いいじゃないか。
 もうすぐ人のものになってしまうのだから。

 

 アスランの憂鬱。

 


 海辺で君を見つけたとき、俺は本当に驚いた。
 それこそ、人魚が倒れているのかと勘違いするほどに、君は不可思議な佇まいで海に呑まれかけていた。押しては引く波に晒されながら、
たなびく風に金の髪が微かに揺れて、求めるように腕が浜の方へ伸びていた。
 近づいてみると、もっと驚くことになる。
 人魚と思った少女は、なんとパイロットスーツに身を包んでいたのだから。

 触れようか、触れまいか迷ったその手を促したのは、少女の呻きだった。
 生きている。
 俺はそれから後、どうしたかあまり覚えていない。オーブの海岸を彼女を抱いて走り、後になぜかカガリにお咎めを貰ったこと以外。


 
「アスランー!」
 無邪気な声が街路に響く。
 少し困った顔をして見せて、アスランは先にゆくステラに返事した。
「こけるから。前をみなさい」
「はあい」
 ステラは大きく頷くと、嬉しそうに笑った。黄金の髪が揺れて、きらきらすると向日葵のようだった。
「ステラ、行きたいのってここじゃないか?」
 ついていこうと足を速めようとしたアスランの視界に可愛らしい店の看板が目に留まる。確か、カガリとラクスに「絶対ここに」と言われ
たリストにこの店の名前があったはず。
 足を止めて、その店の前に行くとピンクや赤の色をした可愛らしい看板が所狭しと並んでいた。店内からは楽しそうな女の子たちの声が聞
こえてくる。なるほど、本当に女の子人気の流行店というわけか。
「ここ?」
「ああ。メモには書いてある。“メモリアル・クローバー”」
「うん、かわいい」
 アスランの隣に辿り着いたステラはメモをのぞき、続けて店を見た。瞳にアスランにはよくわからない色を灯して、ステラは微笑む。すぐ
に店に入るのかと思えば、アスランの腕を握って留まっている。
「どうした?行かないのかい」
「・・・・・・ちょっと。こわい」
 真っ直ぐに店内を見つめたまま、ステラは言う。握ってくる手に力が篭ったのがわかった。
 同じ年頃の少女たちは、店内で楽しそうにお喋りしていた。彼氏と一緒の子もいれば、女友達同士の子もいる。ステラの様子は躊躇ってい
るようで、アスランはそっと心にその複雑な心境を思う。
 戦いの中、様々な思いをしてここに至る彼女に、初めから受け入れられるものは少ないのかもしれない。ここはもう、明らかに戦場とは違
う場所なのだ。
「そうか。なあ、ステラ。お願いがあるんだが、聞いてくれるかな?」
 アスランはステラの手を腕から外し、お互いの手を握り合うようにしてやる。
「今日は、俺のステラでいてほしい」
「?」
「シンのじゃなくて」
「??」
「今日だけ、いい?」
 ステラの赤紫の瞳はいっぱいに開いて、不思議そうにしていた。きっと、言った意味をフル回転で考えているのだろう。反応がない。
「うん、でも・・・・・・シン、すき」
「・・・・・・仕方ないな。それはいいよ」
「わかった!」
 元気よく返事してステラは嬉しそうにまた笑う。その笑顔にアスランの眉は下がりっぱなしなのだが、お約束のシンすき!にダメージを受
けつつ、気を取り直して歩き出した。
「何の店なんだ?そもそも」
 アスランは入り口を潜って、店内をぐるっと見渡す。ステラ一歩後ろで同じようにしていた。
 店内は二階建てのアンティークな造りで、歩くとぎしぎし音のするような床だった。濃い茶色をした木々で成り立った木造は森の匂いがした。
そして並んだ棚には、手作りのアクセサリーから雑貨、衣服までが揃えてあるようだ。
「もっと、派手な店かと思ったが・・・・・・意外だな」
「・・・・・・きれい」
