彼女の赤紫の宝石は、青空と海の下で虹色になる。
 俺はそんな時間が、世界で一番好きだ。

 ああ、違うな。
 彼女の次に、好きだ。

 
 かけがえないものを手にすると人は臆病になるけれど、俺はきっとそんなふうであれる自分にすら幸せを覚えている。
 そして、彼女と出会ってから二度目の初夏を迎えようとしているのだ。

 


「シーン!!」
 はあ、はあと大きく肩で息をしながらステラはシンのところまで駆けてきた。昨日出掛けた際に買ったばかりの水色のブラウスと、店員さん一
押しに負けて購入した麻のショートパンツを身に着けたステラは、すっかり初夏の雰囲気である。
 シンは弾む息を整えるステラを微笑んで頭を撫でる。
「見て、見てぇ」
「ん」
 嬉しそうに蒸気する頬を手の甲で擦って、ステラは両手に包み込んでいたものを開いて見せた。
 そこには白や灰色の石が身を寄せ合って並んでいた。
「綺麗っ?」
「ああ、凄く綺麗だね。海岸にあるの?」
「う!きて、シン!きて」
 シンは先ほどまでステラが黙々としゃがみこんでいた砂浜を見やって、ステラに視線を戻した。のんびりと動くシンの腕をステラは急くように
引っ張った。
「ぉわ」
「シン!シン!」
 躓きそうになるシンをステラは楽しそうに笑うと、何度もその名を呼んではぐいぐいと引っ張る。
「はやく、はやくーっ」
「ステラってば、こけるよ……っおわ」
「シン、のあ」
「っと、うぇーっ」
 勢いを殺さず引っ張ったステラは振り返ると躓いたシンに覆い被さられ、二人して白い砂浜に突っ込むことになる。
「たた……たた。ステラ、だいじょうぶ?」
「・・・う、う、シン、重い」
「ご、ごめ」
 う。
 シンは息を詰まらせ、そのまま凝固する。
 まさに、シンの突っ張った手は思いっきりステラの柔らかな胸を掴んでおり、勢いあまって突っ込んだ為にもうそりゃあ容赦なく掴んでいた。
「シン?」
「・・・・・・」
 シンは思わず情景反射のように手をすぐに離して身構えた。殴られると思って、すぐに両腕で顔を覆ったが、待っても待っても拳は振ってこない。
「なに、してるの。シン」
「え」
「なにか、こわい?」
「いや……うん、えと。殴ったりしないの?」
「どして?」
「だって、ほら、思い切り胸触ったし」
「むね?ステラ?」
「そう。そうだよ」
「・・・・・・シン、触ったらいけないの?」
「えーっと……」
 ステラの上に跨ったまま、シンは唸った。
「シン、ステラがさわっても怒らないよ?」
 ステラは動かずに唸ったままのシンの胸を小さな手のひらで触る。大事そうに片手に握った小石を自分のポケットにしまって、そのまま触れていた
手を背に回して両腕でシンの胸に抱きついた。
「うっ」
「ね。どうして?」
「どうしてって、どう、もこう、も……」
 胸に頬を寄せて、ふわっと微笑み見上げてくるステラはもう可愛くて、可愛くて、この瞬間を留めることができたらとシンは取り合えず思った。
「ほら、ルナマリアとか!な?めちゃ怒るんだって。ボッコボコにされんの、だから」
「シン、ルナのさわるの?」
「えっ?いや、その、不慮の事故とかだよ!ステラ!」
「・・・・・・ふうん」
「ふうん?もしかして、す、ステラ、怒った?」
「・・・・・・おこっない」
 言って、ステラは頬を膨らませると、身を離した。
「ステラ?」
「シン。ステラの、アスランさわったら怒る?」
「だっ」
 あまりの驚きにシンは舌を勢いよく噛んだ。続く言葉がうまく言えずに、慌てたがステラはそんなシンを放って立ち上がった。
「アスラン、おこらなかったら、さわってもいいの?」
「ステラ」
 心底、困り果ててシンは情けない声を出した。見上げたステラはどうしてか太陽をバックにえらく神々しかった。
 光の縁を纏った彼女からはきっと、明らかに怒りのオーラが放たれていたが、当の本人はその感情がなにかに戸惑っているようでただしかめっ面を
してシンを睨んでいた。
「そんなわけ、ないだろ?ステラは俺の……なんだから」
「おれの、なあに」
「だから、その……ステラぁ〜」
「しらない」
 顔を逸らして砂浜の方へ歩いて行ってしまうステラをシンは慌てて立ち上がって追いかけた。勢いよく立ち上がったためにその速度は思うより出て
しまい、手を伸ばして掴もうとしたステラごとシンはまたもや地面に突っ込んだ。
「だーっ」
「わあぅ」
 またである。
 今度は背から覆い被さったので、幸い胸は掴まずに済むが……今度は思いっきり押し倒していた。
「……ほんと、ごめん」
 シンは衝撃で眩む頭を振りながら、急いで体を起こした。
「ステラ?」
「いい……」
「え?」
「いいの!いいんだよ、どしておこるの?シンなら、いいのに」
「す、ステラ」
「ステラはシンならうれしいのに」
 振り返っていったステラの瞳には微かに薄っすら涙が浮かんでいた。
「お、俺っ」
「もういい」
 無機質な拒む声に、シンは頭のなかで割れ鐘が鳴り響くのを聞いた。

