかった。シンに聞いても、それでもよくわからなかった。
「しぬとどうして、埋めるのかな」
 答える人間は誰もいない。風が静かにステラの言葉を攫ってゆく。
「土になれるの?なったら、どうなるの?」
 ネオたちは一緒だって、じゃあ、おさかなさんたちも一緒なの?
 わたしもいつかそっちへ行って、会うことが出来るの?
「死ぬってどういうこと?」
 ざあっと波が岬の端に当たって音を立てる。硝子玉のような水泡が空を舞い、きらきらと光った。
「わたしは一度、死んだんだって」
 ステラは幾度と聞いた説明を思い出す。
 自分の戦うべき相手は、過去の記憶とその内容だと。治療すべきは病魔ではなく、洗脳や薬物による投与の後遺症よりも、PTSDに近
いその残像だと。
 ダットも、そしてこの地上で新たにステラの担当になった先生も、そういうのだ。
 けれどステラにはどう説明されても、トレーニングやテストによって引き起こされるデジャヴは己の知ることのない恐ろしい記憶の連鎖
で、向き合えだの考えろだのとせかされても到底何か思い出せるようなものではなかった。
 その中で、最初にいわれたのだ。
 どうせ知ることになるのなら、知っておいたほうがいい、と。
 シンはその言葉を使わない。今の今まで、一度だってそう口にしたことはない。ただ、優しくいつでもステラに言うのだ。

 “ステラは還ってきたんだよ”

 じゃあ、ネオやアウルやスティングは、ステラのもとにかえってくるの。
 どうしてステラだけがかえってきたの。
 
「死んだの・・・・・・ステラ、あのとき」
 瞼を閉じると、映像は鮮明に浮かぶ。
 赤い火の粉がはらはらしていて、焼ける様に全身が熱い。僅かに開いた視界に漸く捉えることの出来たシンは顔をぐしゃぐしゃにして
自分の名を呼ぶ。自分に向かって落ちてくる大粒の涙をただ眺めることしかできず、その頬を拭ってあげたいのに手が届かない。
 この記憶は、自分のものだと確証が持てる。唯一実感のあるものだった。
「ステラは」
 あの時、死んだのだ。
 おさかなと同じように。


 ステラの動かない影はいつまでも岬に佇んでいた。

 

 

 

 


「っやほーーーーーっ!!」
「ちょ、おまっ」
「もっと飛ばせって!オラオラ」
 シンは格納庫から引っ張り出してきたヴィーノの趣味で改造した二輪バイクの後ろにアウルを乗せて、オーブの街道を走っていた。
「じっとしてろ!このバカ!」
「とろいんだって。もっとスピード出せよ」
 面白くなさそうな顔で後ろから言ってくるアウルに、シンは舌打ちして後悔した。妙な良心を出して損した。
「で?どこに行きたいんだよ」
 大声で後ろに向かって言うが、スピードにのって言葉も流れてゆく。到底、アウルに聞こえるわけもなく、アウルは楽しそうにはしゃいだ
ままだった。
 短く溜息をついて、シンはとりあえずこの先にあるレストランを目指して走る。
 悪ガキの相手をして、お腹の中はすっからかんに減っていたのである。

 

