「大体な、先輩である俺にどうして相談しないんだ」
「するわきゃないでしょーが。あんたみたいな石頭に」
「お前も相当の頑固一直線だと思うがな」
「俺の場合は、思いに忠実なんですよ」
「物はいいようだな、おい」
 アスランは小ばかにした視線をシンに寄越して、鼻で笑った。
 もうかれこれ、この岩場でシンとアスランは数時間話続けていた。ぼうっと見つめていた空が段々と臙脂に染まってくるのを見て、シンは漸く時間の流れを
意識した。
「・・・・・・レイがお前を手伝ってるのを見て、随分驚いたよ」
 アスランは聞こえないほどの声で呟く。
「軍に反するようなことを絶対にすすんでしそうにない優等生だったろう?レイは」
「議長に、です。レイは」
「そうだな」
 シンは静かな声で返す。アスランが何をどこまで知っているのかは知らないが、レイの想いは他人に曲げれたり踏み込めたりするほど簡単なものではない。そ
れは戦後の今でも変わらない。
 今もなお、彼がギルバート・デュランダルについてどう想っているのか、シンですら聞けたことはなかった。
「行け、て。そう言いました。アイツが」
「・・・・・・そうか」
「どこか、今思うとレイ自身、自分をステラに見ていた気がします」
「自分を?」
「はい。自分の境遇、というか・・・・・・運命というか、そういうのに左右されるしかない自分。それを同じに感じたんじゃないかな」
 ステラを逃がしたあの時は、レイの抱える過去や出生など知りもしなかったシンは良い友達をもったと感謝したが、後になってその思いの重さを知り、苦しく
なったこともある。
 レイは今でも、シンにステラのことを責めもしないし、何も言わないでいてくれる。
 ルナマリアとのことも、ずっとそうだった。
「だから、今まで俺に忘れろなんて言ったことなかったんですよ。それもあって、その言葉を聞いた時は結構ショックで」
「それでここに来たのか?」
「まあ。それもあります。というか、気づいてしまって」
 シンは言いながら、海に帰ってゆく夕日を見やり立ち上がった。
「忘れたくないって思ってるんだってことに」
「忘れられないのではなく、か」
「はい」
 同じように隣に並んで立ち上がったアスランはシンの横顔を眺めているようだったが、シンは目を合わさずに続けた。
「俺、初めてかもしれないです」
「・・・・・・」
「あんなに守りたいって。この子と平和になったその未来で生きてみたいって」
「分かる気がするよ」
 シンはゆっくりとアスランの顔を見つめた。いつも正論で、シンを正そうとして、お前は間違っていると怒鳴る自分よりも出来るアスラン・ザラ。シンはこ
の男がずっと嫌いだった。今でも。自分がとても醜い、下等なものに思えて、とても。
 そう思っていることをアスランが知っていて、それでもシンに歩み寄ろうとすることも。
 だから、わざと距離を置く。戦後も、できれば今以上には近づきたくない人間。それがアスランだった。
「あの頃のお前はとり憑かれたみたいに、相手を負かすことに必死だった気がする。どうしてそんなにも殺し合いがしたいんだって俺は思ったことすらある。な
ぜその剣を振りかざすのだと。だが、問い詰めてもいつでもお前の言葉は同じだ」
 一つ、息を吐いてアスランは言葉を並べる。
「仕掛けてきたのは向こうだ、と。いつでも、力を持って向かってくるのは相手だと」
 シンは何も言わないでいた。言うべき言葉もなかった。
「正直、怖かったよ。お前みたいなヤツが力を持って最前線にいて、世代を代表するエースで。戦争はなくならないのだと、そう思ったよ。だが」
 僅かに浮かんだ笑みは、苦笑のような渋いものだったがアスランは噛み殺して続けた。
「あの少女をまるで家族でも守るみたいに必死にしてたお前は・・・・・・俺の目から見ても、純粋に未来のある者の瞳だった。お前にもそういう心があるの
だと俺は思えたよ」
「どうしてあんたはそうも偉そうなんです」
「普通のつもりなんだがな」
「は」