 ステラは上を見上げて、呟いた。つられて一緒に見上げると、天井にはステンドグラスが拵えてあった。
「あれ、なに?」
「ステンドグラスだな。硝子を生成する際に酸化物を混ぜて着色するんだ。硝子工芸だね」
 すらすらと答えたアスランの言葉に、ステラは不可解な顔をした。最初のカタカナしか聞き取れなかったのか、ステンステンと口を動かす。
その仕草に思わずアスランは笑いが漏れたが、このまま眺めていると怒られそうなので口を開こうとした。
「お詳しいのですね」
「あ、ああ・・・・・・よく教会に訪れるもので。牧師様に教えて頂きました」
 優しい声でさりげなく声をかけてきたのは、店の従業員らしき女性だ。黒のワンピースに白いエプロンをつけた、メイドのような姿にアス
ランは少しぎょっとする。
 しかし、とても話し易い物腰がかなり好感が持てる人で、この店は流行で人が集まるのではないのかもしれないとも思う。思いなおして、
アスランは尋ねた。
「この二階は何を?」
「工房でございます。先程ご覧になっていたステンドグラスも店主の作品で、ここにある商品はすべて二階の工房で作られたものたちなんで
す」
「へえ、店主が・・・・・・」
 もう一度、天井を見上げる。よく見ればそれは、クローバーを縁取ったデザインで店の名前に由来していると推測できた。
「あれ。はっぱ?」
「クローバーだよ、ステラ」
 聞きなれない言葉にまたもステラは瞬いた。
 あの三つの葉っぱの名前は、クローバー。数回、声に出さずにステラはなぞっていた。みんな名前があるのだ。ステラにとって、名のつく
ものを覚えることは今一番の興味の対象のようだった。
「もっと言えば、あれはシャムロックなのですよ。お客様」
「へえ・・・・・・もしかして、店主はオノゴロ出身ですか?」
「ええ」
 寒い季節に冷え込みのひどいオノゴロ。オーブの中でも寒さが一番厳しい土地だった。
 聞いたことがある。オノゴロは三つ葉の種が多い緑の土地。その姿は三位一体を表すとされ、布教の印となるものでもあるとも聞いたこと
があった。
 そうか、オノゴロの。
「あの災害を生き延びて、店主はここに店をお持ちになりました。ここにあるものはたくさんの意味の込められた作品です。オノゴロを忘れ
ぬようにと・・・・・・」
 アスランには返事ができなかった。心には勝気な青年の顔が浮かぶ。
 大戦中、激しく言い合ったことも、叱ったこともある。シンは自分の背負った過去に耐えれず、すべてを敵へぶつけようとしていた。出会っ
た頃の彼は本当に手に負えないほど、偏っていた。それもまた、戦争がそうさせたこともわかる。だが、それは皆同じだと思うアスランから
すると、この甘ったれ、である。
 どうしても思いも、気持ちも通じず、虚しかったこともすべてあって今がある。
 後悔しているとすれば、ステラのこと・・・・・・とは誰にも言わないが。
「そうだな・・・・・・、俺は知らないことが多すぎたよ。レイのことにしても」
 思わず声に出していたアスランは、見返すステラに苦笑で誤魔化した。
 帰ったつもりで、帰れていなかったのだと思う。ザフトに。
「この世でたった一つのものを、承ることができるかもしれません。一度、上の工房をご覧になって下さいね」
 店員は笑顔で、アスランとステラを見やった。
「かも?できないかもしれないんですか?」
「店主次第なんです」
 困ったように次いで笑うと、店員の女性は会釈して他の客へと向かった。
 一体どんな店主が上にいるのだろうか。
 同じようにステラも二階へと興味を惹かれたままらしく、握った手をくいくいと引っ張った。
「みに、いこ」
 微笑んでアスランは、同意した。

 

 


