時計の秒針を刻む音が好きだ。
 
 刻々と規則正しく、永遠に打ち続ける音が世界を証明してくれている気がする。私がここにいるのだと教えてくれている、そんな気にさせてくれる。格納庫に
向かう前、良く目を閉じてこの音を聞いたものだ。深呼吸して、身を任せると瞑想するように落ち着く。
 それは戦火の中でない今も変わっていなかった。

「もうすぐかあ」
 ルナマリアはそっと呟いて、もう何時間かすれば日付の変わる時計を見やった。
「……十九歳、って実感ないなー」
 ミネルバで各個室を与えられているのは上官のみの特権で、相部屋ではないことがあの頃とは違うことだった。軍隊組織として機能することをやめたミネルバは
今では企業のような隊形で、残業をしても自宅に帰れ指令が出るわけである。
 しかし、ここ最近ルナマリアはこの個室に篭りきり、泊まっては朝礼に出るの繰り返しだった。室内はシャワー完備だし、いつ行っても作ってもらえる食堂まで
あるのだから、泊り込みだって苦ではない。寧ろ、忙しい時期の一人暮らしには有難い生活だ。
 だからといって、ここで誕生日を過ごしたいわけではない。
「私ももうすぐ成人か。それも実感ないなあ」
 銃の扱いを覚えたのが、十四の春。MSに乗って実践に出たのが、十七歳の頃だ。
 思い返しても、ミネルバ進宙式はいい思い出ではない。初陣があのような強奪現場になるとは思いもしなかったものだ。
「その犯人だった子のために、こうして連日泊り込みしてるんだもの。人生ってわからないもんよねぇ」
 制服はすでに脱いで、シャツとスカートというラフな格好をしたルナマリアは言ってベッドに身を投じた。無機質な天井に、かつての戦場が投影される。そこは
悲しみと怒号の渦巻く空ばかりだったが、ルナマリアはそれしか知らなかった。青春とは程遠いあの頃を、未だ昨日のことのように思い出せるのは一生変わらない
気がした。
 正義とか勝利とか、勝ち取るためだけに必死だった私たち。
 敵と信じれば、怖いものなどないと。ルナマリアはそう思って戦っていたように思う。自分はザフトの赤服なのだ、と。その為にここまで来たのだと。
「ザフト・レッド、かー……」
 お洒落な服も、可愛いコスメも、流行のカフェにも目もくれず、一体何になりたかったのか。
 曖昧だった勢いだけのルナマリアの前に現れたのは、輝かしいフェイスのバッジをつけたアスラン・ザラだった。
「ん?」
 不意にテーブルで震えだした携帯に気づいて、ルナマリアは身を起こした。
「レイ?」
 確かレイも居残って泊り込みのはずなのに、どうして部屋を訪ねずに電話してきたのだろう。
<ルナマリア、今部屋にいるのか>
「ええ。データの整理が終わったから、休憩してたところ」
<……しばらく部屋にいるか?>
 おかしな聞き方をするものだ。ルナマリアは首を傾げつつ、いつもと変わらないトーンで話すが違和感満載のレイに答えた。
「いるつもりだけど……なあに?手伝ってほしいこと、ある?いいわよ、そっち行こうか。調整室にいんの?」
<いや。いい。いいんだ。ルナマリア、そうじゃない>
「はあ?」
 レイは決して慌てて言いはしなかったが、付き合いの長いルナマリアにはわかってしまうでのある。
 変だ。
「レイ、貴方おかしいわよ?どうかした?」
<どうもしない。おかしくはない>
 どうも様子がおかしい。気になりだすと放っておくことができないルナマリアは窺うようにもう一度聞いた。
「……何か私に隠してない?」
 電話の向こうで何か息を呑んだような間があり、打ち消すような雰囲気でレイは返事をしてきた。
<俺はルナマリアに何かを隠したことはない>
「嘘ばっかり」
<隠蔽は作戦行動だ。決して隠し事ではない。そう言った意味ではお前に嘘をついたことはない。皆無だ>
「一緒だってば」
 言い様にルナマリアは思わず噴出す。動揺してかレイは色のない声で面白いことを言う。余程ばれたくないことなのだろう、ルナマリアは探るのはよしてやろう
と思うが、面白いのでもう少し苛めてみることにする。
「なによなによ?もしかしてそこに女の子でも連れ込んでるわけ?だったらそう言いなさいよ、邪魔しないから」
<シンだろう、それは。俺はそんな不埒なことを職場ではしない>
「職場じゃなきゃするんだ?」
<……ルナマリア>
「へえ〜そっか〜へえ〜」
 あまり面白がって苛めると怒られるのでそろそろやめておいてあげよう。
「じゃ、私はお邪魔せずに部屋で仮眠させてもらいます!レイ・ザ・バレル様!」
<……ちゃんと休養は取ることだ。何かあったら呼びに行く。勝手に休養を解除しないように>
「はーい」
 通信の途絶えた携帯をルナマリアは眺めて、やっぱり噴出した。なんだったんだ、あのレイのおかしな態度は。
「変なレイ。ってゆうか、休養命令のせいで私、誕生日ひとりぼっち系?ははー、さむいなー」
 苦笑して、ルナマリアは再びベッドに背を預け、ゆっくりと足音をさせて近づく眠気に身を任せようと意識を手放した。

