「ね、ステラ」
「なに、めいりん」
 メイリンは透明な傘の中から、じっと空を見上げながら唐突に隣で同じように上を見上げているステラに問う。
「あたしたち、コレなにしてるの?」
 言うとステラは一瞬、瞬いてから視線だけをこちらに向けて微笑んだ。あまりに綺麗なその笑顔に、メイリンは内心別の思考が湧く。
 シンって奴は、本当に羨ましい。
「あめ、たのしい。ばち、ばち。ぽつ、ぽつ。音、すき」
「・・・・・・なんのなぞなぞよー」
「ふふ」
「ステラから誘ってくれるし、何かと思えば」
「楽しい、ね」
「はいはい」
 梅雨という時期は、しきりに小雨の続く日々にしてくれる。
 メイリンはあまりこの時期が好きではなかった。じめじめするし、洗濯物が乾かないし、傘を持たなくてはならないからだ。元来、面倒くさがりなメ
イリンにとって、こんなに憂鬱な季節はない。
 なのに、ステラときたら可愛らしい長靴を履いて、まるで晴天の日と変わらぬテンションと笑顔でこの雨の中、幸せそうなのである。
「みて、めいりん。ことりさん、雨でもとんでる」
 ずぶ濡れの飛びゆく鳥たちを見て、ステラはゆっくりと呟く。その様子は何を思うのか少し読めない。
「あかちゃん、いるのかな?」
 思わず、メイリンは瞬きを繰り返し言葉に詰った。
「おかあさん、おとうさん。ごはん、雨でもさがしてるのかな」
「ステラ」
 二人は雨の中、公園の路地にしゃがんでこうしてお喋りをしている。行きかう人もいるわけもなく、雨音だけが二人を包んでいる世界。
 そこに響いたステラの質問は、メイリンから言葉を奪った。
「めいりん、みんな、おかあさんからうまれるんだよねえ」
 辛うじてメイリンが頷き返すと、ステラはすうっと表情を憂いにも微笑にも取れるものへと変化させて、変わらず雨空を見上げた。
「ふしぎ・・・・・・どこから、うまれるの」
「それはー・・・、おなかだよ」
「おなか?」
 ステラが顔をこちらに向けて、驚いたように言った。
「そう、ここ」
「ここ?」
 メイリンが指差したお腹をみて、ステラは何を思ったのかメイリンの腹をすっと触った。
「ステ」
「ここ・・・・・・?」
「い、いやあ、あたしにはいないよ?ていうかそんな相手まずいないしっ」
 焦って言ったメイリンの声はステラに届いていないのか、まだ不思議そうにステラはメイリンのお腹に手を置いたまま考え込むようにしていた。
「相手、いたらここに、あかちゃんできる・・・・・・」
「ステラちゃーん?おーい?」
「めいりん、どしてステラのおなかにはいないの?」
「え」
 相手がいる=赤ちゃんができる。
 これ、間違ってはいないのだけれど。
「ステラ、よく聞いて。うん、それはね、えーと・・・・・・相手がいれば確かに子供はできるの。うん。ただね、うーん」
「うん」
「うーん」
 ああ、どうすればいいのだ。シンのあほたれ。
 メイリンは冷や汗をかきつつ、頭をフル回転させる。しかし気分はこの雨空のように憂鬱になるばかりだった。
「こんなところで、何してる?」
「助け船ーっ!!」
 立ち上がって、叫ぶメイリンに背後から声を掛けた人物は戸惑って後退する。
「な、なんだ?その奇妙な掛け声は・・・・・・」
「アスラン・ザラさまーっ、もう!もう!超タイミングいいっつーの!」
 キャラ崩壊気味のメイリンにアスランはたじろぎつつか、曖昧な微笑みを浮かべて合わせた。
「なんだかよくわからないが、よかったのなら・・・・・・って、ステラどうした?」
「アスラン」
 しゃがんだまま考え込むような顔のステラに、アスランは心配そうに声を掛ける。隣でメイリンは苦笑しながら、どいつもこいつも・・・・・・(省略)と
思うのである。
「ステラね、シンいるのにあかちゃんできないよ?ここ、できるって」
「え」
 ほーら、アスランも同じじゃん。
 メイリンは内心呟いた。先ほどのメイリンよろしくアスランは焦りの境地である。
「ステラは海からきたから?だから、いない?ここ」
「あー、いやー、ええっとー」
「アスラン」
 ステラのお願いモードにアスランはいい男台無しの情けない顔でメイリンを振り返った。
「助け舟ってこのことか・・・・・・」
「はーい、正解」
 一体、小雨の中、三人で傘を惑わせながら何をしているのだか。メイリンは可笑しくて、笑ってしまう。
「ね、ステラ。それはシンに聞こうよ。それがいいよ」
「そうだな、それがいい。風邪ひくから、家に行こう」
「・・・・・・ほんと?教えてくれる?
『教えてくれるよ、シンが』
 二人ともぴったりのユニゾンで頷くと、ステラは安堵したように微笑んで立ち上がった。
「・・・・・・俺は知らんぞ」
「あたしだって知りませんよ」
「大体、どうしてそんな会話になったんだ?」
「えー、あたしだってわかんないです。ステラ、唐突だし」
「そういうことを考えてしまう年頃かあ・・・・・・なんだか心配事が増えるな」
「アスランさんがする心配じゃないでしょー」
「いや。俺はステラの保護者だ」
「間違ってはないけど、父親っていうより兄ですねー」
「兄って切ないよなあ。絶対結婚できない立場ってやつだ」
「ああ、わかりますわかります。切な系ですよねえ。兄と妹の恋愛漫画とか超泣けますよー。今度かしましょうか?いいのあるんです」
「それはいいな、是非読ませてくれ」
「アスランさんがまさか恋愛漫画にはまるなんてねー。貸した途端に泣くんだもん」
「世の中には色々な話がいあるものだな」
「あはは、漫画だし」
 まるで学校の休憩時間のようなノリで喋っていると、ステラが二人を感心の眼差しで見つめているのに気づく。
「ふふ、仲良し。ふたり」
 嬉しそうに笑うステラにメイリンは微笑ましくて、そのねこっけの髪をくしゃくしゃと混ぜてやる。くすぐったそうにされるがままになっているステ
ラを見ていると、やっぱり庇護欲みたいなのが湧く。メイリンも他の人間のことが言えないのである。
「さ、いこ。ステラ」
 手を繋いで歩き出すと、小雨はちょうど大降りになってくるところで、ステラとメイリンは顔を見合わせた。