 今日の任務は、宇宙圏でのデブリの回収作業である。 
 ミネルバはゆったりと、その漆黒の宇宙を航行中であった。

 無重力の世界は音もなぜか遠く感じる。
 シンは耳につけたイヤーフォンから流れる歌が、どこかくぐもって聞こえてどんよりした。

 ラクスのくれた「心のおともCD」。
 手に取ったパッケージにはラクスの素敵な手書きで、タイトルが記入してあった。

「なんだよ、このセレクト・・・・・・」
 シンは思わず苦笑した。
 そこにはどうにも、先に自分の気持ちを読んだかのような曲目が並んでいる。
 出航前にラクスが笑顔で手渡してくれたのだが、聞く間もないかと思っていたら、スペースポイントの確認で航行が停滞したのである。
することもないし、自室に篭っていてもレイに黙ってろといわれるばかりなので、こうして休憩スペースで宇宙を眺めながら、CDでも
聞こうと思ったわけだが。
「君に逢いたい、miss you、静かな夜に・・・・・・、何が言いたいんだよぅ」
 シンは無重力の海に音楽プレーヤーを放る。頭の後ろで腕を組んで、ゆっくり体を任せたまま、耳の奥に聞こえる歌にもう一度目を閉
じた。
 
 
 静かなこの夜に貴方をまっていの
 あのとき忘れた微笑をとりにきて
 
 星の降る場所で
 貴方が笑っていることを いつも願っていた
 今、遠くても また会えるよね


「なんだってんだ・・・・・・ほんとにもぅ」
 シンは見つめても遠い、青い星を見下ろして歌姫の奏でる世界を重ねる。
 透き通る声は、しんみり心に響いた。
「ステラ・・・・・・」
 会えるのに。すぐ、また会えるというのに。
 なぜか、胸が苦しかった。

 ステラが回復し、もう外に出れると決まったそのときにこの任務。有給を使おうと決心したのに、あっさりとタリアに却下される始末で。
「だー!あいたい!」
 ぱこっ
 軽快な音がシンのおでこで炸裂した。
「なにすんだよっ」
「公共の場で叫ぶな、恥ずかしい」
 レイは涼しい顔で、言う。思い切り馬鹿にした冷ややかな口調で。
「お前はこの頃、手のつけられないほどぞっこんだな」
「ええ、そうですが。なにか?」
「・・・・・・気をつけることだな」
 言って、ふっと笑うとレイは側にあった自販機で缶コーヒーを買い、行こうと背を向けた。
「なっなにが?」
「アスラン・ザラ」
 止まってそれだけ言うと、不適に笑ってこちらに缶コーヒーを投げてよこした。
「ま、待てよ。レイー!」
 慌ててキャッチし、シンは顔を上げる。が、もう親友の背中は遠く彼方だ。
 なんだというのだ。よりにもよって、一番聞きたくない名前を残して去るとは。てか、エスパーか?
「・・・・・・いいさ。大丈夫だし」
 シンは言って、嘆息するともらった缶コーヒーを開けた。
「に・・・・・・!」
 無糖だった。

 

 

 

「・・・・・・う」
 ステラは感嘆の声を上げたいようだが、わからないのか息を呑むに留まった。
 轟々と燃え滾る釜の中で、硝子のまあるい玉がぎらぎらと溶け、ぐにぐにと動いて形になってゆく。
「あ・・・・・・うう」
 驚いて、感動しているのだろう。ステラはぱくぱく口を開け、何度もアスランの腕を引いた。
「ステラ、凄いな。でも、息しろよ」
 アスランの声に、ステラは頷いてやっと止めていた息を吸う。
 二人は並んで、釜の前で透明のゴーグルをかけ、店主の回す長い棒の先を見つめていた。
「ステラちゃん。この色でいいかな」
 大きな体をした、熊のような店主。その名はコニアと言った。感情の見えない顔はともすれば怖そうに見えたが、話すとその声音は
優しく柔らかかった。ステラはその声が好きなようで、言葉も交わさぬうちに、この店主に作ってやるといわせたのである。
 アスランからすると、ステラが可愛いからだと親ばか丸出しな見解になるのだが、実際はそれだけではない。
 コニアは、頷くステラを見て、少し笑う。
「きれい、朱・・・・・・シンのいろ」
 コニアが棒を釜から出し、そっと作業台の上に乗せたそれは、朱色の丸い硝子玉だった。一切の濁りも混じりもない、朱色。まるで
シンの瞳のようだった。
 目の端に涙が見えた気がしたが、コニアは見なかった振りをしてステラの頭を撫でた。
 それから、工具を取り出して金具で作業を始めた。
「あれで何するんだろう」
「はっぱ、する」
 ステラは天井を指差した。
「まあるいのと、はっぱのやつ、いっしょ。うでわにするの」
 首を傾げるアスランに、ステラは先程コニアが書いてくれたラフ画を作業台から引っ張って見せた。そこには、鉛筆で書かれた腕輪
の絵があった。
 朱色の硝子玉に寄り添うように添えられたシャムロックの金具が皮のベルトに嵌め込まれていた。
「素敵だね。喜ぶよ、絶対」
「うん。すき」
 嬉しくて、ステラはじっとしていられないようだった。そわそわと立ったり、座ったりしてコニアの作業を見つめる。
 ここに来て良かったとアスランが椅子に背を任せたとき、不意に机の上にある写真たてに目がいった。

