生まれてきたことを、感謝してた。

 


 世の中にはとても面白いことが山ほどあるんだと、高校にあがってから余計に思った。
 友達とつるむこと、ゲームをしたりスポーツをしたり。挑むことへの好奇心が膨らんで、目的を達成することが楽しくて。

 親友と喧嘩することも、誰かのことが気になることも、家族と話し、時には言い合うことも、なにもかもが己にとって新鮮で、前進であった。
 シン・アスカにとって、人生は素敵なものなんだとそう思った十四歳の誕生日だった。


 その時は、一年後自分の人生にとって怒涛となる運命が待ち受けていることなんて知らなかった。
 十九歳の誕生日を迎える今日。
 シンはただただ真っ直ぐにオーブの海を眺め見据えて、一人潮風に当たっていた。

 このオノゴロの地で、生きて未来を生きている自分を未だ信じられずにいながら。

 

 

 

 

 


 今から四年前、C.E.71年6月。

 

 

「ねえ、お兄ちゃん」
 シンは背後から聞こえた妹の声に肩を躍らせた。マユがこういう猫撫で声で話しかけてくる時は決まって良いことは起きない。
「お兄ちゃんってば」
「……今、忙しい」
「えー?忙しいって、それ、もう死んでるじゃん」
 コントローラーを握ったまましかめっ面のシンに、マユはテレビ画面で“ゲームオーバー”を浮かべ天使になった主人公を指差して言う。
「い、今からもっかいするんだよっ」
「お兄ちゃん、それずっと同じ面やってるじゃん。クリアできないって」
「できるさ」
 ムキになって言い返すシンにマユは得意げな顔で、見返した。
「どーせ、ミノルに馬鹿にされたんでしょ?こんなの一日でクリアできるぜっとかいって」
「ぐ」
 幼馴染のミノルはシンのライバルであり、親友である。何かにつけて競いあってきた二人をマユは幼い頃から見すぎて見飽きているらしい。小
馬鹿にした妹の態度に、シンは少なからず歯噛みしながらそれでも兄として振舞う努力をした。
「ま、まあ、不可能を可能にする男だからさ。オレ」
「不可能のレベルがひくーい」
「……マーユー……」
 兄の威厳は露ほどもなく。
 恨めしそうに睨むシンをマユは気にもせず朗らかに笑うと、固まっているシンの手からコントローラーを奪い取ってリセットボタンを押した。
「……はい!クリア♪」
 たったらたったら、と軽快に流れるBGMと共にマユは優雅に主人公を動かすと、あっという間にゴールしてしまう。
 あんぐり口を開けたままのシンをやっぱり放置して、マユは話を再開した。
「でね。お兄ちゃん。可愛い可愛い妹のお願い、聞いてくれるよね」
「やっぱり」
 クリア後の明るい音楽をバックにシンはぐったりとしながら、マユを見上げた。なんだって妹にまで先を越されなくてはならないのだ。内心、
悔しさに打ちひしがれつつも、我が妹の上目遣いになんとも弱いことを自覚した。
「お兄ちゃんの後輩にね、ハヤセさんっているでしょ?」
「ハヤセ?ああ・・・・・・ユウのことか。あいつは図書委員が一緒なだけで喋ったこと殆どないけど」
「次っ次はいつ当番なの!?」
「いつって、明日だけど・・・・・・」
 シンは訝しげに妹の顔を覗き込むと、どうしてか頬を上気させてえらく嬉しそうに笑いながらマユは視線を泳がせた。
「あのね、えっと、私のアドレスと電話番号、渡してほしいんだ」
 お願いっといってマユは可愛らしい封筒を差し出す。シンは瞬いて、それをたっぷり一分は凝視した。いつまで経っても反応のない兄に
マユは痺れを切らして頼みごとをやめて顔を上げた。
「お兄ちゃん?聞いてる?」
「え、ああ、聞いてた・・・・・・けど」
「渡すだけでいいの、お願いっ」
 懸命に頼む妹にシンは何と返事すればいいのか、決まっているのになかなか言えなかった。
 このもやもや。なんだろう。妹が知らない女の子に見える。
「・・・・・・わかった。渡すだけだぞ」
「うん!ありがとう、お兄ちゃん!!大好きっ」
 そういって勢い良く肩に抱きついてくるマユをシンは複雑な思いで見返す。気付かぬ妹は無邪気に喜び、幸せそうに微笑んでいた。我が
ままで、言いたいことをはっきり言ってしまう性質で、運動音痴のくせに良く動く、見張ってないと未だに迷子になるような妹が、シンの
全く知らないところで、何かを感じ、決心し、自分で決めて答えを出している。
 こんなふうに笑うのをシンは知らなかった。
 知らない笑顔を向けられているハヤセにどうしてかシンは苛立つ。大して知りもしない、後輩に。
「お前、もしかしてそいつにメアド渡したくてあんなに携帯欲しいってねだってたのか」
「・・・・・・うん」
 そうか。
 そうか。そうなのか。
 シンは自覚していなかったが、物凄く落ち込んでいた。なんだかマユが遠くに行ってしまったような、そんな気がした。
「だって・・・・・・最近、緊急避難とか多いから、いつ会えなくなるか・・・・・・わからないし」
「まあな・・・・・・」
 確かに、最近は休校も多いし警戒報も頻繁だが、オーブは中立国だ。戦争になることはないだろう。だが幼いマユが不安に思うのは仕方が
ないのかもしれない。
「絶対渡してね?絶対だよ?余計なことは言わなくていいからね」
「はいはい、へーへー」
 ゆっさゆっさと揺さぶられながら、シンにマユの声は半分も届かない。
 ショックという名の鐘を心に鳴らしながら、シンは明日の図書委員を呪った。

