ステラにとって、人との関係性というものがよくわからないことだった。
 肉親、兄弟、友達、上司、そういった名前以外についた相手の「名前」。どういう基準でそう位置付けられ
決まるのか、本当に理解できないでいた。
 だから、貴方にとってシンはなに?と問われても、返す言葉すら思いつかず黙るしかない。
 しかしそうであることで、シンが少なからず傷ついていることは感じていたし、「何か」と問われ、それを
明確に答えられる事は、とても良いことなのだろうと周囲をみてステラは実感していた。
「わたくしにとって、キラは何にも比べることが出来ないほど大事な人なのです。それが私の恋人ですわ」
 そう言ったラクスはきらきらして見えた。ステラには言葉の意味よりも、その溢れ出る輝きが羨ましくて、
シンのことを自分も恋人ですと言えば、そうなれるのかとまで考えた。
 だが、そういうことではなかった。
 口にしても、何も湧かない。
 何が違うのだろう。わからない気持ちでいっぱいで、逆に不快になった。
 そして、またその壁に今ぶつかっているのだ。


 ルナマリアは、ステラを真っ直ぐに見つめていった。
「貴方にとって、シンは何なの?」
 その双眸はどこかステラを責めているようで、ステラは受け止めながらすぐ俯いてしまった。
「ステラ」
 初めてルナマリアに出会ったのは、ミネルバに連れて行ってもらったあの日。
 オーブの記念式典があり、開会の主砲をミネルバとアークエンジェルで撃つことになった為、いつも仕事で
遠征ばかりのシンが、ステラを仕事場に連れて行ってくれるといったのだ。
 そして、ディスティニーに搭乗しなくてはならないシンの代わりにステラの相手をしてくれたのがルナマリ
アだった。真紅の髪が美しい、優しく意思の強そうな瞳が印象的な女性。ステラにとって、目を覚ましてから
というもの周囲は甘い人間ばかりだったので、彼女の言動は新鮮だった。
「こんな子のどこがいいのかしら」
 ステラは思わず、顔を上げた。
「……初めて貴方に会ったときも、そう言ったわね。私」
「……ルナ。シンにステラ、隣だめって」
「言ったわね」
 なぜルナがそういったのか、以前も今もわからない。
 でも言われたことに、悲しいわけでも、苦しいわけでも、怒りを感じたわけではなかった。ステラには理解
できていなかったのだ。
「ねえ、ステラ。私はあんたが嫌い。でも教えたわよね」
「ステラのあげかた?」
「そう」
 嫌い、という言葉にステラの胸はもやもやした。
 どうしてだろう、ルナの顔は怒ってもないのに、言葉はとても冷たい。
「シンに泣いてほしくないし、幸せになってほしいの。私はそのためにあんたに言ったのよ。わかる?」
 ひゅうっと冷たい風が頬を掠めた。そのまま出てきてしまった為、ステラは上着も着ずに立っていた。
「ごめん。入って、とは言いたくない」
 寒さに肩を竦めたステラに、玄関先に立ったままのルナは扉にもたれながらそう言った。
 彼女もセーターの首元が寒そうだ。雨は止んだが、もう冬の訪れているオーブは耳あてすら必要な気温だった。
「私、これ以上嫌な女になりたくないから、貴方に譲ったの。ほら、もう帰って」
「ルナ!」