 両手いっぱいの向日葵を抱えた少女。
 栗色の髪、青い瞳、優しさを湛えたその瞳はコニアにそっくりだった。

 そうか。
 それで、ステラに。

 思い至って、アスランは目を伏せた。
 戦は終わったが、人の心から消えることのない傷が至るところに残っている。それでも、生き残った者たちは前に進まなくてはならな
い。何をしても帰ってこないが、何をしなくても時は進むのだ。
 オノゴロのこと。
 カガリは大声を上げて、泣いた。お父様だって同じだったと。辛い選択だったのだと。 
 アスランにとって、カガリは掛替えのない人で、自分の一生をかけて守ってゆきたいと思っている。だからこそ、悲しみも受け止めた
いと願っていた。
 こうしてオーブに降りるようになって、本当に実感することが多くなった。
 理解したいと思っていた「悲しみ」が、いかに癒えぬ傷なのかということを。
 シンのことも、以前ほど叱れなくなったのはそのせいでもあった。やはり、自分は何も知れてはしないのだと。

「できたぞ」
 目の前にかざされたひとつの腕輪。
 それは本当に美しかった。誰の目にも、それはこの世にひとつしかないのだとわかる。そして、それを持つべき人も明らかだった。
「・・・・・・うれしい。ありが、とう」
 ステラは目にいっぱいの涙をためて、漸くそれだけを言った。
 黙ったまま、コニアは頷くとそれをステラに手渡し、また作業に戻ってしまう。
「コニア」
「構わない。また、遊びにきてくれ。シンってのと一緒に」
 買い物をするためにカガリの手伝いをしてもらったお小遣いをステラは手に握り締めて、黙っていた。じっと何かを考えるようにして
コニアの背を見つめる。
「うん。くる。ありがとう」
 ステラは微笑んで、綺麗にお辞儀をした。お小遣いは手に握ったまま。
「ありがとうございます」
 アスランの遅れて一緒にお礼を述べ、ステラを先に立たせて階段を降りる。
 振り返ると、コニアがステラの小さな背を見送っていた。
 とても、とても、眩しそうに。
「・・・・・・」
 アスランは目が逸らせなかった。
 この気持ち、二回目だ。
 父の最期に対面したあの時と同じ気持ち。
 手に届く場所にいるのに、何もできない。もう、起こってしまったことでどうしようもない。
「・・・・・・いいんだ。君のせいじゃないだろ」
「!」
 ステラを見送っていた瞳がこちらを真っ直ぐに見つめ、囁くような優しさで言う。
「行きな。はぐれない様に」
 はい、と返事した。つもりが、声にならなかった。
 嗚咽と混じった返事はそのまま、空を切って消える。コニアの優しい眼差しが痛くて、かつて幼き日に見た父と重なって、アスランは
歯を食いしばった。
 そのまま、アスランは背を向け階段を駆け下りた。振り返れずに。
「アスラン」
 階下ではステラが、笑顔で待っていた。それにとても安心する。
「行こうか」
「うん。ごはんにしよ」
 ステラは持っていた籠を持ち上げて、首を傾けた。
 急に流れ着きやってきた妹は、とても可愛くて、とても素直で、周りを幸せにするこだ。
 アスランは、そっと再び繋いだステラのてのひらの温かさに、また涙を堪えた。ステラがきてから、見えなかったものと向き合うことが
本当に多くなった。
 待っててくれて、ありがとう。

 

 

  

