「ネオ!話が違うじゃないか」
 アウルはこれ以上にない剣幕さでネオに食って掛かった。側にいたスティングも不満があるようで止めには入らず睨んだままでいる。
「そう怒るなよ。お偉いさん方がどうしても、デモをしたいそうなんでな。我慢してくれ」
「なんだよ!!それっ」
 噛み付く勢いのアウルだが、ネオは涼しい態度で軽く笑って見せた。
「ザムザザーを試したいんだそうだ」
 そのMAの名にスティングが眉を寄せる。
「強化リフレクター搭載ってやつか」
「そうだ。まあ、試験運用だ。傷を癒しきらないミネルバがどう反撃してくれるか……楽しみだね」
「はっ、やられてお仕舞いさ。なんだよ!俺が沈めてやろうと思ってたのに。仕留め損なったものを他のヤツらに取られるなんて、マ
ジむかつく!!」
 苛つきながらネオの服を掴んだ手をアウルは離し、近くの椅子に乱暴に腰を下ろした。艦の窓から見える向こうの湾内でもうすぐ戦
闘が始まるというのに、なぜ指を銜えて見てなくてはならないのか。
「どうかな?私はやられない方に賭けるぞ」
 ネオは不敵に笑みを浮かべると、アウルの睨むほうを共に眺めた。
「乗った。俺も握る。ミネルバの勝利に」
 不機嫌を払拭したスティングが皮肉な笑顔を浮かべて賛同した。
「あんだよ?スティングまで」
「やられてもらっちゃ、困るんだよ。ファントムペインの名に傷がつくさ」
 確かにあの艦にはいいようにやられてきているのだ。叩くなら自分で叩きたい。アウルは短く溜息をついて、ポケットに手を突っ込ん
だ。
「じゃ、俺もミネルバにかける」
「おいおい、賭けにならんだろう」
 ネオは可笑しそうに喉を鳴らすと、無邪気に窓の外を眺める少年達に心の中で嘆息した。戦争というものの中にいて、戦争というもの
でしか生きていく場所がない彼ら。
 それは同情よりも、別の感情を生んだ。
 そうして「知らず」に作り出され、それが「すべて」だと信じることはどんな人生なのか。好奇心に近い感情だった。ネオは近くにい
てその彼らの強さの裏打ちは、信じる思いだと肌で感じている。
 人間が人間を操ったり作り出したりなんて現実、ネオにとって吐き気がしたが、それでも彼らは人間として魅力のある人物だった。偏っ
てはいるが、その辺りの少年少女と……。
「変わらない、わけはないか」
 思わず一人独ちるが、もう戦闘のことで頭がいっぱいの二人には聞こえていなかった。
 そう、その辺にいる少年少女は人を殺すことを楽しんだりはしないのだ。

 

 

 海のほうからやってくる風は、匂いがした。
 ちょっとむずむずする、そんな匂い。

「ラ、ララ……」
 ステラは甲板でひとり三角座りをして、思いつく歌を口に乗せ、じっと遠くを見つめていた。海がずっと続くその先に微かに島が見え
る。
「オブ、おう、ぶ」
 遠くの緑をなぞるようにステラは指を動かす。
 綺麗な緑色。絵本の風景でもあんなに綺麗な色じゃない。やっぱり本物は違うのだ。ステラは嬉しくて目を細めた。
「……行って」
 みたいな。
 ステラは自分の膝に顎を乗せて、瞬きも忘れてその島を見つめていた。ぷかぷか浮かぶ島に住んで、可愛いお家を建てて、一日中ずっ
と海を眺めて過ごす。そんなことが出来たら、夢のようだ。
 そこまで至って、ステラは首を傾げた。
 夢のよう?
 何を言っているんだ。夢のように幸せなことは、敵を全部壊してなくして戦って終わらせることだ。MSに乗らずにただ暮らすだなん
て。発狂してしまう。
「あ」
 まさにその時だった。
 綺麗な緑色の島の先で、真っ赤な炎と爆音が響いた。

 

 


 

 

 