 

 

 

 


「ステラ、ずぶ濡れじゃないか」
 シンは心底心配そうに言うと、ステラの髪をタオルで甲斐甲斐しく拭ってやっている。メイリンはこの差はなんだ、この差はと思いながら、アスラン
と各自渡されたタオルでぞんざいに己の顔を拭く。
「雨がすきなのわかるけどさ・・・・・・心配かけないで」
「・・・・・・う。ごめんなさい」
 素直にステラは謝ったが、その微笑はきっと悪気はなく、きっとまたやってしまうだろうことが予測できた。
「メイリン、一緒にいたんだろ」
 偉そうに言っちゃって、と思っていたメイリンはまさか自分に振られるとは思わず肩を躍らせた。
「ちょっと。雨が激振りになること予測しろってぇ?無理よ、無理」
「一体、何時間いたんだよ?」
「さあ・・・・・・結構、いたね。ステラ」
「うん」
 やれやれと溜息をつくシンをメイリンは忌々しく睨んで、思い直したように余裕の笑みに切り替える。
「その余裕も今のうちよ、シン」
「なんのことだ?」
「べっつにー」
 メイリンはあっかんべをくれてやると、わかっていないシンに勝利の笑みを投げた。ステラの困った質問に泣くがいいのだ。
「なあ、シン。お前今日休みか?」
「はい。あれですよ、あれ。アークエンジェルでも流行ってません?」
「ウィルスか」
「はい。宇宙風邪なんて、一体誰が持って帰ってきたんだか」
 シンの言う“宇宙風邪”というのはコロニーから持ち帰る風邪のことで、軍人の間では結構な禁忌なのである。コーディネーターとナチュラル、とい
う隔絶世界だった名残で、迷信のように「コーディネーター」の大丈夫なものはナチュラルは大丈夫ではないという風習になっている。
「いい迷惑ですよ」
「よく言うよ。お前、内心喜んでるくせに」
「あ、わかります?臨時休暇って最高ですね」
「こいつ」
 アスランに睨まれてもへこたれないシンは、嬉しそうに笑ってステラに目を移した。ステラはというと懸命にシンに言われたとおり、わしわしと髪を
タオルで拭いている。ぎゅっと目を瞑ったままのステラは、なんとも小さい子供のようだった。
「も、いい?」
「うん。いいよ、ステラ」
「う」
 懸命に拭いたのはいいが、ステラの頭は台風が通り過ぎたようになっており、見やった三人は爆笑に見舞われる。
「す、すてらぁ!か、かわい・・・・・・」
「拭きすぎたんだな・・・・・・」
 アスランまでもが腹を抱えて、笑いを堪えていた。
「みんな、どして笑うの」
 不満げなステラが言うが、シンはどうにも笑いがこみ上げて返事できないようで、メイリンは遠慮せずに笑いつつステラを撫でた。
「髪、くちゃくちゃだよ。ステラったら」
 言われたとおりにしたのに笑われて不満そうなステラは、メイリンに髪を触らせたままじっとしている。本当に妹がいるならこんなふうなのだろうな
あとメイリンはしみじみ思う。
 ステラの年齢はわからない。ちらっと聞いた話では、旧連合の方でもまったく情報履歴がないらしく、存在した地球連合軍第81独立機動群という部隊
自体があったかどうかすらあやふやになっているそうだった。そのため、ステラの名前すらそこに記載はなく、その存在はなかったこととなっている。
そんなステラの出生はわかるはずもなくメイリンより年上なのか年下なのか、もしくは同じ年なのか全く不明なのだが、事実よりも今あることがすべて
だと思うメイリンは、やっぱり内心でステラは自分より下だと勝手に思うことにする。
「あたしがいつか、突き止めてあげるぞー」
 ステラには内緒。そう思ってメイリンは声に出して決意を言う。
「めいりん?」
「こっちの話。よし、いつものステラに戻ったよ」
 頷いてお礼を言うステラを愛しく思って、メイリンは心でハッキングができること、情報収集に長けていることに感謝した。
「ほら、ステラ。あれ、シンに聞きなよ」
「?」
「さっき聞いてた質問」
 隣にいたアスランがにへらっと面白がる笑顔を浮かべるのが見えて、メイリンも同じ顔になる。
「ね、シン」
 ステラは素直に頷くと、おずおずとシンの側まで歩み寄って、顔を上げた。
「なに、ステラ」