 

 

 

 

 

 


「貴方って子は本当に不器用なんだから」
 タリアは何故か不服そうにそう言った。レイは通話の終わった携帯をまだぎこちなく握ったままで、したり顔のタリアを振り返った。
「……善処しましたが、何か」
「あれじゃあ、バレてもおかしくないわよ?本当にもう」
「……」
 おかしい。最大限努力して至って普通にしたつもりだったのだが。
 レイは短く息を吐いて、漸く携帯をポケットに直すと中断していた作業に戻るため、テーブルの方へと移動した。
「一体、そんなの誰に教わったの」
「ルナマリアがオロファトにあるアクセサリ工房に通っていて……そこにコニアという職人がいるんです。その人に」
「硝子細工で有名なお店の店主ね、聞いた事があるわ」
「屑硝子で砂絵をする、という発想が好きで」
 テーブルには粉に近い何色もの硝子の屑が小鉢に分けられていた。分厚い透明の硝子板にはペンで描いた下絵があり、レイは懸命に先ほどからそこに糊を流して
は細やかな硝子の粉を何度も薄く流しては払うのを繰り返していた。
 何度の繰り返され、重なり、はっきりした色を成して来た絵は幻想的で、見る角度によって色を変える不思議なものだった。
「素敵ね、ギルにも教えてあげたいわね」
「……是非。ところで、ギルを一人にして大丈夫だったのですか?」
「あの子はねえ、今夜はお泊りに出かけたのよ」
「友達の家ですか」
 あれくらいの年頃の子供は友達の家に泊まりあったりするものなのか。レイは微笑ましく思えて、自然と微笑んだ。
「好きな子の家よ、好きな子の。ほんと、誰に似たのかしらね。あのませガキ」
「は」
 思わずレイは声を出して笑った。
「あの人の血を継いでないのに似るのなら、私の好みはあれってことになっちゃうわ」
「あたっていると思いますが」
「言うじゃない」
 タリアは髪を掻き上げて言うと、つけていたエプロンを外してレイの隣に座った。
「ねえ、ケーキの事だけれど……もっとデコレーションできるわよ。どうしてあんなシンプルなの?」
 レイは返事はせずに、目線だけで答える。
 あれでいい。
 真っ白な生クリームのケーキ。縁に紅い苺が等間隔に並ぶだけの。
「名前入れたチョコプレートとか」
「それも問題ありません。俺の計画にぬかりはありません、艦長」
「あらあら、頼もしいわね」
「オールグリーン、ですよ」
「そうね。貴方はミネルバにとっていつだってトリムタブだったわ」
「最高のほめ言葉です、艦長」
 どうしてだろう。
 穏やかで、静かな夜のしじま。こんな時間を貴方と過ごしている自分がいることが信じられない。今でも。


 そして、こんな夜はあの崩壊の最中を思い出す。
 宇宙は、夜に似ていた。


「レイ、美味しい紅茶を入れて冷蔵庫に冷やしておくわ。こんな暑い日はアイスティのが良さそうだし……一緒に炭酸水を冷やしておくからスパークリングにして
あげてね。うちの庭で採れた木苺を凍らせておくから一緒にグラスへ」
「はい。わかりました」
 タリアはペンを取って綺麗な字で手近にあったメモにすらすらと作り方を書いた。レイはその手をついじっと眺めていた。真っ白な、優しそうな手だ。いつでも
おいでと手招いてくれる、優しい手。
 未だにその手にどう反応すればいいのか、レイにはわからなかったが。
「じゃあ、私は自室にいます」
「ありがとうございます」
 微笑んでタリアは背を向けると、かつかつと楽しむようにヒールの音をさせながら食堂を出て行こうとする。
「あ、レイ?二人きりだからって過激な行動は慎むように」
「……艦長、過激の定義が分かりかねます」
「またまたぁ〜、わかってるくせにぃ」
 戦時中、想像もできない顔である。タリアの嬉しそうな様子にレイは頬を掻きながら、内心溜息をつく。
「あまり苛めると怒られるわね。大人しく退散するわ」
 消えてゆくその背を眺めて、レイは微笑んだ。時が経つことは、レイにとって残酷なことでしかなかったが、今はそうではなかった。そうではなくなった。
「今を生きることにだけに必死だったものな」
 自分に語りかけるように言って、レイはポケットから小さなケースを取り出した。
 そこには飲みなれた錠剤が綺麗に並んで収まっている。
「今は、俺に時間をくれと……そう願う」
 人は変わるものだ。
 変われるものだ。
「シン、俺も少し……らしくないことを、してみようと思う」
 シン・アスカに恥じぬよう。
 友として。