<地球軍は本艦の出航を知り待ち伏せていたと思われ、また後方のオーブの門も閉ざされてる。まさに、背水の陣どころか……背にも
敵がいる状態である>
 艦内アナウンスにタリアの声が無常に響く。警告音と対照的にとても静かな声だった。
<これより、ミネルバは地球軍艦隊を突破し、その活路を見出す。それ以外に道はない。これから開始される戦闘はかつてない厳しい
ものになるが、我々の信念を信じて必ず突破する!>
 タリアの凛としたその命に誰もが心を律した。しかし、駆け出しのミネルバには若い乗組員と実戦戦闘に慣れていない者の集まりに
等しく、艦内の動揺は隠し切れなかった。
 そこに追い討ちをかけるかのような整備不良と物資不足。カーペンタリアへ補給に向かう予定の艦が、どうして空母四隻とオーブ軍
を相手に対等に戦えるというのか。
 アナウンスを聞いていたシンは、みんながざわつく中、一人怒りに震えていた。
「……結局、そういう……ことかよ」
 怒りを通り越して笑えそうだった。声にすると震えた。腹から込み上げるどす黒い憎しみにシンは大声で笑い出しそうだった。
「シン、行くぞ」
「ああ。レイ、艦は任せる……俺が一機残さず叩き落してやる……っ」
 冷静に告げ、ザクウォーリアに向かうレイの背にシンは唸るように返した。
 そうだ、やるしかないのだ。力がある、力があるのなら戦わずしているわけにはいかないのだ。
(ああそうさ。悔しいよ。カガリ・ユラ・アスハ!俺は、悔しいさ!!それでもオーブが好きだったよ。信じていたさ)
 大西洋連盟との同盟だって、それでもカガリの出した選択肢に少しでも信じる気持ちがあった。そう今自覚する。


 敵に回るっていうなら、こんな国俺が滅ぼしてやる!!


 後悔なんてしていない。
 言った気持ちに嘘も偽りもない。戦わないと言ったり、今度は武力を持った連中と同盟を組んだり、上の連中だけが身の保身に忙し
く、結果どんな形であれ民はそっちのけなのは変わっちゃいない。
 守りだろうが、攻めだろうが、結局オーブは国を焼くのだ。
「滅ぶということが物理的なことだけだと思うなよ……アスハ!」
 心も、信念も滅ぶのだ。
 こうしてシンの心が砕かれ、憎しみに散るように。
「やってやるさ」
 迷いも恐怖もなく、インパルスに向かうのはこれが初めてだった。

 

 

 

 


「まずいわね」
 タリアは親指を噛み、悔しそうに呟く。
 なぶる様な砲撃の仕方、何機ものウィンダムの発進、後退し少しでもオーブの海域に戻れば後方から撃たれる。この上、何かしてくる
つもりなら明らかにこちらには手数がなかった。
 だが、このやり方。何かしてくる。
「……ウィンダムと空母以外の……」
「館長!!センサーに熱源確認、不明機ですっ」
 悲壮な顔をしたメイリンが振り返って、タリアに告げる。
「不明ですって?映像でないの!」
「光学映像、出ます!」
 そこに映し出されたのは、巨大なモビルアーマーであった。大きく、ずんぐりとした機体は波を蹴りたてて突き進んでいた。
「あれに取り付かれてはまずいわ!タンホイザーの準備を!!」
「かっ艦長、あれを大気圏内で使用すると汚染が……」
「もう十分に海域を汚染してるわよ!死にたいの?」
 副艦長であるアーサーはタリアの一喝に瞬くと、すぐに声を張り上げて準備をせかした。息をつく間もなくタリアは前方の画面に向か
い叫んだ。
「タンホイザー、ってえー!!」
 ミネルバの誇る陽電子粒子のビーム方砲である。その威力は光線となって海を割り目標へと一直線上に向かった。眩い光が衝突し、水
飛沫の霧の中、タリアは目を凝らした。
「……メイリン、シンに通信を」
 知らずと声が掠れたがタリアはなんとか言った。
「戻るように!シンに!」
「はっはい!!」
 メイリンは目に涙を浮かべて返事する。
 操作する手が震えるのに、メイリンは青ざめて瞬いた。戦争をしている、そう実感するのに十分すぎる状況だった。
(お姉ちゃん……勝てるの……?ミネルバは)
 爆音と銃撃の止まないその光景に、無傷のMAがミネルバのブリッジをひたすらに悲愴にさせた。

