白いお花と、薄いピンク色のお花。
 重なったり、離れたり、はらはら風に揺られて、そうっと落ちてくる。

 ざあっと吹き上がった風に攫われるみたいに巻き上がると、吹雪のよう。


 空から落ちてくるだけじゃなかった。
 雪は、木々の手からも零れ落ちるのだ。


「きれい、きれい。ラクスみたい」
 
 さくら。
 さくらっていうんだって。

「シン」
 ステラは微笑んで、日差しが差し込む桜並木を振り返った。
「ん?」
「みて、ほら」
「ちょっと待って」
 背伸びして懸命に頭上を指差すステラにシンは苦笑を浮かべると駆け足で追いついて、一緒にその方向を見上げた。
「あ」
「ね?」
 見たことのない青い色の鳥が二羽、桜に紛れてとまっていた。
 小さな体を寄せ合って、仲睦まじく嘴を啄ばみ合う姿は微笑ましくて、ステラとシンは顔を見合わせて笑った。こちらに気づかない二つの青い影は
見られているとも知らずにそのまま身を寄せ合って、互いの頬をすり合わせていた。
「……仲良しだね」
「うん。なんだか、照れるな、見てると」
「?」
 シンが急に顔を逸らして頭を掻いたので、ステラはきょとんとしてその横顔を見つめた。
「はは、はー。なんでもないって。見ないでよ、ステラ」
「みないで?いや?シン、なんかあった?」
「あー、いや、そういう意味ではなくて。照れる、なんか」
 ますます分からない。ステラは首を傾げた。
「てれるの?何か、恥ずかしい?」
「えっと。うーん……ほら、なんていうか。カップルを覗き見してる気分!」
「かっぷる」
 そう繰り返して、ステラは頭上の鳥たちを見やった。仲良しの二羽は羽を広げて身繕いを交し合っていた。
「ステラと、シンみたいね」
「う」
 思ったことを口にして微笑むと、今度はシンは背を向けた。
「??」
「ごめんってば。俺が邪なだけ、うん、そう」
「シン、へんなの」
 ステラはぷうと頬を膨らませると、その背に向かって両腕を広げて抱きついた。
 シンはお日様の匂いがする。
 同じ洗剤、同じシャンプー、同じものを使っているのに。シンはいつでも温かい匂いがした。
「スッステラ?」
「いこ」
「え、あ、ああ」
 すうと息を吸い込んで、ステラはシンの手を握った。
 二人で並んで、桜並木を歩く。はらはら落ちてくる桜たちは、雨のようだった。ひっきりなしに降ってくるのを見ていると散ってしまいそうで、ステ
ラは少し心配になった。
「もう葉桜だね」
「はざくら」
「そう。桜の季節が終わりってこと。今度はここに新緑がやってきて、さくらんぼが生るよ」
「!!」
「驚いた?実が生るんだ、小さいけどね」
「食べるさくらんぼ?」
「うん。でも生食用とまた違うみたいだけど……いろいろ種類があるんだって」
「この子、さくらんぼなんだ……」
 ステラは薄ピンクの花びらを眺めながら、頷いた。一年に一度だけ咲く。それを聞いたとき、寂しい気がした。毎年必ずさよならをしなくてはならない
なんて、悲しい気がした。けれど、終わるわけではないのだ。春は咲いて、夏は実がなって、冬は休憩なのだ。
 どの季節も、自分らしくいれる。それはとても羨ましいことだった。
「ね、シン。お昼のさくらも素敵だね」
「夜桜とはまた違うよなあ。俺は小さい頃は桜なんて、見てもなかったけど」
 シンは可笑しそうに笑うと、ステラに教えてくれた。
 花より団子、というらしい。
「ま、今も俺は花より団子かも」
 そう言って、ステラを見やる。一瞬、考えたような瞳をして目を伏せると、今度は開いたその双眸に悪戯な色を宿してステラを捉えた。
「?」
「花より、ステラが正解」
 にっと笑うと立ち止まって、繋いでいた手を寄せてステラの前に回りこむとシンはそのまま口唇にキスをする。
 小さく音のする触れるだけのキス。
 驚いて瞬きも忘れているステラに、シンはもう一度笑うとその手を引いて走り出した。

 足元の桜の絨毯がたちまち二人の速度と共に舞い上がる。
 いっぱいの桜の雪の中、きらきらの光に照らされて、声をあげて走る。

 待って、待って。
 シン。

 大好きなシン。

 

 

 

 