 

 

 

 

 

 

 

「あはははははは……!え?あ、あははははは」
「……あのー……、もうちょっと遠慮して笑ってもらえません?」
「え?いや、そのつもりなんだけど。あはははは」
 俺、相談する人やっぱり間違えたかも。
 シンは思い切り溜息をついて、内心呟いた。じと目で睨んだ目の前の人は、キラ・ヤマト。オーブにはすでに蒸し暑い季節が到来してるというのに
キラは涼しい顔でシンを見返した。笑いすぎで涙目だったが。
「なんでこういう時にいないんだよ・・・・・・」
「仕方ないよ?カガリは会議だし。アスランは今プラントだから」
「知ってます」
「残念だったねえ。僕が居合わせたばっかりに」
 にこっと笑って言うキラは、それはそれは恐ろしいほど丁寧に微笑んでいた。
「でも、カガリもアスランもきっと嬉しいだろうね。君がこんなふうに相談しにくるようになるなんて未来、絶対想像していなかったろうから」
「・・・・・・」
 一息ついて続いた言葉は穏やかで慈愛に満ちていた。キラの向けた瞳はいつかに見たものと同じだった。
「キラさん。俺……」
「シン君。今はよそう、それはまた今度」
「はあ」
「で?で?君は何て言おうとしてたの、ステラちゃんに。ね、言ってみてよ」
「あの……キラさん、楽しんでます?」
「もちろん」

 思い返すこと、数分前。

 朝早くにステラと海岸に出掛け、シンは穏やかで素敵な午前中を過ごしていたわけだが諸々のやりとりの後、持って行ったお弁当箱を開けること
なく帰って来ることとなってしまったのである。
 そして、せっかくの休日だというのにステラはメイリンと遊ぶと言って出掛けてしまう始末で……自宅で悶々としていたシンは居てもたっても居られ
ず、こうしてカガリを訪ねて教えを請おうとしたのだが、居合わせたのはこのキラ・ヤマトだったのである。
 実はあまり話したことのないキラに話す気なんてあるわけもなく、シンは踵を返したのだがその腕を掴まれ、こうして今に至る。

「……なんてって、そりゃあ……俺のこここ…なんだから、です、よ」
「なんて?」
「ですから、ここ、こいびとですよっ」
「あはは」
「あははって・・・・・・」
 シンは話すほど胡乱げな顔になってしまい、何度目かの重い溜息をついた。どうしてこの人はこんなに余裕そうなんだろう。ラクスととても雰囲気が
似ている。計り知れない感じが。
 いや、でもこの人だって人間だ。最高峰のコーディネーターだって人間だ。
 シンは己に言い聞かすように心で唱えて、意を決して口を開いた。
「どう思います?」
 キラは微笑んで頷くと、カガリ邸リビングの大きな出窓に目を向けてそっと呟いた。
「せっかく天気が良いんだし、外でようか」
 振り返って言うキラは絶対的な意思を思っていて、シンは断る理由もなく知らずと頷いていた。

 

 

 

 