 


 鳴り止まない爆音と砲撃による水柱に、ルナマリアはたじろいでいた。耳元ではブリッジの悲痛な声が聞こえてくる。先ほど見えたあの
モビルアーマーは、無傷だということをルナマリア自身も艦の上から見た。
 どうしようもない恐怖と焦り。
 撃つ手は止めはしない。けれど、どうすることもできずオーブの方へと結果押し戻されているミネルバの上で、大した抵抗もできない。
ハエの様に集るウィンダムは何機落してもきりがなかった。
「シン!聞こえる……?!」
 上擦る声を何とか抑えて、ルナマリアは通信機へ叫ぶ。
「シンったら!!」
 応答のない同僚に苛立って繰り返し叫んだが、反応はない。もう一度叫ぼうとしたところに背後で同じように右舷を援護していたレイか
ら通信が入った。
<ルナマリア、今はシンも空中で無理だ。あのMA、俺たちがなんとかするしかない>
「そっそうは言ったって!タンホイザーが効かないのよ?」
<……わかっている。だが、この艦に取り付かせれば終わりだ。やるしかない>
 黙るしかなかった。事実だが、宇宙ではないこの重力下ではルナマリアのザクウォーリアもレイのザクファントムも海戦には弱い。この
装備ではウィンダムを凌ぐのさえ、無理があった。
「っくう!もうっなんなのよ!さっきまで……」
 友だと。
 救いあう同志だと。

 あのカガリという代表をここに乗せて帰国してやったではないか。
 それが。

「何よ……何の仕打ちよっ」
 ルナマリアはミネルバの後方にこちらに砲撃を向けて並ぶオーブ艦隊を見やって、吐き捨てた。前方にいる地球軍よりずっとそっちのが
気に入らなかった。
 怒りに任せて、手当たり次第に撃ち落とすが、ぬっと海面から現れたMAに息を呑む。
「レイ!!」
 思わず二三歩退いてルナマリアは叫ぶ。
<俺が行く!!>
 タッチの差で聞こえたシンの声にルナマリアは顔を上げた。
「シン!」
 艦後方に砲塔を受けたMAにシンのインパルスは真っ直ぐに飛んで切りかかった。掲げたビームサーベルが煌々と光を放ち、海面ごと切
りつけた。
「……やったの……?」
 水の霧が明けるとそこには無傷のMAが前進してくる機影が見える。
 ルナマリアはどうしようもなく撃ち続けながらこれは絶望的だと、そう思った。

 

 

 

「ユウナ……!!」
 カガリは地を這うような声で、モニターを眺めて薄ら笑いを浮かべるユウナを見て唸った。
「これはなんだ、なんだっていうんだ!!」
 しかしその背は答えず、モニターを眺めたままである。
 そう、ミネルバが挟み撃ちにあっている、その戦場の映るそれを。
「聞いているんだ、答えてくれ」
 ぎりぎりと拳を握り締め、カガリは言い募った。手の中で愛しい人のくれた守りがカガリに勇気をくれる。目をそむけてはいけないと、
お前だけでも戦えと、そう耳元で囁かれている気がした。
「見たらわかるだろ?敵艦がオーブの海域を侵犯しないか見張ってるのさ」
「何故、オーブが海域に艦隊を出す理由がある?オーブの理念を忘れたのか?」
「理念?ああ、その理念に則って僕は指示してるよ。オーブは他国の侵略を許さない、だろ?」
 嫌な薄ら笑いをやめずにユウナはカガリを振り返った。
 カガリはその面をぶん殴りたい気持ちを必死で押し込めて、なんとか次の言葉を紡ぐ。
「本気でそういっているのか?争いには介入せず、だろう!なんだ、この状況は!これではオーブは自国だけが良ければそれで……」
「カガリ。もうそういう子供っぽいことを言うのはよすんだ」
 椅子から立ち上がったユウナは、怒れるカガリの肩を諭すように掴んで寄せた。
「……オーブはね、大西洋連邦と同盟を結んだんだよ?どういう態度で挑み、その姿勢を見せなきゃならないか。わかるだろ?」
「彼らは敵ではない!」
「地球軍の敵さ」
「ミネルバは私を救ってくれたんだぞ!その為にオーブに寄ってくれたのに……!」
 悔しくて涙が溢れそうになるのをカガリは必死に堪えた。ここで泣くわけにはいかない。こんなところで負けてはいけない。
「ユウナ、彼らは敵じゃない」
「敵さ。ザフトは」
 カガリはその言葉に目を見張った。
 ザフト。
 ミネルバはザフト所属の艦。地球軍が攻撃する理由、それは……ユニウスセブンの落下事件が大いに効いている。ザフトの、プラント
の意思。それが敵対する理由。
 黙ったカガリに勝ち誇ったようにユウナは言った。
「僕らは民を守る義務がある。いかなる理由があろうとも、国を侵す武力には対抗しなくてはね」
「それは……お父様のお考えとは」
「国を二度と、焼かない為に」
 カガリは二の句が告げなかった。暗に“お前の父の選択のせいで一度過ちを犯したのだ”と言われた様で、身が切られる思いにただ口
唇を噛むしか出来ずに終わる。
 海上に展開される友の艦の窮地にカガリはやるせなく瞳を馳せる。
 

