ずっと一緒。
たとえ闇に包まれて、足もとが見えなくても。
巡り合えた奇跡、どんな空の下でも。


君と歩みたい、初めの一歩。

 


「ね、シン」
「なに。ステラ」
 隣で本を読んでいたはずのステラは、興味の対象をシンに変えてこちらを見つめていた。
 その不思議そうな瞳が真っ直ぐで、シンはどうしても落ち着かなくなる。せっかく、ステラがこちらを
見てくれていたが、熱い頬を感じてすぐに顔を反らした。
「シン、あめ、嫌い?」
 今日は雨。
 起きた時、窓の外のどんよりした表情に溜息をついたのは、数時間前。
 せっかくの休日。月に何度かしかステラに会えないというのに、約束の日にそんな顔をしなくたって。
苦く噛みしめながら、バイクにエンジンをかけた時にはもう空は泣きだす始末で。
 買い物にいこう。そう約束していたのに。
「ん、嫌いじゃあないよ。ただ、今日は晴れてほしかった、かな」
 シンは短く今朝の落胆を回想し、少し落ち込んだがすぐに振り払って目の前の愛しい人に返事した。
「ステラ。雨も、すき」
「そう」
「シンも、すき」
「そう……え?あ、そう?そうか」
 聞き間違えたかと思ってシンは何度も一人で頷く。横の彼女は楽しそうに笑った。
「だって。ずっとここにいる。シン」
 ステラはそっと、ゆっくりシンの服の裾を引っ張り、続けた。
「お外、すき。楽しい。でも、こうしてずっと、くっついてられないから」
 そう言い終えると、微妙に開いていたシンとの距離を詰めるようにステラは体を寄せた。
「う……」
 無邪気なステラ。
 カーペットに寝そべって、仲良く二人で窓際で雨音を聞きながら本を読んでいた。シンにとって、守
らなくてはならない「距離5センチ」。
「俺の理性、5センチが……」
「りせ?」
「なんでもない」
 なぜこんなに自分ばかりが情けないのか。自分ばかりが必死なのだろうか。
「難しいこと、まだ無理だけど……感じるのは、できる」
 ステラの優しい呟きが、腕のところで響く。小さな黄金色した頭がシンの肩に凭れかかるのと一緒に。
 しとしと降る雨音と、少し薄暗い部屋の中、二人きり。
 この世に本当に二人っきりになってしまったような錯覚がした。

 りんごん。

 訪問を知らせるこの音がするまでは。


 

「おい。そこまであからさまに嫌な顔することないだろ。居ずらいじゃないか」
「そう思って貴方が帰ってくれるようにしてるんです!」
 飄々と謝りもせず、アスランは可愛いステラからお茶を受け取ったりしている。
 なんだというのだ!この人は!
 猛烈にシンは怒っていた。せっかく二人きりだったというのに。雨もいいかな、なんて思っていたと
ころだったのに……。
「シン。手、痛くなる。だめ」
 知らずシンが握りしめていた拳をステラが傍にやってきて、手にとって指を一本ずつ離させた。その
仕草はなんとも甲斐甲斐しくて、見ていたアスランは大袈裟に溜息をついて見せた。
「いいな、お前たちは平和そうで。羨ましいったらないね。ますます居ずらいよ」
「じゃあ、帰れ!」
「シン」
 噛みつくように吠えるシンにステラは慌てて、飛びつく。
「だめ、アスランいじめちゃ」
「ステラ、いや」
「だめ」
 腕に胸が当たってるんですけど……。
 なんて思いながら、必死に止めるステラに困ってしまいシンは動きを止めた。
「あーあ、カガリもステラみたいに素直ならな……」
 アスランは心底、羨ましそうに呟く。
「それ、あんたでしょうが」
「俺は素直だぞ」
「いや、違いますね。あんたが素直じゃないんですよ、帰って彼女に謝って話し合って下さい。自分で
言えないなら俺から通信しましょうか?ステラ、通信機取って」
「シン、つれないぞ。お前と俺の仲だろう」
「そんな仲、ありましたっけ?」
 思いきり冷たい半眼でシンはアスランを睨む。いつもこの人に故意にステラとの時間を邪魔され続け
ているのだ。それなのに「俺とお前の仲」なんてよく言ったものだ。
「冷たいもんだ。な、ステラ」
「アスラン」
 呼ばれて嬉しそうに笑顔を見せる傍のステラに、一層シンは面白くない。
「で?」
 結局こうなるのだ。 
 シンはこの訪問者の相談で、今日が潰れるのを覚悟して結局先を促した。

 

 

 

