「はい。これ、あげる」
 ステラは微笑んで、その手にのった小瓶を差し出した。
 小さな小瓶の中は、太陽の光りを浴びて七色に光り、中の浮き草を透かしていた。
「……いいの?」
「う、あげる。きみ、このこの、おとうさんだよ」
 少し震えるまだ幼い手に、ステラはその小瓶を握らせる。期待と不安に揺れる少年の瞳はステラの知らない色で染まっていた。きら
きらと輝くその光に、愛おしさが溢れて、いつも愛しい人がしてくれるように自分もしたいと自然と思った。
 そっと、ステラはその小さな頭を撫でた。
「たくさん、可愛がってあげてね」
「うん!!ありがとう、ステラ姉ちゃん」
「お、ねえ・・・ちゃん?」
 少年は笑顔を浮かべると、小瓶を大切そうに抱えて少し離れたところにいたタリアの元に駆けていった。
「おねえちゃん……」
 耳に戻ってきた小波の声に、顔を上げてステラは微笑んだ。あんな風に笑えることの幸せ。ステラは知らないけれど、自分の
ことのように嬉しいと思った。
 タリアの元に駆けていき、自慢げに今手に入れた宝物を一番に大好きな母に見せる少年に向けるステラの視線は羨望であり
未知でもあった。けれど、少年の気持ちはよくわかるのだ。
 ステラがシンに抱く、想いにきっと似てる。そう思った。
「ステラ、本当にありがとう。この子、よっぽど嬉しいのね」
「よか、た」
 タリアは歩み寄ってきたステラを見やって、ゆっくりと微笑む。
「この子ね、とても人見知りなの。それなのに、貴方の話したらどうしてもって……迷惑じゃなかった?」
「ううん、うれしい!」
 以前、タリアやミネルバのクルー達がステラハウスに来た時、水槽の小魚を見てタリアが感動したのを今でも覚えている。そ
れを息子に話したのだと嬉しそうに教えて貰えたのだ。そして、譲ってくれないかと電話が掛かってきたのである。
「ステラ姉ちゃん、僕の家に行こう!」
「う、ん」
 嬉しかった。
 差し伸べられた手も、少年が大切そうに小瓶を抱えていることも。
「なんて、よんでいい?」
「僕?」
 少年はタリアとそっくりの青い瞳にステラを映して、そっと微笑んだ。まだ成熟しきっていない少年は次いでとても大人びた
表情で、ステラを見つめ返した。
「ギルバート・グラディスです」
 14歳の少年と思えぬその眼差しは、ステラを不思議な気持ちにさせた。腕も足もステラよりまだ少し小さい少年。なのにと
ても強く頼もしく見える。なんだか急に心臓が早くなった気がした。
「ぎる、ば」
「ギルでいいよ。ステラ」
 ギルバートはにっと笑うと、ステラの手を取った。
「こら。目上の人を呼び捨てにしてはいかないわよ。ギル」
「いいでしょ、ね?ステラ」
 ギルバートにおねえちゃんと呼ばれて嬉しかったステラとしては、少々残念だったが何とか頷き返した。
「じゃあ、僕のことはギルね」
「呆れたわね。人見知りはポーズ?将来が不安だわ」
「僕、優等生だから心配ないって。将来有望だよ、ステラ」
「ステラにアピールしても、ムダでしたー。旦那様いるからね」
 タリアが普段使わないような話し方でギルバートに喋るのを見て、ステラは瞬いた。そして、俯いて喋ろうとしないでいた少年
がとってもお喋りであったことにも驚いた。
 今では進んでスキンシップを取ってくるぐらいだ。ステラは取り巻く感情の速さについていけずに、一人でたじたじと戸惑うば
かりである。
「ステラ、貴方さえよければ家に来て。ケーキを焼いてあるのよ」
 優しいタリアの声に、ステラは今度こそ思いきり頷くとそのままギルバートに手を引かれて歩き出す。 
 目の端に映ったきらきらの海面に、ステラは目を伏せて祈る。