「カガリ、俺はプラントに戻ろうと思う」
 決意の色を宿らせたアスランの瞳にカガリは一瞬言葉を失った。だが、長い付き合いであるかけがえのない人のことは目を背けてもわ
かってしまう。
 何を言っても同じなことはわかっていたが、カガリは呟いた。
「でも、お前……今戻れば……」
 ユニウスセブンの件で地球とプラントは良くない情勢だ。そんな状況でアスランが向こうへ行けば、ザフトに戻ることなどあれば。
「わかってる。でも、見て見ぬふりはできない」
「……でも」
 カガリは口を付ついて出る本音を何とか飲み込んで、アスランを見上げた。
「父の幻影にまだ惑わされ、踊らされている人がいるんだ。父の亡霊がまだあの宇宙にいるんだよ。俺は、俺だけがここにいてアレックス
と名乗って、誰でもない、どっちつかずな立場でいるなんて……できそうにない。世界がまた変わろうとしているんだ」
 アスランは苦しそうに吐き出した。
 容易ではなかっただろう告白にカガリも同じように苦しい表情になる。彼の言うとおり、皆で再び歩き出そうとそう決意した大戦から
世界はまた混乱へと転がろうとしているように感じる。
 このまま行けば、また戦争が始まってもおかしくないのかもしれないほど危うい均衡だった。
 ユウナの差し出してきた大西洋連邦との同盟がいい例だった。
「デュランダル議長は穏健派だし、会って話した感じだと悪い方向へはいかないとは思う。でも」
 カガリは湿っぽくなるのを感じて、目元を上着の裾で拭った。
「行って、確かめてこようと思うんだ」
 己の方向を。何を成すべきかを。
「だから、こんな時だけど……行くよ。カガリも大変だと思うが負けるなよ」
 優しさの滲んだアスランの双眸にカガリは飛びつきたい衝動を堪えて、なんとか頷いた。
「それと」
 急いでこぼれそうになった涙をカガリが引っ込める努力をしている間に、アスランはポケットから何かを取り出してこちらに差し出して
いた。
「これ……ユウナとのことは、わかってるつもりだけど」
 目を逸らし、ぼそぼそと言うとアスランは語尾をあやふやにカガリの手を乱暴に取った。
「なっなんだ」
「やっぱり面白くないから」
 言って、すっとアスランはカガリの薬指に細い指輪を滑らす。
「お前っそ、いや、おまえ……っ」
 綺麗に、まるで元からはまっていたかのようなその指輪の在り方にカガリは慌てふためいた。見上げたアスランは至極冷静に見える。
「こっこういう、渡し方は、ないと思うぞっ」
「……悪かったな」
 少し俯いてアスランは短く言うと、背を向けた。背後に止めた愛車に向かってもう足を動かしている。
「……ばか」
 その背は混沌に向かう不安と、迷いに満ちているように見えた。
 それを断ち切り、己の道を見定める為に一人で故郷へ行くという。その孤独な戦いは、カガリとて同じだった。
「気をつけて、連絡しろよ!」
「カガリも。頑張れ」
 少し振り返って微笑んだアスランにカガリもなんとか笑みを返す。
 そう、笑顔で別れは言うと決めている。また会えるのだから。また、会うために。