「オレ、ステーキハンバーグな」
「はあ?」
「いいじゃん。それから、このジュースバーってやつ」
「お前、こっちにしろって。お子様セット」
「それ、ガキの注文するもんだろ」
「お前ガキだろ」
「は?そんなにそれがいいなら、あんたが頼めよ」
「ああ?」
「オネエサン」
 乗り出したシンを無視して、アウルは涼しい顔で横を通った店員をまるで人が違ったような爽やか少年風に話しかけた。
「ステーキハンバーグセットと、お子様セットください」
 にっこり微笑んでアウルは言うと、店員の女性は微笑ましそうに笑って頷くとシンに伺いもせず伝票を打った。
「ちょ」
「可愛い弟さんですね。あ、もしかしてお父さんでしたか?」
 なんてわけのわからないことまで聞いてくる始末だ。
「あの」
「君、カッコイイお父さんでいいね〜、すぐ食事持ってくるからね」
 店員はシンを無視して勝手な判断をすると微笑んでアウルの方を見た。
「は〜い!」
 元気よく返事してアウルはにこにこと店員に手を振る。半眼で睨んでいるシンを見返すと、一瞬にして表情を変えて言う。
「喜べ。恥ずかしくない方法であんたのお子様セットを注文してやったぜ」
「ふざけるな」
「オイオイ、礼は素直に言うもんだぜ?」
「ぜ?じゃねえ!ぜ?じゃ!」
「腹減ったなあ」
 悪びれもせず言うアウルにシンは歯軋りしながら睨むが、わかっていることだ。ムキになっても火種は増えるばかりなのだ。それは
アスランやキラでだってシンは存分に経験があった。
 なんとか言いたいこと全部を飲み下すと、シンは頬杖をついて目の前に座るアウルを改めて観察した。
 大体、小学1年生・・・・・・くらいだとこんな感じなのだろうか。やんちゃそうな目元にぷくっとした頬、まだ未発達の手足はやる気なく
ぷらぷらとテーブルの下で揺れている。
 あの時会ったアウルと、そう変わりなく見える。暗かったが、あの生意気そうな少年はしっかりこの少年の面影があった。
(俺のこれぐらいのときって、こんなしっかりしてたっけなあ・・・・・・)
 シンは思い浮かべて、はたと気がつく。
 そうだ。彼は少年なのは体だけで精神はある程度までの本人のものが引き継がれているクローンなのだ。
「なあ、あんたと同じ側の人間だったら、オレ、今どうしてたかな?」
「・・・・・・プラントに生まれてたらってことか?」
「そう。オレがコーディネイターなの。ど?」
「どうって・・・・・・、お前、俺より年下っぽいからアカデミーでは一緒の期にはならなかったろうなあ」
「てことは、後輩にあんたは郡を抜かれて失墜してたエースってとこだな」
「エースってとこはそのままにしてくれるんだな。サンキュ」
 アウルはわざと無視すると、水の入ったグラスを指で弾きながら口の端で笑った。
「今の世界見てるとさ、オレらのしてたことって一体なんだったのかって思う」
 意外すぎて、シンは言葉が出なかった。アウルの表情に変化はない。
「平和ボケしたツラ下げて、ナチュラルとコーディネーターが笑いあってやがる」
「うん」
「殺しあってたのに」
「そうだな」
「ネオやスティングに見せてやりたい」
 決して喜んでいるわけではないアウルの表情を見ていると、シンは初心にかえるような気がした。平和になって、ただその事実だけ
が喜ばしいのではないし、そこ止まりではいけないのだという生き残ったものの責務。
「あんたと、オレがこんなふうにツラつき合わせて飯食ってる」
「・・・・・・いいんじゃないか?別に」
 シンは深く思考を追随せず、思ったことを言うことにした。
「お前がナチュラルだろうが、こうして飯食うこともあったさ」
「能天気でいいな、あんた」
「取柄だ」
「は」
 アウルは小ばかにしたように笑うと、深い溜息をついた。
「ステラはあんたのどこがいいんだろな」
「俺に聞くな」
「オレなら絶対、あんたみたいなバカは選ばない」
「そーですか」
「でもあんたみたいなバカじゃねーと、やってけないか。ステラみたいなのは」
「そら、どうも。ありがとな」
「どういたしましてー」
 明らかに馬鹿にされているが悪意はなさそうなのでシンは苦笑した。こういうのも悪くない。
 たまにだったら。
「お待たせしました」
 ちょうど会話に暇が出来たとき、店員が食事を運んでやってきた。
「ステーキハンバーグセットでございます」
 シンはアウルがどうするのかなんとなく予想できてうんざりした。
「はーい!はいはい、オレの」
 案の定、店員は瞬いて交互にシンとアウルを見やった。
「で、では・・・・・・お子様セットは」
「お父さんのー」
 可愛い子供のふりをしたアウルはそう言って、店員にウインクした。
「僕のと取替えっこしてあげたんだ。内緒だよ」
「そう、偉いね」
 微笑んだ店員は嬉しそうに頷くと、すぐにテーブルへ料理を並べた。
「ごゆっくりどうぞ」
 やはり微笑ましそうに眺めて去っていく店員に、シンはほとほと疲れながらアウルへと視線を戻した。
「お前、マジで気持ち悪いぞ」
「えー」
「やめろって。それ。背中がぞわっとする」
「女性には結構、人気だぜ?」
 握ったフォークをくいっと動かすと得意そうにアウルは言う。
「ま!食おうぜ」
「・・・・・・ほんと、お前なんか連れてくるんじゃなかった」
「なあなあ、その付いてるプリンは置いとけよな。オレ食べるから」
「・・・・・・」
 溜息をついてシンもフォークを握る。小さなかわいらしいエビフライを口に運びながら、ステラは今頃何しているだろうと思いを
馳せた。