「これ、ラクス作ったうさぎさん。これ、カガリ作ったタコ」
 ステラは指でつまんだ、林檎とウィンナーを得意げにアスランに向けた。
「お箸を使いなさい、ステラ」
「・・・・・・むずかしい」
「じゃあ、はい。フォーク」
「ん」
 素直に受け取ると、べたべたの手をナフキンで拭いて再びステラは懸命にお弁当の中身を説明しだす。自分で作ったのはおにぎりだけな
のに、得意げに自慢を続けた。
「上手になって、シンに作ってあげたらいい。あいつ、泣くから」
「なく?」
「かけてもいい。泣くね」
 不敵に笑うアスランの横で、ステラは首を傾げた。
 あの後、少し違う店を見て、たどり着いた市内の公園で手作り弁当を二人で広げているところだった。天気も良いし、人もまばらでデー
トには最高な日だった。
 病室で取り付けた約束は、ちゃんと実行されたわけである。
「シンと違って、俺は有言実行の男だ」
「シン?」
「なんでもないよ。そうだ、俺も書いたいものがあるんだ。後で付き合ってくれるかな」
 ほっぺたにご飯粒をつけたまま、ステラは大きく頷いた。手に握ったフォークにはウィンナーが豪快に刺さっている。
「ステラ、それ。なんだか串刺しみたいだな・・・・・・」
「ステラ。ナイフ、得意!」
 そう言ったかと思うと、ステラは立ち上がってフォークを一線に動かした。
 その動きはまさに切れのある鋭利な動きで、無駄のない構えは戦闘のできる者の証だった。
「やめなさい、ステラ。恥ずかしい」
「?はい」
 ステラは今日、ラクスの用意してくれた裾の短いひらひらしたミニスカートにコートを着ていた。とても可愛い。だが、それで今の動き
はちょっと・・・・・・と、アスランが冷や汗をかいていると、返事をしたステラは素直にベンチに戻った。
「夫婦喧嘩するときは、そういうのやらないようにな」
 ぽんとステラの頭に手を置いて、アスランは溜息をついた。

 

 

 


「シン」
 背後から声をかけてきたのはルナマリアだった。
 デブリ回収も無事に終わり、全員が帰艦したのを確認しハッチが閉められたばかりだ。
「なに?ルナ」
「あんたさ、小さな小箱、持ってきた?」
「え?」
 突然言われたことにシンは頭が回らない。ごつごつしたスペーススーツから上半身を出して、ヘルメットを取りルナを見返した。
「これぐらいの、小さいやつ。さっき食堂で皆がなんかやってるから見に行ったらね」
 小箱を囲んで、誰の落し物だという話になったと。
「シン?」
 ヘルメットの静電気で変な髪型のまま、シンはルナに返事もせず、ゆらゆらと進みだす。
 食堂のほうへ。
「あ、やっぱ、シンの?」
 ルナマリアは舌を出して、言う。
 あの大きさ、絶対あれよね。てか、なんで落とすわけ?いや、その前になんで持ってきたわけ?
「・・・・・・仕方ない。もうちょいイジメよっと」
 ふわふわと楽しそうにルナマリアが進みだしたその隣にレイが追いついてきた。
「シンか?」
「うん。あのバカ、大事なもん落としてたみたい」
 レイはひとつ頷くと、ルナと似た笑みを浮かべた。
「それはいけないな。助けてやらないと」
「そうね」
 二人は笑いあうと、シンとは全く対照的な足取りで食堂に向かった。

 

 


 
 目の前にはたくさんの色とりどりの飴が並んでいた。
 その飴は六角形をしており、まあるいわっかがどれも付いていた。
「これ、なに?」
「ルビーリングって言ってね、指にはめるんだよ」
 アスランがつれてきたのは、駄菓子屋である。
 狭い店内にぎっしり詰まったお菓子の山に、思ったとおりステラは夢中になった。そして、今はアスランの目的の飴コーナーにいた。
「どの色がいい?」
 ステラはアスランを見つめてから、すぐに俯いて飴たちを眺めた。
 視線が彷徨う。どうやら、青いのと赤いのとで迷っているようだ。
「・・・・・・こっち!」
 細い指が遠慮がちに赤い飴を指差した。
「じゃあ、買おう」
 頷くと、アスランは小さな指輪の飴を拾い上げた。嬉しそうに微笑むステラの笑顔にアスランは照れながら、心でガッツポーズをして
いた。

