アスラン・ザラ。
 この名前を知らないものはいない。かつて無敵と謳われた“ストライク”を討ち、フェイスへと昇進し、英雄の道を切り開きその強さ
はザフトの中で秀でたものだったと、誰もがそういう。
 あのパトリック・ザラの息子であり、コーディネーターとして申し分のないお墨付きの戦士。
 シンにとって、アスランは憧れでありライバルでもあった。地上最後のコーディネーターの住める楽園だと言われたオーブにいたシン
にとって14歳までは、戦いというものに全く無縁の少年だった為、その生まれながらの戦士の家系に劣等感が拭えないでいた。
 アカデミーに入ってからも、振り返れば皆裕福で、家系に恵まれた者ばかりで、優秀なのは遺伝子だと言わんばかりだった。しかし、
その中でもシンは意地と根性でどんなことにも一番を目指して戦った。負けたくない、強くなりたい。誰よりも、強く。その一心が長い
時間シンを支えているのだ。 
 だからこそ、アスランという名はシンにとって目指すべき位置となり、いつかその名すら越えて強くなる。その思いは強くなり、見事
Sランクの成績で赤服へとなった今、プライドとなってシンの脊髄となっていた。
 何もかもが、そう、強くなるため。
 誰よりも、誰も自分の上に上がらせない。そうすれば。
「……女に何、でれでれしてるんすか。あんたは」
 シンは思いに耽ったその口で、その視線の先を眺めながらぼやいた。
 憧れのエースは、女の子に囲まれて随分と人気だ。射撃の手本など見せて、ちやほやされている真っ最中である。
「馬鹿じゃねえの」
 正確な射撃に内心悔しさを覚えつつ、シンはやはりぼやいた。楽しそうにしているルナマリアやメイリンを見るとアカデミーを思い出
した。あいつら、もうここは戦場だっていうのに。
 あの人は戦士だ。
 パトリック・ザラの子。あのMSに乗った時に分かる歴然とした才能の差。彼は力ある人間だ。なのに一体、アスハの御守などに落ち
着いて何をしているんだ。
 考えていたら生まれた苛立ちに、シンはアスランの元へ歩き出した。
「……何よ、シン。邪魔しないで」
 たどり着くと、口を開く前からルナマリアに露骨に嫌な顔をされる始末である。
「貴方は」
 ルナマリアを無視して、シンはぶっきらぼうにアスランに向かって口を開いた。
「貴方はどうするんです?」
「え?」
 唐突な質問にアスランは射撃用の銃をおろして、シンを訝しげに見やった。
「オーブ、戻るんでしょう?ミネルバはこのまま、オーブに降りるようですよ」
 シンは眼光鋭いまま、続ける。アスランの中途半端な動揺に益々訳も分からず苛立ちながら、それでもシンは言い募った。
「貴方はどうしてオーブに戻るんです?」
「それは……」
 目を逸らさずに言ったが、アスランは居心地悪そうに目を細めた。シンは嘆息して、顔を振ると背を向けて歩き出した。
 背後でぶつくさとルナマリアが文句言うのが聞こえたが、シンは立ち止まらない。