 

 

 

 

 

 

 海に帰ってゆく夕日を眺め、ステラはどうしてだか涙が出た。
 何も浮かばない心に、悲しみはない。
 それなのに、涙がどんどんながれるのだ。


 自分はとうとうどうかしてしまったのだろうか。


 思えば、いつでもシンに答えを求めてばかりいた気がする。それがどういうことなのか、シンをどうさせているのか、ステラはぼ
んやりした頭で考える。
 決して、ステラのことを「死んだ」とは言わないシン。
 その意味するところが、どういう意味なのか。
「ステラが、ほんとうのステラじゃなくて、帰ってきたんじゃなくて、ちがうステラだったら」
 シンはどうするのかな。
「そっか・・・・・・だから」
 今朝、シンはあんな顔をしたんだ。
 何も言わず、ただじっとステラを見ていた。悲しみとも、苦しみとの取れるほどの曖昧な色を浮かべたシンはきっと心の中で葛藤
していたに違いない。
 おさかなは、もういなくって、死んだんだよ。
 それをどう伝えればいいのか。
 ステラになんていえばいいのか。
「ごめんね、シン」
 死、という言葉を聴いてもステラはなんの思いも湧かない。
 考えてみれば、周囲の人間みんながこの言葉を今まで避けてきたのではないだろうか。
 アスランも、カガリも、ラクスもキラも・・・・・・みんな、今までステラに言ったことがない言葉。
「ごめんね」
 決して、自分のことばかり考えているつもりなんてない。それでも、いつの日だったかサラ・リノエに言われた通りなのかもしれない。


 あんたはずるい。
 なにもかも用意してもらって、守られてばかりいる女にアスカ先輩は幸せにできない。


 言われた時は、どうしてそんなこと言うのだろうとか、ステラが何かしたのかなとか思ったものだが、今は少し違っていた。ステラが
今のステラを見たら、同じことを言うかもしれない。

 瞼を閉じても、向こう側にある焼けるような夕日が見える気がした。
 海原に帰ってゆく夕日は、また次の朝に顔をだす。どこに帰っているのだろう。太陽と月は、さようならとまた明日を繰り返している。
必ず、久遠に繰り返すことが出来る。
 わたしは、さようならをして、また明日をした。シンと。
 そして、ただいまをした。
 死ぬことはさようならで、ただいまは戻ることなんだろうか。だったら、おさかなはいつの日かステラのもとにただいまをするのだろ
うか。
「・・・・・・ステラ」
 ステラは瞳を開いて、誰もいない岬で呟いた。そっと横を見やって。
「あんたなんか嫌い」
 もう一人のステラは憎憎しそうにそういう。
「とろいあんたを殺してやりたい」
 続けて、吐き捨てるように言った。険しい表情の中で、赤紫の瞳がぎらぎらと光っていた。
「あなたも、ステラ、わたしもステラ。ころせないよ」
 言葉にすると、もう一人のステラは黙って暫くこちらを睨み据え、やがて蔑むように口の端を上げて笑った。
「あんたが元に戻る方法を教えてあげる」
「もと、とかない」
「あの男を殺しな。前にあたしが殺し損ねたあいつ。殺してやればあんたとわたしは元通り」
 言い終えるともう一人のステラは笑みを消して、震える拳を胸の前に持ってきて思い出しように握り締めた。
「消さないと・・・・・・全部、消さないとあたしが消えちゃう・・・・・・」
 なんて悲しくて寂しい声。
 ステラはもう一人の自分が愛おしく思うと同時に妬ましくも思った。
「あなた、知ってるシンは・・・・・・どんなふうだった?」
 わたしは、あなたでいる間、あなたの時間を知らない。
「知るもんか。あたしはただ殺して消したい。世界がなくならないように、殺すだけ」
「なくならないよ、なにも」
「ネオはどこ」
「ころすから、なくなるんだよ」
「ネオはどこおっ!!」
「いない」
 自分の声がしんとした岬に響く。
 強くて、ひどく冷たい音。
「どこにもいない。ねお、アウル、スティング、みんな、みんな、もうどこにもいない」
「イヤァアアアアァァア」
 痛いほどその声はステラの耳を貫いた。同時に息が出来なくなる。
 か細いもう一人のステラの両腕がステラの首を捕らえていた。
「消えて消えて消えて」
「・・・・・・」
 響くのは波の音、岬の静けさ、ステラの息遣い。
「消えたくない消えて消えて消えて」
 ステラの耳にだけ届く、もう一人のステラの声。
「・・・・・・よ」
 声にならない声でステラは言う。
 岬に響く、ぽつんとした音。
「もう、消えない、よ・・・・・・消さないし、消えない」
 苦しい胸をすべて抱え込むように、悲しい自分を、泣けない自分をゆっくりと抱きしめる。
 

