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この展開、大丈夫だろうか。
レイは、目の前のソファで座っているシンを見て胸中で呟いた。
「シン?」
「なに、レイ」
声を掛けると、シンは顔をあげた。
「その……すまなかったな、押しかけて」
「いいよ。なんか、お陰でステラの面倒見てもらえたし」
シンは言うと、照れたように頭を掻いた。今頃きっと、風呂場ではルナとメイリンがステラをお風呂に入れるのに奮闘中だ
ろう。確かに、タイミング的には良かったかもしれない。
そして、タリアはキッチンにて買ってきた材料で料理をしていた。
「珍しく、怒らないんだな」
思わず言ったレイにシンは苦笑すると、視線を外して答えた。
「……まあな。いいさ、たまには。それに」
言いかけて、シンは黙る。外した視線の先にはまだ止まぬ雨があった。
「シン?」
「うん。さっきステラが」
「おい!この、羨ましいヤツめー!」
シンの首を後ろから絞めながら、ヴィーノが割って入ってきた。続いて、ヨウランも手にボウルを抱えて立っている。
「ヨウラン、なんだそれ」
「艦長が、混ぜとけって」
ボウルにはじゃがいもをふかしたものが入っており、これからサラダになるようだった。
どうやらミネルバクルーはとてもこの家で寛いでいるらしく、副艦長であるアーサーはマッドと二人でステラのおもちゃで
あるチェスに別室で夢中の様子だ。
シンはみんなのそんな様子を見やって、微笑んだ。いつも二人きりの家だ。こんなに賑やかいことは滅多にない。シンから
したらミネルバの日常だが、ステラにとっては新鮮なはずだった。そう思うと、感謝の気持ちが湧いた。
「レイまで来るとは思わなかったけどな」
ヨウランはおっとり、レイの肩を叩いて言った。
「いや、来る予定ではなかった。だが、ルナマリアが」
「へえ、ルナが?」
意味があるのか、ないのか、シンは繰り返した。それにどう反応したものかとレイは迷って続けずにいると、廊下から賑や
かい足音が響いた。
「ステラ!待ちなさい」
「ごめんって。ステラちゃーん」
女性陣がお風呂を終えたらしい。が、どうもばたばたと様子が騒がしかった。
「なんだ?」
ヴィーノとヨウランは顔を見合わせ、廊下へのドアを開いた。
すると勢いよく、ステラが走り込んでくる。まだ濡れそぼった髪もそのままに、一直線に突っ込んできたのである。
「ステラ!?」
立ち上がって、慌てるのはシンである。
なんと、ステラはタオル一枚巻いた姿でそこにいた。
「シンっ」
ステラは何故か半泣きでシンを見つけて立ち止まる。しかしソファを挟んでいるので、すぐにはシンの元へいけない。そこ
に肩で息をしながら、ルナとメイリンが追いついた。手にはタオル、洋服、二人の姿勢は臨戦状態である。
「メイリン!右回りこんで」
「オッケイ」
二人は部屋の隅で怯えるステラを左右から、じわじわと追い詰める。
「ちょっと、ヨウラン!邪魔!」
入り口でメイリンに押されるも、ヨウランは固まったまま動かない。
「ステラ、もうしないから。ね?」
「う、うう」
ルナの優しいが威圧のある声に、ステラは縋るようにシンの方を見た。しかし、シンにはどうにかしないといけないことが
山積でそれどころではない。
「ヴィーノ!見るなーっ」
「す、すてらちゃん……」
「だー!」
目の前で倒れるヴィーノをレイは無表情に眺める。なんと騒がしい。
「レイ!お前もみるなーっ」
「心配するな。興味ない」
「なんだとー!」
趣旨がずれている。
そうしているうちに、メイリンがまさにステラに飛びつこうとした時である。
「やー!」
「あ、こら!」
叫んだステラが、メイリンとルナの上を軽々跳んで、すたっとソファのところに降り立つ。もうステラはタオルを握ったり
していない。いつ落ちてもおかしくなさそうだった。
「ス、ステラ……頼むから、動かないで」
シンはあわあわとステラの方を見て言った。しかし、どうやらステラは混乱しているようでシンの言葉も耳に入っていない
ようだった。
「シン。お前が抱いて戻ればいいだろう」
「簡単に言うなよ、レイ……だって、そのほら」
あんな格好のステラを?