 心に歪が生まれた気がした。
 どうしてだ。
 力がありながら、それを使わずに戦わないでいるなんて。

 才能があるのに。強さを手にしているのに。
 いつしか、憧れよりも打ち勝ちたい気持ちの方が大きいことにシンは気づいて、俯いた。

「シン」
 不意に聞こえた声にシンは顔を上げた。廊下の向こうにレイが手招きして立っていた。
「……なんだよ」
「いや。少し気になることがあってな……」
 レイは思案するように顎に手を当てて、不可解そうに黙っているシンを見返して漸く口を開いた。
「シンは、オーブをどう思う?」
 その言葉に思わずシンは眉を顰めた。
「なんだよ?今更、俺に」
「そうではない。少し懸念があってな。国を知る者の意見が知りたく思っただけだ」
「懸念?レイ、何ジジむさいこと言ってんの」
 鼻で笑って言うシンにレイは表情ひとつ変えずに、目を伏せた。
「お前は平和でいいな」
「ちょっどういう意味だ?」
「そのままさ」
 やれやれと肩を竦めて歩き出すレイにシンは慌ててついて歩く。
「……ユニウスセブン落下テロ、地上に漏れていないといんだが、もし知れていたとしたら」
 レイの言う懸念は重く、抗い難いものだった。
 圧し掛かる嫌な空気にシンは立ち止まった。
「まさか、そんなの」
「だといんだが」
 有り得るならば、レイの言う懸念の先は闇だ。
 開戦という名の、闇と成りうるきっかけになるだろう。そして、今ミネルバはその地上へと向かっている。
「オーブは……中立を未だ謳うボケた国さ……」
「そうだな。俺の考えすぎだ、忘れてくれ」
 レイは短く言うと、片手を挙げてすぐに先を歩いていってしまう。残されたシンは立ち尽くし、暫く動くことが出来ずにいた。
 ただの、一部のコーディネーターのしたことだとしても。
 それはナチュラルに対する、コーディネーターの思いがしたことに挿げ代わる。

 シンはまたも、ユニウスセブンが落下する中で聞いた男の台詞をアスランの背に重ねながら思い出すことになった。

 

 

 

 

 

 

「おい、見ろよ」
 指をさしたスティングはいつもより興奮しているようだった。あまり感情を表に出さない彼には珍しかった。
「これが流れるんだってよ」
「うへえ。まさに、火種ってやつじゃん」
 アウルが面白がるように画面を乗り出して眺めていたが、ステラはまるで見る気になれなかった。そこには先刻の星が堕ちる業火が
映っている。ご丁寧に、コーディネーターの台詞入りだ。
 艦から見下ろしていたステラだが、まさに地獄だと思った。あんなものを地球に落すなんて。
 ステラたちを、全部消してしまうつもりなんだ。
「……ねお、」
「どうした?ステラ」
 モニターに夢中の二人から離れて、ステラは小走りに背後に立っていた男に近づいた。そっと優しい声音で返事してくれるのは、ス
テラたちの隊長であり、司令官であるネオ・ロアノークである。
 その素顔は仮面の下で、いつでも穏やかなこの男が何を思案しているかはこのガーディー・ルーで把握している者はいないだろう。
「たたかい。はじまる。これ。こわい」
 ステラはネオの軍服の裾を引っ張って、呟いた。
「そうだな……だからこそ、戦うのさ。そうしなきゃ、終わらない」
「……こわいの、おわらない」
「ああ。だから、頑張って終らそうな」
 ネオはステラの小さな頭にぽんと手を載せると、優しく髪を混ぜた。その優しい強さにステラは頬を上気させて微笑んだ。大きくて
温かい手。ステラの大好きな手だった。
 でも、その言葉は少しだけひっかかった。
 おわる。
 戦争がおわる。ステラも、おわる。
 どうして、あの時、アウルは泣いたんだろう。
「もうすぐ暴れられるってわけだな!」
 アウルは楽しそうに腕を鳴らして飛び跳ねていた。それを見て、ステラは不意に首を傾げた。
 アウルが泣く?泣くわけないではないか。
「おい、ステラ!今度こそ、白いヤツ。ぶっ潰せよ」
「ん」
 目を細めてステラは頷くと、ネオの裾を掴んでいた手に力を込めた。
「ステラ?」
 ネオはそっと窺うようにステラを覗きこんだ。その口元に浮かんだ微笑みは優しくて、柔らかい。研究所にいたどんな大人よりも優しい。
そのことに嬉しくて心が一杯になった。
 ステラだけを見つめてくれる瞳。どんな色をしているのか見えないことが残念だったが、その仮面の瞳に映る自分を見てステラは微笑んだ。
「なんでも、ない」
 顔を振って、ステラはその手を離した。
「そうか。では作戦会議といこうか」
 ネオは言うと、作戦の入ったディスクを手に取って司令室へ向かう。適当に返事したアウルとスティングが後をついて出ていく。
「……なんでも」
 理由なんてない。
 呼びとめることも、その手を放したくないことも、その瞳に映っていたいことも。
 けれど、理由が必要なのだ。
 いつでも、何もかもに理由が要る。なくては、何もできない。してはいけない。

 そう、ステラには存在するその「理由」がなくてはいけないのだ。

 

 

 

 

 