 閉まりかけた扉をステラは勢いよく走り込んでとめた。
「っ痛!」
「ちょっと!」
 背を向けていたルナにはステラの行動は見えず、扉に差し入れられた手に気づいていなかった。気づいた時に
は白くて小さな手が挟まっている。
「何してるのよ!」
「ルナ」
 ステラは自分の手を気にもせず、扉を掴むと開いた。
「お話、したい」
「私はしたくない」
「シン、すき。ルナ、シンのすきなひと」
「何言ってるのよ」
 思いも寄らぬほど強い力でステラは扉を閉めようとさせず、言葉を放つその瞳も燃えるように赤かった。
「何よ……」
 ルナは睨んだその瞳を細めるようにして、白い息を吐いた。
「やっぱり、だった、の」
 ステラは目を逸らさず、ひたすらにルナを見つめて続ける。
「シン、ステラいらない。シン、ルナひつよう。比べられない、大切なひと。それがコイビト」
「あ、あのね」
 思いつく限りの言葉でステラは必死に訴えた。
 ステラをあげる方法を教えてくれたルナ。教わった通りに言ってみたけれど、シンは倒れてしまった。苦
しむようなことを言ってしまったのだ。卒倒するほどに。
 シンが死んでしまうと思った。このままでは。
 自分では救うことが出来ない。ルナなら大丈夫、シンはルナのことが好きだから。
「お願い、シンとこ、いって」
「はあ?あ、あのね。ステラ、話が見えないんだけど……あんた、シンに言ったんでしょ?結婚したいって。
なら良かったじゃない。私に報告しに、」
「シン、ステラじゃだめ。ルナ、すき。ルナすきって言った。お願い、シンのところ、きて」
「……何いってる、のよ」
 腕を掴んで引っ張っても、ルナは頑なに玄関から出てこようとしなかった。ステラの力も相当なものだった
がルナだって軍人なのだ。敵うわけがない。
「もう!わけがわからないっ」
 ルナは苛立ったように言う。怒っているのだろう、でもステラは退くわけにいかない。
「おねがい」
 懸命にステラが引っ張り、顔をあげたその時、背後で物凄い音がし出す。
 ざああああああ。
 続いて、雷鳴。
「なに……?」
 ステラは驚いて、振り返った。
 大粒の雨が空から物凄い勢いで落ちてきて、地面はばちばち音を立てていた。見上げると、雲がうねり絶えず
ぴかぴかと光った。少し遅れて轟音が鳴り響く。
 嵐だ。大雨と雷。
 左右に揺れる木々がざわめく。少し離れたところに見える海も灰色をしていた。
 その景色に暗くステラの双眸が揺れる。
「ステラ、入って!」
「や!いくの!」
 ルナの声に我に返ったようにステラは声を上げた。
「濡れているでしょう!」
 頭から水をかぶったかのように、もうステラは全身ずぶ濡れで金の髪が元気なく顔に張り付いていた。
「ルナ、シンとこ、いって。約束」
「ちょっと、ステラ!!」
 あんなに強く引っ張っていた腕をステラは放して、大雨の方へ歩き出す。
 悲しいってこうゆうこと。
 伝わらないってこういうこと。
 シンにも、ルナにも、ステラの言いたいこと、伝わらないのだ。
 そう理解した途端、気が付けばステラの瞳からは大粒の涙があふれていた。とめどなく溢れたが、冷たい雨と
混ざってステラは自分が泣いていることに気づかず、気が付けば海岸に辿り着いていた。
 