 メイリンの家はいわゆる集合住宅の最上階にある見晴らしのいいマンションだった。
 緊張しながら、初めて訪れる建物の入り口でステラは右往左往する羽目になる。入り口はあるのに入れない。
「・・・・・・これ、開かない」
 心底困り果てていたステラは、インターフォンというものに頭が行かず、やっぱり自動ドアの前で固まっていた。
「メイリン」
 呼んでみるが、それは自動ドアである。
「入れないよ」
 訴えてみるが、それはやっぱり自動ドアである。
「・・・・・・ふえ」
 なんとも情けない声が出たが、どうしようもないものはどうしようもない。頭がいっぱいになっているステラは携帯電話を鳴らすということにも
気づかない。
「どうしたの?」
「……あ」
 振り返ると、そこには買い物袋を抱えた栗色の髪を外はねのボブカットにした綺麗な女性が立っていた。エメラルドグリーンのシャツと青緑の双眸が
印象強く鮮やかで、ステラは爽やかな雰囲気に思わず目を瞠った。
「何か困ってる?」
「はいれ、なくって」
「誰を訪ねてきたの?これ、オートロックよ」
「だれ?」
「人じゃないわよ。自動ドアよ、ドア。知らないんだ?天然ねー、それとも世間知らず?」
 からからと笑う女性は快活そうな笑顔を見せて、ステラをじっと見返した。
「貴方、どこかで……もしかして、ラクスさんが目に入れても痛くないっていつも言ってる……」
「ラクスしってるの?わたし、ステラ。ステラです」
「そうそう!そんな名前だった。ステラって貴方かあ。私、アークエンジェルのオペレーターなのよ」
 そう言ってその女性はすらっと長い指の手を差し出した。
「ミリアリア・ハウよ。宜しくね」
「う、みりあり、あ」
「ミリィでいいわよ」
 おずおずとステラはその手を握り返し、知らない人だけど人懐っこいミリアリアの人柄にステラは嬉しくて自然と微笑む。見上げたミリィはどうして
か瞬きを繰り返して、唸るように首を捻った。
「みり?」
「私、ジャーナリストでもあって……なんだか物凄く貴方のこと撮りたいし、書きたいわ」
 急に真剣なまな眼差しで見つめ、握った手に力を篭めるミリアリアをステラは驚いて見返す。理解できない単語が幾つか並んだが、聞き返す間もな
く、次いでミリアリアは勢い良く言った。
「こんな気持ち、久しぶりかも。ねえ、取材させて」
「しゅざい?ごめんね、みり。よく、わからない」
「お話聞かせてもらって、写真を撮るの。どう?」
 あまりの勢いにステラは取り合えず、視線を彷徨わせながら頷いた。自分にできそうなことなら大丈夫かと安易に思い、シンに聞いてみるというのも
思いつかなかった。
「本当!!」
「みり、でも、ステラできるかわから」
「いいの、いいの。わあ、嬉しい!どうしよう!なんかやる気出てきたーっ」
 ガッツポーズの拳を突き上げてミリアリアは叫んだ。ステラの手を握ったままだったので、ステラも共に万歳することになる。
「みっみり、」
「ありがとうっ」
 ぶん、ぶんと振られた両腕にステラは驚いたまま、戸惑って取り合えず頷いた。漸く離して貰えた手にステラは安堵して、顔を上げるとはたと気づいた。
「ああ!メイリンっ」
「なあに?メイリンに用事だったんだ?」
「う。あそぼうって。メイリン、めいく教えてくれるって」
「お化粧?またなんで」
「めいくとおけしょう、おなじ?」
「ええ。あたしもしてるでしょ?ナチュラルメイクだけど。へえ、ステラならしなくてよさそうだけど……」
 はっきり言って、ステラはここに何をしにきたかなど分かっていない。
 メイリンが呼んでくれたので、来ただけである。ただ、今日はいつもと違って“親友”だといってくれるメイリンに折り入って相談もあるのだ。
「ははーん、彼氏の為ね?」
「かれし、シンのこと?」
「シンって……あのミネルバのエース君のこと?まさか」
「ん、シン。シン・アスカ」
 名を呼ぶと心に温かいものが生まれる。ステラはついほわっと生まれた気持ちについ一人こっそり微笑んだ。
「あらあら、まあまあ……へええ。可愛いんだあ」
「ううぇ」
 うりうりと肘で突かれてステラはくすぐったい感触につい逃れた。見やったミリアリアはやっぱり面白がるような瞳でこちらを眺めている。
「にしても、あのシン・アスカねえ」
「シン、なにかあるの?」
「いやー……また今度ね。ほら、メイリン待ってるんだし」
 言って、ミリアリアはポケットからカードを取り出すと、ドアの側にあるカードリーダーにすっと通してステラを振り返った。
「ほら、行きましょ」
「う!」
 頑固に閉じていたドアは、今度は素直に開いて迎え入れてくれた。ステラは綺麗なロビーをミリアリアについて歩きながら、そう言えば電話をもらった時
にメイリンが番号を言っていたのを漸く思い出した。
 勝手知ったる風にどんどん進むミリアリアにステラはなんとかついていきながら、その番号を口にしてみた。
「メイリン、30階って……」
「知ってるよー。私も同じ階に住んでるから」
「おなじ」
 合点がいく。
 そうか、同じ場所に住んでいるからか。
「今度はうちにも遊びに来てね、お菓子焼いてあげる」
「うん!」
 ステラは優しいミリアリアの微笑みにつられて元気良く返事する。丁度、大きなエレベーターに乗り込んだとき、ステラの携帯電話が鳴った。
「?」
 表示を見ると、メイリンである。
『ステラ!?迷ってんの?どこ?』
「メイリン、もうつくよ」
『よかったあ。着いたら電話してって言ったけど、かかってこないし。迎えにいけばよかったよー……って、ステラどうやって入ったの?』
 受話器の向こうのメイリンは安心したり不思議がったりと忙しそうだ。
「みりがいっしょなの」
『みりって……ミリアリアさん?』
「う。玄関のとこ、一緒になったの」
『そっかあ』
 話している間にエレベーターはぐんっと上昇し、気がつけば外の景色が見ることができるようになっていた。
「わああ」
『えへへ、あたしがココ選んだ理由はそれ』
 オーブの海、そして市街までもを見渡せるようになっている筒状のエレベーターは、ゆったりとあがってゆく。まるで空中に浮かんでいるようだっ
た。MSや空母とはまた違う、その乗り心地と感覚にステラは感嘆の声を上げた。
「海と空、同じみたい」
『ゆっくり眺めてきてね。待ってるよー』
 携帯をポケットしまうと、ステラはすぐに硝子面に駆け寄っておでこをつけた。
「ほわあ」
「広いよねえ、世界って」
「ん、ここ、オーブ。それだけ、なのにこんなに大きい」
 ステラは下に広がる景色がミニチュアのようだと思いながら、硝子に手をついてなぞってみた。なんだか、MSにだって乗ったことがあるのに、
ミネルバにだって乗せてもらったことがあるのに、これはまた違った景色だった。
「気に入った?なら、エース君に今度遊園地てっところに連れて行ってもらうといいわ」
「ゆうえんち」
「そ。こんな乗り物とかたくさんあるわよー、絶対気に入ると思う」
 ゆうえんち、どんな所だろう。どんな漢字を書くんだろう。
「行けるといいね」
「うん」
 そう頷いて再び見下ろした景色はステラは違った印象になっていた。
 楽しいことの詰まった、ステラの知らないことばかりの世界だ。