<ミネルバはこれより、オーブ連合首長国に寄港します。全クルー配置につき点検終了次第、港ロビーに集合してください>
 艦内に響くアナウンスにシンは顔をあげた。
 インパルスのコックピットで配線とプログラムを確認していた為、パイロットスーツのまま額の汗を拭ったシンはそっと周囲を見回した。漸く
陸地に降りれる目処のたったことに喜ぶスタッフの姿が見え、ドックに安堵の空気が漂った。
(……皆、息抜きができるな)
 ヴィーノとヨウランが手を叩いて喜ぶ姿を見つけて、シンは苦笑した。
 あんな風に素直に喜べる友人達が羨ましく思え、複雑な気分になった。自分もああしてこの国に帰ること喜びたいと心のどこかで思っていたの
か。そんな気持ちが未だ、己の中に残っているというのか。そんな疑問が湧いて留まった。
「シン!久々の陸だぞ、着いたら遊びに行こうぜ」
 見上げたヴィーノがシンに向って元気よくそう言った。聞こえていたがシンはコックピットから顔を出さずに聞こえないふりをした。
「ヴィーノ、艦長が呼んでる」
「あ、うん。なあ、ヨウラン。シンってコックピットの中だろ?」
 作業用のキャップを取りながらヨウランは同じようにインパルスを見上げる。
「そのはずだけど……まあ、あいつ夢中になったら一直線だからね。聞こえてないかもよ」
「確かに」
 遠のいていく二人の会話に、シンはそっと息を吐いた。

何もかもなくして、一から作りだした今ある自分の居場所。それはとても居心地のいい場所だ。シンはアカデミーで出会った仲間を心から愛し
ていたし、切磋琢磨し苦渋を共に呑んできた友であると信じてやまない。
 けれど、こんな過去の弱い自分は消えさった居場所と共になかったことにしてしまいたかった。もう、あの焼け野原にいた自分はそこにはいな
いのだと思いたかった。その為には、こんな弱さを見せたくは決してない。
 弱い。
 そうだ。僕は弱い。
 弱すぎる僕では駄目なのだ。戦うことが出来ない。
「なあ、インパルス。お前はさ……怖くないのか?相手のMSとかさ」
 背を沈み込ませたシートに身を任せ、シンは呟いた。静まり返ったコックピットにシンの呟きが虚しく響く。
「俺、すぐ無茶するし、いつも悪いなって思ってるよ。でもさ……本当は、」
 目を閉じて、じっと息を殺す。
 景色の映らない目の前のモニターは灰色でどんよりしていた。いつもの排気音、機動振動、爆撃の騒音がまるで嘘のようだ。
「怖いんだ。怖くて怖くて……だから戦ってる」
 ゆっくりと操縦桿を指でなぞって、シンは確かめるように動かす。
 幾度もシュミレーターで戦闘訓練をした。このコックピットも自分で整備する為、目を瞑っていても触れるほどだ。それでも、このMSが稼働
するとまるで知らない生き物のように感じた。すべては己の手足と思え、そう教わった。見つめるものも、触れるものもすべて。すべてが己の手
足で、己自身なんだと。
 それは、MSが人を殺し破壊するのではないということだ。
 兵器が罪なく、過ちを犯し誰も裁かれないということではないということだ。
「この手がどんどん染まってくのに、何も未だ変えられやしない」
 閉じた瞼を開いて何も映さないモニターに、家族の姿を思い浮かべた。
 父さん、母さん……マユ。
 ごめんな、マユ。俺、教師になるどころかこんなところまできて、名も知らない敵と戦って人を殺めてる。もう、夢とかそんなの言えなくなっ
てしまった。
 マユは、今の俺を見たら何て言う?
「情けねー……」
 シンの呟きは虚空を舞い、誰にも届かず消えていく。
 無意識にシンの手は再び操縦桿を動かしていた。
 
 風の音がして、小波の寄せては返す音がする。
 青い空、同じほどの色をした海。

 気づくと、頬にさらさらと流れていく金の糸。

 君は。

 瞬くと、その先に赤紫の双眸がじっと何も宿さずにそこに在った。


「……っ!」
 ぜえぜえとシンは肩で息をして操縦桿から手を離した。
 なんだ?
 一瞬にして駆け巡ったのは、確かにあの時見たものだ。ガイアに触れて、捕獲しようとしたあの瞬間。
「なんだってんだよ……」
 その後、何度触れてもその映像が浮かぶことはなかった。

