胸糞悪いとは、こういうことを言うんだ。
 なんでこんなことになるっていうんだ。戦のどこがいい、どうして戦いなんてしたがる奴がいるんだ。

 シンは己の中に生まれては積もる疑問に押し黙ったまま、じっとコックピットに収まっていた。
 帰艦命令にも納得いかなかったが、結局進水式すら出来ず、なんの準備もないままミネルバはこうして被弾までして出艦しているの
である。この無限の宇宙空間を眺めると、シンは憂鬱な気分になった。
 もう、戻れない。そんな気がした。
「あれは……なんだったんだろう」
 ガイアに触れた瞬間。
 あの海、空、それから……少女。
<シン、ハッチ開けなさいよ。メンテできないでヴィーノが困ってるわよ>
「あ、ああ」
 ハッチを慌てて開けると、シンはコックピットから身を乗り出して下にいるヴィーノに片手を振った。
「ご苦労さん」
「……ああ」
「どうした?どっか怪我したなら医務室、急げよ」
「そんなんじゃないよ」
 シンはヘルメットを取って、息をつくとハンガーを掴んで機体の足元に降りた。
 傷ついたインパルスを振り返って、再び溜息をつく。
 戦争。
 これは始まりなんだろうか。
「……そういや、あのザクって誰が乗ってたんだ?」
 焼け野原の工廠に果敢にも一機のザクが立ち上がり、一度はこちらを援護してくれたのを思い出す。
 武装も少なく、あの状況でなかなかできない判断だったとシンは思った。
「オーブのアスハ代表、みたいよ」
 後ろから聞こえていたルナマリアの声は少し意地悪な響きを持って聞こえた。野次るような、からかう様な。
「オーブ、アスハだって……?」
 シンの中で唐突に跳ね上がる感情があった。
 オーブ。
 それは愛してやまなかったシンの故郷。コーディネーターとナチュラルという垣根を持たぬ「調和と協和」の理念の国。それが地球に
存在する理想郷。
 宇宙に生まれし生命が重力に魅かれ、また地に輪廻を築ける。そんな国に生まれ、シンは本当に嬉しかった。ナチュラルなんて関係な
い。皆、友達だった。
 それが、シンの愛したオーブ。
「シン?」
 知らずと握り締めた拳がグローブに擦れて軋んだ。込み上げるのは純粋な怒りと憎悪だ。シンは不審そうにこちらを見るルナマリアに
目もくれず、ただ前を見据えた。
「……どうしてそんな人があそこに?大体、あんな操縦……」
 面白がるような色を瞳に宿してルナマリアは答える。
「きっと、護衛の人よ。アレックスっていう」
 シンは呆れた眼差しで彼女を見返した。女はどうしてそう物知りというか、噂好きというか、耳が早いんだろう。
「でもきっと、それってアスランよ。私、聞いたもん、アスハ代表が呼んでるの」
 続くルナマリアの憶測話にシンは嘆息した。
 だが、アスラン……その名にひっかかるものを感じる。あの戦線を潜り抜けてきた今や大戦の英雄のようになっている者の一人だ。
プラントの中で知らない者はいない。それに、あの判断と操縦。シンのインパルスを援護してくれたことを思い出すとその名には納得が
いった。
「アスハ代表はお忍びで議長に謁見ってところじゃない?」
「議長って……」
「デュランダル議長だ。シン、今日のミネルバの式典にはいらっしゃると聞いていたろう?」
 不意に聞こえたのは声はレイのものだった。
 見上げると、モビルスーツデッキの二階にレイは議長と連れ立って立っていた。
「レ、イ……」
 呼びかけようとした瞬間だった。
「力など、必要ない!」
 切り裂くような、甲高い声がデッキに響く。シンは瞬いた。聞いたことのない女の声だったが、直感が伝える。
「我々は誓ったはずだ、同じ道を歩まない!共に手を取り合って歩む道を選ぶと」
 アスハだ。カガリ・ユラ・アスハ。
「デュランダル議長!」
 見上げた視界に映る女性は想像より華奢で、どこにでもいる女の子に見えた。シンはその女の子にどうしようもない憤りを感じてい
た。どうにも止みそうにない頭痛に近い怒りを。
「滑稽だな」
 下から投げつけられた乱暴な声に、カガリはこちらに気づいたようだった。
「奇麗事は、アスハ家のお家芸だな!」
 吐き捨てるように叫ぶとシンは目も逸らさず、食い入るようにカガリを睨んだ。彼女は唐突の敵意を前に驚いて戸惑っているような
仕草を見せた。さり気なくすぐに庇うように立った男がシンにはアスラン・ザラだとすぐにわかった。
 いつでもそうして守られて。
 お前は戦場にいたのかもしれない。でもそれが事実なら、どうして気づかない。
 どうしてそうのうのうと奇麗事を吐く。
 俺は知っている。お前達が、理想を掲げた行く末にどんな選択をするのか。
「シン、」
 明らかな気まずい空気にルナマリアが我慢できずに割って入ろうとしたが、シンは全くそれを無視して眼光を鋭くしたまま動かなかっ
た。
 戦いが生むものも、戦わずにいたことが生んだことも、結局彼らは見ようともしないのではないか。
 煮えたぎる感情を噛み締め、言い足りない憎しみを吐こうとしたその時だった。
『コンディション、レッド!パイロットは至急、ブリッジへ急行せよ!』
 サイレンと共に鳴り響く声にシンは顔を上げた。ざわつく周囲に紛れて、シンはその身を翻した。
「……あ」
 背後で去りゆくシンの背に息を呑むカガリを、シンは唐突に振り返った。
 燃えるような赤い瞳。
 それは綺麗な濁りのない赤色。
 まるで、戦禍のような、双眸。
 真っ直ぐにただカガリを見据えるその瞳に、迷いはなく、隠しもしないその色は「憎しみ」だった。
「申し訳ありません、いつもはあんな態度を取らないんですが。処分は後ほど」
 動けずにいるカガリの側で金髪のレイと名乗った少年はそう言うと、きちんとデュランダルに一礼するのを忘れず颯爽と慌しい波の
中へ走り去っていった。
 赤い軍服の舞うその背を見つめると、時間が戻ってしまったような、そんな錯覚に陥る。
「カガリ」
「わかっているよ……」
 明らかにそうではないカガリの反応にアスランは短く嘆息した。今はギルバート・デュランダルの前でもある。あまり容易に内側を
見せることは良くない。そう思ったが、カガリは先ほどの少年のことでそれどろこではないようだった。
 彼女の性格を考えれば、それは仕方のないことだが今は一国の代表なのである。
 小さくまだ幼い華奢な肩だが、そこには多くの民の未来が担われているのだ。それを少しでも手助けするためにアスランはここにい
た。彼女の目指す、未来を共に築く為に。
「申し訳ない。彼はオーブからの移住者でね……、まさかあのようなことを言うとは思わなかったんだが」
 気遣うように呟いたデュランダルの声に、カガリの肩は跳ねた。
「彼が?」
「ええ」
 頷いて、今はこれ以上話す気がないのかデュランダルは少し微笑んだ。
「さあ、ここは危険です。移動しましょう」
 デュランダルは冷静にそう告げると、動揺の隠せないカガリの様子を無表情に一瞥し歩き出した。
 