 

 

 

 

 


 やってしまった。


 と、思って飛び起きたのと携帯が鳴ったのは同時だった。ルナマリアは驚いて身を起こし寝癖のついた頭のまま携帯を引っ手繰った。
「もしもし」
<ルナマリア?寝ていたか>
「……え、え。ああ、うん。レイ、ねえ、もう日付変わっちゃった?!」
 壁に時計はあったが見るのが怖い。もしや、一人誕生日な上に寝過ごしたのだろうか。
<あと十分ほどで日付は変わるが……>
「レイ!どこにいるの?ちょっと、すぐ行くからっどこ?!」
<食堂にいる>
「わかった!すぐいくから。そこに、そこにいてよっ」
 ルナマリアは説明もせずに捲し立てるように言って携帯を切った。
 危ない。
 十代最後の誕生日をもう少しで虚しく過ごすところだった。
「私、意外と寂しがりやなのよっ」
 誰ともなくルナマリアは言うと、部屋を出ようとした。が、手前にある姿見を見て足を止めた。
「……」
 ゆっくりとクローゼットの方へ視線を動かして、数回思案するように顔を振る。
「ええい」
 ルナマリアは勢い良く、クローゼットの扉を開いた。

 

 

 


 知ってはいるが、なんとも面白い女性である。
 ルナマリア・ホークという女性は。
「……誘う手間が省けたな」
 レイはタリアの享受してくれた誘い出し方のメモにある文面を見ながら笑った。
「ルナマリアには常套手段は通じそうにないということだな。意外と正面突破に弱いのかもしれん、やはり率直に行うか……」
 ぶつぶつと言う様はまるで作戦参謀のようだったが、レイは食堂でひとり、したことのないことを柄にもなく行おうとしていた為、気づかない。
「お待たせっ」
「あ、ああ」
 威勢よく聞こえたルナマリアの声に思わずレイは返事した。そして彼女の方を見やって言葉を失う。
「……な、なによ?」
「いや」
 レイは瞬きして、なんとか声を出すと背を向けた。
「?」
 背後で首を傾げているようなルナマリアの雰囲気が伝わってきたが、レイは平然を保つには少し時間が必要だった。それほどに、ルナマリアの姿はレイにとって
衝撃的だった。
「レイ?」
 いつも軍服か、制服。
 いつも私服は快活そうなラフな格好。
 見慣れたルナマリアはそんなイメージだった。
「に、似合うな。ルナマリア、そういう格好も」
 漸くの思いでレイは平淡な声でそう言った。
「あ、え?うん……カガリさんがくれたの。着ないのにいっぱい持ってるからって」
 一枚ものの鮮やかな紅のワンピースはシンプルで、体のラインを嫌味なく出すものだった。そして少し戦後伸びていた髪をルナマリアはアップにしていた。その
雰囲気が相まって、女性らしいルナマリアの姿にレイはやっぱり落ち着かない。
「あのね、私さ。寂しい奴だって笑ってほしいんだけど今日、」
「ルナマリア。ここに座ってくれ」
 言いかけだった言葉をさえぎられ、ルナマリアは瞬きを数回したが頷いて言ったとおりにテーブルについてくれた。椅子を引いて促がすと、側にきたルナマリア
の香りにレイは鼓動がおかしいなと目を伏せた。
「少し、待っていてくれ」
 いつもより大人しく感じるルナマリアだったが、レイはなんとか計画通りに進めるべく、その可憐な姿のルナマリアを置いて厨房の方へ向かう。
 用意した硝子の砂絵をカウンターのところにおいて、厨房の冷蔵庫にあるタリア特製のケーキを出してくる。ルナマリアはこちらが見えない位置に座らせてある
のでレイは慎重に準備した。
「ルナマリア!目を閉じていてくれ。いいって言ったら、開けていい」
 背後から声を掛けられ、ルナマリアは肩を躍らせていたがゆっくり頷いて言う事を聞いてくれた。
「……いい頃合だ」
 レイは腕時計を見て、あと僅かで日の変わりを示そうとしているのを確認し、ケーキと硝子の砂絵を抱えてルナマリア側まで足音を消して歩み寄った。


 ルナマリア。
 君には感謝してやまないことが、たくさんある。
 だが、俺は言葉にするのも、笑うのも、笑わせるのも、得意ではない。だから。

 