「お前、嫁にもらうんだろう?その前に一緒に暮らしてるだろうが」
「なんもしてないし!」
「こんな場面でカミングアウトするな」
大混乱のシンを見て、レイは大きな溜息をつく。どうなってるのだ、一体。
「このままでは風邪ひくしな。仕方ない」
言うと、レイはすっと立ち上がって何も言わずにステラの方へ歩み寄った。
「!」
ステラは急に現れた新手に、身構える。後ろは壁。逃げ場がない。本能からか、ステラは必死に手段をめぐらせているよう
だった。
「ルナマリア。捕まえて、風呂場に戻せばいいのか?」
レイはステラの前で止まると、静かに言う。目の端に頷くルナが見えた。
「よし」
短く、そういったレイは目にも留まらぬ俊敏さでステラの逃げた腕を捕まえ、軽々と肩に担いだ。一瞬のうちに。
「や、やーっ」
「どうどう。何もしない」
そう言ってレイは担いだステラの背を叩いて、廊下に出た。
慌ててルナとメイリンがついて出て行く。残されたのは、立ちっぱなしのヨウランと気絶したヴィーノ、そして放心状態の
シンである。
「な……なんだったんだ……」
今日、何度目かの溜息をレイは風呂場のドアの前でついた。
背後では、まだ少しばたばたしている様子の声が聞こえてきたが、ステラはもう大人しく言うことを聞いているようだった。
ちゃんと、見たのは初めてかもしれない。
初めて見たのは、シンが研究所の探索に出て帰ってきたシンが救難した際だった。傷ついた少女を大事そうに抱ええてクルー
全員を敵に回しても構わないと言いたげだったシンが忘れられない。
シンは気づいていないが、ずっと見守り、容態を心配して側を離れなかった様子をレイは見ていた。
守りたい一心で、ひたすら周りが見えていない彼をレイには笑うことも呆れることもできなかった。そこにシンの強さを見
た気がしたのだ。本当は誰より気の優しい少年の、戦ってゆく意味。奪った命を背負ってゆくための力。
家族を失った憎悪だけではこの先、潰れてしまうだろう。
レイは同室で過ごしながら、ずっと思っていた。同情ではなく、単に一つの駒として、彼はエースであり続けさせるには何
が必要かと。
あの頃は、本当にギル一色で、レイこそ周りが見えていなかったのかもしれない。
シンのことを友人だとも、戦友だとも、仲間だとも思っていなかった。ギルのための駒。ギルの描く未来のための。そう、
思いたかっただけで、本当はずっと昔から、かけがえない友だったのだ。
だから、あの少女が助けたかった。
生きてほしかった。
自分と似たあの少女に、シンを救ってほしかった。
こうして、漸く自分の思いを整理できるようになったことで、レイは多くの感情を得た気がした。
地球という星にはなれない。けれど、近づくことはできるのではないか、と。同じ形をしている星なのだから。
シン。
そうだな、お前に出会えて俺は良かったよ。
お前がいたから、ここにいるのだと思う。あの時、なぜこの期に及んで生きたいと……そう思ったのか。
タリアの手を取って、崩れ行く要塞の中を瀕死で進んだのか。
この世で、一番好きだったギルをおいて、あの場を去ることが出来たのか。
まだ向き合えないことは多いが、お前とこれからも並んで生きてゆけるならそのうち、きっと。
「レイ」
伏せていた目を開くと、目の前に困った顔をしたシンが立っていた。
「なんだ。もうすぐ出てくるぞ。心配しなくても」
「うん」
苦笑して、シンはレイの隣に並んで壁にもたれた。互いに何も言うわけでもなく、佇んでいた。
「……すまなかったな」
突然、レイは呟いていた。自分でもよくわからないうちに。
「あのな」
急になんだ、と問われるかと思いきやシンは床を見つめたまま間をあけて続けた。
「さっきの続きだけど」
「……ああ」
思い当たってレイは頷く。ヴィーノが来る前に言いかけた言葉。
「ステラが、帰ろうって言ったんだ」
シンはまだ目線を落としたままだったが、少し笑って息を吸う。
「おかしいだろ?それだけのことなのに……どうしてか泣けてさ。だめなんだ、確かめなきゃ不安で。そこにいるのか触っ
て確かめたいのに。それも怖くて」
吸った息で一気に言うと、シンはレイの方を向いた。
「いつか、ステラの錘になりやしないか、本当は不安で。だから皆がさっき居てくれて、なんか安心した。二人きりだと俺、