 シンは短く笑うと、大きな伸びをして息を吸い込む。
 なんだよ。
 思い出話じゃないか。
 あんなにも憎かった相手と、この場所で思い出話。
「どうして君はいないの」
 そうだね、ここで出会ったんだよね。
 そう話せたなら。
「どうして」
 そうそう、この人が君のことただの敵の女だって言ってさ。
 そう言って罵ってやれたら。
「・・・・・・また会いに行くからなんて」
 なあ、あの時の俺。
 お前はこんな結末だって、知っていたらどうしていた?
「シン、もうよせ」
「・・・・・・そうですね」
「始まらないぞ」
「わかってますよ」
「いや。お前はわかっていない。全然わかっていないさ」
「アスランさんに何がわかるんです?」
「俺だってわからない。ただ、いえることはある」
 見返したアスランの真剣な瞳にシンは途轍もなく居場所がないような気になって、俯いて目を逸らした。
「お前は生きている。今、前に進んでいくしかないんだぞ」
「進んだって、忘れられないんですよ。もう、わかったんです」
「ルナマリアはそういうお前をそれでも」
「そんなの俺が誰よりわかってますよ!」
「なら」
「俺だって!そうしたい、忘れて、何もかも過去にして、ステラに俺は今幸せだよって笑って墓前にいって報告して、そういうの。本当はしなくちゃいけなくて
ルナマリアとだってちゃんとしなくちゃいけない。いつまでも子供じゃないんだ、けじめだってつけなきゃいけない」
 噛み締めて言葉を発する度に血の味がする気がした。
 虚しい、痛い心。
「作れないんです」
 苦く苦しい、心に掛かった枷が自ら抜け出したくないと足掻いてる。
「ステラの。お墓、作れないんです」
「シン」
「何度も、戦争も終わったし、ステラの帰れる場所を作ってあげないとって・・・・・・思ったけど、無理で・・・・・・何より、俺がこの手でステラを見送った
のに。俺が一番それを信じられなくて」
 認めたくないというどうしようもない、どうしようもない願い。
 誰が聞いたって、お前は戦争でのPSDだと言うに決まっていると思った。だから口に出さなかった。愚かなことだと自分が一番よくわかっていたのだ。
「もう、一年も経つのに・・・・・・何やってんだか」
「そういうことだってある。仕方のないことだ」
 そっと消えそうなほどの声で、アスランはそう言った。シンは顔を上げずに頷いて、先輩の気遣いに息を吐く。
「俺、バカなんです」
「ああ。知っている」
「バカだから、ひとつのことしかできなくて」
「ああ。そうだな」
「忘れるとか、出来るときは出来るのに」
「・・・・・・お前はそういう奴だ」
「すいません」
 シンは情けなさに身を切られる思いだったが、思い切りつんと痛くなった鼻を啜った。潮風が髪を揺らして、シンの頬を撫でるように去っていく。
 思い出が、あまりに優しく心に戻ってきて、やっぱり目頭が熱くなった。
「思いは人を強くする」
 優しい声音にシンは頷く。アスランは少し間をあけて続けた。
「そして、弱くも。それは背中合わせだ。お前ならよくわかるだろう。思いの為なら鬼にだってなれる。人だって手にかける」
「ええ・・・・・・」
「だが、思いの為にならいくらでも強くなれる。守りたい、そのためならば」
「・・・・・・はい」
「なあ、シン。俺もたくさんの大切な人を亡くしたよ。守れなかった。それでも・・・・・・俺はのうのうと生きている」
「そんなこと、ないですよ」
「シンにフォローされると気持ち悪いな」
 苦笑したアスランにシンは応えない。
「しかも、それでも愛してくれる人がいる。こんな俺でもな」
 痛いほど分かっていることだった。
 脳裏に健気に微笑むルナマリアの顔が浮かぶ。最近、あんなふうにしか笑わせてやったことがない。彼女の笑顔は豪快で、気持ちのいいものなのに。
「何なんでしょうね・・・・・俺は」
「そうだな」
 同意だけをくれたアスランに、シンは今までで一番感謝した。
 アスラン・ザラという先輩に。