 強い風がカガリの金の髪を掬って流す。

 去り行く愛しい人の車を見送りながら、本当に一人で戦わなくてはならないのだという事実に覚悟を決めるしかないことを悟った。

 頑張れ、俺も頑張るから。


 アスラン、私はどうしようもない選択をしたのかもしれない。後戻りのきかない。
 争いを止めようとして、民を守ろうとして、その結果に私は。
「……ミネルバ」
 モニターには砲撃を食らい、左右に揺れては炎上するミネルバの姿があった。その側ではシンの操縦しているであろうインパルスが
必死の攻防をしているのも見て取れた。
 後退しているミネルバは誰から見ても、窮地だった。
「オーブ艦隊に通達して。オーブの海域を侵犯する艦は攻撃を許可するって」
「ユウナ!!」
「同じことを何度も言わせないで、カガリ。これはオーブの為だ」
 制するように言うと、ユウナは満足げに鼻を鳴らして、動けなくなったカガリの横で慄然と指示した。
「ザフトの艦に、砲撃を!」

 

 

 

 

 憎しみは、繋がりを焼き千切り、劫火が憎しみに引火し、その火種を根絶やしにするもの。

 
 シンは目の前が真っ赤だと思った。
 インパルスを駆りながら、攻撃のきかないMAを相手にしながら、幾度となくダメージを受けながら。それでも振り下ろした。怒りと
憎しみの拳を。
 煩いくらいにずっと警告が鳴り響いている。
 もうエネルギーゲージが危険域を切っていた。このままではインパルスは堕ちる。
「まだ……まだなのにっ」
 額から止め処なく汗が零れ落ちる。
 鼓動は早鐘のように打ち、操縦桿を握る手が知らずと震えた。もう銃弾も撃ちつくした。エネルギーが切れれば終わりだ。
「俺は」
 心は憎しみに占められ、視界は炎と煙で溢れ、脳裏にはカガリが過ぎった。
「信じてたなんて……それでも、それでも俺は……でも、今度こそ」
 オーブが攻撃をしてくる。
 背後から撃ち続けられる砲撃。シンには決意させる引き金となった。

 愛したオーブ。
 思い出の溢れる国。

 全てを失った。それでも、どうやら自分は国を愛していたようだった。
 裏切られたと燃やした憎しみと悲しみは、愛しているからこそのものだったのだ。

 けれど。


「礼を言うよ、言ってやるよ……!俺は、俺はあ」
 

 エネルギーゲージの臨界点。
 けたたましい警告音。

 己の中で何かが弾けて消えた気がした。
 シンは真っ白になった思考の中に、もう一人の自分を見る。

 赤い瞳が、ずんっとこちらを射抜いた。


“死にたくないんだろ?なら、殺れよ。全部殺ってしまえ!”


 動悸が大きく変化して、シンは域が止まった気がした。
 己の体が己のものではないような感覚。

「ぅあああああああああああああ!!!」
 身を裂くような痛みが頭からつま先へと駆け巡り、次の瞬間鋭敏なほどの身体感覚を得る。
「……死ぬもんか、俺はまだ……死ねない!!」
 そこから先の記憶を辿るには時間が必要だった。

 

 

 