 

 

 

 


「聞いていいですか」
「ん?なんだい。シン君」
 爽やかに微笑んで返事されたって、男のシンからすればどうだっていい。それよりも、この状況を説明してほしかった。
「俺、なんでキラさんと遊園地に?」
「天気いいし」
「関係ないですよ」
「あるよー。雨の日はこうしてジェットコースターには乗れないし」
 たたたたた・・・・まさに、車輪はそんな音をさせて、緩やかに斜面を上って言っていた。シンは唾を込みこんで、まだまだ先に続く傾斜を眺めた。
嫌な汗が背中を伝うので、目を伏せてなんとか深呼吸すると、めげずにもう一度キラを見た。
「それも関係ないです!あのですね」
「シン君、もしかして、絶叫系だめな人?」
「え」
「これね、カガリと僕で考えたんだ。名づけて、“フリーダム”」
 なるほど、この遊園地は国の考案した施設ということか。いつの間にこんなの作ったんだか……なんて思っているうちに、コースターは斜面の一番
上に到達し、一時停止した。
「ものっ凄い回転するから、期待しててね!」
 フリーダムと名づけられたそのジェットコースターは、その名の通り縦横無尽に七色のボディで約十分間、シンの悲鳴を乗せて回転し続けた。
「何がフリーダムだああーっんおああああああああああっ……っ!!!」