 

 
「ルナ、ルナ!」
 ちょうど、ルナが上着を着てタオルを持ち、傘を二本握ったその時にチャイムが連打された。
「シン?」
 玄関を開け、顔を出すと案の定シンが必死の形相で飛び込んできた。この嵐の中、バイクで来たのか物凄い
濡れようだ。
 シンは犬のように頭を振って、急いでいった。
「ステラは?」
 真っ先に口にする名前。
 ルナには随分前からわかっていたし、知っていることだった。でも、認めてやるには自分の心が邪魔して時間
が必要だったのだ。苦い思いを飲み込んで、ルナは握っていた傘とタオルをシンの胸に押し付けた。
「ステラ、飛び出して行っちゃって。今、追いかけようとしてたとこ」
「!」
 この雨だ。すぐにでも追わねばステラの身が危ない。ルナにもそれはわかっていた。
「私は必要ならエマージェンシーかけるから、シンは先に行って探して」
「わかった」
 シンは短く返事すると、すぐに踵を返して雨に飛び込んだ。
 その背は頼もしく、守りたいものを必死に守ろうとするもので、ルナの好きな背中だった。
「あんたはいつでもそうだったね。ほんと……」
 そっと呟くと、振り返るはずのない背がこちらを向いた。
「シン?」
「ルナ!俺……ほんと、ごめん!俺、お前のこと、本当に心から好きだよ。今も変わらない。ずっと、アカデミー
の頃から。変わらない」
「うん」
 シンは泣いているのだろう。
 雨のおかげでわからなかったが、ルナにはわかる。本当に泣き虫なシン。
「守るという言葉に縛られて、守れなかった自分の心をお前に託して、勝手に救われてた。お前は知っていたんだ
よな。こんな俺の情けないとこ、知ってて一緒にいてくれた」
「……うん」
 己の弱さを見つめることができるようになったシン。ルナにとって、本当に大事な仲間であり、共有者。
「ステラが帰ってきて、一番にお前に言った。それも俺の勝手なエゴだったのに」
「私がいい女でよかったね?私が振ってあげたのよ」
 わざと意地悪く。ルナの今の精一杯だった。
「……私にも告白があんの」
 雨は更に激しく降り出す。自分の声も聞こえにくい。思ったとおり、小さくなった語尾をシンは聞き返した。
「ルナ?」
「私、本当はアスランが好きだった。最初から、シンが好きだったわけじゃない。ほんとはね、あんたなんか目に
も止まってなかったのよね……でも」
 黙って先を待つシンに、ルナは笑顔で言うことにする。
「私も、シンもさ。もう誰もいなかった。私たちだけになっちゃった。あの時。きっと、今まで変わらず姉弟みたい
なものだったのに、ごっこしてたのよ」
「ルナ」
 朱色の瞳が悲しそうに伏せられた。
 知っている。
 本当はそうじゃない。お互いに必要だった。求め合った。
 だから、手を取り合い、笑いあえたのだ。
「早く、行きなさいよ」
「ルナ」
 何か続けてシンの口は動いたが、雨音で届かない。でもそれでいい気がした。
 頷いてみせると、シンは今度こそ背を向けて走り出した。
 ゆっくりと小さくなっていく背中を眺めたまま、ルナは扉にもたれそのまま膝をついた。
「…ばか。……シンのばーか。いっちゃえ」
 熱い涙が頬を伝うのを感じる。改めて、いつの間にか本当にシンを必要としていた自分がいたことに気づく。
 どうしてだろう。
 こうして気づき始めた頃に、失うなんて。
「もう、こっちきちゃダメよ。シン……」
 もう見えないシンの背中にルナは微笑んだ。いつか、近いうちに、ステラに笑顔で会えたらと思う。
 それで、シンも私も笑顔であれるなら、きっと素敵なことだと思うから。

 


 

 海はうねりを上げ、叫んでいるようだった。
 ごうんごうんと波が渦巻き、見つめ続けていると勝手に足が進みそうだった。

 オーブの海。綺麗で穏やかで。
 ステラは海が大好きだった。記憶の遠く、どこかでそう感じる。海が好き。波音を聞くと、シンを思い出した。

 アスランが教えてくれた。 
 ステラは、海から来たんだって。
 海から、還ってきたんだよって。


「ララ」
 轟音に声が吸われるように消えていく。
「ラ、ラ……」
 それでもステラは歌った。いつものように舞うことは出来なかったが、歌うと心が放たれる気がした。
「シン」
 ごめんなさい。
 ステラのせいで。ごめんなさい。
 あそこにいれないなら帰る場所って、考えたらここしかなかった。だって、ステラは海から来たのだから。
「こんな荒れてちゃ、かえってきちゃだめみたい」
 無邪気に笑ってステラは纏わり付く髪を避けた。もう、髪も顔もぐちゃぐちゃだ。
「ラクス、ごめんね」
 買ってもらった可愛いワンピースが濡れて灰色になっていた。ふわふわで気に入ってたのに、今では体にべっと
り貼りついてしまっていた。
 ステラは砂浜にしゃがんで履いていたブーツを脱いだ。
 シン、怒るね。
 自然と笑いが漏れる。シンと初めてここにきた時、海に入ったら怒られた。それから、風邪もひいた。
「おかあさん。おとうさん」
 ステラは海に向かって叫んだ。
「ただいま」
 シンがステラのもとにかえってきたときにくれる言葉。
「ただいまー!」
 大荒れの海に向かって、もう一度叫ぶとステラは迷いなく歩みだす。
 まさにあと一歩で海へというところへ、大きな大きな波がステラに向かって降ってきた。
 ざああ!
「きゃ」
 声を出そうとした時にはもう波に飲み込まれ、ステラは再び海岸に投げ戻された。
「……ふ」
 眼を開けると、そこは元いた砂浜。ステラは顔を半分、砂に埋めたまま動かずにいた。
 ここもダメ?
 ここにも帰ってきてはダメだというの。
 ステラはどこに、帰れるの。