「艦長……あいつ、やりましたよぉ!」
「そうね、シン……あの子ったら本当に」
 横で涙目で喜ぶ副艦長のアーサーに呆れた顔で見やりながら、タリアは安堵の息を吐いた。モニター上ではもう機影はない。潜航しなが
らミネルバは勝ち取った活路を走っていた。
 この戦果は紛れもなく、シン・アスカの活躍あってのものだった。
 瞬時にして指示をしてきたあの時のシン。思い出してみても、いつもとは数段違う操縦だった。
「メイリン、よく対応したわね」
「いっいえ……でも、あの状況下でシンは、凄いです。何の援護もなくオートではない換装まで……」
 あの銃撃と爆撃の中を。
「ま、何はともあれ……英雄の誕生ね!少しばかりわがままなエースだけれど」
 笑顔でタリアは凝った肩に手をやって、漸く艦長席に落ち着いて腰を下ろした。
 心にはここにいない男のことが過ぎったが、今はカーペンタリアへ急ぐことが先決である。この艦の状態はあまりに危険であり、MSも
この戦闘で整備しなくてはならない為、丸裸もいいところだった。
「ギル……これも想定内なの?それとも……」
 呟いてタリアはそっと息を吐いた。
 

 

 


「……っわっちゃった」
 ステラは甲板の手すりを掴んで身を乗り出して、つまらなさそうに口を尖らせて呟く。その声は海風がさらってすぐに消えた。
 大きな音と赤い炎、海の上は赤く染まっていた。眺めていると落ち着く気がした。あの音と炎がある限り、ステラは居場所を失くすこと
はない。あれをなくす為に戦う、その為に存在してる。
 あれがなくては、いてはいけないということと同じ。
「終わって……つまんない」
 もっと続けばいいのに。そうすればネオがステラ達にも行っていいって言うかもしれないのに。
 またあの白いヤツだった。
 
 怒涛のごとく快進撃を繰り出し、あっという間に決着をつけてしまったあのMS。忘れもしない、あの機体だ。

「ステラがやっつける」
 ステラは、もうそこにない機体を睨みすえるようにして、握った拳に力を込めた。
「ステラ」
 背後から聞こえた声に振り返ると、そこにはスティングがいた。ステラに並ぶように隣に来ると、戦闘のあった海域に目をやった。
「見てたか?」
「う」
「良かったよな、ミネルバが生き残ってさ」
 口の端だけをあげてスティングは笑った。首を傾げるだけのステラを一瞥して淡い草色の髪に手櫛を入れると、目を細めて続ける。
「俺たちの逃がした魚だ。俺たちが釣らなきゃ、な?」
「うん!」
 ようやく意味を解してステラが笑うと満足したように彼は笑った。
「……お前、あの白いヤツにえらく魅入られてるようだけど珍しいな。いつもすぐ忘れるくせに」
 スティングの言うとおりだった。戦闘でのことはあまり覚えていない。単にひたすら壊すだけなのだから、相手も何もない。消えるもの
を覚える必要なんてないし、興味もなかった。
 それでもあの機体だけは、目の前に現れるだけで燃えるような気持ちが宿った。戦わなくては、こいつを消してしまわなくてはという思
いが溢れて、ステラを暴走させる。
「どうする?あのMSのパイロットがめちゃくちゃ格好よかったら?」
「かっこ……?」
 ステラはきょとんとして聞き返した。スティングの言うことがよくわからない。
 パイロット。あの機体の?
「悪い、悪い。お前にゃ関係ないよな。ある意味、惹かれあうってんなら運命めいてるって思ったけど、ステラにゃわからねえわな」
 可笑しそうにスティングは笑って、ステラの髪を掻き混ぜた。しかしステラには理解できず、眉を寄せるばかりになる。
 ステラはスティングの手から逃れるように身を引くと、背を向け歩き出す。
「お、ステラじゃん」
 ちょうど甲板に上がってきたアウルが笑って言った。しかしステラは止まらずにそのまますれ違い、デッキの下へと降りた。
「なにあれ。どうしたの?」
「さあ」
 スティングは肩を竦めると、興味をなくしたように嘆息して今一度海へと視線を戻した。

 

 

 