何言い出すかわかんなかったから」
透明な眼差しでシンはレイを見つめた。その瞳はかつて命がけで叫んで、苦しんで、足掻いていた頃とは違う色を湛えて
そこにあった。
「だから……手を出さないのか?」
漸く投げたレイの言葉にシンは目を開いた。
「……手、出すって」
「そうだろう?」
困ったようにそっぽを向いた友に、レイは微笑を浮かべる。押しが強いのだか、弱いのだか。
「大事にしてるのは、聞かなくてもわかる。だが、彼女は生きている。ちゃんとそこにいて、しっかり色々考えて成長して
いる女の子だ。触ったからって壊れたりしないさ」
いつもと変わらぬ調子で話すのに、なんだか優しい声音な気がして、シンはレイを見つめた。
大事な告白を大戦中、シンにだけしてくれたレイ。
戦争が終わって、もう二年が経とうとしていたがシンは聞いていなかった。タリアと揃って帰還したレイに何があったの
か。話してくれた真実が、どう変化したのか。
ただ、レイが以前のように薬を必要としているのではなさそうなことと、死に直面しているのではないということがわかっ
ているだけでシンは良かった。いつか、友が話してくれるその時で構わなかった。
滲んだ思いを飲み込んで、シンは苦笑した。こちらを見返す友が、なんとなく愛しい人と重なる。
「なんだ?」
「いや……なんか、レイってステラと雰囲気似てる気がする」
今度はレイが目を見開く番である。やがて、真剣な顔で言うシンにレイは笑顔を向けると、息を吐いた。
ちょうど、そこに背後からステラが顔を出した。
「あ、終わった?」
「シン」
ステラはすっかり乾かしてもらった髪をさらさらさせて、今度はちゃんとワンピースを纏ってシンの腕にたどり着いた。
後ろから続いて、ルナとメイリンも出てきた。その様子は満身創痍である。
「大変だったわー」
「大体、お姉ちゃんが悪いのよー」
姉妹は揃ってぶつぶつ言い出す。
「一体、何があった?」
レイがルナに問うと、引き攣った笑いを浮かべた。
「お姉ちゃんがね、ステラちゃんのむ」
「メイリン!」
慌てたルナがメイリンの口を塞いで、そそくさと引きずってキッチンへ向かう。
「艦長、手伝ってくるから!」
言うだけ言って、あっという間に姿が見えなくなった。残されたシンとレイは顔を見合わせる。
「ステラちゃんのむってなんだ?」
「……」
シンが側にいるステラを見やると、ステラは恐る恐る隣のレイを見上げていた。
「もう、担いだりしない。安心しろ」
レイが気づいて、言うとステラはこっくりと頷き、シンの腕を離してレイの側に歩み寄った。
「あろがと、う」
ステラはレイの腕をくっと引っ張って、屈ませると自分の位置に下りてきたレイの頬に短くキスした。
レイは側にあるステラの顔を、驚いて見返した。そこにはどこかで見たことのある瞳の色があり、レイを映して揺れてい
た。どこかで……。
「わー!それは、誰にでもしちゃだめ」
ステラの行動に固まっていたシンが叫ぶ頃にはレイは爆笑していた。
声を上げてこんなに笑ったのは、本当に久しぶりだ。
結局、総勢十五名でおしかけたミネルバクルーたちは、半ば立食パーティー状態でタリアの手料理を囲んでいた。
食卓に広がるいつもとは違う料理郡に、ステラは感嘆の声を上げた。
「・・・・・・これ、なに」
中でも、一番目を奪われてステラが呟いたのは、大きな深いお皿を覆うようにパイが乗っているなものだった。
「パイ包みという料理でね。私は寒くなるとこれが一番好きなの」
「パイ・・・・・・」
「珍しい?」
パイから目の離せないステラに、タリアは優しい眼差しで微笑んだ。
「さわって、いい?」
そこにいる食卓を囲んだ全員が、見上げて真剣に聞いたステラに頷いた。
「・・・・・・や」
そうっとパイの狐色に焼けた表面をステラは白い指で、つつく。
「わらかい」
「ステラ」
隣に立っていたシンがステラの手にスプーンを握らせて、少し屈んで目線を合わすと笑顔で言った。
「食べてみようよ」
「う、ん」
弾かれたようにステラはパイから目を離してシンを見ると、次いでタリアを見た。許可を得るかのような視線にタリアは
微笑んで、頷いて見せた。
パイ包み、そういわれた料理はなんとも可愛らしかった。
