なんだって、あんたなんか。

 そう言いたいのに。
 うそ。
 ほんと。


 本当だよ。
 このバカ。

 


「お姉ちゃん?」
 メイリンは怪訝そうにこちらを覗き込む。手に持ったアイスが今にも溶けて落ちそうに見える。
「昨日、シンと何かあったの」
「どうして?」
 わが妹ながら、勘がいい。
 海岸で花火をして、涙を零すシンを抱きしめて、空気を察してくれたメイリンやヴィーノたちは先に帰ってくれた。もしかしたら、ただの痴話喧嘩のあとの
仲直り、と思ってくれるかもと思っていたのに。妹にそれは望めないようだ。
「シンとお姉ちゃん、深刻そうだったし」
「あら。可愛いシンを私が慰めてたのよ」
「・・・・・・そう?」
「そうよ」
 ごめん、メイリン。きっと私は貴方に話したくない。
「それならいいけど。アイス、食べないの?」
「食べる」
 メイリンが差し入れにと持ってきてくれたのはオロファトで流行っているアイスキャンディである。七色のアイスは色々なフルーツの味がするのだとか。
 箱から手にとって、ルナマリアは口に運ぶ。今の自分には味も冷たさも分かりそうにない気がしたが。
「おいしいでしょー」
「冷たくってよくわからない」
「もう!お姉ちゃんったら、感動がないんだから」
「これが若い子に流行るのねえ」
「しかも年寄り発言!やめやめ、お姉ちゃんだって若いんだから」
「そうでもないよ。ミネルバにうようよいる新人の女子とか・・・・・・ついていけないもん」
 呆れた顔で見返してくるメイリンにルナマリアは肩を竦めて見せた。
「よく言うよ、男子のことでもファッションのことでも、キャピキャピしてたくせに」
「好奇心旺盛と言いなさい」
 確かにあの頃の自分は、なんだか自分を保つためにか、やたらと自己欲が大きかった気がする。己を主張したくて仕方ないような・・・・・・そんな部分
があったと思う。
 女というだけで軍では思うようにはなかなかいかない。でもエースの仲間入りを果した自分は勝ち組だと思っていた。戦闘に出れることが誇りだった。そ
れを側で妹がどんな風に自分を見ていたか、どんな思いを馳せていたか、知らないわけでもなかった。それでも、あの頃の自分は己で手一杯で、しかもそれ
に酔っていたんではないかと今では思えた。
 しかし戦闘に出れば力量の差は歴然であり、女である自分がいかに役立たずで足手まといなのか戦闘が激しくなるほど身に染みた。
 自分の負傷の数だけ、悔しさが増し、厳しい戦闘ほどシンが一人で解決するようになってゆく展開に負けてられないと口では言いながら、内心悔しさと
嫉妬で、もやもやしていた。
 何故、シンなの。
 どうして、シンだけが。
 そう思っていたのは確かだった。
 男、として視界に入れていなかったシン。アカデミーの頃から、どうも弟のようで目が離せないところのあるシン。そんなシンが、無鉄砲でワガママなの
にどんどん認められて。
 シンとレイ、その一歩後ろに自分がいる気がして。
「最低なのは私なのかも」
「なに?」
「メイリンはさ、好きな人とかいないの?」
「なに急に」
 少し慌てたようなメイリンの声にルナマリアはソファから身を起こして問う。
「まさか、まだアスランさんのこと好きとか言わないよね?」
「・・・・・・そんなんじゃないよ」
「やめなさいって」
「お姉ちゃんに関係ないじゃん」
「メイリン」
 戦争は色々なものを二人から奪ったと実感する。
 時間、尊い学生時代、恋や遊び、そして絆。
「たとえばさ」
 メイリンがアスランを脱走させた。
 そう聞いたあの日、シンが二人を討ったと告白したあの日、あの日から姉妹の時間は止まったままな気がする。ルナマリアも、メイリンも、敢えてその話題
に触れたことが戦後なかった。
 どこか、こうして距離を持って関係を保っている。前と同じフリをして互いに納得しあいながら。
「自分の周りから、みんないなくなってしまって、そこに好きでもなんでもない、幼馴染が残ったとしてさ」
 ルナマリアは言いながら、黙って聞くメイリンに目を向けた。
「どうしてか急に・・・・・・妙にそいつがかっこよく見えたり、愛しくなったりして。最終的には手放したくなくなったりして」
「うん」
「それって、やっぱり恋じゃないと思う?」
「うーん」
 メイリンは素直に悩んでいるようだった。唐突にぶつけた姉の質問にアイスを食べながら懸命に唸っている。
「最終的に恋になったんなら、いいんじゃない?最初は寂しさ紛らわしてた、とかでも」
 ゆっくりと紡がれたメイリンの言葉にルナマリアは思わず返事ができなかった。
「だからって、シンは怒ったりしないよ」
「メイリン」
「シンもそうだったか、なんてそれは分からないし、聞くことじゃないと思う。お互いそうならおあいこでいいと思うし」
 そう言い終えて、メイリンは銜えていたアイスの棒を手に持って、気持ちのいい笑顔をこちらに向けた。
「好きなんでしょ?他の女のこと引きずってて、ムカツクぐらいに」
「・・・・・・あんたって」
「ん?」
「なんか、怖い」
「ひっど。何、その言い草〜」
 頬を膨らませて怒るメイリンにルナマリアは無遠慮に笑う。なんだか可笑しくて、腹筋が痛いほど笑えた。
「色々、あるの何となくわかるけど・・・・・・あたしはお姉ちゃんがしたいようにするのがいいと思う。好きなんだったら、情けなくても悔しくても退く
必要ないよ。それで、退けてしまうなら別にいいと思うけどね」
「ありがと、メイリン」
「うむ。妹をなめるでない」
「なにそれ」
「格言?」
「使い方、間違ってる」
「あちゃ」
 心なしすっきりした気分に、ルナマリアは再び口に運んだアイスが甘い気がして微笑んだ。