「うーっあーっ」
 自転車の後ろに乗せたステラは坂をくだる度に大きな声で背後で叫んでいた。それが面白くてついシンはブレーキも握らず全速力で下る。
「ほーわあーっ」
「あははは」
「うーっ」
 ステラは必死にシンの背にしがみついて、前に回した両手はシャツを死に物狂いで掴んでいる。懸命な仕草が愛しくて、つい。
「もっと、いくぞー!!」
「なーっ」
 くだりなのに、こいでしまうわけである。

 

 ぜえ、ぜえ、ステラは暫くそうして肩で息をしていた。
 漸く落ち着いて顔を上げたかと思うと、その表情は恨めしそうだった。
「うー。シン、楽しそう」
「うん、ステラ可愛い」
「可愛くない」
 ぷいっとそっぽを向いて、ステラはシンを置いて着いた目的地へ先に行ってしまう。
「はは」
 シンはそれでも一人で笑ってしまった。なんとも可愛い。何度も乗せているけれど、ずっとああである。かつてガイアに乗っていたなんて思えない。
必死で練習していたが、自転車に一人で乗るのは諦めたようだし。
 あの必死の形相と叫びを思い出すと、やっぱりシンは可愛いなと思ってしまうわけである。
 とてとてと、歩いていったステラはオーブの浜辺で寄せては返す波を素足で追いかけていた。
「……怖いや。こんな幸せだと」
 呟いて、目を細めた。シンにとって、こうして休日をステラと過ごすことができるのは稀だった。大抵はシンが疲れて一日寝てしまうか、残った仕事
を家でするかで、ステラは傍でいつも眺めていたり本を読んでいたりして過ごす。
 こんなふうに、散歩したり出来ることはあまりない。
 そこまで考えて、シンはぐったりと胸が重くなった。
「俺、なにしてんだよ」
 そうだ。
 何してるんだ。こうして一緒に過ごせることは当たり前ではないのに。あり得なかったことなのに。それを、なんて過ごし方をしているのだろう。忙
しさに感けて、ステラを蔑ろにしていないか。いつでも傍で笑ってくれるステラに甘えきっているのではないだろうか。
「……これじゃあ、親父と同じかー」
 ふと思い出すのは、父のことである。
 マユにいつも休日はせがまれて、重い腰をたまに上げてシンとマユを遊びに連れ出してくれる。
 母にいつもそれを“たまの家族サービス”だと名づけられ、父が苦笑していたことを思い出す。今なら、少し父の気持ちが分かるきがした。何もかも
いっぺんにはできないのだ。そして、思いのほか疲れているのである。情けないことに。
「シーン!」
 ステラが波打ち際で小走りに足を運びながら、シンに手を振った。金の髪が太陽に照らされて輝いていた。
「今いくー!」
 返事して、シンは駆け出した。
 履いていたスニーカーを放り出して、ジーンズの裾を捲り上げて、ステラの元へ走る。
「シン」
 ステラは嬉しそうに笑うと、屈んで両手にいっぱい波を掬ってシンに向かって放り投げた。
「っわ」
「あはははは!おかえし、おかえしー!」
 豪快に顔に掛かった海水にシンはぺっぺと舌を出しながら、悪戯に笑うステラをすぐに見返した。
「やったなー!」
「ぅきゃー!」
 互いに思い切り水を掛け合いながら、はしゃいで走り回る。
 跳ねる水が海面を打って、きらきらと硝子玉のように飛んだ。
「シン、本気、本気」
「ステラもだろー」
「あはは。負けないっ」
 楽しそうなステラの笑い声にシンは居てもたってもいられなくて、つい思い切りその細い体に飛びついてしまった。
「・・・っきゃ」
「わ」
 当然、バランスを崩してステラは後ろに傾いた。
 シンもろとも。

 ばっしゃん!

 
 次いで聞こえるのは、漣の静かな規則的な音。
 それから、互いの髪から落ちる雫の音。

「……シン……やったなあーっ」
「え」
 静かな一瞬の素敵なムードはあっけなく消え、ステラは燃える瞳で自分の上に跨るシンを反転させて掴んだ。
「ステラのかち」
 もう全身ずぶ濡れなのは、シンもステラもである。
 シンは海水に浮かびながら、勝ち誇ったステラの顔を見上げて言葉を失う。
「シンの、まけ」
 にっと笑ったステラが、ゆっくりその顔をシンに寄せて口づけた。
 シンは失っていた言葉を離れてゆくステラの口唇に奪われて再び黙る。
「さっきの、お返し」
「ステラ」
 再び、ステラが優しく微笑んでその体をシンのほうへ預けようとした時、
「わあ」
 