この家にある一番大きいボウルのような皿に、ふっくらとまあるくパイが屋根を作っている。つついたら柔らかかった。
一体中には何が入っているのだろうか。ステラは息を飲んで、凝視したままスプーンを握りなおした。
「うう」
「ほら、もっと力入れて押して」
シンはそう言うと、戸惑うステラの手を握って一緒にパイをぐっと押した。
パイはさくっと音をさせて、穴が開らく。たちまちそこからは湯気が立ち上がって、甘い匂いが部屋を包んだ。
「グラディス家直伝のシチューよ」
「すっげえ、うまそう……」
驚きのあまり声の出ないステラの隣で、シンは思わず呟いた。
顔を覗かせた白いシチューは、たくさんの野菜を浮かべてそこに輝いていた。
「シン、シン」
「うん。凄いな、ステラ」
頬を上気させてステラはシンを見上げた。シンもまた、そんなステラの肩を抱き寄せて一緒に目を輝かせていた。その様
子はなんとも微笑ましくて、その場にいたクルー全員が顔を見合わせた。シンのこんなにやけた顔、見たことがない。
「いつも、すぐ怒るし、あたし今でもちょっと苦手なのに……なんだか、あたしの中でイメージ変わったなあ」
「変わったって?」
「うーん、点数上った感じ!」
ルナは元気に返事する妹に呆れて嘆息した。ザフトで戦っていた時も、戦争が終わって自分たちが付き合いだしてからも
一度もシンのことを褒めたことがなかったのに。
メイリンからすれば、一度本気で機体を落とされた身である。シンのことが怖くても仕方ないのかもしれなかったが、ルナ
にしてみれば、本当の彼を理解してほしいと家族に思うのは当たり前の気持ちだった。
「確かに、そうかな……」
視線の先に映るシンの顔は、本当に幸せそうでいつもより幼く見えた。実年齢の青年に見える、といった方が正しいかも
しれない。あんなに気を許したシンを、ルナだって見たことがなかった。例え、付き合っていたことがあっても。
「ねえ、お姉ちゃん。ずっと言わなかったけど」
メイリンは目の前の皿から、揚げ物を摘み上げながらごく普通の口調で言った。
「アスランさんのこと、好きだったでしょ」
左の頬が引き攣った気がしたがルナは耐えて平静を装い、手元のジュースを一気に飲み干して、メイリンを見返した。
「あんたもでしょーが」
「まあね。アークエンジェルに乗ってからはすぐ夢は醒めたけど」
「……メイリン」
「ま、姉妹だし。考えることなんとなくわかるって。だから、再会できた時に正直、違和感あった。いえなかったけど」
皿から料理を取る手をとめて、メイリンはルナマリアを真っ直ぐに見た。いつも流され気味の妹だが、大戦を経て強くなっ
た。とても。
自分の意思を貫くことを諦めなくなったメイリンの姿が眩しい気がした。違う道を歩み、手に入れた場所も経験も違った。
同時に、自分の手から離れてしまった妹を見ると寂しい気もして。
「どうして、シンを選んだのかなあって」
聞こえるか、聞こえないかほどの声で呟かれた言葉は、ルナの胸に痛いほど届いていた。皆の賑やかい声が遠くなった気が
した。
「……あたしを討ったのに、とか言ってるんじゃないよ」
わかっていた。何を言いたいのかも、伝えたいのかも。きっと、ずっと胸に留めていたのだろうことも。
妹らしい、意地っ張りな姉への打ち明け方は、ルナの琴線に触れ苦しくさせた。いつもなら、誤魔化して笑って何でもない
振りができるのに、それは叶いそうになかった。
「わかってるわよ」
漸くそれだけ言って、ルナは背を向けた。
「お姉ちゃん。素直が一番よ」
メイリンは軽く姉の肩を叩くと、騒がしいヨウランたちの方へと向かっていった。
深い息を吐き出し、ルナは不意に視線を窓に向けた。空気を入れ替えるために開けられたテラスへの大きな窓からは心地良
い風が舞い込んで来ていた。
ゆれるカーテンに吸い込まれるようにルナマリアの足はテラスへと向かった。
雨はすっかり上がり、空にはぽっかりとまるい月が浮かんでいた。
ここから眺める海は広く見渡せて、まるで艦艇の上から眺める景色のようだった。広い海の上に、黄色の満月がひとつ。
波がなぜ、寄せては返すのか。
シンが突然尋ねてきたこと。
何かと思えば、ステラに聞かれて答えられないという。情けない顔をして、隠しもせずに話す友がなんだか可愛く見えて。
教えてやると、生意気に端末まで叩いて調べる始末。アカデミーの試験だってそんなに熱心でなかったのに。
