「シン」
「あ、え?なに」
唐突に耳に入ってきた声にシンは我に返って瞬いた。目の前には呆れた顔を隠さずに半眼でこちらを見るルナマリアがいる。
「なに?じゃないわよ。っとに、上の空なんだから」
「・・・・・・そういうわけじゃ」
「そうでしょうが」
言い訳を出来そうな雰囲気ではないとシンは察して、こっそり溜息をついた。こうなったルナマリアは厄介なのだ。機嫌がいつ直るか、何をすれば直る
か、シンには毎度のことながらわからない。
「どうせ、またあの子のことでも考えてたんでしょ?」
「あの子って」
「名前、私は言わなきゃわからないわけ?」
「ルナ」
つい咎める語調になってしまいシンは顔を振る。ルナマリアは眉間に皺を作ったまま、じっとこちらを睨んでいた。
最近、ずっとこうだ。
シンは重い気持ちをそっと奥にやるように努力して、なんとか顔を上げる。ここ最近、ルナマリアのこんな顔しか見ていない気がする。それが自分のせ
いであることも、そうさせている原因をどうすることもできないことも分かっていた。それだけに、今のシンには溜息以外出すものがないのである。
あの大戦が終焉を迎えてから初めての夏だ。
変わったことと言えば、地球連合軍が解体され地球軍となったこと、ミネルバやアークエンジェルが有事の軍隊ではなく民間企業の融資のもと、国との
連携に於いて存在する組織になったこと、プラントの最高評議会がラクス・クラインを議長としたこと、シン自身が地球もプラントも変わる中、このオー
ブに再び移住しようかと想っていること、それからルナマリアをルナと呼ぶようになったこと。
そして、この夏の暑さと共にシンに圧し掛かってきていること。
それが、この話題だ。
「これだけ一緒にいて、私が気づいてないとでも思ってんの?」
「気づいてないって・・・・・・俺はルナに何も隠してなんかないって」
「隠してるんじゃないなら、気づいてないってこと?もっと重症よ」
「一体、何の話だよ!こないだからルナおかしいぞ」
「おかしいのはシンじゃない!」
まただ。
また、こうして言い合いになってる。
「言いたくないけど・・・・・・あんた、私といるときも違うこと考えてるでしょ。ずっと、そうだったけどここ最近酷くなってきてる。だから言わずにいられ
ないのよ」
ルナマリアは苦しそうに口唇を噛み締めると、苦々しく吐き出した。
「慰霊碑の前で、私たち誓ったよね?前に進もうって。未来のために生きようって」
「ルナ・・・・・・」
切ない瞳がシンを捉え、動けないでいるとルナマリアはシンの彷徨う腕を取って引き寄せた。
ぶつかるみたいな乱暴なキスが振ってくる。ルナマリアは少し背伸びしてシンの肩に掴まっていた。離そうとしないその強さにシンは胸を痛めながら、
そっとその肩を抱き返した。
いつの間にか、ルナマリアより背が高くなった。同じような背丈だったのに、少し目線が違う今の距離はシンにとって時間の経過を思わせて複雑だ。ど
こか、心だけが周囲の変化についていけてないような、そんな不安。
「・・・・・・ほら・・・・・・やっぱり違うこと考えてる」
「!」
抱き寄せた体を離して、ルナマリアはぽつんと呟いた。
「どうやったって、戻らないじゃん。戻ってこないんだよ?わかってるの」
「・・・・・・俺は」
「そんな戻ってきもしないものにいつまでも縋りつかれたらさ・・・・・・勝てないじゃん、私」
悲しい声。いつでもつんと張った声が元気を与えてくれるルナマリアの声からは想像もできないものだった。でもシンは知っている。ルナマリアが強が
りで、本当は彼女自身が優しくされたいこと、護られたいこと。
「ごめん」
「謝るな、このバカ」
少しだけ苦笑を含んだルナマリアの言葉はシンの胸を抉るようだった。
「ねえ」
歩み寄れば、辿りつけるほどの距離。