 

 

 


 朱色の灯りがステラの手の中にそっと収まっていた。
 それは、温かくて、まあるくて、ずっとずっと手のひらの中に収めておきたくなるっような、そんな灯りだった。

 遠くで、ステラ、ステラ、と呼ぶ声がする。

 それでも、この温かい光を離したくない。
 おかしいなあ。
 ステラ、赤なんて、ダイキライだったのに。
 赤い色は、たたかいのいろ。壊れたら、たくさん出るの。これ。
 
 だから、きらい。

 でも、これは、すき。


 ステラはゆっくりとその温かい朱色の灯りを胸に押し付けた。
 自分の一部になればいいと思った。
 目覚めても、つれていけばいいと思った。

 呼ばれて、そこにいってしまうと、もう二度と同じものには出会えない。
 ステラは、知っていた。
 時間が過ぎるばかりなように、ステラのこの時間も、過ぎて戻りようがないということを。


 ステラ。


 ごめんなさい。
 だめみたい。でも。

 今度、出会えたら……。その時、もしもステラが覚えていたら。
 貴方に側にいてほしい。


 
 薄っすらと開いた瞼は少し重い。
 だが、目覚めはいつも爽快ですっきりしている。だから、ステラは目覚めることが好きだった。このベッドで眠ると、とても気分が
良くなるのだ。どんなに嫌なことがあっても、ここでは悪夢は見ないで済む。
 優しい揺り篭。
 ステラは身を起こして寝台のシーツに手を触れてから、あとの二つのベッドを見やった。
「……あ」
 ぼんやりした視界に兵士たちが駆けて行くのが見えた。そうか、この耳障りな音は戦闘の合図か。
「あれ」
 ステラは不意に頬が濡れているのに気づいて、頬を擦った。
 何だろう。
 手に付いた雫にステラは怪訝に眉を寄せると、興味のない瞳ですぐにその手を下ろした。
「う」
 急がなくては。ステラはのらりと立ち上がって、ロッカールームへ歩いた。
 慌しい艦内に少し煩そうに目を細め、ステラはぺたぺたと裸足で向かう。すれ違う兵たちが少し不思議そうにステラを見て通り過ぎ
てゆくが、当の本人は全く気にしていなかった。
 辿り着いたロッカールームでは、すでにスティングとアウルがパイロットスーツに着替え終わって楽しそうに会話していた。
「お、ステラ!お前、遅いんだよ」
「う」
「う、って返事かよ。なんだよ、うって」
 小馬鹿にしたアウルが頷くステラを見て失笑する。どうやら彼は機嫌が良いらしかった。
 ステラは二人の脇を抜けて、自分のロッカーを開く。そこにはステラ専用のピンク色のパイロットスーツが掛けてある。
「……?」
 スーツに手をかけた瞬間、何故か一閃が駆け抜けるような感覚がした。
 何かを思い出しそうな……でも、何を?
「なあ、ステラ!楽しみだな、きっとまたあの白いヤツ、出てくるぜ」
「白い、の」
 思い出す。
 やっても、やっても堕ちないあの白い機体。
 知らずと握る拳に力が篭った。あの機体、今度こそ壊す。消さなくてはならない。あんな怖いもの。
「おーおー、やる気じゃん。ステラ」
「あまりからかうな、アウル」 
 口笛を吹いて楽しむアウルにスティングはヘルメットを肩脇に抱えて、そっと諭した。ステラは野次も気にせず、黙々とスーツを
着込む。
 無造作に脱いだドレスを床に捨てたまま、両腕を袖に滑り込ませ、前のチャックを一気にあげた。ぐっと身を締め付けるような感覚
に一瞬苦しくなるがすぐにフィットし、動きやすくなる。不思議な素材である。
 人の目も気にせぬステラだが、その肌は透けるように白く、その細胞までが見えそうだった。野次を飛ばすアウルも、諭すスティン
グも見慣れた姿の彼女に目もくれなかったが、強靭な戦士とは程遠いその体はパイロットスーツの中に隠れてもなお華奢に見えた。
 ステラはグローブをつけ握り返すと、扉に付いた小さな鏡に目を留めた。
「……ど、して」
 鏡に映る自分はまるでいつもと変わらない。
 無表情の顔。
 なのに、起き上がった時に流した涙が何故か頬に重なって見えた。思わず、頬に手を触れたが何もない。
「なにしてんの」
 鏡に突然、アウルの水色の瞳が飛び込んでくる。
「……」
「あ?お前、今嫌そうな顔したろ」
 ふるふると横に顔を振って見せるが、アウルは不機嫌そうにこちらを睨み返した。
「ステラの分際で俺様にそんな顔していいと思ってんの」
「うう」
 ステラは必死に顔を振ったが彼は見もしなかった。
「いいか。ステラ、お前は俺以下なの。俺より遥か彼方、下なの。わかる?」
 アウルの済んだ水色の双眸が冷たく光った。
 時々、こうしてアウルはステラに教える。自分がどうであるか。自分が何であるか。自分の位置を把握する。そんな時、ステラは
どんな返事をすればいいのか、どんな態度を取れば彼に蹴飛ばされずに済むか考えるが、結果うまくいったことはなかった。
「虫けらなんだよ!お前は!」
 案の定、はっきりしないステラにアウルの蹴りが炸裂した。軋むほど片側の足を蹴られ、ステラは思い切りロッカーに突っ込む。
「おい。アウル」
 見かねたスティングが言って、溜息と共にロッカールームを出て行くのが見える。
「……ステラ、どーする?二人っきりだぜ?」
 冷たい色のまま、アウルは楽しそうに言った。
 戦闘に出る前のアウルだ。いつも、こう。抑えきれない興奮を凍えるほどの温度でこうしてステラにぶつけるのだ。
「なあ」
「う、」
 ステラは伸びてきたアウルの手を払うように押し退けて、後ずさった。
「……お前なんか、殺さねーよ」
 数秒睨んだままステラを見下ろすと、冷ややかに微笑んでアウルはヘルメットを拾ってさっさと出て行ってしまった。
 よろめく足をなんとか立たせて、ステラは急いでヘルメットを手に取った。
「いかな、きゃ」
 ステラはそっと息を吐いて微笑んだ。
 あの機体にまた乗るのだ。あの真っ黒い、あの子に。
「ステラ、は」
 心に舞い降りた奇妙な高揚感に、ステラはやはり微笑んだままだった。乗りたいわけではない、でも戦いたい。その為にあの機体
は必要なのだ。そう、あの何もかも染め上げるような闇色をしたMSが。
 その機体の名は、ガイアと言うそうだ。
 ガイア。
 何度か心でそう繰り返して、ステラはロッカールームを後にした。

 

 

 

 

 