 お前、ほんと足手まとい。


「ア、アウ……ル」


 そう言ってやるな。ステラだって、がんばってるぞ。


「スティン、グ……」


 
 やれるな、ステラ。


「ネオ」


 滲んでは消えていく映像。言葉は浮かぶのに鮮明には顔が浮かばない。
 大事な名前のはずなのに。砂のように崩れていく。記憶は未だに曖昧で、断片的なものが浮かんでは消えた。
シンはいつかちゃんと思い出せるよって言った。それから、思い出さなくてもステラはステラだとも言った。
 無理に思い出そうとしなくても、今はそれでいいからそうなんじゃないって。
 
 ねえ、ステラは本当はここにいてはいけない?

「アウル」
 浮かんだ言葉を大切に唇にのせてみた。心が少し温かくなる。
「スティング」
 また、そっと紡ぐ。もっと温かくなった。
「……ネオ」
 ネオ。この名前だけは、いつも口にすると温かいのと同時に少し胸が痛んだ。
 ステラの手が求めるように海へ伸びる。
「帰りたいの?」
 まさに、一歩進もうとしたその時、背後から声がした。
 誰といても、どこにいても、この声だけはステラに届く。はっきり、しっかりと。
「ステラ、そいつらのとこに帰りたいの?」
 何故かわからなかったが、ステラは振り返れずにいた。
 シンの声は怒っているようだ。背中に鋭い視線を感じる。
「答えて」
 シンも、ステラに歩み寄ろうとはしない。
 二人の間に、ごうごうと風が吹き抜ける。少し落ち着いていた雨が思い出したように横殴りに降り出した。
「シン……」
 漸くの思いで、ステラはゆるゆるとシンを見た。
 大好きな温かいシンの瞳は、怒りに燃えているようだった。純粋に怖いと感じる。
「どうしてだよ!どうして、そんな顔すんの?ステラは、ステラは俺からまた離れていくのか……っ」
 悲しそうに歪むシンの双眸に、ステラは胸ごと掴まれたような衝撃を受けた。
 シン、シンの顔。悲しくて泣いてる。
「ステラ、どこか、で」
 見たことがある。
 ネオの機体が墜ちて行くのが見えて、怖い大きなフリーダムがステラの目の前にいて、
「フリーダム?怖い、消さなくちゃ……?あれ」
 自分の思考なのに、勝手に暴走していくかのように流れる断片にステラは頭を抱えて倒れ込んだ。
「こん、なの!しら…ないっ……ステラ、しら」
「ステラ?」
 様子が明らかにおかしいステラに、シンは我に返って駆け寄った。
「あああああ」
「どうしたんだよ、ステラ!」
「こわい、こわいこわい。フリーダム、こわす。こわす、しぬ。こわさないとしぬの!」
「フリーダムって……思い出したの?ステ……」
 言い切らないうちにシンの顎をステラの振り回した肘が捉える。我を忘れたステラの力は加減を知らず、
シンは体ごと横に倒れた。
「だめ……だめぇ……!」 
 ぜえぜえと肩で息をしながら、ステラは必死に砂浜を歩き出す。だが雨の強さになかなか前へは行けず、
足が砂に沈んだ。 
「駄目だって、どこにいくんだよ!」
「ステラ、こわいの、なくす。全部。ネオ、いない。アウルも、スティングも、だからステラもいない」
「行かせないっ」
「いやあ」
 渾身の力でステラは背中から羽交い絞めにするシンの腕を振り払った。
「シン、シン、ルナのとこいって」
 シンは不審そうに眉を寄せる。ステラが正気なのか、そうではないのか判断できないようだった。
「ステラ、いない。いない、みんなしあわせ。わかったの」
 尻餅をついたシンを見下ろして、ステラは言った。その表情は冷静そのもので、はっきりとした自分の
意思で話していた。
 頭がすっきりしない。靄がかかったように霞んで、シンが見えたり見えなかったりする。
 でも、はっきりとわかるのは、自分がここにいるべきではないということだった。ステラにとって、そ
れは大きな衝撃だった。こんなにも、出会った皆が好きなのに、ここにいたいと願ったのに、その人たち
をかつて傷つけたことがあったなんて。
 そうか。
 あの日、どうして雪の庭であんなにも悲しかったのか今ならわかる。
 シンの悲しみと涙は、他でもないステラ自身がさせたのだ。
 蘇ると、それは鮮明で、本当は触れたくて伸ばしたその手はシンが強く握ってくれた。そうだ、そして
やっと自分の気持ちが言葉になったのに、愛しい人の顔が見えなくなっていって。
 ごめんなさい、シン。
 