互いに見合ったまま、向かい合って動かない。
「もし、あの子が帰ってきたって聞いたら、どうする?」
その問いは、憎しみさえ篭って聞こえた。
シンは息を呑む。瞬いて、なんとか笑おうとした。いけない、こんなでは。俺は。
「・・・・・・最低、シン」
ルナマリアは背を向け、それだけ言うと駆けて行く。
強がりで頑なな背中が遠ざかっていくのに、シンの足は地面に張り付いたように動かない。どう考えたって、追いかける場面だ。
恋人にあんな顔をさせ、辛い思いをさせ、挙句の果てに泣かした。
「俺は」
息が出来ない。
なんだっていうんだ。俺はどうしたっていうんだ。
咽び泣く蝉の声、
眩しいほどの日差し、
海の匂い、
繰り返す漣・・・・・・
大丈夫だって、また明日、って、そう約束したのに。
それなのに俺は君と出会ったこの季節に、どうしようもなく、君を想う。
君に会いたい。
会いたい、会えない、会いたいのに、会えない君に。
「シンらしいな」
「アスランさんは他人事だから、そんな冷静に“アイツらしいな”みたいに言うんですよ」
「でも、最近はそうでもないんだろう?」
アスランは酒を片手にくだを巻くルナマリアを苦笑して眺め、促がすように言う。隣で料理をつついていたメイリンもヴィーノも同じようにルナマリアに目をやった。
「・・・・・・そうなんですよねー・・・・・・言い合って以来、ぱったりそういうそぶり見せなくなって」
ルナマリアの小鉢は彼女の悩みのせいで、入っていた煮物が混ぜられすぎてぐずぐずだった。
「じゃあ、吹っ切ったんでないの?」
メイリンが暢気な調子で言うが、ルナマリアの曇った顔は晴れない。
「逆に信用できないっていうか」
「うーん、それはシンに失礼じゃない?お姉ちゃん。シンはお姉ちゃんの為に自分を変えたってことでしょ?理想はそうしてほしかったんでしょ?」
「それは、そうなんだけど・・・・・・」
煮え切らないルナマリアをアスランは優しい瞳で眺めて、手にしていたグラスを飲み干した。
時々こうしてミネルバメンバーと飲む機会があることをアスランは喜ばしく思っていた。裏切りのような形でミネルバを出たアスランにとって、彼らが自分を先輩と
してまだ見ていてくいれたことや、共に戦った仲間だと称してくれるとは戦後すぐは信じられなかった。
まだしこりは残るものの、こうして話せる場があることは平和になった証だろう。
「それにシンって、お姉ちゃんにめちゃめちゃ優しいよね」
「ああ。俺もそう思う」
ヴィーノが同意して、頷いた。
「俺、あいつと付き合い長いけど、変わったなーって思うもん」
「デリカシーゼロだったしね、エース時代」
舌を出して笑うメイリンをアスランは微笑ましく思いつつ、口を開く。
「ルナマリアは何が不安なんだ?」
「・・・・・・なんか、優しすぎるっていうか・・・・・・なんか違うんですよ」
「ふむ。想いを殺して、ルナマリアの為に尽くしているように感じるってことか?」
言い切れるほどの確証はないし、そうであってほしくなんかないからルナマリアとしては複雑極まりないのだろう。アスランは辛そうな顔のルナマリアを不憫に思い
ながら、ここにはいない後輩のことを思い浮かべた。
確かに、無鉄砲でバカ真っ向勝負で言うことを聞かない少年はこの一年で随分と落ち着いたように見える。
アスランから見ても、彼はルナマリアを大事にしているように見えるし、実際そうだと思う。ミネルバとアークエンジェルが共同で行う行事などでも積極的に活動し
ているし、今では仕事上で一番話しやすいほどだ。
そんなシンと、恋愛話などはしたことがない。そういう仲ではないというか・・・・・・お互いに微妙な距離感を保ったままなのは変わっていなかった。その結果、ここに
シンはいない。
「ごめんなさい、こんなうじうじして。自分でもどうしたいのか分からなくなっちゃって」