 抱えた両腕が自分を抱きしめる。
 その確かさに、ステラは安堵した。ここにいて、ちゃんと生きている。

 見えなくなったもう一人のステラが、もう泣かなくてすむように。

 

 

 

 

 

「はー、食った食った」
 アウルは満足そうにソファに背を預けた。テーブルに食べきった食器が山のように並んでいる。
「・・・・・・お前さ、普段食ってないの?」
 シンは呆れて漸くそれだけを言った。この店のメニュー全部頼んだのではないだろうか。
「なんかさ、味気ないんだよ。あの人の作るもん」
「ラミアス艦長?」
「そ。質素つうか、自然派?つうか・・・・・・外食しねーし」
「体のこと考えてくれてんだろ」
「ハンバーグって肉だろ?」
「ああ」
「トウフとかいうもんで作るんだぜ?なくね?」
 シンは思わず噴出しそうになった。アウルは至って真剣にそのことに不服を抱いているようで、まだぶつぶつと食事について文句を
並べていた。
 なんだ、少し心配したのだが、十分に家族としてうまくやっているのではないだろうか。シンにはアウルからはムウやマリューへの
感情に愛情を感じる気がしたのだ。
「家族がいるって、いいもんだろ」
「・・・・・・それは、まあ。認める」
「意外に素直じゃん」
「ファントムペインは家族だったと思う」
「そうか」
 自分の記憶、でも体験したのは自分ではない自分。
 クローン、そして植えつけられた記憶を持つということはどんな気分なのだろうか。
「なってみねーと、わかんねえよ」
「心読めるのか?」
「は、あんたは誰でもわかるんじゃねーの」
 シンは生意気な口調のアウルに睨み返すだけにして咳払いした。何故、こんなチビにまでレイたちと同じことを言われなくてはなら
ないのだ。
「まあ、あんたらコーディネーターも同じかもしれないけどさ。こうなりたくてなったわけでもないから、自分がどうしてこうだとか
どうだとか分からない。エクステンデッドだったことを悲観したことも、憎んだこともない」
 肩を竦めてアウルは窓の外を眺めた。
「気がついたらこうだったんだ。そんなこと、どうだっていい。寝たら忘れちまうことも、うざいことのが多いんだし丁度よかった」
 言葉にするアウルをシンは複雑な思いで見つめる。アウルもまた、ステラと同じように過去の時間の中にもうひとりの自分を置いて
きたのだ。
 答えは自分なのに、その自分が分離してしまっている。
 心のどこかに知らない部屋がある。そんな不安と悲しみの感情。
「今のオレはさ、忘れないから・・・・・・うざいよ、ほんと」
 息が詰る。
 そう言ったアウルを思いだす。
「ステラのことだけど」
 唐突に窓の外を見つめたままのアウルは呟いた。シンは瞬いて、黙ってその先を待つ。
「あいつはもう、死ぬとか死んじまうとか言ってもなんともないぜ」
「え」
「なんともないんだ。もう」
 それがどういう意味なのか、どういう伝え方なのかシンには理解できない。ただ、アウルの声はどんな色もしていなかった。
「だから、教えてやったほうがいい。それがどういうことなのか」
 ゆっくりと視線をシンに戻したアウルは、柄にもなく真面目な顔をしていた。
「あの頃の“ぼくら”はさ、知ったら人が殺せなくなるようなこと教わってないんだよ」
 それから、苦笑して。
「殺せなくなったら道具として役にたたないだろ」
 最後は声にならない声で、小さく、だから教えてやってよとアウルは言った。