 ステラはその足を海へ再び向けた。
 迷いはない。
 そう思って進もうとしたら、後ろから肩を掴まれ、次の瞬間には衝撃があり頬がじんじんと痛んだ。
「……何度、俺は失えばいいんだよ……いないほうがいい?なら、出会わないほうが良かったんじゃない?」
 ステラはぼんやりとシンを見返した。痛む頬も押さえずに。
「ステラ、俺の気持ちは君に届いていないの?君が選ぶ道に、俺はいないの?」
 シンの瞳が真っ直ぐにステラを捕らえていた。その瞳は泣いてはいない。何かをじっと堪えるように揺らめ
いていた。
 ステラにとって、言葉はあまり意味を成さない。言葉によって、傷ついたり理解できたりすることの方が難
しかった。だが、今シンが自分に向かって投げかける言葉に痛みを感じていた。理由もわからずに。
「何度も言ったはずだろ。俺は君といたいって」
 シン。
「君のことが、好きだから」
 シン。
「どこにも、もう行かないでほしいって」
 シン!
 もうわけがわからなかった。とにかく溢れるこの気持ちをどうにかしたくて、ステラはシンの胸に向かって
抱きついた。勢い余って、二人して後ろに倒れたが気にせずありったけの力で抱きしめる。
 それでも、シンはステラの背に腕は回してくれない。
 いつものように抱きとめてはくれない。
「シン」
 砂だらけの顔を上げて、必死にシンの服を掴んでステラは続けた。
「すき。すきだよ、ステラ、シンのこと」
 痛いくらい瞬きもせずに見つめてシンに訴える。でも、シンの表情は変わらない。瞳はステラにはわからな
い色でゆれているだけ。
「ごめんなさい……ごめんなさい!もう、しない。もうしないから」
 同じように見つめてくれない、強い力で求めてくれない。シンはいつでも優しくて怒ったりしないだけにス
テラはどうすればいいかよりも、そうさせてしまったことに動揺していた。
「許して……」
 か細い声で、シンの胸に顔を埋めたままステラは懇願した。
 お願い、私をみて。
 願ったその時、脳裏に瞬間的に研究施設が過ぎった。これは、どこだろうか。思った時にはきえる。
「ステラ」
 長い長い沈黙のあと、シンは優しくそっとステラの小さい頭を撫でた。
「ずるいよ」
 涙で濡れた顔を上げると、シンは困ったような顔でこちらを見ていた。
「ずるい」
「シン」
 ステラの顔を見つめ、ふっと微笑むとシンは脱力して砂浜に埋もれた。雨がまだ止まない。上から降り注
ぐその強さに、少し眼を細めた。
 不安になったステラが、少しシンの胸をよじ登って顔を覗き込む。
「怒る?シン、ゆるす?」
「だからぁ……ずるいってば」
 がばっとシンは身を起こす。驚いたステラが後ろに引っ繰り返りそうになる。
「ステラ、俺まだ怒ってるよ」
 その背を受け止めてやりながら、シンは言う。
「いろいろ、怒ってる」
 ステラはどうしたらいいのかもわからず、背中に回ったシンの腕の温かさに少し安心しながらも戸惑いな
がらシンの服を掴んだ。
「ステラ、どうしたらいい?」
「そんな顔してもダメ」
 シンは困ったように服を引っ張るステラに、意地悪く言う。