 

 

 


 


 カガリは無表情にもなれず、耐えがたい不快感にただ眉を寄せた。
 手の中にある書類は、ご丁寧にもつらつらと書きならべられ、刻印まで押してある。この国の補佐官たちが挙って賛成だという証である。
「……ユウナ、私は認めんぞ」
「カガリ?なにそんな怖い顔、してるのさ」
 港に来て、両腕を広げカガリを迎えたセイラン家の跡取り息子は至ってにこやかに首を傾げた。その他人事調子がまたカガリの神経を逆
なでした。
「私のいない間に何をした?」
 カガリの震える低い声にユウナ・ロマ・セイランは肩を竦めて見せる。
「君こそ、ここにいない間にどうしちゃったっていうのさ」
「ユウナ」
 睨みあう、に等しい対峙を数秒保っていると背後から足音がした。振り返ると、そこには遠慮がちに頭を下げ立っているアスランがいた。
「アス」
「ああ、アレックス君。御苦労だったね、カガリの護衛はもういいよ。まだいたんだ?」
「いえ、そろそろ戻らせて頂こうとしていたところです。代表に任務完了のご挨拶に」
 紫の髪を掻きあげながらユウナは嘲笑に似た笑みを浮かべて、アスランを見返した。当のアスランはそんな視線は受けもせずに、カガリに
向き合った。
「この度は結果的にお怪我までさせてしまい、申し訳ありませんでした。オーブの情勢、大変かとは思いますがとりあえずは休養なさいます
よう。それでは」
 真っ直ぐに瞳を見つめ、アスランはカガリに業務モードで話す。隣でユウナがじっと二人の様子を監視しているのが分かるだけに、カガリ
はその真の言葉に返すことが出来ない。
「……君こそ、巻き込んですまなかった……ゆっくり、休めよ」
 出た言葉はぎこちないもので、カガリは情けなくも泣きそうになった。
「は。それでは」
 アスランはすぐに身を翻すと、港のロビーを歩き去ってしまった。
 一度も振り返りもせず。
「カガリ。その書類、後は君の承認だけだ。いいね」
「ユウナ!こんなものに押せるわけがないだろう?彼らはっ」
「静かに。ここでそんな無神経なこと、言っちゃいけない」
 ユウナはカガリの肩にそっと触れて、耳元に囁くように言った。
「僕は難しいことは、よくわからない。親父や年寄連中にそういうのは任せればいい。しかしね」
 冷たくて、低い警告。カガリにはそう聞こえた。
「中立、という言葉を曖昧という言葉と勘違いしては、いけないよ」
 反射的に反論の声を上げようとしたそのカガリの横を通過する者の姿があった。
 動揺を隠せない、憤りを抱えたままカガリはそちらに目をやった。
「……どーもー」
 ぺこっと頭を下げて、通り過ぎて行く少女はあのミネルバのパイロットだった。連れ立った二つくくりの少女も遠慮がちに頭を下げているの
が見えた。
 嫌なタイミングで遭遇してしまったとカガリは口唇を噛んだ。
「束の間の休養ですね。我が国で少しでも鋭気を養って下さいね」
「ありがとうございまーす」
 芝居がかったユウナの台詞にルナマリアは愛想良く返事すると、連れを急かす様にして通り過ぎた。
「……彼は一緒ではないのか?」
「はい?」
 思わず声を掛けたカガリに後ろにいた少女が振り返る。
「メイリン、行くわよ」
 メイリンと呼ばれた少女は窺うようにカガリを見て戸惑っていた。
「いや、何でもない。ありがとう」
 顔を横に振ってカガリは微笑んだ。彼女たちに聞くことではないし、きっと彼の思いにこの子たちも賛同なのだろう。呼び止めて聞いたって
教えてくれる気がしなかった。
 ミネルバで出会ったあの赤い瞳が忘れられず、カガリの脳裏に焼き付いている。
 劫火のような赤い瞳。燃えるようにカガリを見据えた、あの瞳。
「いくよ、カガリ」
 身軽に踵を返して歩き出すユウナの背をカガリは虚ろな目で見送った。
 こんな現実、こんな因果、いったいどうすることが己にできるというのだろう。