 先ほどの笑いの余韻の残ったシンは、涙目気味にステラに顔を向ける。メイリンとアスランは楽しくて仕方ないのを堪えながら無言でそれを見守った。
「あのね、どうしてステラに、あかちゃんできないの?」
「え」
 シンが明らかに硬直したのがメイリンとアスランにはありありとわかった。可愛そうなくらいだった。
「ステラ、みんなと違うから?」
「そっそんなんじゃないよっ!そうじゃなくて・・・・・・え、えーと」
 しどろもどろになりながら、シンは彷徨わせた視線をメイリンとアスランに向けた。物言う瞳である。
「・・・・・・ファイト!」
「健闘を祈る」
 違う意味で涙目のメイリンとアスランにシンはぎりぎりと歯を食いしばりながら、物憂げに返事を待つステラに息を飲んで向き直る。
「・・・・・・ステラ」
「なに」
「うん、えっとね」
 ステラが自分に「赤ちゃん」がいないことを悲しんでいるのは明らかで、シンの戸惑う視線の意味も切なくて次第と見守っていたメイリンは居たたまれ
なくなった。これは、ここにいて聞いていていいことではないのかもしれない。
 思い至って、メイリンは立ちあがった。
「シン、あたしとアスランさんは帰るから!」
 突然言い出したメイリンにアスランはハテナマークを浮かべながら、よくわからないまま首を傾げた。彼はステラとまだ居たいようでメイリンの引っ張
る腕に抵抗するが無理やり合わさせた。
「行きますよっほらっ」
「メイリン、俺はまだ・・・・・・」
「じゃ!そうゆうことで!またね、ステラ」
「めいりん」
「後で電話するから」
「う」
 ばたばたと出てゆくメイリンにシンはすっと追いついて微笑んだ。
「メイリン」
「な、なに」
 メイリンは衝撃を受けていた。シンが、あのシンが。
「ありがとう」
「やめてったら・・・・・・ま、またね」
 近い距離を腕を押し返して離すと、急に跳ね上がった鼓動を隠しながらメイリンはなんとか笑った。まだ不満そうなアスランを引っ張って、ステラハウ
スを後にする。
 まだ外は大粒の雨を降らす梅雨まっしぐらだった。
「・・・・・・どうした?急に」
「うん・・・・・・二人で話したほうがいいと思って」
 アスランはふっと息を吐くと、頷いて同意を示した。
 しばらく黙って、ぼたぼたと落ちてくる雨粒を傘の中から二人で見上げた。不思議な空間と不思議な取り合わせ、メイリンはそう思って不意に笑う。
「アスランさんとこんなふうに、雨の中ぼーっと立つことが人生であるなんて思いませんでした」
 聞いたアスランは苦笑する。
「人生ってえらく大袈裟だな」
「だって。アスランさんは憧れの人ですから」
「よく言うよ」
 まるで信じていないように笑うアスランに、この人は本当に周囲が見えていないのだなあとしみじみと思った。軍人としては最高に空気の読める達人の
くせに、とそう付け足す。
 思い返しても、あの頃の自分はおかしいほどこの人に惹かれていた。なりふり構わず、訳もわからず、あんなふうに行動した自分が今でも信じられない。
「・・・・・・そういえば、あの日もこんな雨・・・・・・でしたね」
「ああ、そうだな」
 すぐにメイリンの言ったことに思い至るとアスランは雨空を見上げながら笑った。
「なんだか凄く昔のことに思うな」
「はい。まだ戦後、二年ですもんね。今って本当に平和なんですよねえ」
「可笑しな物言いだが、そうだな」
「びっくりしました。シンがあんなふうに笑うなんて・・・・・・あたし、知りませんでした」
 先ほど感じた胸の鼓動を思い出して、メイリンは呟く。驚いた、とても。メイリンの知っているシンは勝ち気で、無鉄砲で、とてもじゃないがザフト女
子群で話題に上がることなんてない男子だったのだ。あんなデリカシーのない男なんて、と笑われることはあっても。
 そのシンが、あんな優しそうに笑うなんて。
 ステラのおかげ、ステラの特権。それに触れた気がして、メイリンはどぎまぎしたのである。
「それも平和になった証、だな」
「・・・・・・はい」
 頷くと、なんだか胸を締め付けられる思いが占めてくる。
 見上げ続けるどんより空は、次第と隙間を作って青空をのぞかせた。雨は降りしきるのに、光の筋が暗い雲間を縫って降りてくる。
「あの日も」
 続きは心で繋げる。