 

 

 

「はあ・・・・・・」
 ついた溜息は周りを不幸にしそうなほどだった。
「おい、お前なんだよ。朝からずっと」
 授業終了のチャイムがなる中、各自席を立つ音が響く。いつまで経っても突っ伏したまま溜息をつくシンにミノルは声を掛けた。
「せっかく学校終わったのに、この世の終わりみたいだぞ」
「うっせえ。俺は傷心なんだ」
「お前がねえ。お前のことだ、身体動かしたら忘れるって。校庭でバスケしようぜ」
「・・・・・・図書委員なんですー」
 暗いままのシンをミノルは呆れた顔で見下ろすと机に腰掛けて、シャツの第一ボタンを開けた。見渡せばもう教室には数人しか残ってお
らず、校庭からは部活動の声が聞こえだしていた。
 うだうたする親友の原因など、ミノルにはすぐわかる。
 成績のことか、女の子のことか、妹のことだ。
「お前って矛盾してるよなー」
「なにが」
「ばりばり運動神経いいくせに、帰宅部。ってか図書委員。女子が苦手なくせに、シスコン」
「誰がシスコンだっ」
「お前しかいないけど」
 がばっと起き上がって抗議するが指を差され、シンは黙る。
「なんで図書委員?」
「・・・・・・すきなんだよ、本が。読み放題だし、下校までずっと」
「なんでシスコン?」
「・・・・・・すきなんだよ、妹が・・・・・・って何言わすんだよ!バカ!」
「いやー。アスカ君って面白いわー。飽きないわー」
 けけけと笑うミノルをシンはぎりぎり口唇を噛み締めながら悔しがる。反論しようにも連戦連敗なのがこの相手だ。バスケも、ゲームも、
勉強も、口の達者ぶりも。
 シンは諦めて机の横にかけた鞄を手に取って立ち上がった。気が重いが図書室に行かなくてはならない。
「マユちゃんに彼氏でもできたか?」
 しれっとシンの背に聞く悪友を、シンは思い切り振り返って睨んだ。
「できるか!」
「じゃあ好きな奴か。どうせそれがお前の後輩だったりとかするんだろ?で、図書室に行きたくなさそうだから、図書委員か・・・・・・ってこ
とはハヤセ?」
 シンはぱくぱくと口を動かしたまま、間抜けな顔で親友を凝視した。
「で、仲介を頼まれたと」
「おま、おま、おまえ・・・・・・エスパー?」
「いや。エスパーではないな」
 ぴったんこかんかんもいいところなんだけれども。シンは言葉を失いながら、後退した。これ以上、ミノルに言い当てられたって馬鹿に
されるだけで何の意味もない。
「でも、お前が考えそうなことはわかるぞ。だから勿体ないなと最近よく思うわけだ」
「?」
「な、マノさん」
 ミノルはにかっと笑ってシンの背後に向かって手をひらひらと振った。
「なっあ、あたしは別に」
 シンは振り返って初めて側にユカ・マノがいたことを知る。クラスで成績が一番の彼女は隣の席だというだけでシンにノートを見せてく
れる親切なクラスメートだ。男子の中でも、良く名前を耳にすることがあるから男女ともに好印象の女子なのだろう。シンにとっては隣の
席の親切な女子なだけだったが。
 ユカは恥ずかしそうに俯くと、逃げるように鞄を取って教室を出て行こうとした。
「マノ、今日もノートありがとう!また明日」
 シンはユカに手を振ると、振り返った彼女に微笑んだ。
「・・・・・・また、あした」
 黒い長い髪を靡かせて、ユカは逃げるように帰ってしまった。シンは首を傾げてミノルを見た。
「俺、なんかおかしなこと言ったか?」
「いやー。わからないことがあるとしたら、お前のその女子への関心のなさだ」
「はあ?」
「マノってクラスで一番人気なんだぜ?」
 ミノルは机から降りて、シンの背を叩きながら言う。歩き出しながら、シンは楽しそうなミノルへ抗議した。
「もっとわかるように話せよ。お前、意味わからない」
「誰にでもノート見せてるわけじゃないの。あの成績優秀、容姿端麗なユカ・マノは。わかる?」
「隣の席だからに決まってんだろ」
「反対側のタカダは見せてもらったことないそうだ」
「じゃ、俺が馬鹿だと思われてるってことさ。おわー、それショックだな」
 シンはがしがしと髪を混ぜっ返すと、気がついたように廊下を走り出した。
「わりい!急ぐから!また明日なっ」
 下駄箱とは反対方向の図書室へと駆けていくシンをミノルは乾いた笑いを浮かべて見送っていた。
「めでたい奴なんだか、ただの鈍感馬鹿なのか・・・・・・なんにせよ、あれはモテねえな」
 