 わたしがこうしてたくさんの出会いを、今こうして叶えられる今に感謝してやまないと。

 

 

 

 


 タリアの運転でオーブの市街を抜け、少し離れた郊外にタリアのペントハウスはあった。
 ミネルバでの勤務はほぼ今では地上になっており、プラントの実家に住んでいるギルバートはなかなか母親に会えずの為、タリ
アが用意したのがこのオーブの第二の家である。
 ステラはシンプルで片付いたその室内に感嘆の息を漏らしながら、とてとてと歩み進む。
 壁に掛かった写真にふと目が止まる。
「これ、シン……ルナも、レイもいる」
 ステラは額に入っている数枚の写真の中にミネルバクルーたちが凛々しく写ったものを見つけた。
「ええ。それはミネルバ再結成のときに撮ったものよ。失った仲間の分まで、未来に尽くすと誓った日のね」
「誓い」
 こんなところにも大切な誓いがあるのだ。
 時の中にあちこち散りばめられた誓い。その数だけ、人は繋がっているのだ。なんと素敵なことなのだろう。ステラはじっとその写真
を見つめて動けなかった。
「これはね、ギルが6歳の時よ」
 タリアとギルバートが寄り添うように並んで撮った写真。
 聡明そうなギルバートがそこにいて、タリアは母親の顔をしていた。
「あの崩れ行く要塞の中で、一度は手放したものが……こうしてここに収まっているのは奇蹟だとつくづく思うわ」
 タリアの言った“あの”という部分はステラには分からなかったが、その言葉に含まれた意味が戦争とつながるものだということは理
解できた。一瞬浮かんだタリアの暗く潜むような表情がそれを語っていた。
「これ、だれ」
 ステラは移した視線の先に映った黒い髪の男性を指して言う。タリアは艦長服を着ていて、その男性も似たようなコートを着ていた。凛
々しく映る二人だが、なんだか寄り添う姿はとてもしっくりくるものがある。
「……タリアの大事なひと?」
 タリアが何故か黙ったので、聞いてはいけないことだったのかとステラは息を飲んだ。
「その人は、母さんの恋人だよ」
 テーブルについて小瓶を嬉しそうに眺めていたギルバートが声をよこした。
「僕と同じ名前。ギルバート・デュランダル」
「ギル・・・でゅら・・・むずかしい」
「あはは。ステラはステラだけ?」
「う。ステラ」
 頷いて、ステラはもう一度その写真を見つめた。
 恋人。
 二人を繋ぐものがある。だからこの写真はこんなにもぴったりなのか。ステラは目に映る絆に心が熱くなる気がした。形に残るという
ことは素敵だ。だからなのか。
 だからシンは写真を撮りたがるのか。
「ほら、母さん。お腹すいたよ、ケーキ食べよう」
 ギルバートはそういうと、ステラにも微笑みかけて座るように勧めた。
「ええ」
 頷いてキッチンに消えていくタリアを待って、ギルバートはひそひそ話をするようにステラの耳に顔を寄せた。
「ステラ、今のうちにちょっと手伝って」
「?」
「母さん、誕生日なんだ」
 言って微笑む少年の言葉にステラは瞳を見開いて何度も頷く。
 ギルバートの指示を受けて、ステラは手にクラッカーを持つ。歌を歌うよといわれたので懸命にステラが口の中で反芻していると、ギ
ルバートは誰かに電話をしているようだった。
 どうしよう。
 なんだか緊張してきた。いつ戻ってくるかわからないタリアも気になるし、背を向けて誰かと話しているギルバートも気になるしで、ス
テラはそわそわと行ったり来たりした。
「ステラ、」
「ひあ!はっはぴ、はぴ」
「……まだ歌わなくて大丈夫だよ」
 驚いたステラに笑いを噛み殺したギルバートが言う。
「僕なりに考えた、一世一代のサプライズだから。ステラも力を貸してね」
 静かに微笑むその表情は本当にタリアに似て、穏やかで綺麗だった。ステラは頷いて、手に持ったクラッカーを握りなおす。
「ステラ、隠れて」
 急いでギルバートと二人、テーブルの下に身を潜めた。
「ステラは紅茶でよかった?」
 手にトレイを持ったタリアが、ゆっくりと部屋に入ってきたのがテーブルの下から見える。
「あら、どこに行ったのかしら」
 そう言ってタリアがトレイをテーブルに置いた瞬間、ギルバートはステラの手を引いて立ち上がった。
「母さん、お誕生日おめでとう!!」
 いまだ。
 ステラは力いっぱいクラッカーの紐を引っ張った。
「え、え」
 