吐き出した息と共にルナマリアは弱弱しく笑うと、ビールを一気に飲み干して彼女らしい笑顔を漸く浮かべた。
「もう夏も終わりかけなのに、しょうもない話してる場合じゃないですよね!」
そう言って、爽快な調子で飲みだす姿にアスランは軽く嘆息した。
少し、シンと話すほうがいいのかもしれない。
親友は困り果てた顔をしているように見える。
シンは無表情に見えて、そうではない彼をとても信頼していた。誰よりも、隠さずに本音を見せてくれる。だから見せることもできた。
「・・・・・・お前がそれでいいのなら、いいんじゃないか」
レイは短くそれだけ言うと、ふっと息を吐いた。
「シン。俺には愛や恋はよくわからん。だから未だかつてお前以外にこんな話、俺にする人間はいない」
「わからんとか言ってさあ……モテるくせに」
「そんな覚えはない」
「新人にモテまくりですよー、レイ様ぁってさ」
シンは半ばぶっきらぼうにおどけて見せ、すぐに反省したようにしゅんとうな垂れると溜息をついた。
「ごめん。そんな話がしたんじゃないんだ」
「だろうな」
抑揚のない声がシンを許してくれている気がした。どうしようもない鬱屈をシンはここ最近、見ないふりでかわしている。それによって出来もしなかった
“フリ”が出来るようになった気がする。
そう。俺は「そうじゃないふり」をしている。
「忘れることが目を逸らすこととイコールではない、と俺は考える。シン、お前にとって何が優先なんだ」
「・・・・・・そりゃあ」
「生きている人間だろう」
息が詰る。
生きていること。そればかりが目の前にあって、置いてゆく時間は“思い出”という格納庫にしまわなくては罰でも当たりそうな、そんな重圧。
「いない人間を思って、本当に大事な人を失ったら意味がないぞ」
「ああ」
「失った後に気づいても手遅れだ」
「・・・・・・ああ。そうだな」
「なら。これ以降、その話は忘れろ。俺も忘れる」
なかったことにする。
この胸に救う思いをなかったことに。
そうしようと決めた。だから、言葉にしたかった。音にして紡いでしまえば、本当になってくれる気がしたからだ。もう、忘れる。今の思いはこの季節が
そうさせるだけで、過去に囚われているのは蜃気楼のようなものだと。
「・・・・・・俺もそうした」
レイが呟いた消え入りそうな声にシンは目を瞠る。
「今でも会って話がしたいと、本当に思ってしまうことがある。ギルに会いたいと。だが」
「レイ」
「叶わぬ夢だ。夢は夢のまま、変わりようがない」
端末を叩きながら話していた親友は、その手を止めて深く椅子に背を預けた。背もたれの軋む音が、互いの心に残った思い出の跡のようで部屋中に沈黙が
降りた。
なんとなく、互いに目で挨拶するとシンはレイの部屋を後にする。
ミネルバの無機質な廊下を歩きながら、視界は何故かそこにないものを見ようと懸命な気がした。
この廊下を、レイと必死に進んだ。
敵の少女を逃がすために。
あの時、シンには自覚があった。己のしていることが違反行為もしくは反逆罪と問われてもおかしくないことを。
そして、その行動が決して間違っていないという確信も。
インパルスに乗り込んだ瞬間、この子を守るためだと、それだけを胸に体を奮い立たせた。
本当は離したくなんかないその腕を、自ら憎い敵へと返さなくてはならないことも分かっていながら。
「ほんと・・・・・・」
馬鹿だ。
どうしようもない。
「あの時、俺は」
インパルスで逃げなかったものだ。
思いあたって苦笑すると、シンは大きく息を吐いて目を瞑った。
「忘れよう」
今日限り。
そうすることが、きっといいのだから。
戦後と戦前をかいていたり・・・ステラサイドは、連合に入る前を書いていたり・・・なので妄想爆発です。
でも、
うん。書いていこうと思います。