レイからすると、ずっと夜にうなされていたシンを知っているだけに今の彼を見れることは喜ばしいことだった。
同じ名を繰り返し、掴めない空を何度も掻き抱こうとするシン。
目が覚めても、そのことに自覚がないようで、それがまたレイをやるせなくさせた。心のどこかでもう求めても帰らない
ことを知っている。閉じ込めて、己のせいにして、戦うことで、誰かを守るということで、そうして自分を追い詰める。そ
んなシンが、見ているとレイを黙っていられなくさせた。
そんなに焦っても追い詰めても、人間は生きている限り、過ちは繰り返す。
仕方のないことだ。償うことができるのは本人だけ。犯した過ちを正すことができるのも、また本人だけだ。
だからこそ。
「お前は生きなくちゃいけない。そうだろ、シン」
テラスの手すりに拳を押し付け、自分に言い聞かせるようにレイは呟いた。
見上げた月は雨上がりのためか、ぼんやり霧掛かって見えた。思いを馳せるにはぼやけている位がちょうどいい。何事も見
えすぎては疲れてしまう。たまには、知らないふりがしたい。
寒さを感じ、徐にレイはジャケットのポケットに手を突っ込んだ。そして、後悔する。
「おい、レイ・ザ・バレル。よせ」
苦笑を浮かべてレイは一人ごちる。手に当たるケースを何度か弄び、逡巡したあと取り出した。
「・・・・・・なんてな。感傷に浸るような付き合いでもない」
もうずっと、長い間このケースに収められた錠剤には世話になっていた。
もう処方も忘れた。気休めとわかった時から、何粒飲もうがいつ使用しようが同じだと決め付けてしまったからだ。見慣
れた白い粒は、いつでもレイに一時的な平穏を与えてくれる。有難いことだった。
たとえ、それがその場しのぎであっても。
「プラント、か」
そっと月の先を目を細めて眺める。しかし、今夜は霞んでその先は見えなかった。
「人は宙へ、上がるべきではなかったのかもしれないな」
なにもない、ただ月だけが見下ろす。それで良かったのではないかと。そうであったなら、自分はここにはいない。存在して
いない。きっと。
エクステンデットの少女はどうだろうか。
考えてみれば、深い悲しみだった。それはもしかするとコーディネーターの歴史よりも深い悲しみ。
人でありながら、得がたいその名の「ナチュラル」として生まれながら、どれにもなれず縛られるばかりの異質な生物として
確立してしまったエクステンデットという存在は、まさに人の歪みの生んだ悲劇だろう。
すべては人が望み、人が羨み、人が欲し、最果てには人の生んだものが人を羨んで作り出した歪み。
それでもそれぞれの生きる意味を、幸せを探そうと足掻く。俺も、あの子も。
「レイ」
後ろから掛けられた声は控えめだったが、いつもと変わらぬルナマリアの声だった。
いつもなら冷静に対処するところだが、つい慌ててケースをポケットにしまいながら振り返ってしまった。
「なんだ」
「寒くないの?こんなところで」
目線は確かに今はもう見えないケースへといっていたが、ルナは触れずに隣に立った。
「少し夜風にあたりたかった。ここはいいロケーションだな」
「ほんとね。写真みたいな景色。さすがラクス様たちの選んだお家ってとこね?」
ルナは眺めたまま、羨ましそうに笑った。
「・・・・・・シンは、幸せそうだな」
「うん。憎たらしい」
言ってレイを見返したルナの瞳はいつものように強い光を宿していた。彼女らしい意思のある瞳。
「レイはさ、ずっとあたしたちのこと応援してなかったよね」
ルナは少し間をあけてから、続く言葉のために口を開こうとした。だが、それよりも先にレイの手がそっとルナの頭に乗っかり、
ぽんぽんと動いた。
「・・・・・・なっなに?」
黙ったまま、レイはルナの頭から手を下ろして微かに微笑んだ。月明かりが照らすレイの顔はとても端正で、見惚れるほどだった。
「応援していなかったのではないさ。ただ俺は・・・・・・そうだな。納得いかなかったんだろうな」
「納得?」
「ああ。アカデミーからずっとお前たちとは一緒に過ごしてきた。良くも悪くも、知りすぎている。シンのことは家族並みだ。もう
あの顔は見飽きたな」
言った本人は至極当然のように言ったが、レイの言葉に笑いを堪えられずルナは声を上げた。