 ぱぱぱーん!

 大きな音と共に宙を舞うリボンに、タリアは絡まりながら驚いてこちらを見た。
「ギル、」
「おめでとう。母さん、いつもありがとう」
 そっと呟いて、ギルバートはステラを見上げる。

 ゆっくり始まるハッピーバースデーの歌。

 もちろん、うまく歌えない。
 隣のギルバートの真似をしながら、ステラは懸命に歌った。詰まっても、間違えても、シンの為にしか歌ったことのない歌を懸命に。

 Dear.母さん。


 この部分がステラにとって、心臓が飛び出しそうだった。
 わたしにとってお母さんではないけれど。
 ギルバートと歌うのだから、当然そこはそうなるわけで……。

 誕生日って、なんて凄いのだろう。
 ステラの夢を、知らないうちに叶えてくれる。

 お母さん、
 とっても、とっても、呼んでみたかったことば。

 


「……ギル、ステラ、本当に嬉しいわ。ありがとう」
 歌い終わる頃にはタリアの瞳は涙に滲んでいた。震える声で繰り返し感謝する姿はギルバートとステラの胸を打った。
「プレゼントは、こっちが本命」
 ギルバートは照れたように俯いて言うと、入り口まで走って行ってドアを開いた。
「入って」
 元気よく言ったギルバートの横を、静かにひとつの人影が映る。
 太陽の光りが差したその先に、金色の髪がきらきらと輝く。少し遠慮がちに立った青年は、一礼すると顔を上げてその双眸を声も出せず
に立ち尽くすタリアへむけた。
「母さん、おめでとう」
「レ、イ……」
 瞬いたタリアの瞳からついに透明な涙が零れ落ちる。口元を覆った手が小刻みに震えているのがわかる。
 ステラは息を止めてそれを見つめていた。言葉に出来ないこの思い。こんなに近くにいて、いつも側にいるのに。死別したわけでも、敵
同士でもない。二人はいつでも会えるのに。
 それなのに、長い長い時間を経て漸く二人は出会えたような。そんな瞬間に思える。
 それを誰よりも目を逸らさずに見つめる少年の姿は、やっぱり少し大人びて見えた。

 嬉しい。
 幸せだ。

 そう感じるのに、どうして人は泣くのだろう。


「……ごめんなさい。どうしても、勇気が出なくて。でも」
 レイは消えそうなほど小さな声で囁くと、顔を上げて手に持っていたチューリップの花束を歩み寄って差し出した。
「僕の小さな……僕よりずっと頼もしい弟が、背中を押してくれました」
 タリアは声もなく、泣いていた。流れ落ちる涙が綺麗な白い頬を伝う。いつも気丈で厳しい艦長であるタリアの心は、いつでも度重なる
因果に支配されていた。しかし、彼女は決して屈することはなかった。
 己に死の選択を迫られたその時でさえ。
 犠牲を払ってでも、それでも意思を貫こうとした女性。そんなタリアの涙は、戦場でも流れたのはあの一度きりだ。
「少しずつ、僕も進みたい。だから、貴方の息子でいさせてください」
 レイはぎこちなく、そっと微笑んだ。うまく口が回らない。けれど想いは伝わったようだった。
 タリアは言葉もなく、ただレイを抱きしめた。胸の間でチューリップの香りが漂う。抱きしめても、抱きしめても足りない気がした。
「ギル」
 手を差し伸べたレイに、ギルバートは頷いて駆け寄った。
 三人は寄り添いあって、抱きしめあう。泣いているのか、笑っているのか、わからない声。
「すてき・・・、すてきなことだね」
 ステラは胸に手を当てて、息を漸く吐き出した。
 タリアを囲むその輪は、優しくて大きな腕だった。いつしか自分を追い抜いてしまったレイの逞しい胸も、幼いとばかり思っていた息子
の腕も、何もかもがタリアを包んでそこにあった。