 つまり、いつもの痴話喧嘩であった。
 本当につまらない。いつもの。

 シンは呆れた顔を隠しもせず、頬杖をついたまま嘆息した。
「なんだ、その溜息は!おかしいにはカガリだろう、俺は悪くないのに」
「その考え方に問題があるかと思いますけど」
 手元にあるステラの入れてくれた紅茶はもう二杯目だ。つらつらと続くアスランの愚痴を黙ってこの
まま聞き続けていたら、お腹がちゃぷちゃぷになりそうだった。
 聞いていないシンに向かって未だ彼は愚痴っている。
「シン、はい」
 キッチンからやってきたステラの手には可愛い編み籠に蒸しパンが並んでいた。
「いい匂い……ステラ、これ作ったの?」
 姿が見えないと思ったら。
「うん。ラクスがね、火を使わない、お料理ならって教えてくれる」
 キッチンには周囲の大人全員の意見で、コンロがない。
 ステラにオーブにある一角の住まいを与える、となった時に様々な討論が為された。階段がない方が
いいとか、窓は二階にいらないとか。面白いほど、全員真剣だった。
 その結果、この家には火の元はなく、レンジとオーブンだけが納められ、二階建てではなく一階建て
のバリアフリー並みの段差ない作りとなった。
 おまけに鍵はなく、声紋認識ときた徹底ぶりである。
「おいしそうにできているな、ステラ」
「食べて、アスラン」
 籠をテーブルの真ん中に置くと、アスランのカップにお代りの紅茶を注いでやる。
 甘くて美味しそうな匂いが鼻をくすぐる。白くてまあるい蒸しパンには、色とりどりのドライフルー
ツが顔を覗かしている。なんとも、可愛らしかった。
「この、赤い実。シンのめ、みたいなの」
 ステラは一つ手にとって、楽しそうにアスランに差し出して見せる。
「本当にステラは、シンが好きなんだな。俺、ますます妬いてしまうよ」
「やく?焼いてない、蒸した。ラクス怒るから」
「はっは、そうじゃないよ。ステラ。ステラをシンにあげたくないなってこと」
 言ってアスランはステラの頭をぽんと叩いた。
 意を解せず、ステラは不思議そうに小首を傾げた。その二人の会話にどうも平静でいられないのシン
だ。目の前で自分の話をしないでほしい。恥ずかしさは募るばかりだ。
「いただきます」
 シンは勿体ない気持ちを振り切って、手にとった蒸しパンに齧りついた。
「あ」
 口に運んだシンの動きが止まり、数回租借したかと思うとぴったり動かなくなる。
 ステラは不安に満ちた顔でシンを振り返った。
「……ごめ」
 言い切らないうちにシンは席を立った。
 食べかけた蒸しパンをテーブルに置いたまま、足早に隣の部屋に行ってしまう。
「シン……!あ、う、ど、しよ、おいしくない?ああ」
 ステラは突然のことに、追いかけることができずうろうろした。
「なんだ、アイツ。おいしいぞ、かなり」
 手に持った蒸しパンを同じように齧ったアスランは言う。
 どうしたというのだろう。
 何かおかしなことをしただろうか。言っただろうか。
「ステラ、大丈夫。あいつ、怒ったんじゃないと思う」
 こういう時にどうすることがいいのか、ステラは知らなかった。不安で、ただ訳が分からず戸惑って
いた。シンの見せた初めての不可解な態度に。
「こういうときは、側に行ってあげるんだよ。ステラ」
「……うん」
 怖い。
 ステラは純粋にそう思っていた。
 言葉のうまくない自分を自覚している。うまく気持ちが伝えられなくて困らせる。そんな自分にシンと
話すことができるのだろうか。
 シン、どうしたの。
 見えないシンの背中に、ステラは初めて自分から歩み寄るという試練にぶつかっていた。

 


 同じ味がした。
 母さんが、まゆと一緒に作ってたお菓子。
 お兄ちゃんにはあげないんだから、そう言って口を尖らせた妹。
 初めて好きな子にお菓子をプレゼントするのだと、楽しそうに母と二人キッチンに立っていた姿。
 味見してと、そう言って最後に渡してくれたあのケーキ。
 同じ味がした。


 透明な涙が幾度と頬を流れるのを感じた。
 なぜだろう。今、こんなに幸せなのに。家族の墓前にも冷静に立つことができるようになったのに。
涙が止めどなく流れた。胸が掴み取られたように痛む。
 甘くて、優しい。そんな味。
 なんだかそれは「愛してるよ」と言われているような、そんな温かさで。
 まゆの作ったお菓子はお世辞にも、無茶苦茶美味しかったわけじゃない。形も歪だった。でも。