 

 

 

 


 息を切らせて辿り着いたシンは静かな図書室のドアを開けた。
 本と紙の独特のにおいがすきだった。開けると肺に流れ込んでくる匂いに、シンは微笑しながら棚から委員のバッチを取って胸ポケット
につけると、すでに受付に座って手際よく手続きをしている後輩の隣へ座った。
「HR、長引きましたか?アスカ先輩」
 やってきたシンをそっと見上げて、ユウ・ハヤセはその穏かな物腰で聞いてきた。シンは内心、自分より落ち着きのあるユウに劣等感を
覚えながら咳払いした。
「あ、そうだ。先輩、これ返却ありましたよ」
 そう言ってユウの差し出してきた古い表紙の本をシンは受け取った。
 それはずっと貸し出しになっていて、読みたかったのに読めずにいたものだった。あまりに読みたくて本屋で買おうとまでしたが廃刊に
なっていて入手も困難のものだっただけに、延滞されている貸し出しカードを見て半ば諦めていたシンである。
 思わず、テンションが上がった。
「うあ、これっ」
「せっ先輩」
 ユウに口を押さえられ、シンは漸く気付いて座りなおした。
「ごめんごめん、つい」
「わかります。かえってきて良かったですね。でも・・・・・・先輩がそういう本に興味があるなんて思いませんでした」
「へへ。俺、将来さ・・・・・・学校の先生になりたいなと思って」
 シンは頬を掻きつつ、照れながら言った。ユウは瞬きして、次に優しい微笑みを浮かべると頷いた。
「いいですね、アスカ先輩みたいな先生なら学校が楽しそうだ」
「よく言うよ。お前みたいに成績いい奴が先生じゃなきゃ、生徒みんな俺みたいになっちゃうよ。でも」
 本の表紙を見つめながら、シンはゆっくり噛み締めるように言った。
「俺、知りたくて。世界にたくさん人がいて、たくさんの考え方があって、思いがあって・・・・・・そういうのをさ、色んな奴と話したり分か
あったりして生きていけたらなって」
 静かで、時計の秒針を刻む音だけが聞こえてきそうな空間でシンは不思議な気持ちだった。
 たいして話したこともないような後輩に、何を語っているのだろう。笑われているかもしれない。年中どやされてばかりの成績の奴が、
偉そうにも教師になりたいなんて語って。
 手にはオーブの代表であるウズミ・ナラ・アスハが昔に書いた論文書を持って。
 馬鹿にされるかもしれない。叶わないと思われるかもしれない。それでも、今のシンにとってこの夢は見えずらい未来にはっきりとした
目印となるものだった。プラントからここでならコーディネーターも受け入れてくれるというオーブに移住したシンにとって、分かり合い
たいという思いは人より強いものとして心に在った。
「きっと・・・・・・この国の代表みたいに立派にはなれないけど、俺も受け入れてもらえたこの気持ちをコーディネーターとして伝えられたらっ
て思う」
「素敵な夢です。世界中が、ひとつになればいいですね」
「・・・・・・ああ」