 シンは一人、甲板に出てじっと、遠のきもう微かにしか捉えることのできないオーブを見つめていた。
 手を伸ばして、その手の中に緑色の島を握るようにして閉じた。

 もう。

 もうあそこにいた自分はいない。
 泣き叫び、苦しみ、縋りついた力なき自分はいないのだ。

 あそこに居場所がないのではない。あそこに居場所が必要ないのだ。

「父さん、母さん……マユ」
 囁いて、そっと目を伏せる。
 今も目を閉じれば、あの地獄のような時間はありありと思い出せたがシンにはもう迷いはなくなっていた。
「俺、それでも取り戻したかったんだ。きっと……戻りたかったんだと思う」
 オーブに。
 かつて、幸せに満ちて暮らしていたオーブに。
「馬鹿だよな……戻ったって、俺ひとりなのに」
 一人生き残った。
 俺だけが元通り、戻ることなんてどうやったってできやしない。がむしゃらにアカデミーで訓練を受け、ザフトに入る為に努力したが
心の弱い部分がいつまでも故郷への思いを断ち切れず、憎んでいるのだという思いにすり替えて今まで生きてきた。
 誰にもこの思いを吐露することもなく、ただ一心にザフトに入隊し夢に見た“力”を手に出来る日だけを目指したシンにとって、今日と
いう日はまさに晴れ舞台であり、漸く心から前進した一歩だった。
 
 今度こそ、迷わない。
 もう、負けたりない。

 憎しみに。
 悲しみに。
 自分に。

 握り締めた拳は痛いほどだった。
 シンは知らずと力の篭った拳を緩めて、肩に入った力も抜いた。漸く気を抜いて穏やかな空へと顔を上げた時、背後から足音がした。
「……シン」
 振り返って見るとそこにはレイとルナマリアが揃ってこちらを見て立っていた。
「ん、なに?」
「なに、じゃないわよ!!この、驚かしてぇっ」
「って!」
 いきなり背から思い切りルナマリアに叩かれたシンは座り込んでいた為、前のめりになってデッキの柵に突っ込むはめになる。
「なにするんだよ、ルナ……」
「いきなりスーパーエースになっちゃうんだから!もうびっくりしたわ、あのシンがってね」
「おいおい、酷い言い草だな?褒めたいのか、けなしたいのかわかんねぇよ」
「褒めている」
 ふてくされて半眼になったシンにレイが短く言った。その声音は言葉はいつもと同じなのに何故か優しく聞こえた。
「レイ……」
「シン、改めて礼を言う。助かった」
 言ってすっと手を差し出してくるレイにシンは戸惑いながら、おずおずと手を掴んだ。
「いや、俺は……ってか、よくわからないんだ。気が付いたらああなって……必死だったからさ」
 帰艦してからというもの、ドッグにいた全員に褒め称えられ、礼と賛辞を与えられたがシンには実は実感もなく、未だあれが本当に自分
のやり遂げた戦果なのかよくわからずにいた。
 だからアカデミーからのライバルであり、勝てない自分の上にいるエースであるレイからもこんな言葉を貰っても余計に複雑だった。
 そんなシンの思案を読み取ったのか、レイはその握手の手を引いてシンを立ち上がらせると、同じ目線で双眸を真っ直ぐに見据えて口を
開いた。
「間違いなく、お前の活躍のお陰でミネルバは勝ち残った」
「レイ」
「これからも、よろしくな。シン」
 シンは瞬いて暫くそのままレイの手も話せず、じっと見つめた。
 レイが笑った。俺を見て……ほんの少し、優しく。
「なぁに惚けてんのよ!あたしだっているんだからね?負けないから、シン」
 レイとシンの肩を抱くようにして、ルナマリアがぶつかってくる。自然と出来た三人の繋がりにシンは胸に熱い思いが宿るのを感じた。
それは懐かしく、とても心地いいもの。
 まだ、学校に行けていた頃に友達を分かち合った思い。そこで生まれた居場所、そしてその繋がりの名を誇りのように知った。
 その名は、仲間。
「……ありがとう」
 シンは込み上げる思いに俯いて、なんとかそれだけを言った。
「ちょっと、泣く?そこで。シン・アスカは泣き虫だったのねえ」
「っるせえ!泣いてないっ」
「エースなんだから、格好よくしてよね」
「ルナマリアは一言多いんだよ!」
 嬉しさと、温かさと、優しさに泣きたい気持ちになったが、シンは笑った。声を上げて笑うことにする。
 横で呆れたように睨むルナマリアと、それをそっと苦笑しているように見える表情で見つめているレイに挟まれながら、荒んだ心に久し
ぶりに舞い込んだ優しい風に身を任せて。

 

 


むああ。

苦悩。苦悩。

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