「っく……あ、ああ」
 手が自然と空を切った。
 知らずと何かを求めて、手を伸ばす。
「俺……母さん、父さん、まゆ……俺」
 俺だけ。
 俺だけこんなにも幸せで。生き残って。幸せで。
 ステラのくれる愛に癒されて、どうして俺はこんなにも。
「ごめん、ごめ……」
 勝手知ったるステラの家。リビングの隣のこの部屋はステラの為の小部屋で、ベッドと可愛らしい家
具が並べてあり、目に入るのは女の子らしい小物たちだった。
 いつもは気にならないこの部屋のものが、どうしてか目に入る度苦しくて亡くした妹の名を繰り返す。
 大好きな家族。
 いつか両親のように愛する人を見つけて、家族が持ちたいと思っていた。恥ずかしくて口にしたこと
なんかなかったけど、そう思っていた。
 思春期でどうしてもなかなか素直にこ言葉にしなかった自分。父や母、妹にもっと伝えたいことがあっ
たのに。力を手にして戦いだしてからも、ずっと俺は後悔ばかりしいている気がする。
 どうしてこうも同じことを繰り返してきたのか。
 結果、こうして自分の不甲斐なさに泣くしかないのだ。
「シン」
 声は控えめだったが、空を彷徨っていたシンの手をステラが強く握った。
「シン」
 驚いたように見開かれた朱い瞳でステラを捕えると、シンはすぐに逸らした。
 そして、拒絶するように掴まれたその手を振り解く。
「ひ、一人に……してほしい」
 ステラから返事はない。
 こんなふうに言うのは初めてだろう。ステラは意味を理解していないかもしれないし、シンは今彼女を
傷つけているかもしれなかった。だが、今はどうしても余裕がない。自分が何をするかわからなかった。
 側で気配がする。
 離れるためにステラが動いたようだった。ほっと少し安堵してシンは頬を拭った。
「!」
「いやだ」
 視界が暗くなる。
 ステラがシンの頭ごと自分の胸に抱きこんでいるようだった。
 ゆっくりとステラの心音だけがシンの心に響く。
「いやだ。シン。一人しない。シン、ステラまもる。約束。もう離れない」
 確かめるような声。シンの中で、がちがちに固まっていた心が溶け出すように温まる。母に抱かれている
ような、そんな温かさ。
 ステラを思うと、どうしようもなく泣きたくなった。
「ステラ、あたま、悪いから、こういうのわからない。でもラクス教えてくれた。大好きなひと、側にいる。
こっちきちゃダメっていわれても逃げない。ステラしか、だめ。ほかの、ひと、シンにだめ」
「……ほかのって……俺にはステラだけだよ」
 ステラは必死に顔を横に振った。
「おとうさん、おかあさんとまゆ。シン、連れてく。だめ、ステラが全部なるから。そっち行かないで」
「ステラ」
 言葉が出ないくらいにシンは驚いていた。
 ステラが家族の名を言った。話したことは数回しかない。しかも「死」に纏わる話だしステラには進んで
話してはいなかったのに。
 目の前の彼女は必死で訴えていた。
 自分を見てほしいと。
「足りない、なら。ステラ、全部あげるから」
 今度こそ、驚きのあまり声が出ない。ステラは意味がわかって言っているのだろうか。いや、どういう意
味で言っているのだろうか。アスランが聞いたら卒倒しそうだ。
「ルナが教えて、くれたよ」
「何を!?」
「ステラのあげ、かた」
「ええ?ルナが?え、まって。ステラ、あの」
 この狼狽ぶりは他人が見たら笑うだろう。シンは内心もうどうすればいいのかわからず、逃げ出したい気
持ちで一杯だった。
 すきなこにここまで言わせるのもどうかと思うし、何より隣の部屋にアスランがいるし、まだ真昼間だし。
「シン。ほしい?」
「だー!」
 なんでだ!なんでいつもこの展開なんだ!
「こたえて」
「…ス、ステラぁ……」
 困り果てたシンは情けない声を出す。
「そりゃあ。ほしいよ、ステラが。当たり前だろ?俺だって男なんだし好きな子だし、一緒にいるのにいつ
も我慢してるんだから。しかもここでは二人きりだし、でも逆に手を出せないというか。だって絶対ここ監
視されてるし、アスランに何言われるかわかったもんじゃないし、でも本当はこうしてたまにしか会えない
のに触れ合うだけってのは苦しいというか、その。いや、でも今は俺、情けない理由でなんか。これって慰
められてるってゆうか、ステラからしたら同情の部類ではないかとか」
 シンはありったけ喋った。もう訳がわけっていなかったのだ。
「じゃあ、あげる」
「そう、だからねって、え?」
 静止してステラを確かめるように見つめた時には、ステラの綺麗な瞳に自分が映っているのを見た。
 やはり触れるだけの、幼いキス。
 柔らかく、そっと。
 でもシンは安堵していた。よかった、ルナマリアが教えたことは想像と違ったようだ。
「シン」
「え……はい」
 離れたかと思うと、ステラは真っ直ぐにこちらを見た。
「ステラと結婚して下さい」
 俺の思考回路、ショート。

 


また長くなりそうです。

ごめんさなーいっ

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