「そうすれば、もっと友達が増えます」
「そうだな」
「貴方のような才能ある優しい人たちが宇宙にはたくさん暮らしているんですから」
「・・・・・・」
「オーブも素晴らしい国ですが、地上にはもっともっと美しい場所があるんですよ、先輩。僕は先輩に見せたいです。見て欲しい」
 物静かなくせに。
 おとなしいくせに。
 頭が良くて秀才で、優等生のくせに。
「何、熱く語ってんだよ」
 声が震える。シンは腹に力を入れて搾り出した。
「先輩こそ、なに泣いてるんです?」
「・・・・・・生意気な後輩だなあ、っとに」
 この世界は、未だ多くの閉鎖的な問題を抱えていて、ナチュラルとコーディネーターの垣根は重たくその境界線として圧し掛かり、互い
の道を繋ぐことを避けていた。
 このオーブでは差別されることは滅多にないが、やはり持って生まれたコーディネーターとしての力は地上では異質なもの以外の何物で
もなかった。だからシンは決して本気でスポーツをすることはない。本気で何かをすることはなかった。
 人と違うということが、どういう影響を及ぼすのか、学校に入ってから思い知った。
 だからこそ、いつかこんな思いをしなくて済むようなそんな世界がくればいい。自分の抱えた思いを分かり合える失礼人を増やしてゆけば、
きっといつかそうなる。いつか、同じようにみんな暮らすことが出来る。
 オーブに今暮らしていることは、きっとそういうことなんだと。シンは信じていた。
「あ、そうだ」
 シンは顔を上げて乱暴に目元を拭うと、ポケットからマユに預かった封筒を取り出す。ちょっと寄ってしまった皺を伸ばして、差し出し
た。
「これ」
「先輩が僕にですか?」
「んなわけあるかよ。俺の妹から」
 シンはそっぽを向きながら、急かすようにずいっと出す。思っていたよりすんなり出してしまったことにシン自身が驚いていた。
「マユちゃんから?」
「あれ、お前知ってるんだ。俺の妹」
 ユウは少し俯いて照れたように笑うと、小さな声で答えた。
「この間、街中で眼鏡を落としてしまって・・・・・・助けてくれたのが、マユちゃんでした」
「なんとまたベタな・・・・・・」
「僕、眼鏡ないと何も見えなくて、ほんと困ってたんです。だから見つかって眼鏡をかけた時、驚きました」
 照れたような笑顔を漸くひっこめてユウはシンを見た。
「アスカ先輩にそっくりの、すごく可愛い子でしたから」
「・・・・・・うーん、複雑極まりない言い回しだなー。ま、マユが可愛いのは当たり前だぞ」
「噂は本当なんですね、シスコンって」
「一年の間でもそんなこと言われてるのか?俺・・・・・・お前もおとなしい顔して結構失礼だし」
 シンが半眼で言い返したとき、丁度下校のチャイムが鳴り出した。シンは立ち上がって、伸びをする。もう生徒のいない図書室を戸締り
して回ることにする。手紙を大切そうに見つめるユウを横目に見て、やれやれとシンは嘆息した。
 