 あの日も、こんなふうに雲間から光が差し込めば、わたしたちは違う道を歩めた未来もあったのではないかと。


 伏せずに見つめた眼差しの先に、あの頃見ることのできなかった光を見つけてメイリンは微笑んだ。

 

 

 

 

 

「ステラ、よく聞いて」
 シンは真剣な眼差しでステラを見つめると、深呼吸してステラの肩に手を置いた。
「赤ちゃんっていうのはね」
「シン」
 不意にステラは乗り出した。
「すて・・・・・・」
 そのまま顔ごと抱きしめられて、シンは驚いて言葉をひっこめた。
「いいにくい、こと?なら、むり、いい」
「んん」
 ステラの胸で阻まれた口をシンはなんとかもごもご動かして、ステラを見上げた。ぶつかったステラの瞳は謝罪の色を秘めていて、シンは己の情けな
さに虚しくなった。
「ね、ステラ?聞いてもいい?」
「うん」
「どうしてそう思ったの?」
「相手がいると、あかちゃんできるんだって。でね、ここにできるって」
 一生懸命言いながらステラは抱きしめていたシンを放して、自分のお腹を指した。
「ここ、できるんだって」
「そっか・・・・・・。ほしいの、ステラ」
「ほしい・・・・・・、うー・・・、むつかしい」
「はは」
 真剣に言うステラにシンは思わず笑い出す。その様子は子供の悩みのようだった。先回りしてあたふたしているのは周囲だけで、ステラは素直にただ
悩んでいただけなのだ。急に人心地に戻ったみたいな気がして、シンは安堵した。
「おかし?シン」
「いや、ごめ、はは」
「どして笑うの、もう」
 怒ったステラは笑うシンの頬を抓りにかかる。
「いたいいたい」
「や。おこった」
 じゃれあいながら二人でもみ合いだすと、もう止まらない。笑うシンを許さないステラがつねったり、くすぐったりして最後には二人して床に倒れたま
ま笑いまくる。
 どうしてこんなにおかしいのか、もうわからなくなる。
 おかしかったのかすら、わからない。
「ステラ、赤ちゃんはさ」
「うん」
 笑いすぎて痛いお腹をさすりつつ、隣で同じようにしているステラを見やった。
「あること、しないとできないんだ」
「?」
「ここにっ」
 そう言って、シンはステラのお腹をくすぐりにかかった。
「シ、きゃあ、あ、ははは」
「ほんと、焦らせやがってえ」
「やめてやめて」
 笑い声は尽きない。
 それから小一時間はそうして二人は笑いあった。

 

 

 

 

 

 


「ね、メイリン」
「なに、ステラ」
 ステラは傘の中から雨粒を見上げながら、そのまま続ける。
「わかった」
「なに?」
「あかちゃん、できないの」
「え」
 くるんと瞳を動かして言うとステラは笑顔になる。驚いているメイリンが面白くて、ステラは言う。
「あることしないとできないって。シンが」
「そ、そう」
 戸惑ったように言うメイリンをステラは覗き込んだ。
「でね、あることは、めいりんに教えてもらえって。シンが」
「アイツーっ!!」
「ね、めいりん。あることって、なあに」
「見直したあたしがバカだったーっ」
 立ち上がって叫ぶメイリンをステラは不思議そうに見上げる。

 

 雨の中、メイリンの悲しい叫びは響かずに消えた。

 

 

 

 

 

 


梅雨ですね。

雨、すきです。ぼくは傘をささずに歩きまわるのがすきです。

メイリンとステラは、かわいい。

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