「俺が何に怒ってるのか、わかってる?」
「……行こうとした、こと?」
「それだけ?」
 ステラの可愛らしい眉が困ったように更に下がる。シンにちゃんと答えなくては、きっとこの腕は離れて
しまう。
「結婚してくださいって言ったから?」
 一瞬だけ、シンの動きが止まる。だが、すぐに咳払いして横を向いた。
「ま、まあ……それもあるけど……あとは?」
「わからない」
「本当に?」
 大好きなシンはまだ意地悪な笑みを浮かべたまま、ステラを見返す。いつも優しくて、ステラの返事を黙っ
て待ってくれるのに。そんな猶予はまったくないようだった。
「……ごめ、んなさい。本当にわからない」
 沈んだ気持ちを抱えてステラはなんとか呟いた。きっと背中の腕が離れてしまう。
「ルナになんていったの?」
「ルナ?うん、ルナ、シンのすきなひと」
「……どうしてそうなるんだよ……っ」
 きょとんとした顔でステラは言う。その答えにシンは耐えられなくなったように、言い返したがやはりステ
ラは困惑した表情をするばかりで。
 そんなステラの頼りない腕をシンは徐に掴むと自分の胸に抱きこんだ。強く。とても強く。
「シ、ン」
「ばか!ステラのばか!やっぱり伝わってないんじゃないか」
「おこってる?ステラ、また」
「そうじゃないって。どうしてこんなに伝わらないの?俺はこんなにも君が……」
 苦しかった。
 シンの力はとても強くて、ぎゅうぎゅうと強まる腕に顔が胸に押し付けられた。息もするのが苦しいくらい。
なのになんだか幸せだった。シンの心臓の音がこんなに近くで聞こえてくる。
 その腕はステラを求めて止まないようで、温かく愛しかった。
「シン、ごめんね。ステラ、がんばるから」
「いいんだ。もうわかったから。俺の言葉じゃ君に通用しないんだから」
 不意に腕が緩められ、シンの両手がステラの顔を挟んだ。
「結婚するぞ、いいな」
 大好きなその瞳が見れたかと思ったら、ぶつかるような乱暴なキス。
 歯ががちがちあたって、互いに逃れているのか追いかけているのかわからなくなる。息継ぎもさせてくれない
シンに胸を叩いて抗議すると、やっと離してもらえる。
「ステラは俺のものだから。誰にも渡さないし、どこにも帰さない」
「……シン」
 ステラは自分の声が震えるのを感じた。つんと鼻の奥が痛い。
「いいな、ステラ」
 やっぱり最後は返事を問い返してくれるシン。
 優しくて、泣き虫で、自分が傷ついてもいいから大事な人を守り、背負っては打ちのめされ、それでも必死に
生きてきた愛しい人。
 意味なんてどうだってよかった。シンはステラがほしいと言ってくれてるのだ。
 ケッコンなんて、言葉。わからなくてよかった。
「はい、シン」
 嬉しい、胸が弾む。なのに返事をしたら、涙が溢れた。目の前のシンが驚きに満ちた顔で見返してくる。
 ステラ、おかしな顔してるかな。
「ステラ」
 次の瞬間、シンの顔がくしゃっと歪んで破顔すると、ステラを抱き寄せた。
 やっぱりその腕は強くて、痛いくらいに強くって、ステラを離す事がないものだった。