 

 

 

 食堂には猛々しい叫び声が響いていた。
 
「これはっそのっだーーーー!!」
 どっと笑い声が沸く。食堂にはミネルバの船員が集まり、寛いでいた。その中心でシンが仁王立ちで叫ぶという構図だ。
「そのだってなによ」
「だな」
 ルナマリアとレイは少し離れた場所で、座って事の成り行きを眺めていた。その寛ぎようは他を超えている。手元には紅茶と茶菓子が置
いてあるのだ。
 しかも、ルナマリアは高精細小型カメラを持ち、シンの必死な姿をしっかり納めていた。
「ステラちゃんにあげるんだろ?認めろって」
「・・・・・・ぐ、ぐう」
 シンは呻いたまま、赤い顔でとまる。もう側のヴィーノとヨウランは楽しそうな笑顔がやまない。
「にしても、周知の事実なのに何をシンは意地張ってるんだろうな」
 レイは、頬杖をついてさほど興味なさそうにシンを見つめて言った。頑なにシンは否定するのだ。それは指輪の箱ではないと。
 今はシンの手に小さな小箱が収まっている。叫ぶからか力むせいか、遠めに見てもその箱は少しひしゃげて見えた。
「・・・・・・まだ、言ってないからじゃない?」
 しっかり写真を撮ってから、顔を上げたルナは言う。あの小箱、実は大分前に買っているはずだった。
 シンがどんなものが女の子が好きか、ルナに聞いてきたことがあったのだ。流行がどうとか言うから、そうではなくてシンの好きなもの
を選ぶべきよと言ったのは、確かステラが怪我をする前だ。
 艦内を舞う噂では、結局シンがステラにプロポーズさせた、というのが真相となっているためにシンはミネルバではすっかりヘタレ扱い
である。
「押しが足りないのよ、アイツ」
「同感だ」
 ルナのあきれた顔にレイが苦笑した。思わず笑ってしまったレイだったが、気づいて目の前のルナを見ると慌てて顔を逸らされた。
「・・・・・・ルナマリア?」
「なんでもない」
 レイから見て、ルナの頬は赤く朱がさして見えた。なんでもないことはないだろう。
「赤いぞ、熱か?」
「なんでもないったら!」
 思わぬ勢いでルナに返され、レイは怯んでとりあえず頷いた。
「だーかーらー!!放っておいてくれって!これは、その、あれだよ!ふっふっふ、」
『ふっふっふ?』
 そこにいた全員が声を揃えて、その意味不明なシンの言葉の先を待った。
「復帰祝いなの!!」
 全員が白けたのは、言うまでもない。

 

 


 俺は決めたんだ。
 ちゃんと、ちゃんとプロポーズするって。
 あの丘で渡すはずだった、君と俺を繋ぐもの。でも、渡せなくて。
 君は乗り越えなければならない壁を、俺の前で体当たりで越えたあのときは。

 その後、君が目を覚ましたその時、どうしてかな。
 俺は君より、覚悟がなかったのかもしれない。
 俺より、君のが大きいのだと思う。
 
 先に、誓いをもらったから。
 
 だから、夜景の見える高級レストランでとは言わないけれど、一生の思い出に残るような、そんな渡し方がしたい。
 これは、シン・アスカのしょうもないプライド。
 笑ってくれていい。
 俺は、そうしたいんだから。

 

 ミネルバはオーブの港に帰港していた。
 無限の海から、この星へ帰ってくるのはいつでも感慨深かった。大気圏はいつでも嵐だ。この時ばかりは戦をまざまざと思い出す。
今となっては、そんな危険は本当に減った。
 燃え滾る業火も、命を消す豪雨もない。世界は歩みだしたのだ。