 

 

 

 


「渡したよ、ちゃんと」
「本当に!!ほんと、お兄ちゃん?」
「本当だってば」
 シンはしつこいほど後を追って聞いてくるマユに呆れながら、ジャケットを脱いだ。今日は漸く手に入れた本をゆっくり読みたい。マユ
を適当にかわして部屋に行かなくては。
「ね、ね、ね・・・・・・どんな感じだった?」
「どうって言われても」
 懸命に答えを待つマユをシンは見返す。そりゃあ、互いに同じ思いっぽいし、いい感じだとシンでも思ったがそういってしまうには何だ
かやっぱりシンとしては面白くない。
 部屋に向かいながら、素っ気なくシンは言った。
「本人に聞きな。絶対マユにメールするように言っといたから」
「余計なこと言わなくていいって言ったでしょーっ!!」
 悲鳴のようなマユの声を背に、シンは肩を竦めた。
「好き、ねえ・・・・・・俺にはわからないや。好きとか付き合うとか」
 机に鞄を放って、本を手にベッドに身を投げた。
「・・・・・・」
 読もうと持ち上げた本をシンはなんとなくおろして、ふと天井を見つめた。
 お前、女子に関心持てよ。
 そう言った親友の声が何故か響いた。
「・・・・・・俺にもいつか」
 好きな人が。
 シンはそこまで考えて、噴き出した。
「ないな。ない」
「一人で気持ち悪い」
「マユ!勝手に入ってくるなって言ってるだろ」
 驚いてシンは本を抱えたまま飛び起きた。入り口で腕組をしてたっているマユをシンは睨んだ。
「お礼を言いに来たの」
 マユはそう言うと、駆け寄ってきて微笑んだ。我が妹ながら、可愛いと思う。
「ありがとう、お兄ちゃん」
「どういたしまして」
「お兄ちゃんの誕生日にお返しするから!」
「まだまだじゃん、それ」
「覚えとく覚えとく」
「明日には忘れるくせに」
「言ったなーっ」
 叩いてくるマユをかわしながら、シンはいつもの流れの展開に少し安堵した。
 妹は妹だ。どこか遠くにいってしまうわけがない。大きくなり、成長し、いつかは互いに大人になるものだ。それは決して変わることで
はないし、いなくなってしまうわけではないのだ。
「頼むから、変な男に引っかかってくれるなよ」
「お兄ちゃんのが心配だよー。ヒモとかなってそう」
「ヒモ?」
「貢ぐ人のことだって。ドラマでやってた」
「なんてもん見てるんだよ」
 なにやら懸命にドラマに出てくる単語を説明してくれるのだが、シンには遠く関係のない話で呆れて笑えた。
「はいはい。マユ、メール来てるんじゃないか」
「うっえっそうかなっ?」
「兄ちゃんが見てやるよ」
「やめてえっ」
 こうしてまたもじゃれあうのである。
 シスコンといわれようと、この地上で暮らすということは少なくとも分かち合える孤独があるものを守りたくなる。逞しくあれ、とそう
思う反面、いつまでも頼ってくれればいいのになんて思う。その役目をそのうちユウがするのかと思うと寂しくもなった。
(やっぱ、シスコンって言われるな・・・・・・)
 誕生日まで、まだ三ヶ月もある。
 マユが覚えていることはないな、そう思ってシンは飛んでくる妹の軽いパンチをいなした。

 

 

 

 

 

 6月15日。
 それは、シン・アスカの終わった日。
 それは、生き残ったことを後悔した日。
 それは、無力を祟った日。
 それは、自分が抱き抱えていた夢が“綺麗ごと”だったと悟った日。

 そして、それを他人のせいにしてしまった。
 そして、それを嘆いて力を欲して手にすることを未来としてしまった日。

 