 雨は続く。
 抱き合う二人に降り注ぐ雨と風が弱まることはなかったが、誰もいない海岸で誓った約束に賛同するかのよ
うな音たちが止まないのだと。シンは、そう思った。
 離すまいと誓ったその腕を、今度こそ守れと。そう背を押されているのだ、と。

 

 

「今度は風邪、ひかなかった」
 ステラはにこにこと嬉しそうに笑う。手元には昨日読みかけて放っていた本があった。
「ん。アスランに怒られずに済んで助かったよ。ルナのおかげだな」
「ルナ、やさしい」
 無邪気にルナの名を呼ぶステラを、シンは少し複雑に眺めた。
 エマージェンシーを出さずにレイと二人で迎えにきてくれたルナ。お陰で大事にもならず、シンもステラもお
咎めなしだったのだ。そして、今はシンの休日最後の日をステラの家で過ごしていた。
 せっかく今日は二人きりで、アスランもいないのに。シンは迎えに来てくれたルナの顔が頭から離れない。
「ね、シン」
「なに?ステラ」
「この本、読み終わったら、外に行きたい」
 手元の本はラクスに借りたもので、もうあと数ページのようだった。
「いいけど、どこか行きたいところがあるの?」
「うん。お花買って、お墓つくる」
 言ったかと思うと、ステラは寝そべっていたカーペットから起き上がって近くの引き出しから一枚の紙を持っ
て戻ってきた。
「これ」
 差し出された紙には、慰霊祭の案内が記載されていた。
「もうすぐあるの。でも、アウル、スティングとネオ、まだお墓ないから。してあげたい」
「そっか……」
 オーブで年に一度、忘れてはならない日として、行われている慰霊祭。岬に小さな慰霊碑しかなかった頃と違い、
あの場所は今では花の年中咲き誇る場所と変わっていた。
 シンにとっても、特別な日であり、家族の命日であった。あの日からすべてが変わりゆき、今こうしている。ス
テラにとっても、そうなのだ。
 生きているものは、前に進むために思い出す。生きてゆくために、祈る。
 ステラも、生きてゆける道を選べるのだからこそ、大事な人たちを忘れたくないのだろう。安息の地を作り、お
かえりと言ってあげる場所で待っていたいのだ。
「ステラね、不思議なんだ。みんな、石にむかって話しかけるの。そこ、みんないないのに」
 彼女らしい言葉だった。
 こんなちっぽけな、こんな場所。そう思ってまゆの携帯を握りしめたことがあるシンには、考えさせられる言葉。
「しんでしまったら、ここにはいない。石のなかにもいない」
「ステラ」
 言いながら、そっとステラは息を吐いた。自分の胸に手を当てて、今そこで心臓が動いているか確かめるように。
「でも。この本に書いてあるの。年に一度、かえってくる日があるって。だから、ここにいる人間はご馳走用意して
おかえりっていう」
 ラクスの本を握り締めて、シンに向けた。その様子が必死で可愛い。うまく説明したいのだろう、もどかしそう
にしてステラは幾分かの文章を拾って、シンに見せた。
「それがしてあげたいんだね、ステラも」
「そう!」
「じゃあ、それ読み終わったら行こう」
 シンは愛しくてたまらないステラの頭を撫でてやり、ポケットから通信機を出した。
「シン?」
「俺、いいこと思いついた」
 にっと笑って、シンは通信を始めた。

 

 

 真っ白な雪が優しく岬に積もっていた。
 昨日は大雨だったが、やんだと思えばすぐに粉雪が舞いだしたのだ。
 寒そうに岬の先に、ひっそりと慰霊碑は存在していた。

 シンは思う。
 
 こうして、ここにたって、ステラと二人で息をしていることは、ガンダムという力に出会ったことよりもずっとずっ
と奇跡だと。

 たくさんの人を失って、たくさんの時間を奪われて、それでも人は生きるのだと知った。一人ではなく、大切な人た
ちと一緒に。確かにこの手はもう綺麗ではないし、罪の重さに苛まれることも多々ある。だが戦争をしたものたちは、
戦場がなくなったその時から贖罪が始まるのだ。
 シンにとって、戦火のない世界は綺麗に映ると同時に実感のないものにも見えた。まだ紛争は残るものの、世界は
確実に平和へと向かっていた。その中で未だガンダムに乗り続ける意味を、シンは探しあぐねている。それでも、結
局は力の必要ない時代なんて、こないのかもしれないとも思っていた。
 そんなとき、ステラが戻ってきた。
 生き残った意味を、戦うことの意味を、戦火に巻き込まれず見つめた時に踏み込んだ暗闇。
 引き込まれて、深淵に触れてしまったら帰ってこれない気がした。手を伸ばして、生きたいっと願う。そして、同
時に自己嫌悪に陥る。生き残ってしまったことに、まだなお生きたいと願ってしまうことに。
 それでも、ステラは帰ってきた。
 俺も少しは手を伸ばしていいということだろうか。
 そう、信じてもいいだろうか。