 浮遊するデブリの海をインパルスとルナマリアのザクウォーリア、そして二機のゲイツが警戒しながら旋回していた。
 視界は悪い。戦場としては最悪といっていい場所だった。
<シン、様子……おかしくない?>
 確かにそうではあった。
 ミネルバの索敵に引っかかりながら、何故か敵艦“ボギーワン”は微動だにしない。滞った緊張感の続く中をルナマリアは通信で
シンに何度か訴える。
<あたし、デブリ戦成績悪いのに……>
「いい加減にしろよ。敵がいるんだぞ!」
<何よ!エラソーに>
 シンは神経をモニターに捕らえた敵艦の位置を確認しながら近づいていく。ルナマリアが何か文句を言っていたがそれどころではな
い。何かおかしい。
 こんなにも近くに来ているはずなのに、何故こうも動かない?
 インパルスがゆっくりと動いたその瞬間だった。
「!」
 探しに探した機影が動くのを見る。
 それは三機のMSだった。
「あれは……セカンドシリーズ」
 シンが呟く間に、すでに黒い機体“ガイア”が真っ直ぐにサーベルを掲げて突っ込んできていた。
<…ガ……わ、す……っ>
 思わずシンは耳を疑った。
 何かノイズのような、耳障りな音が混じって通信機から女の声がもれ聞こえたのだ。それは味方のルナマリアのものではなかった。
「……敵、か」
 呻くようにシンは呟く。何故か、嫌な気持ちがした。
 敵だ。
 相手は、MSを武力で強奪するような卑劣な敵。十分に討つ理由のある相手なのである。
「行くぞ」
 シンは言い聞かせるように操縦桿を握りなおした。
 肝心な時、いつもこうだ。こうして手が震える。決めたはずだ。もう何も失うものはない。無くすものなんてないのだから、恐れ
ることも怖がることもないと。
 わかっていたことじゃないか。相手も、人間だってことくらい。
 猛烈な勢いで襲い掛かるガイアにシンは応戦した。先の戦闘でもそうだったが、このガイアのパイロットはおかしい。
 強引なほど押してくるのに、大雑把で乱暴な攻撃すぎて隙がある。撃ち易い間合いがすぐに生まれるのだ。そんな戦い方、普通に
恐怖心がある人間なら出来ないはずだった。
「……死にたいのかっそんなにも!」
 シンは口唇を噛み締めて、サーベルを跳ね返す。よろめいたガイアをルナマリアが撃とうと構えた。
「!!」
 しかしすぐに援護に入ったカオスに押し切られ、タイミングを逃す。すぐに両機への攻撃を繰り出すが背後で爆音が轟く。
「ルナマリア!!」
<シン!!ゲイツが……!!>
 ルナマリアの悲痛な叫び声に次いで、シンの視界に炎に包まれ下降してゆく気体が映る。
 何も変わっちゃいない。
 ここは、あの場所と何も変わっちゃいない。
「……ど、して……お前たちはぁ!」
 憤りを通り越した憎しみはシンを埋め尽くし、あの戦火を思い出させた。家族ごと奪い消えてなくなったあの時間を。
 振りかざした拳だけはあの時と違った。
 そう、もう無力ではないのだ。
<ミネルバが!シン、どうしようっ……このままじゃあ>
 必死にカオス、アビス、ガイアと交戦しながら聞こえてくるミネルバへの攻撃を二人はどうしようもなく知るだけとなる。目の前の
囮であった三機を何とかしなくては、ミネルバに戻ることすらできない。
「くそお!」
 何故だ?何故、地球連合のやつらがこうもプラントの開発したMSを乗りこなせるというのだ。しかも、こんな短期間で。
「ルナマリア!レイ一人じゃ艦隊を防げない。早く何とかして戻るぞ!」
<わかってるけど……!>
 簡単にはいかない。
 楽しむように旋回し、襲い来る三機にシンは歯噛みしてモニターを睨みつけた。

 

 