 カガリは無言で手の中の書類を見下ろした。

 

 


 

 

「シン。行かないのか」
 抑揚のない声でレイは軍服の上着に腕を通しながら言った。向かいのベッドでシンは天井を見つめたまま動かない。
「……俺は整備があるからドッグにいく。ちゃんと飯くらい食え」
 言うだけ言うと、レイはドアへ向かう。
 ちらりと返事のないシンを見やると、ぼうっとしたまま、やはり天井を見上げていた。インパルスの調整を終えて部屋に戻ってからずっと
ああだ。
 着替えもせず、ああしてずっと何か考え事をしていた。
「もう、二度とないかもしれないんだ。降りるなら、降りろよ」
 どうせ聞いていないのなら、とレイはお節介の一言を置いて部屋を出た。
 同室の仲間を案じているのではなく、レイとしてはあの空気が好きではなかった。行くなら行く、行かないなら行かないではっきりすれば
いい。
 いつまでもああしていても、何も解決しないのだ。
 そこまで考えて、レイは苦笑した。
(俺は兄貴か)
 顔を振っていつものポーカーフェイスに戻ると、レイはドッグへと早足に向かった。

 


 
 レイの遠ざかっていく足音に、シンは漸く寝返りを打った。
 珍しいこともあるものだ。あのレイ・ザ・バレルが気遣うなんて。あんなによく喋るなんて、知らなかった。
(……オーブに、戻ってきたのか)
 シンは枕に顔を埋めながら、起き上がることも億劫な憂鬱をなんとかしたくて息を吐いた。
 詰まるところ、自分がどうしたいかわからないのだ。
 
 昔とは違う。
 オーブも、シン自身も。

 悩むのなら、いっそ見てみればいい。その変った様を。
 それが自分にどう映るのかを。

「行くか……」
 徐に呟くと、シンは起き上がって着たままだったパイロットスーツを脱ぎすて、シャワールームに向かう。
 うじうじしたって仕方ない。
 さっぱりして、見てみようではないか。
 
 カガリ・ユラ・アスハのいう、お父様が守った国というものを。

 

 

 

 


 久々に降りた地上は、やはり重力という錘のような感覚がしてアスランは目を伏せた。
 宇宙に生れ、宇宙で育ってきたアスランにとって、この感覚は「郷愁」ではない。父とは違う道を選び、その先の未来にいるという
自覚を生むものだ。
 あの大戦を生き抜いて、キラやカガリと辿り着いた未来だ。ナチュラルもコーディネーターも関係ない。かつては討ち合った者ばか
りで、再び歩き出したのだ。
 その決意に彼女の存在は大きかった。気が強くて、いつでもアスランの背を叩くあの快活な少女。
 けれど、別れ際に見たそのカガリの瞳が気になる。
 あの感じだとまだ彼女らしくもなく、色々と悩んでいるのだろう。側にナイトのように佇んで、アスランを浮気相手でも見るように
監視していたユウナの目も気に入らない。
「だからって……俺にはどうしようもないけどな。アレックスだし」
 アスラン・ザラとして彼女の隣にはいることができない。
 コーディネーターとしては、カガリと存在することは結局できない現実。あのユウナのことも、親同士の決めた婚約でそれが抗いよ
うのない国家というものの枷だということも、良くわかる。
 かつてはアスランにもラクス・クラインという親の決めた許婚がいたものだ。
「馬鹿馬鹿しい」
 いつから、そんなに物わかりが良くなった?
 彼女はオーブ代表だがら仕方ない?

 ふざけるな。
 それが突き進んだら、きっと父と同じだ。

「これ、下さい」
 アスランはショーケースの中にある質素な銀のリングを指す。
「それから、この石をあしらってほしい」
 首に掛けたかつてカガリにもらったお守りの石をアスランはそっと差し出す。自分を映し揺らぐように輝く赤い石に、アスランは目
を細めた。
 縛り付けても、閉じ籠めても、君は思い通りになる女じゃない。
 だけど、俺だって男だ。

 情けないまま、引き下がるのは性分ではないのだ。

 

 

 

 