 


「ステラ?どうかした?」
「ううん。なんか……聞こえた気がしたの」
 ステラは言われた通りにメイリンの用意した場所に座り、大きな鏡の前に座っていた。前髪を上げてやると、大人しく成すがままになっていてメイリン
は楽しかった。
「シンがステラ〜って泣いてんじゃない?」
「・・・・・・しらない」
「あら。喧嘩したの?」
「しない」
 なんとなく憮然としたステラに、メイリンは苦笑しながらテーブルに並べたメイク道具をチェックする。ステラにあうものを前に約束して以来、買
い溜めていたのである。自分ではピンクのチークなんて使わないが、ステラなら真っ白いしベビーピンクなんて絶対似合うはずなのだ。
 戦争が終焉して以来、メイリンは自分の好きなものやお洒落にメイクと、様々なものに手を出した。やってみたかったことばかりの中で、一番気に
行ったのがこれだった。
「人にしてみたくて仕方なかったの!」
 メイリンが嬉しくて笑うと、ステラは鏡越しにこちらを見つめて言った。
「ステラ、できる?」
「大丈夫!絶対、可愛くなる。んー、綺麗系のがいいのかな?っていうか、シンは可愛いほうがすきそうよね」
「?」
 一体自分がこれから何をするのか分かっていないステラは、きょとんとして首を傾げた。
「任せなさい!親友の初めてを手伝えるなんて、超テンションあがる!」
「ステラ、めいく、しらない」
「だよね。だよね。あたしに任せてーっ」
 まずはステラの肌に合う化粧水から、そう思ってメイリンはたくさん並ぶ化粧品の棚から手際よく選び出してテーブルに並べた。大人しく座ってい
るだけのステラはじっとその様子を不思議そうに見つめていた。
 はじめてみると、メイリンは没頭してしまって、一言も話すのを忘れていた。
「……めいりん」
「……ちょっと、ステラ」
 やばい。
 めちゃめちゃ可愛くしてしまった。いや、素材がいいんだけど。いや、でも、これは。
「ステラ、貴方やっぱりいい素材してるわねえ」
「?」
 小さなパーツの並ぶ小顔に、大きな赤紫の瞳。ステラの顔はお人形みたいだった。選んでおいた緑のシャドウも、隠しラインに使った青も、頬へ乗せ
たベビーピンクのチークも、記念だ!と奮発した桜色のルージュも、何もかも似合っていた。
「よし、じゃあ次は髪ね」
「これ。ステラ?」
「そうよ、鏡でしょ。何言ってんの」
 メイリンは笑いながら、いつまでも固まったまま鏡を見つめるステラの肩をたたいて言った。
「ちがう、ひとみたい」
 心底、不思議なようでステラは首を何度も傾けた。
「ちょっと、伸びたね」
 金の糸のような髪を結ってやりながら、メイリンは呟いた。
「う。伸ばすの」
「へえ」
「伸ばすの」
 ふふ、と笑うステラは誰かを思い浮かべているようだ。この様子だと、ラクスだろう。分かる気がした。ステラの心にまだ女の子としての意識は薄い
のかもしれないが、ちゃんとそういった羨望を持っているのだ。綺麗でありたい、可愛いと言われたい。そうきっと思う心があるのだ。
「それって、シン・アスカの為によねえ。うーむ、どうなるかわからないものだなー」
「シン?」
「うん。ほら、あたしたちってアカデミーの頃からずっと一緒だから……知りすぎてるっていうか。もう家族みたいなものなの、だからシンにステラみ
たいな純粋で綺麗で可愛い子がさ……彼女に、ねー?ああ、お嫁さんか!」
 ステラは櫛で梳かれるのに任せながら、楽しそうに喋るメイリンを見つめる。
「正直、シンがそんなふうに女の子を大事に出来るなんて知らなかったから」
 言って、そっと鏡を見据えたメイリンは透明なステラの眼差しとぶつかって、やっぱり微笑んだ。
「ありがとう、ステラ。ずっと、シンの側にいてあげてね」
 戦という帳に目が眩んだ私たちは、彼の孤独に結局気づいてあげられず、何もしてやることができなかった。そう、メイリンは思う。あの時した選択
も、行動も、何もかも間違っていたとは思わない。けれど、見ていられなくなったのは事実だ。だから、追撃のことも、姉があの後シンとどうなったか
も、すべて受け入れることだった。
 運命のせいなどではない。自分で選んだ道だったのだ。
 唯一、今思えばと考えることが、そういった側にいたのに何もぜずにいた時間のことだ。でも、
「ステラがシンの鞘になってあげてね」
 あの頃を思うと、未だにいえない気持ちがある。
 シンにも、ヴィーノにも、ヨウランにも……お姉ちゃんにも。そんな言葉を胸にしまう。
「メイリン」
「できあがり」
 結い上げた髪を片方で一つにくくり、そこに白い花のコサージュをつけてメイリンは頷いた。
「超可愛い」
 前髪のピンを取ってやって、メイリンはステラを立つように促した。おずおずとステラは立ち上がると、目の前の鏡に映る自分をゆっくりと眺めた。
 いつもと違う顔。
 いつもと違う髪形。
 一番お気に入りのワンピース。
「メイリン。ありがとう」
「どういたしまして」
 元気良く振り返ったステラはくくった髪を弾ませて、メイリンに笑いかけた。向日葵のような笑顔にメイリンも笑顔を返して、拳を握った。
「よおーし!じゃあ、天気もいいし、デートに行くよー!」
「よー!」
 ステラも真似してメイリンの隣で拳を突き上げた。
 