「たおす」
 今度こそ。今度こそ、この白いのを倒すのだ。
 今まで出来ないことなどなかった。倒さなくては死んでしまうのだ。ステラたちは進むことだけが許されると教わった子供たちで
戦場は自由になったことの証だった。
「そう……こいつを」
 ステラは握る操縦桿に力を込めて、見据える白い機体に振りかぶった。
<おい、ステラ!邪魔するな>
 競るように横に追いついてきたアビスはアウルの機体だ。ステラは怪訝そうに眉を寄せるが、声は出さなかった。
「……」
 白い機体も、向こうのピンク色のも、味方のところに帰りたそうだ。
 ステラは出撃前に聞いたネオの声を思い出し、そっと微笑んだ。
「ねお」
 いい子だね、ステラ。
 こっちは艦隊を叩く。君は二人と力を合わせて、ガンダムを足止めするんだ。いいね?
「できる、ステラ。できる」
 君ならできるよ。
「できる」
 嬉しくて微笑んだまま、ステラは陽気にサーベルを振りかざした。何度やっても小賢しく白い機体は避けたが、アビスの銃弾に気
を取られ、幾度も攻撃は直撃した。
 いける。
 これなら、この白いのを……。
「……ぅ!」
<どけえ!!>
 不意に通信に混じって聞こえてきたのは、知らない男の子の声だった。
 アウルでも、スティングでもない。
<どうしてこんな……!!>
 男の子は堕ちてゆくゲイツ機を振り返りながらそう唸っていた。ステラはわからないまま、小競り合いながら白い機体を眺めた。こ
の中にいる子だろうか。
<人の命を……なんだと思ってるんだあー!!>
 はっきりと聞こえてくる声に、ステラは耳を塞いだ。
 なんだ、なんだ、これはなんだ。
 知らない。こんなの。知らない。
「ぅ、あ、うう」
 無我夢中で振った銃弾を避けて白い機体が飛び退る。同時に向こうのピンクの機体もこちらに向かって銃撃を返してきた。
<ステラ!どうした、何かあったか>
「な、でもな、い」
 スティングの声に何とかステラは頭痛から逃れるように返事し、二重にぼやける視界に顔を振った。
「いく」
 先ほどまで穏やかな程だった心は、今は嵐のようだった。あの少年の声が聞こえてからだ。
 気持ち悪い。吐きそうだ。

 たんっ……!

 切り替えして攻撃に移ろうとした瞬間、背後で七色みたいな光が宇宙に上がった。尾を描いてゆっくりと下降していく。
<もう、終わりかよ>
 つまらなそうなアウルの呟きが聞こえて、横をスティングとアウルの機体が飛んでゆく。
「……きれい」
 ずっと光っていてくれたらいいのに。ステラはいつもこの光を見ると思う。綺麗なのに消えてしまう。
<ちぇ、帰って来いってよ>
 いつまでも動かないガイアにアウルが通信越しに催促した。
 目の前の白い機体はすでに味方の艦へと向かっていた。
「……うん」
 もう、終わりか。
 そう思うのと同時に、胸にはあの少年の叫ぶ声が寄せては返すように聞こえていた。

 

 

 

 

 

 


「ねえ、お兄ちゃん。ちゃんと勉強してる?」
 マユはそう言って、シンの顔を覗き込んだ。
「してるって」
 だらだらとリビングで過ごして、漸く二階に上がって机に向かったシンは、またしても教科書に手が行かずのらりくらりとしていた
らいつの間にか勝手に入って来た妹に頭を叩かれた。
「もう、全然進んでないじゃん」
「あー!うっさいなあ。今からするよ」
 ノートを見て半眼になるマユにシンは煩そうに手を振って答えた。
「そんなんじゃあ、お兄ちゃんなれないわよ?先生とか」
「なれるさ、せん……って、マユ?」
「ふふふーん」
 にっこり笑った妹は母親そっくりの大きな瞳で面白がるようにこちらを見つめて、続けた。
「マユは何でも、お見通しー」
「……お前、読んだな?」