 シンは私服のシャツとGパンを身に付け、昔から着慣れたジャケットを羽織るとスニーカーに足を突っ込み、深呼吸した。見やった
鏡の中に映る自分の顔に、憂鬱になる。
 なんて顔だ。シン・アスカ。
 顔を横に勢い良く振って、シンは両頬を手のひらで叩くと、少しはねた癖毛を手櫛で直して部屋を後にした。
「……まさか、戻ることがあるなんてな」
 シンはポケットに入れたピンクの携帯を握り締め、目を伏せた。
 あの日以来、祖国を良い思い出として思い出したことなんてなかった。フラッシュバックするのは、爆音と瓦礫の残骸、そして森を
焼く炎と全てが朽ちていく臭い。その記憶はシンの中で立派なトラウマとなっていた。
 昨日のことのように思い出すその消えない時間に、いつまでももがき苦しむ己自身がいる。そう自覚する度に幾度、その情けなさに
苦しんだことか。その空しさに何度挫けそうになったことか。
 なあ、父さん。
 父さんならわかるよね。本当の僕は昔からどうしようもなく弱くて、踏み出すことが苦手で……誰かを傷つけるくらいなら、自分が
我慢した方がよっぽど平気だった。そんな僕に、父さんは良く言ったね。
“時にぶつかる必要だってあるんだぞ。男の方が強いのには理由があるんだ、シン”
 守る、戦う。そのことに「力」は必要で、時には傷つけあってでも分かり合う必要があって。それでも僕は怖かった。ぶつかること
で血が流れるのも、心無い言葉を吐いてしまうことも。
「そんな俺がMSに乗ってるんだ、父さん」
 強くなれ。お前は男の子なんだから。
 そう言った父の笑顔に似た優しい厳しさが、今も胸を占める。操縦桿を握り、その引き金を引くとき叫ばずにはいられなかった。い
つでも発狂しそうに苦しい。
「強くなくちゃ……なにも守れやしないんだ」
 呟く声に知らず力が篭った。
 港で借りたバイクを走らせながら、シンは流れ行く景色など目にも入れずにひたすら前だけを見つめて思いに耽っていた。
 
 立派な港に綺麗に舗装された道路、高速を走りぬけ見えてきたその先のオーブ本島から少し離れたオノゴロ島が見えた。それは以前
と変わらず緑に包まれた豊かな島に見える。
 あの惨劇の跡はまるで見当たらなかった。
 


 バイクを降り、そっと海岸沿いに見当たる公園にシンは足を進めた。
 綺麗に整備された海浜公園は浜にそって続き、緩やかな丘を背に広がっていた。歩き続けると、その丘が少し抉れたような丘陵になっ
てそこに在った。
「……これ……」
 立ち止まって、その丘をシンは見上げた。
 コンクリートで整備され、斜面には木や花壇が並び、そこは争いとは全く無縁な一部となっていた。
「なんだよ……なんだって」
 握り締めた拳が痛いほどだった。
 ここでシンは声が枯れても喉が裂けても、泣き叫んだ。永遠かと思うほど、泣いた。一瞬にして起こったことに反応もできず、理解
もできず、それなのに手にした妹の真っ白な腕に現実を突きつけられた。
 あの悲惨な惨劇の場所ですら、なかったことのようになっている。この場所を見て、誰がそんなことがあったと思うというのだろう。
 あと少し、あと少しで軍港だ。そう励ましあって家族とこの森を抜け、海岸に出ようとした。それがここだ。あと一息でという所で
あの爆撃が起きた。
 この携帯が丘を転がり落ちて、シンが拾いに行き、見上げた。
 振り返った時には、そこには何もなくなっていた。
「なのに……忘れろって……言うのか!お前達は……っ」
 シンは止まりようのない怒りを抱え、握り締めた携帯を震える手で開いた。
『マユでーす!ごめんなさいっ今、マユはでれません。お話のある人は……』
 海からやってきた風がシンの頬を掠めて、マユの声を攫っていく。
「消すっていうのか……俺を。俺たちを……」
 怒りが憎悪に変わり、暴れだしたいほどなのにシンの体は反対に動かなくなっていく。震えるまま、成す術もなくシンは乱れない煉
瓦の畳に膝をついた。
 何も変わっていない。こうして、途方に暮れて絶望して、俺はあの時ここにいた。
 そして、今も。
「マユ……会いたいよ、お前に」
 大事にしていた携帯。繋がっていたいのだと笑った妹。必死に落した携帯を取りに行こうとした妹を見て、安心させたかった。この
状況は打開できなくても、シンにも出来ることがあるのだと見せて安心させてやりたかった。
 また、空の下で笑い会えるよねと言った妹の笑顔を守りたかった。
 