 

 

 


「ごめんねえ、絶叫マシーン駄目だったんだね」
「・・・・・・」
 嫌味にしか聞こえん。
 シンは青い顔で前かがみになりつつ、目の端に映る爽やかな青年を睨んだ。あいにく、気持ち悪くて声は出ない。
「残念だなあ、ここにはたっくさん絶叫系あるのに」
「・・・・・・」
 何がフリーダムだ。
 自由の中にも制限があるってのが、自由ゆえの義務だろうが。これじゃあ、無秩序だ!っと、言いたかったがシンは一言も発せられず。
「かわいそうに」
 憐れみの眼差しを向けられた。
「・・・・・・っ」
「あれ、泣いてる?泣いてるの?」
 キラは心配そうな雰囲気で、シンの側に屈んだ。はっきり言って吐いてやりたいくらいだったが、それも無理そうだった。何より、この男は逆らって
はいけないタイプの人間だとシンの直感は訴える。
 涙目で、何とか体を起こしたそのときだった。
「あ!ステラちゃんじゃない?」
「……え」
 シンはその名前に体中が目覚めたみたいに覚醒した。
 すぐに体を動かして、ベンチから立ち上がった。
「ステ、ラ」
 少し遠くの通路にステラはいた。
 誰かを待つようにして、自販機の前で立っている。両手で大切そうに持っているのはソフトクリームである。
「天使みたいだねー」
「!!?」
 隣にいたキラはほわっと笑うと、目を細めてステラを眺めた。
「だっ駄目ですから!!」
「?」
「ステラは俺のです!」
 シンは全力で叫ぶ。気持ち悪さなんてどこかへ行っていた。とにかく、どうしてかここにいる、どうしてかいつもと少し違う、どうしてかお洒落をし
たステラを守らなくてはならない。アスラン以上、ライバルはいらないのだ。
「ね?ラクスさん、いるんだから」
「あはは。なにあせってるの?心配することなんか、ないよ」
 わかっている。わかっているのだ。アスランにしたって、そうだ。けれど……。
「ステラちゃーん」
 気づけば、キラはぶんぶんと腕を振って、シンを置いたままステラの方へと走っていた。
「・・・・・・やっぱり」
 眩暈がした。
 悪夢だ。これは。そうだ、今日は朝から思えば酷い展開だ。きっと、これは……。

 気がついたときには、俺は空白の時間を過ごしていた。

 

 

 

 

 

 ねえ、お兄ちゃん。
 マユね。好きな人がいるの。


 マユ。


 その人とね、いつか行きたいんだ。遊園地。
 こんな戦争みたいなの、すぐ終わるよね?