 ざっぱーっ

 ふたりを大きな大きな波が襲って、去ってゆく。
 今度こそ、二人ともずぶ濡れになって互いのあまりの濡れように噴出して笑いあった。
「もう、風邪ひかない時期でよかった」
「う。でも、びちゃびちゃだね」
「ステラ、髪……そうしてみると伸びたね」
「そう?長くするの」
「どうして?」
「ラクス、きれい。あんなふう、してみたい」
「そうなんだ。ステラはどれも似合うと思うけど……」
 シンは眩しい気がして、目を細めながら自分に跨る愛しい人を見つめた。
「どこも行かないでね」
「シン?」
 言って、シンは身を起こしステラをだっこしている状態でそのまま抱きしめた。お互いずぶ濡れだ。もう気にならない。
「俺の隣にいてな」
「ん」
 額にはりついた髪をよけてやりながら、シンはステラの白い頬に触れた。透き通るような肌、硝子のような赤紫の瞳、何もかもが現実味のないほど綺麗
だったが、触れることのできるものだ。強く抱きしめても、消えない確かなものだ。
「シンも。ステラのところに、いてね」
「うん」
 約束する。今度こそ。
 互いに見つめ合った先に、待っているのは触れ合う鼓動。
 触れ合った口唇から伝わるお互いの不安と期待。もう子供じゃない。何が出来て、何が出来ないのかわかる。だからこそ、この瞬間を失いたくない。
「シン!もっかい、さくら、いこう!」
 突然、ステラは口唇をぶつけあったまま、そう言った。
 目と目が触れ合いそうなほどの距離でそう微笑まれて、シンは顔を逸らして思わず笑いだした。
「ん、行こっか」
 かなわない。ステラには。
 シンは濡れた服が重かったがなんとかステラの腕を引いて立ち上がった。互いの服の裾を絞りあって、髪を振って、顔を見合す。
「シン。またあれ?」
「今度は上りだから、俺が大変なだけ」
 ステラは瞬いて、砂浜の端に置いてけぼりの自転車を見た。
「ステラ、歩くよ」
「いいの。乗って。俺、男の子だから」
 シンは言って、濡れたステラの髪を混ぜてやって、手を引いて歩き出す。
「桜、また見たいの?」
「……ちょっと」
「?」
「いいから、いこ!」
 何故かステラは俯くと、シンの手を引っ張った。

 

 

 

 

「もう夕方になっちゃったなあ」
 シンは自転車をこぎながら、桜並木までやってきていた。お互いにびしょぬれなので自転車の風で髪が変に張り付いていた。
「ステラ?」
 後ろを少し振り返ると、ステラはしっかりしがみつきながら、何か考えるように眉を寄せている。
 何を考えているのかな。
 シンは気になったが、とりあえず着いた並木で自転車を止めて、ステラを降ろした。
「シン」
 真剣な表情をしたステラは二三歩、シンの前を行くと振り返って静かにそういった。
「は、はい」
 思わずシンは背筋を正して、向き直った。慌てたせいで自転車が傾いたので、急いでスタンドを下ろした。
「……シン」
 なんだかステラは神々しかった。
 背後に夕暮れの光を纏って、吹き抜ける桜の雪がステラを護るように舞って、いつもよりしっかりとした眼光には強い意志が灯っている。
「ステラね、さくら、ない。さくらみたいに、つよくない。でも、さよならもない」
 なぞなぞみたいなステラの言葉にシンは瞬いた。
「シン、ステラ消えない。ステラ、人間。シン思うような、綺麗なものじゃ、ない」
 息を呑む。
 ステラ、君は。
「ステラ、綺麗ない。それでも、シンはステラをすき?」
 ごめん。
 ごめん。ステラ。
「好きだよ」
「ほんとう?シンのなかのステラ、ここにいるステラと違うかもしれない。だいじょうぶ?」
「バカ」
 バカは俺だけど、そう言っておく。
 君があんまり可愛いから。
 君があんまりまっすぐだから。

 
 立ち並ぶ桜はいつの時代から、いきているのかな。
 いつの時代から、こうして抱き合う恋人を眺めているのかな。

 シンは強く、大切に、ひとりしかいない愛する人を抱きしめた。
 


 さようなら、また来年。
 ステラ、桜は“またね”だ。

 俺と、君で、またねと抱き合おう。

 

 

 

  


ぎゃ。つい。

シンステー!万歳!

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