 石畳に力なくシンは拳をついて、俯いた。
 煉瓦を濡らす己の涙に、シンは我に返って腕ですぐに拭った。
「あ……」
 風に乗って、女の人の柔らかい歌声が聞こえた気がしてシンは導かれるように立ち上がった。つられるようにその方向へ歩いていく
と、海岸が少し突き出た道のようになっておりその先に小さな石碑のようなものが見えた。
 そして、そこには一人の青年が佇んでいるのが見える。
「……」
 シンは歩み寄り、波のざわめきを聞きながらその石碑を見下ろした。小さく、質素に誂えられたその石碑には丘と同じく花壇があし
らわれていた。
 寄せては引く波が時折、石碑を超えて足元を濡らした。
「慰霊碑、ですか」
 動かない青年の背に、シンはただ話しかけた。波音が雑音のようで、何か話さないとどこかへ連れて行かれそうな気がした。
「そう、みたいだね。でも僕も初めて来たから……よく知らないんだけれど」
 振り返らずに答えた青年は、穏やかな声音でゆっくりと言った。シンとそんなに歳は変わらなさそうに見えたが、その落ち着いた
雰囲気にシンは少し驚いて瞬いた。
「ちゃんと……自分で来てみたかったんだよ」
 消え入るほどの声で青年は続け、そっとシンの方を見た。その薄紫色の静かな双眸に息を呑む。
「ただ、せっかくこうして緑や花でいっぱいになったのに……波を被って可愛そうだね」
 青年は悲しそうに少し微笑んだ。視線の先には波を被って萎れた花や根が見える。波は無常にも、幾度も寄せては返す。永遠に。
「誤魔化せない、ってことじゃないですか……」
「え」
 シンは真っ直ぐにただ石碑を見据えて言った。揺るがない声で。
「人は……いくら綺麗に咲いても、人は何度でも吹き飛ばす!」
 口の中に苦い思いがあふれ出す。シンは憎しみの滲む瞳で石碑を睨むと、目を伏せた。
「君は」
 再び開いた視界に映った青年は不審そうな表情でシンを見返していた。
 当たり前だろう。慰霊碑の前で、拳を握り締めて憎むように睨むなんて。それでもシンはそれ以上、何も口にしなかった。背後か
らまた聞こえてきた歌声に、振り返るとそこには桜色の髪を靡かせた女性が目に入る。
 こちらに気づいて立ち止まり、歌うことをやめたのを見てシンは踵を返した。
「あ、」
 呼び止めるような気配をシンは知らぬ振りをして歩き出す。
 可愛そう。
 そんなことで片付けたりしない。

 綺麗な花や緑で覆ったって、俺は忘れはしない。なかったことになんてしない。
 幾度でも波が曝け出させばいい。

 そこで起きたことを。
 そこで失われた命を。

 

 


 

 ラクスは通り過ぎていく少年を見送り、そっとその先にいる青年に視線を移した。
 あの少年。なんて悲しい瞳をしていたのだろう。
「キラ」
 歩み寄ってきた青年は微笑むと、ラクスの肩に手を置いた。
「……大丈夫。ただ……」
 言って、キラは去りゆく少年の小さくなった背中を見やった。
「真っ直ぐで、綺麗な目をしているのに。なんだか……思い出したよ。昔、みんなあんな瞳をしていた」
「そう、ですわね」
「世界は、変わっていける……なのに」
 キラは目を細め、もう微かにしか見えなくなってしまった少年の背を見つめた。あの背に圧し掛かる現実はどのようなものなのか。
それを知ることはできないし、今後も知りうることはないのだろう。それでも、彼の言った言葉が消えずに響いていた。
 人は何度でも。
 
 そうであるだけが全てではない。
 本当に僕達が戦わなくてはならない相手とは、なにか。

 その答えも出せぬまま、今も時間だけが歴史を刻んでいくことにキラは目を伏せた。

 

 

 


 描きたいことの何分の一がかけているのかすら不安な今回。

くらいですね・・・、つづく。

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