「読んでないってば。お兄ちゃんの日記なんて」
「読んでるじゃないかあ!!」
「きゃー!」
 シンは我慢できず、立ち上がって逃げ惑うマユを追いかけた。この生意気な妹は何かというとシンの部屋に忍び込んでは兄のものを
勝手に見る癖があった。
 そろそろ年頃の兄としては、プライバシーを侵害してもらっては困るものもあるのだ。
「マユ!」
「いいじゃん、お兄ちゃんの以外な夢、絶対パパもママも喜ぶよ?」
 嬉しそうに茶色の長い髪を揺らして言うマユにシンは困った顔になる。彼女は無邪気で素直で、とても純粋だった。まあ、そこに気
の強さと我侭が追加されるからトントンな感じなのだが、妹ながらとても可愛かった。
 どうにも、妹贔屓なところがいつまでも抜けないシンは、こんな時特に自覚することになる。
「……今度見たら、怒るぞ」
「はーい!」
 こうして許してしまうのだから。
「ねえ、お兄ちゃん。お兄ちゃんは欲しくないの?携帯」
 マユはそっとポケットからピンク色の携帯を取り出すと、手の中で大事そうに開きながら言った。
「いらないよ。使い道、ないし」
 何度もねだって漸く買ってもらえたもので、マユは本当に大切にしていた。今では戦争の被害で電波も悪くなり、あまり使いようも
なくなってきたというのに、それでも肌身離さず持っているのを見ると、余程大事なものなのだろう。
「お兄ちゃんはまだ知らないんだね」
 吐息ほどの声で、マユは言った。
「なに?」
「知らないんだ」
 言って、微笑むマユはえらき眩しかった。嬉しそうに携帯を見つめる横顔が何故か知らない女の子を見るようで、シンは何だか不思議
な気持ちになる。
「……繋がってる、そんな気がするんだ。これがあると」
 シンは瞬いた。
 いつも明るくて元気で、馬鹿なことばかり言っている妹。戦火の増す中、最近では学校も休校になり友達とも会えない日が続いていた
がといつもと変わらない様子だった。
 そうか。マユは……。
「マユね、好きな人がいるの。先輩なんだけどね」
 そういって、マユは幸せそうに携帯を片手に話し出す。
 少しだけ複雑な気持ちで、シンは聞いてやる。いつも通りに話そうとする妹に、いつもと変わらない態度で。
「会いたいって思ったときに、会えないけど……これがあればね、声が聞けるの。言葉がもらえるの」
「……マユにかかると、携帯はまるで魔法の道具だな」
 シンが言うと、マユは頬をぷうっと膨らませて言う。
「馬鹿にしてえ!お兄ちゃんだってね、そのうち欲しくなるわよ。好きな人、できたら」
 はいはい、そう言ってシンはやる気もないのに机に向かい直した。
「……お兄ちゃんって、黙ってたらいい感じだけど……喋るとなあ。うーん」
「うーんって何だ!」
「好きな人、できるといいねえ。できてもフラれちゃわないようにね!乱暴はだめだよ、ガサツなのもだめ」
「こんの……マセガキ!!」
「きゃー!」
 ばったんばったんと再び追いかけっこが始まるが、どうにも同じ展開である。生意気な妹の、知らない女の子の部分を知って些か内心
動揺しているシンだったが、それはそれ。
 好きな人がどうとか言う前に、シンには目の前の課題がどうしようもなかった。
「……こんなことしてる場合じゃない。邪魔するなよ、マユ」
「はーい。って、そんなのいつ提出できるかわかんないけどね」
 マユの言うとおり、休校はいつ解除になるのかわからない状況だ。宇宙でも、地球でも、戦争は間近に迫っていた。
 このシンたちの住むオーブは武力を持たず、戦う意思を持たぬ武力介入は絶対にしない国なのだ。戦火が押し迫った時、一体どうなる
のか。実際のところ、民には不安だけが積のり街には暗雲が立ち込めていた。
 攻められたら。
 きっとこの国はひとたまりもないだろう。