 

 

 


 
「私だったら、無理ね」
 ぽつりと呟くタリアにルナマリアは瞬く。
「人に譲るとか。そういう考え、したことがないわ」
「艦長らしい」
 苦笑してルナマリアは頷く。自分だってそうだ。今までほしいものは全て手に入れようと必死だった。何事においても。
「しかも、相手はもういないのに」
「・・・・・・そうですね。でも艦長だって、そうなんじゃないですか」
「あら。何の話かしらね」
 涼しい顔で微笑むタリアの余裕にルナマリアは羨望を向ける。美貌といえる容姿と魅力的な内面の持ち主であるタリアにルナマリアはとても憧れていた。戦
後、特に彼女は柔和になったこともあり、未亡人にしておくには勿体無さ過ぎる女性である。
 亡くした人。
 喪に伏して、決して他の道を歩もうとはしない。
 彼女にはそんな雰囲気があった。
「幸せは、若人に譲るって感じじゃないですか」
「失礼なこといわないで。私もまだ若い世代もつもり・・・・・・っていうのは無理があるか」
「ふふ」
 艦長室に呼ばれたルナマリアは定期的に行っている射撃訓練を切り上げて、この部屋を訪れていた。
 訓練着のまま来てしまったが、出された紅茶とお菓子に思わず座り込んで話しているわけである。
「艦長、お話って?すいません、私の愚痴なんか喋ってしまって本題が」
「いいの。貴方とお喋りしたかっただけだから」
「え?」
「最近、元気がないようだったから理由が知りたくってね」
 手元のカップを少し撫でて、タリアは気遣う眼差しでこちらを見た。優しいそれは母のようで、ルナマリアの心は温かく灯が燈った。
「すいません、私」
「謝ることじゃないわ。毅然とした態度で、いつも通り皆に接しているのだし」
「・・・・・・でも」
 ばれているではないか。
「私が勘が鋭いの」
「レイが聞いたら、突っこみそうなお言葉ですね」
 笑って言って、ルナマリアは即座に背後のドアを見やる。
「どうかした?」
「いえ、レイのツッコミがある気がして」
 俺は暇ではない、とかなんとか。
「・・・・・・レイと付き合えばいいのに」
「はあ?」
「お似合いだと、思うのだけれど」
 顎に手を当てて、タリアは真剣な表情で言う。ルナマリアは顔を横にぶんぶんと振って、顔を引き攣らせた。
「ありえない!ありえないです、やめてくださいよ」
「そう?」
「まあ、シンと付き合うことになったのもありえないっちゃあ、ありえないですけど。レイはもっとありえないです」
 言いながら、ルナマリアはレイと付き合うという図式に歯茎がむずむずした。
「奴とは、男と女ですらないんで」
「あら・・・・・・そうかしらねえ。レイはそうじゃないと思うけど」
「艦長、からかうのはやめてくださいってば」
「そうね、今は貴方はシンと付き合っているのだものね。勧めるのはおかしいわよね」
「そうじゃなくって」
 残念そうなタリアにルナマリアは疲れた溜息をつく。ありえないものいいところだ。
「私、まだ仕事が残ってるので戻ります。お茶、ご馳走様でした」
 ソファから腰を上げると、ルナマリアは微笑んでタリアを見やる。まだ少し残念そうに見えるのは気のせいだと思って、出口に向かった。
「ルナマリア」
 背後から掛かった優しい声にルナマリアは振り返る。
「縋りつくことや、我侭を言うことは格好悪いかもしれない。でも、したっていいのよ。自分の為に」
「・・・・・・」
「好きなら。失いたくないなら。一度くらい、してみたっていいと私は思うわ」
 頷くのが精一杯だった。
 