 ああ、マユ。


 そのときは、お兄ちゃんついて来ないでよ?
 

 行かないよ、バカ。


 どうかなー?
 お兄ちゃん、心配性だから。


 ……ああ。そうだな、マユ。

 


 さわさわ、頬に優しく風が吹いていた。
 とても温かいものに包まれて眠っているようだ。優しい手が髪を撫ぜてくれている。

 シンは重い瞼を持ち上げたくなくて、猫のようにそのぬくもりに身を任せる。
「シン」
 その声は深海にいて、その声はまるで上から掬い上げてくれるような。
「シン」
 声は急にそっと耳元までやってきた。次いで、優しく頬に何かやわらかいものが触れて、離れていく。
「……すき。すきだよ」
 声は消えそうなほど小さかった。
 それでも、シンの耳にははっきりと届いていた。
「ステラ・・・・・・」
「!」
 漸く重い瞼を上げると、一番に目に入ったのは遊園地の回転木馬だった。それからすぐに気づく、今の体勢は膝枕ってやつだ。
「ごっごめ」
「シン」
 慌てて頭を動かして離れようとすると、ステラはそれを強い力で留めて戻した。
「まだ、だめ。シン、こうしてる」
「で、でも」
 ベンチで二人、彼女に膝枕されている俺。構図的に大丈夫なんだろうか。行き行く人が心なし微笑ましく見つめて笑って過ぎていく気がした。シンはゆる
ゆると顔を上げた。
「だいじょうぶ?」
 心配そうにこちらを見下ろして覗き込むステラは、やっぱりいつもと少し違っていた。
「ステラ、綺麗だね」
「きれい?メイリン、してくれたの」
「そか。待ってたのはメイリンのことか」
 なんだか急に安堵した。あまり前後の記憶がはっきりしないが、頭にはついさっきまで待ち人を待つ可憐なステラの姿が焼きついていた。自分でないこと
だけは確かだったので、シンは大きな溜息をついた。
「シン、気分悪いって。キラが」
「・・・・・・う」
 キラはなんと言ったのだろうか。まさか、情けない醜態を隠さず話されてしまったのだろうか。シンは黙ってステラを見上げつつ、内心思い切り動揺して
いた。見つめてくるステラの瞳がいつもに増して、きらきらして見えるのもあって心臓は跳ね続けた。
「今、メイリンとあれに乗ってるよ。キラ」
 ステラが行った方向をシンも目線で追うと、まさにそれはシンを絶叫させた無秩序マシーンだった。
「また乗ってんの、あの人」
「楽しいんだって」
「……ステラは良かったの?」
 ステラは顔を横に振って、優しくシンの髪に手櫛を入れた。
「シン」
「ステラ」
 シンは目にじわっと涙が溜まるのを感じて思わず息を止めた。今朝あんな空気になってから、ステラの笑顔をやっと見れた。嬉しくて、胸が詰まる。つい
外だというのも忘れて、シンは身を反転させてステラに埋まるようにして顔を寄せた。
「どしたの、シン」
「ううん。なんでもないんだ、ちょっとだけこうしてて」
 驚いて離れた手がシンの背にそっと戻ってきた。安堵と、良い匂いのするステラにシンは心を満たしながら束の間の休息を満喫していた。
「シン、気がついたか」
「げ!」
「げって、なんだ。げって」
 シンは背後で聞こえた声に驚いて、ステラの膝から今度こそ顔を上げた。
「アスランさん!」
「俺がいては都合が悪いか?え?」
「いえ……いや、悪い。悪いです!」
「ほう」
 腕を組んで見下ろしてくるアスランは軍服である。この人、絶対仕事からそのままここに来た。絶対。
「アスラーン!次はあっち乗ろう!メイリンはもう先に行ってるよー」
 少し離れた場所でキラが息を弾ませて、こちらに手を振っていた。アスランは気づいて手を振り返すと、微笑んでこちらに向かっていった。
「ステラ、行くかい?」
「ううん。シンといる」
 ざまーみろー。
「……ステラ、乗りたいって言ってたろう?」
 アスランはシンがする変な顔も無視して、優しくステラにもう一度聞いた。
「いいの」
 早く行けってば。
「シンと乗るから」
 そーだ、そーだ。って、え?
「・・・・・・」
「それでいいのか?こんなのとじゃあ、つまらないぞ」
「シンとのるの。そのあと、みんなとのる」
 待って。待って、ステラ。
「仕方ないな。ステラがそうしたいって言うなら」
 アスランは残念そうに言うと、今度はシンの方を優しい眼差しを一変させた冷ややかな瞳で見返し言う。
「シン、わかってるよな?乗ってやれよ」
「ぐ」
 本日何度目かの嫌な冷や汗に、シンは喉を詰らせた。
「じゃあ、また後でな」
 ステラの頭を優しく撫でると、アスランはそっとその額にキスして離れた。
「なっ」
「今日のステラはいつもに増して可愛いな。あとでカガリにも見せてやってな」
「アスラン」
 ステラもふわっと微笑んで頷くと、アスランに手を振った。隣で石のように固まるシンを放置したまま。
「・・・・・・アスラン・ザラめえ……っ」
「シン?おこってるの?」
「え、や、あー」
 心配そうなステラの瞳にシンは力んでいた拳を開放して、しどろもどろに頭を掻いた。
「言って。ねえ、シン」
「ステラ……」
 訴えるようなステラはどこか、置いていかないでというマユに似ている気がしてシンは目を瞠った。
「……その、ステラは、俺の……」
「おれの」
「俺の……俺の恋人だから、アスランにキスさせちゃだめだ!」
 シンは思い切って、もう、本当に思い切って言った。言い切って、強く目を瞑って返ってくる返事をただ待った。
「わかった」
 聞こえた言葉に、シンが顔を上げるとそこには華が咲いたようなステラの笑顔があった。
「シン、すき」
「え」
「ありがとう。うれしい、シン。すき」
 ステラは頬を染めて、そのまま動かないシンの胸におずおずとおさまるように抱きついた。
「ふ、うれしい」
 動けなかった。
 感動とか、そういった言葉ですまないような、そんな気持ちが充満して声も出ない。
「シンも。シンもだめだよ、やくそく……ね」
 そう言って、ステラは動けないシンの震える口唇にそうっとゆっくり口づけた。