 シンは妹の見せた一瞬の不安そうな顔に、心が痛んだ。無力とはなんて辛いことだろう。一握りの、側にいる家族すらシンには守る
ことができないのだろうか。

「お兄ちゃん?」
「……マユ、大丈夫だからな。きっと、また先輩と会えるよ」
 シンは言って、マユの頭にぽんと手を乗せた。
「うん」
 滅多と口に出して優しい言葉を言わないが、シンはこの時ばかりは言わずにいられなかった。
「お兄ちゃんも。大丈夫、マユがいてあげるよ」
「なんだそれ」
「彼女ができるまで!」
 声を上げて笑うマユの笑顔が眩しかった。大丈夫だ、そう思えた。
 きっと、また明るい、恐れのない空の下で笑うことができると。そう思えた。


 ブブブブブ……


 携帯はちかちかと光って、左右に震えた。
 その振動がシンを覚醒させる。
「……眠ってたのか」
 シンは目を擦って、携帯のアラームをそっと止めた。
「マユ、おはよう」
 ピンク色の携帯は暗闇で薄っすら光っていた。角に擦れた傷跡が見える。
「つ、」
 激しい頭痛がこめかみあたりを襲っていた。
 ちらつく様に少し前にした会話を思い出す。

 信じない!オーブなんて信じるものか!国を信じて、あんたらのいう正義を貫いて、みんなオノゴロで殺されたんだ!!

 誰にも言うつもりもなかったのに。
 あの時誓った、復讐にも似た決意は口に出すことはないと思っていたのに。
「……よせ、シン・アスカ」
 顔を振って、シンは俯いた。ベッドサイドに腰かけて、前髪に手櫛を入れると深く息を吐いた。
 押し寄せるように自らの思いが交錯する。一人になると、いつもこうだ。