 視界の先で、ステラは静かに慰霊碑の前にいた。
 そのこじんまりした背中に、シンは手を伸ばしたくなる。遠くのステラを空をきるその手でそっと触れるように動か
す。手のひらにおさまる小さなステラ。
「なんか……俺、君のこと守るって言ったのに、守られてるみたいだよ。ステラ」
 吐く息が白かった。
 そろそろ、側に行こうかと思ったら、着込んだ上着の内側から通信機が鳴り出す。
「はい、シン・アスカです」
『シン。俺だ』
「ああ、レイ。何かあった?」
『いや、……どうだ?』
 シンはふっと笑みを漏らす。心配性の親友、隠したってわかるぞ。
「ちゃんとできたよ。今、慰霊碑のところ」
『そうか』
 短い返事。
「ステラ、凄い喜んでた。形がのこるものでないほうがいいんだって。届くから。レイのお陰だよ。ありがとう」
 短い沈黙があって、レイは向こうで呟く。
『俺も、議長をそうして弔った。彼女によろしくな』
 返事も待たずに切れた通信に、シンは思わず苦笑した。
 素直に、ステラが喜んだか聞けばいいのに。境遇を知り、以前からレイはステラには親身なところがある。そのくせ、
直接会うと目もあわせないのだ。
 レイの教えてくれたのは、キャンドルの作り方。
 ステラは不器用ながら、大切な仲間の名の入った三つのキャンドルを必死にシンと二人で作った。
 そして今、ステラの手には水色と緑色、そして赤色のキャンドルが乗っていた。
「ステラ、点けようか」
「うん」
 歩み寄って、その頼りない肩に手を置くと満開の笑顔が返ってきた。
「アウル、スティング、ネオ」
 ステラはひとつずつ、慰霊碑の前に置くとそっと愛しそうに触れていった。
 シンは側で、マッチを取り出す。
「お誕生日みたい」
 花が綻ぶみたいに笑うステラに、シンは一瞬で目を奪われその手が止まった。
 墓前にいて、亡くした人の名を呼んで、微笑んで「生まれ喜ばれる日」のようだと笑うステラ。
 ねえ、ステラ。
 俺、わからないけど、悲しくないのに泣けてしまう。君がここにいて、そんな風に笑うと泣けてしまうよ。ステラ。
「シン?どうしたの」
 ごめんね、俺の大事な人。
 悲しくて泣くんじゃない、君があまりに優しくて愛しいからだよ。
「……大丈夫だよ、シン」
 ステラはゆっくり、そうっとシンの頬に触れた。なぞる様に指先を動かして、シンの手元へ下ろす。
「温かくしよう」
 そういって、ステラは手からマッチを拾い上げるとキャンドルたちに火を灯す。
 灯った温かな火は、冬の風に負けず揺らめいた。
 どんより暗い空、冷たい海風、やまない粉雪、それから手を繋いだ僕らと、三つの灯火。
 どんな寒い日よりも、温かい気がした。
 それから、そのキャンドルがなくなるまで、ずっとステラの歌を聞いていた。届くように。消えないように。

 

 


 ずっと一緒。
 二人でずっと。
 どんな空の下でも。どんなに闇が足元を掬っても。
 
 願う君が歌うなら、僕が君の歌を守ろう。
 雪のように消えたたとしても、また生まれ来ると教えてくれた君となら、きっといつかみた夢が叶えられる
日がくるから。


 ずっとこれからも、一緒に。
 

 

 ずっと一緒。完

 


 

 よかったあ。おわらせれた。

やりたいことやりまくりで、ほんとすいません。

シンルナのかたに怒られる妄想かもしれません、反省します。

でも僕の中ではレイルナなんだなー。うむむ。

 

シンって僕の中では「男前」な優しい泣き虫なので、「結婚しよう」って絶対言葉にする奴だと思うんすよ。

なので、言わせたくて仕方なかった。

 

すいません。笑

 

小休憩にアウル話でも次回は書こうかな・・・。 

 

 

 

 

inserted by FC2 system