 

 

 

 

 

 


「おかえり、シン」
 玄関を開けると、ハンバーグのいい匂いが漂っていた。シンは瞬いて、顔を振るとリビングから顔を出したステラを見上げた。
「ただいま、ステラ」
「ねえ、シン。今晩はね、ハンバーグなの」
「作ったの?」
「ん。本、みた」
 嬉しそうに微笑んで、ステラは頷く。今朝は微妙な空気のまま、出勤したシンだったので構えていたのだが拍子抜けするほど
ステラは元気だった。
「はやく、手、洗って、着替えて」
 リビングに再び消えるステラをシンは不思議な気分で見送って、とりあえず上着を脱いだ。
 やけに元気がいい気がする。
「はやくー」
「あ、ああ。うん」
 シンは返事して、手を洗いに洗面所へ行くと鏡に映る自分を見て両頬を叩いた。
(アウルに言われたところじゃないか。俺、しっかりしろ)
 向き合わないといけない話題なのだ。ちゃんと今朝うやむやにした魚の話をしなくては。
「ステラ、食事の前にさ」
 リビングに足を踏み入れながら、シンはキッチンにいるステラの背に声を掛けた。
「なに」
「お魚のことだけど」
「死んじゃったから、お墓作ってお庭のパンジーをあげたの」
 背を向けたまま、器にハンバーグを盛り付けているステラ。その手は止まっていない。震えてもいない。シンは言葉を失って、
立ち尽くす。
「シン、ごめんなさい」
 ふと、手をとめてステラは言った。
「死ぬってこと、ステラわかってなかった」
「ステラ」
「悲しいことじゃない」
 振り返ったステラはゆっくり、シンを見つめてそれから微笑んだ。
「また、会える。いつか・・・・・・ステラとシンみたいに」
 胸が熱くなって、すぐさま目頭が熱くなる。シンは自分が泣き出しそうなのだと気づいて、思い切り息を吸った。
「だから、今は、さようならをしてきたの。だから、今日は」
 ステラはシンが返事しないのを気にせずに、両手にお皿を持ってテーブルに並べた。
「おさかなさん、またねの会なの」
「ステラ・・・・・・」
 ダメだ、何か言うと涙が溢れそうだった。ステラは情けないシンをそのままにエプロンを外すと席についた。
「シン、食べよ」
 家族って、いいもんだと思うといったアウルの声がシンの胸に戻る。
 何があっても、どんなことがあっても、こうして一人ではないということはなんて優しい幸せなのだろう。一度それを失ったことの
あるシンはこの幸せを怖くすら感じる。
「いただきます」
 二人で手を合わせて、ほかほかと湯気の立つハンバーグを目の前に挨拶する。
「かたち、へん。ごめんね」
「変じゃないよ」
 ちょっとごつごつしたハンバーグは懸命にステラがこねて形にした証だった。シンはお昼にお子様ランチで、アウルにステーキハン
バーグを食べられたことを実は根に持っていたが、今はアウルに感謝していた。
「こうしたら、ハートのかたち、みたい」
 嬉しそうに笑うステラを見つめてシンも笑う。
 口に運んだハンバーグは今まで食べた中で一番美味しいと感じる。あったかくて、優しい味だった。
「シンのなきむし」
 ぽつりと言われた一言に、シンは赤くなって俯くしかステラへの対抗策はなかった。
 

 

 

 


どれぐらい空いてしまったろう・・・。ごめんなさい。

でも、優しいお言葉に応えたくて。書くことがお返事だと思ったのでUPしました。

 

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