 MSに乗って、戦うとき。
 まるで自分は強くなれた気がして、変われた気がして。
 触れて欲しくないと、そう願った傷に友がいつも通り接してくれたこと、間違っていないと言ってくれたこと。そのことに安堵と
誇りを感じてしまう自分への疑問。
 こうして、一人暗い部屋にいると、何もかもが虚勢な気がしてシンは苦しくなる。
 エースだなんだと言われても、所詮こうしていつまでも死んだ妹の携帯を握りしめることしかできないただの一人きりなんだと。
「アスハ、か。なあ、マユ……お前、どう思う?」
 傷ついたあのカガリの顔。
 シンの言葉に、返す言葉を失い悔しそうに黙っていたあの表情。
「会いたくなんか、なかったさ……余計なこと言っちまうのなんてわかってたことだ」
 苦々しく噛み締める。
 綺麗ごとを並べ立てて、結局アスハは今も逃げ延びてのうのうとオーブに居座っている。彼らの言った正義があれならば、そんな
理念ないほうがましだ。
 あの時。国が民を見捨て、オノゴロが惨劇と化したあの時。
 ウズミ・ナラ・アスハも共に民と果てたことをシンだって知っている。だが、それが何になるというのだろう。何の言い訳になる
というのだろう。シンにだって、カガリが背負わなくてはいけないことでないことぐらい、本当はわかっている。
 それでも、それでも、あの笑顔を奪う権利は誰にあったのだと問いたくなる。
 妹の、あのささやかな夢を、一体誰が。
「シン」
 ブンっと音がして、部屋のドアが開いた。同時に自動で室内の照明もつく。
「レイか……」
「オーブに降りることになりそうだぞ」
 無表情のまま、レイは室内に入ってきて自分のベッドに上着を置いた。
「降りれるのか?」
「多分な。艦の修理もモルゲンレーテの助けで修復が追いついてるみたいだしな」
 進水式もないままのミネルバだ、補給もしなくてはぼろぼろを通り越してしまうだろう。
「なあ、レイ」
 上着を脱いだかと思うと、黙々とレイはシャツにも手をかけシンと会話する気なさそうにシャワールームに向かっていた。掛けた声
に辛うじて、レイは振り返る。
「……俺、会ってみたかったよ。パトリック・ザラって人」
 レイは何も言わずにそのまま、シャワールームへと行ってしまう。シンは再びベッドに背を預け、アスランの背中を思い出した。

 

 

 

 


 アスランは一人、貸し与えられた部屋で拳を壁に叩き付けた。
 何度も、何度も、打っても打っても、気が晴れなかった。

 コーディネーターにとって、パトリック・ザラの取った行動こそ正しかったのだ!

 聞こえる。
 駄目だ、聞こえる。あの声が忘れられない。

「カガリ……」
 そっと、あの傷ついた顔をしたカガリを思い出す。いつもなら、こんな自分をうじうじするなとどやすのは彼女の役目だが、今は
彼女自身辛い現実を前に打ちひしがれ、弱っているだろう。
 そしてその中にアスランのことも入ってしまったはずだった。
「……何をしてるんだ、俺は」
 悔しさに似た思いが胸を占めた。
 脳裏に浮かぶのは共に戦場を走り抜けた仲間の顔だった。答えが欲しいのではない。正しいとか間違っているということではない
ということも。
 十分に「戦争」が何も生まないことをアスランは知った。
 父があの司令室で撃たれ、浮遊していた姿を腕の中に留めた時、アスランの中で何かが変わった。大きく、とても。
「力は何も生まない……持ってはいけない、持たなければ……」
 打ち付けた拳が震えた。
 またしても、自分は同じことを繰り返そうとしているのか?MSにまた乗って、一体どうしようというのだ。
 父は、パトリック・ザラは戦った。コーディネーターの世界を守り、その為に尽くそうとした。強大な力を以ってそれを成そうと
したのだ。それが正しいことだったとは、アスランには思えない。今も、昔も。
 けれど、ユニウスセブン降下はアスランにとって隠してきた傷を抉られたような気がした。
 決着をつけたと。そう思い込みたかっただけなのだろうか。

 父は。

 俺の父さんは。


 ゆっくりとカガリが口にする大好きな彼女の父、ウズミを思い出す。
 自分の脳裏に焼きつく父はあまりにも違いすぎて、アスランはどうしてか悲しくなった。

 あったはずなのに。
 自分にも、そんな記憶があったはずなのに。


 記憶の父は未だあの宇宙を彷徨っているような、そんな気がした。

 

 

 


「ステラ」
 アウルの声がして、ステラはそっと瞼を開いた。
「……う」
「来いよ」
 横を見やるとまだスティングは寝台で寝ているようだった。しかし、アウルは小声でステラを急かすと歩き出した。
「どこ、行くの?」
 寝巻きと裸足のまま、ステラは先さき歩くアウルの背を懸命に追いかけた。
 艦内は静まり返っていた。まだ真夜中なのだ。地球に下りてから、ずっとこのJ.P.ジョーンズは隠密行動のようにじっと見つか
らないように潜航しているように感じられた。
 ステラには作戦のことも、地球連合軍のことも良くわからない。ネオに言われたとおり、敵と戦えばいいのだ。
 だからこうして任務がないと、ぼんやりする時間が増える。
「ぶ」
 突如、立ち止まったアウルの背にステラは思い切り突っ込んだ。
「見ろよ」
 甲板デッキに出る扉を抜けて、アウルはその先を指差した。
 そこには広くて何もない真っ黒な世界が広がっている。同時に、寄せては返す音が聞こえてくる。
「……あ」
 海だ。
 ステラは息を呑んだ。
 真っ黒いけれど、これは確かに海。ゆらゆら揺れて、ざあざあ音がする
「ひろくて……おっきい」
 ぺたぺたと足音をさせて、ステラはデッキを歩いた。手すりのあるところまで行って、じっとその先を眺める。
 いつの間にか、アウルも隣に並んで同じようにしていた。