 帰港に伴って、クルーは甲板に出て敬礼する。
 その先にはカガリ、ラクスの姿が見えた。

「ステラ・・・・・・」
 自然とシンは目で愛しい人を探す。見当たらない。
「どこにいるんだろ」
 今回が長旅だったので、迎えにいきたいと電子メールがきていたのに。
 ステラの姿は見えなかった。
「シン?」
「・・・・・・え、あ。いや」
 レイに覗き込まれ、シンは改めて敬礼しなおした。心は決して穏やかではなかったが、タリアにまたどやされるのは嫌だった。
 それにしても。
「なんでいないわけ・・・・・・?」
 シンはちょっと不満だった。楽しみにしていたのだ、ステラが自分の名を呼びここで待っていてくれるのを。
 そうしたら、降りたらすぐ抱きしめて、帰ろうって抱き上げてあげたかった。
「ステラ!急げ!!」
 しょぼくれているシンに何故かアスランの声が届く。
「アスランさん?」
 アスランはステラの手を引っ張って、帰港してくるミネルバの下へ走っていた。必死に。
「ステラ!?」
 シンは敬礼などさっさとやめて、身を乗り出した。こけかけていたステラがこちらを見上げ、笑顔になる。
「シーンー!」
「ステラ!」
 下から見上げ、手を懸命に振るステラの姿にシンは涙が滲むのを感じ、下を向くのを慌ててやめた。
 いけない、どうも最近涙腺が弱いようだ。シンは腕で顔をぬぐって、帰港完了したミネルバに架かった橋を真っ先に駆け下りた。ま
だ港までたどり着けていないステラを迎えに走る。
「ただいま」
 駆け寄ってきたステラは思い切りシンに飛びついて、頬を寄せる。
「おかえり、シン!」
 間近で見るステラの瞳は本当に綺麗で、シンは見惚れていた。しかも背後には夕日。金色の髪がオレンジにきらきら輝いた。
 可愛い俺のステラ。
「シン?」
「ん。可愛いなと・・・・・・思って。はは」
 不思議そうな表情でステラは見返したが、シンが笑うので一緒に笑った。確かめたいのか、ステラはしばらく離れずにシンの顔や頭
を触る。それを少し離れた位置でアスランが嫌そうに見ていた。
 へーん。ステラは俺のものだよ。
 シンは得意げにアスランに向かって、微笑む。いつもならここでアスランが地団駄踏む展開なのだが、何故か彼は今日は余裕の笑み
で返してきた。
 ふんってな具合に。
「ごめん、ね。おかし、買ってたら時間になってて」
 ステラは少し悲しそうに呟いた。ステラはステラでシンの帰港を港で待ちたかったのだ。できず、間に合わなかったことにショック
を受けているようだった。
「いいよ。そんなの。顔、上げて」
「シン」
 頷いて、ステラはゆっくりと微笑んだ。いつ抱いても軽いステラ。儚くて消えてしまうのではないかと心配になる。ルナほど逞しく
とは言わないが、もう少し存在感があっても良いような気がした。
「?」
「なんでもない。たくさん食べような!」
「?うん」 
 シンの意味不明な自己納得にステラは首を傾げながら頷く。
「帰ろうか」
「うん!」
 元気に返事して、体を離すとステラはシンの手を握った。
「・・・・・・」
 その瞬間、シンの動きが止まる。
「シン?」
 時が止まったようにシンは動かない。ステラは横から覗き込んで様子を見た。
「シ、シン。かお、こわい」
 ステラは驚いて、少し身を引いた。が、シンはステラの手を離さなかった。
 しかし、シンはまだ動かない。その背後で、アスランが実に軽快に笑った。
「はははは、シン!お疲れだったな。俺の勝ちだ」
 その声に漸くシンは、ぎぎぎ・・・・・・とアスランを振り返った。
 ロマンチックだった夕焼けは、シンとアスランの間で決戦の撃ち合いのような背景に取って代わる。
「・・・・・・こ、これ、これ・・・・・・なんなんだよぉ!」
「俺からのプレゼントさ。な?ステラ」
 シンは震える指で、自分と繋いだステラの指にはめてあるものを指した。
「うん。これ、アスランくれた」
 にっこり笑って言うステラに罪はない。
「しかも!しかも!しかも!薬指じゃないか!するか、普通?やるか?そこまでっ」
 シンの怒号が港に響き渡る。その背後をクルーたちが呆れた顔で次々に通り過ぎていった。気持ちは皆同じだ。
 お疲れ様。
「いいじゃないか。ただの飴だぞ。了見が狭い奴だな」
「アスラン・ザラー!!」
「ステラ、こんな気の短い旦那でいいのか?考えなおすか?」
「いい加減にしろー!!!」
 叫んで、シンはステラを胸に抱きこんでアスランを睨んだ。
「アスランさんにはカガリがいるでしょ!どうしていつまでも俺たちの邪魔ばかりするんです」
「していないさ」
「してる!あんたはイヤな奴だ!」
「当然」
 おろおろとステラは二人の間で視線を彷徨わせ、向こうに見えたラクスたちに助けを求めた。
「た、たいへん。けんか、する」
「あらあら、まあまあ」
 カガリと顔を見合わせ、ラクスは暢気に笑った。いつものことである。
「今回の原因はなんですの?」
 誰も答えるはずもなく、ラクスの声を掻き消すようにシンの叫びが再び轟いた。
「俺より、先に指輪渡すなんて・・・・・・もう絶対許さないからなー!!」
「・・・・・・そういうことですの」
 この後、シンとアスランが暗くて周りが見えない時間になるまでやりあったのは言うまでもない。