「ルナマリア、君もだ。長い間、側にいる」
透明な眼差しはルナを真っ直ぐに捕らえ、そこに映していた。
ただ、レイは事実を言っただけのこと、なのにルナの胸はざわついていた。レイの言葉が心で響き、こだます気がする。
「納得いかなかったさ。シンは君のことを心から友として、また仲間として信頼し、姉のように慕っていた。男女の関係になっても
それは変わっていなかった。そして、君も。シンを見る眼差しはとうとう変わらなかったようだしな」
聞きながら、いつもと変わらない調子のレイに対してるなは動揺が隠し切れなかった。どうしてばれているのか。レイはお見通し
のように話す。なぜ、ルナを疑問と情けなさが占拠した。
「・・・・・・ルナマリア、でもそれは間違いではないと思う。人が人を選ぶ理由に名をつける必要はないしな。だから俺は反対しなかっ
た。二人が幸せなら構わない」
「よしてよ・・・・・・泣かせたいわけ?」
笑って言った語尾が震えた。ルナにとって、レイは今までいい相談相手であり、困ったときの頼りある存在で、いつも自分ばかり
が頼ってきただけに、こんなに思ってくれているとは考えていなかった。
レイは普段と変わらないのに、言葉には気遣いと優しさが込められていて目を逸らすことができなかった。
「俺は一度、死んだ身だ。これからは多くを知った上で生きていきたい。どうせなら」
浮かんだ表情はどこか苦しそうだった。レイの瞳に映りこむ月が揺れる。あまりに綺麗で、ずっと見つめていたくなるのに伏せら
れた瞼の奥に消えてゆく。
「ルナマリア?傷つけたか、すなまい」
「え。あ、ああ・・・・・・ううん」
いつの間にかレイを見つめたまま、目じりには涙が滲んでいた。それを見つけたレイはほんの僅か不安そうにルナを見た。
「レイって、そんな顔もするんだね」
「そんな?どんなだ?」
「はは、もう今はしてない。相手しか見れないものよ、それ。ってことは、得したってことか」
素早く涙を拭い、笑顔を作った。
「ルナマリアは・・・・・・どうしてそう」
「なに?」
レイは隣で何故か苛立ったように呟いた。
なんとなく、続きの言葉は想像できた。
どうしてそう、強がるのか。
どうしてそう、可愛くないのか。
どうしてそう、素直になれないのか。
そんなの、ルナが一番聞きたい。
泣いたら立てない気がして。シンを失ったことより、シンを自分がどう捕らえ接していたかを自覚したことのほうがショックだった。
どこまでいけば、私は人を傷つけずにいれるようになるのかと。
戦って、戦場にゆき、モビルスーツに乗ることよりもずっと怖かった。
本気で人を好きになることのほうが、ずっと。
「ルナマリア」
その言葉はなぜかとても近く聞こえた。
頬がレイの鼓動を感じている。押し付けられた胸が温かくて、抱きしめられた腕が強くて、声が出ない。
「・・・・・・レイ?」
「少しだけ、このままで」
聞いたことがない、こんな優しい声。
レイ。どうしたの。
「あたし」
さらに背に回った腕がルナを引き寄せた。強い力。離すまいとする、拘束。
どうしたというのだろう。
頬は熱くなったが、やけに頭は冷静だった。レイだからかもしれない。
ずっと、頼ってきた仲間。こんな姿を見せてくれたことなどなかったが、そうできる存在と認めてくれたのかもしれない。漸くシンの位
置くらいにはなれたということか。
そう思うと、嬉しくてちょっと得意な気持ちになった。
「仕方ないなあ、あたしったら皆の姉・・・・・・」
「そうではない」
驚くほど間近で囁かれる。目を開けているのが痛いくらい近くにレイの顔があった。
「レイ?」
「君は」
腕はまだ背に回ったまま、レイの腕の中でルナは首を傾げた。
「・・・・・・まあ、いい。すまなかったな」
言うとレイはあっさり腕を解放し、テラスの手すりへと身を戻した。
残されたルナはぼんやりレイの背中を眺めた。
「レイ、ちょっと」
「自分で考えろ。そのほうがいい」
「はあ?」
レイは可笑しそうに喉で笑うと、再び月を眺めた。
滲んで見えるのは、霧のせいではないのかもしれない。
なんだ、この進み方!ごめんなさい。平謝りです。
ちゃんと書きたいのに・・・。涙
レイとルナな雰囲気になってまいりました。ステラのためにも【3】続きます!
ゆるして・・・。