「・・・・・・マユ、俺さ・・・・・・あれから誕生日、祝ってないんだ」
 泣き濡れたまま、プラントへ向かう艦艇に乗り、握り締めた拳を開放することもできないまま、その憎しみを抱えて一心に勉強した。そ
して入学したアカデミー。
 そこは、我慢をする必要のない場だった。誰もが超人的な才を生まれ持った同種族。異質だと罵る目もなければ、優劣を感じて蔑む者も
いない。それはシンが抱えた思いが正しいと肯定するのに十分な理屈だった。
 結局は、分かち合えない。
 分かり合うことなんて、できやしないのだと。
 いつの日か見た垣根のない世界などシンの心から追い出され、ひたすらに強くなることだけを目指した。返すことのできなかったあの図
書館の本はオーブを出るときに夢と共に捨ててしまった。
 立ち直るには、憎むしかなかった。
「思い出すから。お前が祝ってくれるって言ったの・・・・・・俺だけが覚えてるよ、いつまでも」
 声が掠れる。詰まったみたいな喉に、シンは苦笑した。
 穏かなオーブの海。
 夏の終わりを感じさせる潮風の涼しさに、シンは目を細めた。
「でも、教わったんだ。あの日・・・・・・、ここで起こったあの日は、終わりじゃない。マユや母さん、父さんと会えなくなったあの日。あの
日はさよならだったんだって」
 教わった。
 何もかも、もう戻らないと泣き続けていた。戦うだけが生き残った意味だと信じていた。そうしなくては崩壊しそうだった。
 そんなシンに教えてくれた。
「さよならは、別れじゃない。さよならは・・・・・・」
 握り締めた手が痛いほどで、今はもう戦わなくていいのに、もう憎む必要もないのに、その頃よりも胸が痛む気がしてシンは息を呑んだ。
「明日へおくるためのエールだって」
 また、明日。
 また、明日と。そう笑えるように。
「・・・・・・でも、やっぱり会いたいなあ・・・・・・、会いたい」
 ゆっくりと吹き抜けてゆく優しい風が、シンの頬を撫でる。
 揺らされた髪が泣き濡れた頬に辿りついて、その顔を隠した。それでもやっぱり涙は留まらずあとからあとから頬を伝った。
「また、会える」
 風が囁いた。
 優しく、そっと。消えそうな音で。
 風の声は女の子の声なのか。シンは本気でそう思って瞬いた。
「会える、シン」
 愛しい。
 抱き締めているのに、いつでも抱き締めてもらっているのはシンだ。
「ステラ」
 振り返ることができない。
 その瞳に映し出された自分をみつめたら、きっともう立っていられない。
「きこえる?シン」
 温かい温度が背中に伝わってくる。優しい拘束に、シンはやっぱり息ができない。細い腕がシンの胸に回ってきて、手繰るように引き寄
せた。求める腕に、シンは泣きたくなる。大声で、泣きたくなった。
 いつだったか見た夢。
 いつの日か抱いた夢。
 本当だった。ナチュラルもコーディネーターも関係ない。人は分かち合うことができる。

 言葉も、力も、武器も、なにもかもなしに。
 わかりあうことができる。

「しりたい。しりたい、シンが」
 懸命な腕はマユに似ていた。ここにいるのに、ちゃんといるのに、不安がるその腕に。
 それなのに、本当は守られていたのはシンだった。
「だから、あした、繋げていこうね。シン」
 そうっと抱き寄せてきた腕がいつしか正面にシンを包み込み、愛しい人はこちらを見上げて微笑んでいる。それから、一生懸命に背伸び
して、両手を伸ばすと震えるシンの口唇にキスをした。
「ずっと」
 何度も。
「ずっと、ずっと」
 何度も、何度も。
「一緒にいて、お祝い、しようね」
「ステラ・・・・・・」 
「お誕生日、おめでとう。シン」
 最後にもらったキスは、今までのどんなキスよりも強引で、優しくて、奪うようでいて守るようなものだった。
 

 

 

 

 