 ドアを閉めて、息を吸う。
 
 背中に感じる優しい愛を、ルナマリアは目を閉じて飲み込んだ。
 生き残ってよかった。そう思う。
 
 こんなふうに感じられる今を生きていられて。
 それだけで、シンの心に住まう少女に少しだけ胸が張れる気がする。


 ごめん。
 私は小さい人間だから。

 

 

 

 


「はあ・・・・・・?」
 シンは本当に心底、嫌な気分でそう呟いた。
「良い機会だ。それにあいつには話、聞けると思うぞ」
「嫌ですよ」
「シン」
「別に・・・・・・こだわってません。ステラのことも、あの人がしたことも」
 苦いものが口に広がる。
 時間なんて、起こってしまった悲劇には敵わない。
「といえば、嘘ですけど」
「会いたくないか」
「・・・・・・許せていない自分に、気づきたくないです」
 情けないと言われても、変えようのない自分の気持ちだ。こればかりは今すぐどうにかなるものでもない。
 時間がほしかった。
「わかった。俺だけで行くよ・・・・・・また、そのうちお前も来い」
「・・・・・・いつか」
 アスランは無表情で頷くと、踵を返した。
 忙しく手元で鳴る携帯に出ながら、シンの元を離れて車の方へと行ってしまった。
「もう夜か」
 息を吐いて、シンは海に目をやる。
 戦後、敢えてあまり耳に入れないようにしていた「キラ・ヤマト」という名前。仕事をしていれば会うことだってある。だが、プライベートでまで関わ
りたいと思えなかった。
 ルナマリアもそれは言わずとも理解してくれていて、彼のいる席にはシンを呼ばずにいてくれた。
 和解。
 そういうものをしたのかもしれない。
 けれど。
「そんな簡単なら」
 だれも戦争なんてしない。
「こんな真っ暗なんだ・・・・・・ステラ、君がいる場所もそうなのか」
 昼間とはまるで違う表情の海に、シンはぽつりと呟く。
 漣の声も、いつの間にか悲しい響きに思えて、シンは顔を振った。
「帰るか」
 背を向けて、とめてあるバイクのところまで歩き出すと、背にした海から誘うように音が聞こえた。


 ら、らら・・・・・・ら、


 あるわけない。
 シンは振り向けずに足を止めた。


 らら、ら、ら・・・・・・


「ステラ?」
 耳にそっと迷い込むように聞こえてくるそれは。
「ステラ!!?」
 振り返ったって、そこは今までいた岩場で誰もいない。
「・・・・・・病気だな、俺」
 魂というものがあって、それを信じるのならば。
 ステラの魂をこの世にいつまでも引き止めているのは自分なのかもしれない。いつまでも心配かけてるから、こうしてきっと。
「俺、忘れなきゃいけないのかなぁ・・・・・・、俺は君のこと、思っていちゃいけないのか。ねえ、俺はどうしても君に」
 会いたいよ。
 会いたい。

 ねえ、シン。

 また、明日だよ。

「俺はバカなんだ。触れないの嫌なんだ。抱きしめられないなんて嫌だよ」
 吐き出して、自分に自嘲の笑みを送る。
 ルナマリアを抱きしめておいて、優しさと癒しを求めておいて、何を言っている。大概にしろ、シン・アスカ。
「あーーーーーー!!!!」
 掻き消すように叫ぶ。
 ひたすらに。
 声が嗄れるまで。

 君にさよならはいえない。
 言いたくない。


 泣かない。
 もう、泣かないんだ。

「・・・・・・、ごめん。ルナ?」
 徐に引っつかんでポケットから出した携帯にシンはがらがらの声で言う。
 向こうからは心配そうなルナマリアの声がした。
「今から、会える?」
 前に進もう。
 何もかも、すべて受け止めて。
 

 もう、誰も傷つかなくていいように。

 

 

 


鬱鬱している。

でも、次回は・・・ですw

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