「いいぞ、ルナマリア」
「……!!」
 そうっと目を開けてルナマリアは息を呑んで暫く動かなかった。不安になったレイは窺う様にルナマリアを覗き込んだ。
「気に入らないか?」
「レイ」
 振り返ったルナマリアの瞳の中で燈った蝋燭の灯りが揺れる。臙脂色の光は優しく、揺らめいていた。
「レイ……」
「誕生日、おめでとう。すまないな、俺一人で……いつも残って仕事手伝ってくれて感謝している」
 揺れる灯りの海がいっぱいになって零れだす。
「……覚えててくれたんだ?」
「忘れるはずがないだろう」
 仲間の生まれた日だ。レイ自身、自分の出生を祝いたいとは思わないがルナマリアや、仲間たちが生まれ落ちた日を想うと温かい気持ちになるのだ。感謝したい
と、そう思えた。
「あまり、うまくはできなかったんだが……」
 レイは照れくさい気持ちをなんとかしまい込んで、ルナマリアの感想を待つ。
「これ……レイが考えたの?」
 硝子の砂絵は箱の上に乗っており、その下でケーキがまあるい円を描いて灯りをその絵に灯していた。
 浮かび上がった文字は、生まれを祝う言葉。
「コニア氏に相談したんだ」
「……レイが?」
「柄にもないことをしたな」
「信じらんない」
 笑うルナマリアの頬に幾重にも涙が伝う。
「ルナマリア。笑ってほしくて作った。泣くな」
「……私の、勝手でしょ」
 涙を拭って、ルナマリアは飽きずにじっとその絵を眺めた。その横顔の綺麗さにレイは知らずと目が離せない。
「ありがとう。レイ」
 そう言って笑ったルナマリアの笑顔は、レイが砂絵で描いたその絵そのものだとレイは嬉しくなって微笑み返した。

 

 

 

 

 

 

「呼び出して悪かったわね」
「いいの。たまには夜遊びしたいものだし?」
 タリアはワインを注いだグラスを微笑んで言うマリューに手渡しながら、苦笑した。
「あれから、二年も経ったのね」
「ええ。グラディス艦長とこうしてお酒が飲める日がくるなんて」
「私こそ、思いもしなかったわ」
 二人は笑うあってグラスを鳴らしあう。
「特等席ねえ」
 マリューは面白がるようにブリッジから見える満月を眺めて言った。艦長席についてワインを優雅に飲むタリアを振り返える。
「見渡す限りのオーブの海、清い満月。私たちに、乾杯!ね」
「乾杯」
 やっぱり言って、二人して笑いあう。グラスの中の透明なワインがまるで目の前の満月のようだった。
「マリュー、貴方はトリムタブの話をご存知かしら」
 ほろ酔いのタリアはまったりとした口調で、呟く。
「トリムタブというと……舵をまわりやすくする、あの?」
「ええ。舵よりも手前でまず小さな舵となる、トリムタブ。私はミネルバに乗って指揮を取りながらずっと思っていたことがある」
 遠くを見据えるような瞳になったタリアをマリューは感慨深く見上げた。初めてタリアと言葉を交わしたのはモルゲンレーテの造船上で会った時を思い出した。
思慮深い、クルーを思う艦長だとマリューは感じるのに十分な人柄だと思ったのである。
 快活ではっきりとした性格であろうタリアに、マリューはとても好感を抱いていた。
「何トンのもの戦艦が15ノットで進んでいるとして、この艦の進路を大きく左に向けさせるには大抵は、船首を左から引っ張るか、右から押そうと考える。けれ
ど慣性のついた巨体は、そう簡単に動かない」
「そうですね……、人も艦も」
「答えは、まずは船尾を右に向けること。そのためには、舵を左に切る」
「すべては、常の逆。つまりは、船外に目を向け潮流の変化を読み、新しい風向きを察しなくてはならない」
 マリューの声に、タリアはゆっくりと頷いた。その瞳は月を見つめ、そこではない違う場所を映し続ける。
「私たちは艦の進路のような動かし難い深い問題に日常、繋がっているし、なによりそこに乗っているクルーであること……その中で、私自身は舵であることは変え
られない。トリムタブにはなれない」
「貴方にも、私にも、とてもかけがえのないトリムタブが……いましたね」
「ええ、本当に」
 貴方という先に立つ小さな頼もしい舵に、幾度と救われたかわからない。
 
 レイ、貴方と言うトリムタブと眺めた果てしないブルーオーシャンを、私は忘れない。


「男になるのよ、レイ」


 かつて、そこには銃声と爆音しか響かず、張り上げるのは命がけの叫びばかりだったブリッジに、タリアは祝福のようなグラスの音を再び響かせた。
 

 

 

 

 


トリムタブ。

かきたくて。おめでとう。ルナマリア!!

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