 どうして人は、泣くのだろう。
 どうして人は、抱き合うのだろう。


 ステラはいっぱいになった胸の中、繰り返し繰り返し思い描いた。
 今すぐ、シンに会いたい。
 シン、あのね。

 

 

 

 

 

 

「へえ、そうかあ……そっかあ」
 シンは何度も頷きながら、そう繰り返した。
「あのね、うん、とっても、すてきだったの」
「良かったね。ステラ」
 乗り出して訴えるステラの頭をシンは撫でてやりながら、ソファに背を預けた。
「にしても、レイの奴。そっか……うん、ほんと良かったな」
「う!」
 珍しく定時に帰ってきたシンと夕食を済ませて、リビングのソファでこうして今日あった出来事を話せることは、ステラにとって何より
嬉しいことだった。
 いつも、話したいことが山積みで、シンの帰りを頑張って待つのだが気が付いたら眠ってしまっていて、いつも果たせず仕舞いなのであ
る。しかも、いつの間にかベッドに運んでもらってしまっていて、起きるととても後悔するのである。
「きょう、しあわせ。シン、いる。タリアたちがステラにおすそわけ」
 ステラは嬉しくて、息を弾ませて言った。
「ステラ。おいで」
 ソファに深く背を預けていたシンは両腕を広げて、ステラを呼ぶ。
「シン。しあわせ。シン、あのね」
 もつれる舌にステラは慌てながら、それでも話しながらシンの広げた腕の中に納まった。包み込むように降りてくる腕にステラは温かさ
を感じて、目を伏せた。
「あのね・・・」
 話したい。
 もっと。
 シンに伝えたいことがたくさんあるの。
「みんな、すてきな・・・こと」
「ん」
 耳に昼間の声が聞こえてくる気がした。
 泣いているの、笑っているの。わからないくらい、くちゃくちゃなのに。
 素敵なことなの。
「ステラ、ここにいれて・・・うれしい」
 なんだか、瞼が重い。
 シンの心臓の音が耳に届く。温かい。
「君のことは、俺が幸せにするから」
 シンはそっと囁いて、もう瞼を震わせて眠りの海へ泳いでいってしまったステラを見つめる。

 小さい身体のどこにこんなパワーがあるのだろう。
 シンは思って、目を細めた。

 願ってしまうよ。
 君にしかいけないその眠りの海ですら、一緒に眺めたいと。

 君の手にする幸せが、生きていく限り尽きず、その側に俺がいることができるようにと。


「俺のお姫様は、大人気だからなあ……」
 シンの苦笑はもうステラには届かない。
「俺のものでいてね」
 返事は寝息。
 聞こえない返事は肯定。

 愛しくて愛しくてたまらない彼女に、こうしてキスができるのはシン・アスカの特権。

 

 

 翌日、ついからかったシンがレイに報復を食らったのは、また別の話。

 

 


ああ、もう。

ディアッカの誕生日話をかいている間にタリア艦長の誕生日が!!

おめでとう!素敵なタリア・グラディスさま。

そして、息子・・・。名前、考えに考えて。どうしてもこの設定で書いてみたかったのです。お留守番のほうでも触れていきます。

そしてそして、タリアの旦那のこととかも・・・。

 

 

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