 

 

 

「はい」
 ステラはそっと、その腕輪を差し出した。
 シンはというと、家に帰ってきてからもまだおさまらない様でそっぽを向いたままでいた。
「・・・・・・」
「これ、ステラ。シンに」
 小さなステラの両手に乗っているのは朱い硝子玉と三つ葉の金具が嵌め込まれた腕輪。きらきらと輝いていた。
「オノゴロ、緑の土地。このはっぱ、シンの」
「ステラ・・・・・・」
 ステラの指にはまだルビーの飴がはめてあったが、シンはもうどうでもよくなって、その腕輪を見やった。すると、ステラは嬉しそう
に笑うとそれをシンの腕につけた。
「これ・・・・・・、カタバミの葉だね」
 つけてもらいながら、シンは愛しい人のおでこに自分のおでこを乗せた。
「かたばみ?コニア、これしゃむろっくって」
「うん。シャムロックていうのは三つ葉のものの総称なんだ。カタバミは・・・・・・君みたいな花が咲く」
「ステラ?」
「うん。小さくて黄色の、可愛い花」
 オノゴロにいた頃は、そんなもの気に留めてみたこともなかった。地元が緑の土地と呼ばれようが関係なかった。でも、今は誰よりも
その土地が知りたかった。覚えていたかった。
 決して、忘れないように。そこにあったことがなくならないように。
「花言葉は、輝く心。そのまま、君のことだね」
 なんて可憐で可愛いことだろう。ステラとおでこをあわせたまま、シンはそっとキスした。
 会いたくて。会いたくて。
「・・・・・・君に渡したいものが、あるんだ」
 口唇を離すと吐息ほどの声で、シンは言った。ステラは瞳を瞬かせて、こちらを見た。
「でも、これ。食べたらね」
 カーペットにぽてっと添えてあるステラの左手を握って、ルビーの飴を突く。
「これね。もったいない・・・・・・」
「え。一生つけとくの?ステラ・・・・・・」
 シンは思わず、ずっこけそうになってステラを見た。
「ううん。おいとく」
 そういうと、ステラは指から飴をとって、引き出しにしまってある小瓶を取り出した。
「ね」
 入れて、こちらに嬉しそうに見せる笑顔が眩しい。
 シンは頷いて、腕を広げた。
「おいで」
「シン」
 抱きしめて、ゆっくりその存在を確かめる。
 温かいステラ。
 なんて安心するのだろう。帰って来る場所がある。待っていてくれる人がいる。
「ありがとう」
 離さず、ただ強く抱きしめる。
 手に入れた温度は、なんて穏やかで温かいのだろう。感謝の言葉が口をついて、出る。
 でも。


 指輪は、今度にしよう。

 

 シンはおしりのポケットでくしゃくしゃになっている小箱を思って、目を伏せた。

 

 

  


 

短編のつもりが!!!

ああ、なんて駄目なぼく。ごめんなさい。平謝り。

 

アスラン?へへ、別人か・・・。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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