 ステラの差し出したものにシンは目を瞠った。
 どうしても信じられなくて、黙ったままシンは何度もそれとステラを交互に見返す。微笑むばかりのステラはそっとシンの手を取ってそ
の本をにぎらせた。
「ステラ、」
「カガリ、くれた。シン、書斎に日記帳、そこに読みたいって・・・・・・みたの。ステラ。ごめんなさい」
「日記って・・・・・・もしかして中学校の時の」
 探したけれど見つからなかった手帳だった。オーブを捨てた時、唯一持ち出したのがそれだった。
「シンのほしいもの、カガリのおとうさんの、かいた本って。カガリ、教えてくれて。それで」
 シンはその本の表紙を見つめながら、瞬いた。
 この本がまたこの手に来る日がくるなんて。あの日、捨てたというのに。読めないまま、悲しみと共に捨ててしまったのに。
「・・・・・・俺さ・・・・・・学校の先生になりたいなと思って・・・・・・俺、知りたくて。世界にたくさん人がいて、たくさんの考え方があって、思い
があって・・・・・・そういうのを・・・・・・色んな、奴と話したり分かあったりして生きていけたらなって」
「うん」
「・・・・・・この国の代表みたいに立派にはなれないけど、俺も受け入れてもらえたこの気持ちをコーディネーターとして伝えられたらって」
 マユが必死に守ろうとした携帯に、あの日以来ユウからメールはこない。
 ユウも、あの戦禍の中、未来を失ったのかもしれない。それを知る術はなかったが、あの日図書室で二人で語り合ったあの時間、シンは
鮮明に覚えていた。忘れてなんかいなかった。
 決して、シンを馬鹿にしなかったユウ。嬉しかった。夢を分け合うことができたことが、叶うことへの勇気になった。
「そう、思ってたのに、俺は」
 剣を振り回し、他人を傷つけ、分かり合えない壁を自分から作り、憎しみを盾に生きようとした。
「シン、みんな、ここに戦った証がある」
「ステラ」
「みんな、おなじ。ステラもおなじ。だから、優しい」
 ステラは本を一緒にシンを抱き締めるように寄り添った。
「ここ、温かい世界」
 

 さよならは、お別れじゃない。
 さよならは、未来へと歩き出すそのためのエール。

 ねえ、早くしないと私にまた会えないよ。


 お兄ちゃん。


「・・・・・・情けね・・・・・・、君を連れて行くなんていって・・・・・・俺が行きたかったんだなあ」
 モビルスーツとか戦いとか、そういうことから遠い、温かい世界。
「ここに、あったね、あったかい」
 

 なあ、ミノル。
 俺にも好きな子ができたよ。しかも、結婚しようと思うんだ。

 今の俺なら少しはお前に追いつけるかな。

 

「ステラ、今夜は・・・・・・」
 シンは顔を振って、拳に力を入れた。
 そうだ。いつも、いつも、最後まで勇気がでないけれど、今日こそは。
「俺、19歳になるし」
 あまり関係ない気もするが。
「今夜こそ、」
『ハッピーバースディー!!!シン・アスカーっ!!!』
「え?」
 
 どぱぱぱぱーんっ!

 突然に開いたドアの向こうからとてつもない数のクラッカーの音が鳴り響いた。
「シン!来てやったぞ、喜べ」
「なんであんたそんな偉そうなんです・・・・・・」
 腕を組んで見下ろすアスランをシンは半眼で見返す。
「鯛持ってきたぞー!焼こう、焼こう」
 カガリは嬉しそうに片手に大きな鯛を持って、勇ましく入ってくる。背後にはぞろぞろとミネルバ諸君とアークエンジェルチームが参列
している始末で。
「なーっっ空気よんでくれえーーっ」
 叫ぶシンの声は賑やかな声に掻き消され、誰にも届かない。
「残念だったな。あきらめろ」
 レイには聞こえていたようだった。

 

 素敵な誕生日の夜がシンを包んで、多くのものを取り戻そうとするかのように賑わった。
 そして、今夜はどんなに騒がしくても愛しい人は隣を離れなかった。

 なによりのプレゼントに、シンはやっぱり泣いてしまう気がして、突っかかってくれるアスランに今夜だけは感謝した。

 

 

 

 

 

 おまけ→ シン・アスカ誕生日の夜

 

 



ちょっと暗くなってしまったので、おまけかきまーす。

どたばたハピバで♪

少しお待ちを・・・。笑

 

とにもかくにもシン、おめでとう!!!

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