 

 

 

 


 そこは変わりなく、在った。
 何ひとつ変わらない。

 空にはかもめが舞い、少し強い海風が漣の音を運んでくる。
 一面に広がる一望の海は穏やかに澄んだ色をしていた。


 聞こえるのは幻聴じゃない気がして、来れずにいた。
 気持ちの整理がまるでついていなくて。
 ここにくれば、ああもういないんだ。と実感するのではなく、ああ、きっとここに彼女は現れるんだと思ってしまいそうで。


「俺はどうして」
 シンは呟きをかみ殺すようにして、バイクをとめる。かぶっていたヘルメットを取り、緩やかに流れてくる風に目を閉じた。
「ステラ」
 ここで君に出会った。
 うまくいかない苛々を抱えていたあの時、君は真っ白で、綺麗で。
 ああ、俺の守らないといけない世界はちゃんとあるんだって思えた。この街の子かなって思って眺めてたら、君はそこから落っこちたんだ。
「あの時、出会わなかったらどうなっていたのかな」
 俺はね。ステラ。
 恥ずかしい話し、それまで恋愛とか愛とかまるで興味なかったんだ。
 君と出会って、君を守ると約束して、君を助け、君を手放したあの時でさえ、それが恋だとは思っていなかった。ただ君を守りたかった。失くしたくなかっ
た。
 思えば、戦争の中で初めて「この戦争が終わったら」ってことを想像出来たんだよ。
 こんな世界、こんな戦争、こんな思い、すべてがそれだけの為に在って、それだけの為に戦っていた。それは復讐という名の標だったんだ。それしかなかっ
俺に、君は未来をくれた。本当にそれだけの為に俺必死だったよ。
 でも、復讐なんかよりずっと素敵な気持ちだったんだよ。
 そのことに気づいたのは随分、後になってしまったけど。
「歌、好きだったんだよね。きっと」
 楽しそうに歌ってた君。
 記憶の中で本当に嬉しそうで楽しそうで・・・・・・その一回きりしか聞くことはできなかったけれど。
「また聞きたいって願うのは馬鹿なことなのかな」
 もう願わないって決めたのに。
 家族の亡骸に囲まれ叫んだ業火の中、この世に神なんていないんだと悟った。そして、君に伸ばした手は届かず、笑った君の顔が泣き顔になって最後には
またいつかみた業火の中だったあのベルリンでも。
 だからもう、願わないと決めた。
 期待も、希望も持たない。そうすれば受けるダメージだって少ない。
 どうせ。
 そう思っていたらずっと楽だ。
 ほら見ろ、やっぱりこうなるんじゃないかって。
 バカだな、シン・アスカ。また心のどっかで自分にも幸せになる権利があるんじゃないかって思ってたのか?ってもう一人の自分が言い出すのだから。
「気休めにもならないんだ・・・・・・、今の俺を見たらきっとステラに笑われるぞとか、そんな顔してたらステラが悲しむ、とか」
 もしそうなら、その顔が見たい。
「そんなの」
 だったら、いくらでもこの顔してやる。
「ステラ、君はどこにいるの」
 どこにもいない。知ってる。
「知ってるのに」
 どこを探したっていない。
「俺がこの腕で」
 沈めたんだから。
「どうしてあの時」
 手放したりしたのだろう。
 俺は後悔しているのか。
 そうか。
 俺は後悔を。
 
 しているだろう。

 あの時、ロドニアの研究所で君と再会して、ミネルバでの現実を目の当たりにして。
 少なくともあの時俺は大人たちへの理不尽と、軍の指令に反発を覚え、あのままにしてはおけなかった。
 別に世界や国やプラントの為に戦っていたわけじゃない。命を懸けて戦うのは己の復讐のためだけだった。だから、正義がどうとか行いが正しいとか、アスラ
ンのように言い立てるつもりなど、俺には毛頭なくて。
 でも、あの時は駆け上がる不審に耐え切れなかったんだ。
 俺たちは道具なのか、と。
 