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 


「シーン!!」
 はあ、はあ、と肩で息をしながらステラはシンの元まで懸命に駆けてくる。
「見つかった?」
「うん!」
 ステラは両手いっぱいの小石を開いて見せた。嬉しそうに笑って、シンの腕を思い切り引っ張る。
「シン、シン!」
「まっ待って、こけるって」
 驚いて、シンは腰を上げながらステラの勢いに負けそうになった。躓きかけたところをステラは気にせず、もっと引っ張った。
「早く早く」
「だっ」
 景色が真っ逆さまに回転する。
 シンは思い切り前に突っ込みながら、ステラを巻き込んで砂浜に倒れ込む。

 聞こえてくる小波の声に、シンは可笑しくて笑い出した。

「はは、これ、昨日と同じだね」
「う。またこけた」
「あ」
 そして、思い切りステラの胸を掴んでいるのもまた同じだった。
「っと、わ、ごめ」
「おこらないよ?」
「……いやあ、でもさ、その」
「いいのに」
「やっぱ、よくないよっ」
「当たり前だろーが」
 げし!!
 そう聞こえたと思う。
「っで!」
「この発情期め。油断も隙もあったもんじゃないな」
「アスラン・ザラ!!」
 ステラの上にいたシンを足蹴にして、アスランは騎士のような仕草とスマートさでステラに手を差し伸べた。
「大丈夫か?砂だらけになったな」
「う」
 シンはわなわなと拳を握り締めて、目の前に何故かいるアスランを睨んだ。
「どっかいけー!!」
 朝の海岸。
 真っ青な空と海。

 穏やかな波の声と、シンの叫び声。

 

 ここは、オーブの海岸。
 僕が君に再び邂逅できた、奇跡の海。

 


よかった、UPでけた。笑

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