 ざあ……ざざあ……、ざぷん……ざざあ……

 目を閉じると、不思議と落ち着く。
 まるであの揺り篭に入って眠るときのように。穏やかで、静か。

「うみ、うみだね」
 ステラは嬉しくて、海から目を逸らさずに囁いた。
「うっせえよ」
 冷たくアウルはそう言ったが、ステラと同じように前を見て目を逸らさなかった。
「お前さ」
「?」
 煩いと言われたので返事はせずに、そっとアウルをステラは見やった。彼は前を見たまま、続ける。
「……もし、…もしも、戦争がなくなったらさ……どうする?」
 最後のほうだけアウルはこちらを見た。
 見て、すぐに目を細めて顔を逸らす。何も言っていないのに、彼は傷ついたように悲しそうな顔をしていた。
「う、ステラ、」
 何か言わなくてはと思った。アウルのこんな顔、見たことがない。
 必死でステラは言葉を探した。
「たたかう。こわいもの、なくす。そうしたら、むしがきえる。でも、せんそう、なくなると……すてらも、おわる」
 ちゃんと言えただろうか。
 懸命にステラは紡いだつもりだった。今までに聞いたこと、誰かに言われたこと、ネオに教わったこと。それできっとあっている
はずだから。
 得意げに笑って見せると、何故かアウルは益々苦しそうに顔を歪めた。
「……ご、め、アウル?」
 いつも怒ってばかりのアウル。そうかと思えば機嫌が良さそうなアウル。
 でも、こんな顔のアウルは知らない。
「!」
 急に両腕で首をつかまれ、ステラは驚いて瞬いた。次の瞬間にはデッキの床に背を打ち付けて、アウルに押さえつけられていた。
 首に絡んだ手がぎゅうぎゅうと締まって、苦しい。
「あ、う」
 怒らせたんだ。ちゃんといえなかったから。
「う、」
 アウルは怒るといつもこうしてステラに叩いたり、蹴ったりする。でも、機嫌がいいとこうして海を見せてくれたり優しいことも
してくれる。よく考えれば、きっとステラが彼を怒らせているのだ。
 だから、今も。
「……う」
 ステラは金の髪を振って首の力を緩めようとしたが、一向に緩まない。苦しくて、息が出来ずステラは頬に涙が落ちたとき、自分
のものだと思った。
「…だ……よ」
 でも、それはアウルのもので。
「お前、なんなんだよ……!おバカのくせ、に」
 ぽつ、ぽつ、とステラの頬に落ちてくる大粒の涙。
 水色の瞳が何度も溢れる涙を送り出して、その悲しみを伝えているようだった。
「わかったようなこと、言いやがって……!なのに……笑うんじゃ、ねえっ」
 叫びながら、アウルは手を緩め、デッキの床を叩いた。悔しそうに、何度も何度も。その手が赤く滲んでも、何度も。
 ステラには何もわからなかった。
 どうしてアウルが自分の上でないているのかも、床を叩くのかも、苦しそうなのにそれでもアウルが息をして懸命に足掻こうとし
ていることも。
 何がそんなに苦しいの?
 苦しいのに、どうしてそんなに一生懸命なの?
「お前はさあ……、俺やスティングほど、何もわかっちゃいないのさ……なにも。俺だって、明日になりゃあ、また同じさ……」
 それでも、とアウルは呟いた。
 それでも、わかってしまう。そう言った。
「な、かないで」
 ステラはそうっと手を伸ばして、アウルの大好きな海と同じ色をした髪を撫でてやる。さらさらと手をすり抜けていく感触にゆっく
りステラは微笑むと、そのまま背を摩ってやった。
 いつだったか、怖い思いをした時、ネオがそうしてくれたのだ。
「う、あ、うう……お母さん、おかあさん」
 アウルは呻くようにしゃくり上げた。ステラにはその「お母さん」という意味はわからなかったが、アウルが暫くすると安堵したよ
うに息をしたので安心する。
 もしかしたら、ネオがくれたあの温かいことをステラも出来たのかもしれない。そうならいい。それはとても温かいことだから。
「……こわい、ない。ステラ、なくす。こわいもの。だから安心して」
 ステラは言った。
 安心して、と。何度も。


 

 


ううむ。。。

難しい。難しいよう。でも。かく。

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