 同じ人間だと、MSに乗って戦っていると忘れやすい。
 人を殺す感覚なんて、わかりはしない。
 何もステラだけが可愛そうなのではないし、彼女を知ったから救いたかったわけでもない。
 色んなものを見失っていた俺に、「戦い」に「希望」を持たせてくれたからだ。
 
「だから・・・・・・君を死なせたくなくて」
 どんな道を選んでも、ステラが生きていてくれさえすればいいと思った。
 戦争が終わって、何もかも決着がつけば、抱える強化人間という問題だってプラントの技術でなんとかなるんじゃないかって。そればかり考えてた。
「ステラ」
「やっぱり、ここにいたか」
 水平線をじっと見つめていたシンの背に、控えめに聞こえてきた声はアスランのものだった。シンは一瞬、肩を震わせたが振り返りもせずにいた。
「・・・・・・覚えてるよ。よく」
「・・・・・・」
 隣までやってきたアスランにシンはちらっと視線を投げ、目を閉じる。
 誰かと話したい気分じゃあない。
「あのお前が、会いに行くなんて・・・・・・言ってたから」
「凄いですね」
 シンは己から発した声なのに、あまりに冷たく感じて目を開く。
「シン」
「他人のこと、観察しておいてよくあんな説教しましたね。あの時」
「それと、これとは違うだろう。お前のしたことは軍法会議もので、本当なら処分があったっておかしくなかった」
「優等生はさすがですね。戦後でも言うことがいちいち正しい」
「俺はお前と言い合いをしに、ここに来たんじゃない」
「だったら!何しに来たんですか。それ以外って、同情ですか?慰めですか?説教ですか?それとも先輩のアドバイスですか?」
 頑なに瞳を濁らせるシンに、アスランは一瞬だけ怯んだようだったが、顔を振ってシンの肩を掴んだ。
「余計なお節介だと分かっている。だがな、シン。俺はお前にも、ルナマリアにも幸せになってほしい。もう、戦いは終わった。終わったのに、お前とき
たら戦時中と変わらない顔を時々している。俺はそれが気になって仕方ない」
「あんたなんかに気にされること、ありませんよ」
 気分が悪い。
 胸がむかむかして、今にも酷い言葉が出てきそうだった。だが、シンにだってそれがアスランに向けて発するべきでないことも、アスランが掛けているの
は嫌味のない優しさであることも分かるだけに口唇を噛むしかなかった。
「頼みますよ・・・頼むから、放っておいて、ください」
「シン・・・・・・」
 懇願する声にアスランは黙ったまま、隣に居るようだった。俯いたシンにはアスランの表情などわかりもしなかったが、心はひたすらに顔を上げれば彼が
いなければどれだけ楽だろうと思っていた。
 弱い自分は見せたくない。
 しまいこんだ自分は、吐き出しようがない。
 限界がきて、こうして漸く晒せた鬱屈だが、誰にも見せたくはなかった。
「俺はもうお前を諦めないことにした」
「は」
 シンの乾いた喉から息が漏れた。
「せっかく男同士で、先輩後輩だ。たまには頼れる先輩になろうと思っている」
「あの」
「戦争はもう終わった」
 労わるような声であれば、怒鳴ってやるのに。
「終わったんだからな。シン」
 どうしてそんなに普通なんだ。
「難しいことは置いておいて・・・・・・単に興味がある」
「・・・・・・はあ?」
「お前みたいなヤツが好きになる子って。どんな子だ?」
「・・・・・・」
 冷たい心に少しの風が舞い込むようだった。
 人に戻った、そんな気がする。
 少しだけ、シンは憎い先輩に感謝することにする。苛立つ思いが、人間らしくて。なんだか、嬉しかった。
「まず」 
 振り返ったそこにあるのは、あの日、君が俺を見送っていたアスファルト。
 夜なのに、きらきらと君の綺麗な瞳が俺を見つめて動かなかった。
 会いに行く、と。
 君を守る、と。
「顔が物凄く好みです」
 勝気で、とぼけてて。
 笑顔が絶えない君。
「それから、声。それと、笑った顔。泣いた顔もいいんですよ。あ、なんか変な言い方かな」
 黙って聞いてくれるアスランに今度こそ本当に感謝する。
「好きなんです」
 風が頬を乾かすまで、アスランは決してシンの顔を振り返らなかった。


 

 

 


第三話です。

シンとアスラン、書いてるとどうにも喧嘩させちゃうこまですが・・・今回はちっと異色な会話にしたいな。と思っています。

四話では二人が描きたいな。

 

 

inserted by FC2 system